21.黒鉄

 黒鉄。

 

 ガロアがそのエルフ女と対峙したとき抱いた印象はそれだった。

 黒髪黒目という珍しい特徴を持つ、白皙の美貌のエルフ。

 その黒い瞳に浮かぶのは静謐。

 戦いの最中にもかかわらず、精神の揺らぎは欠片もその瞳に表れていない。

 直前の死線も、クロエのことも、何もなかったかの如く。

 無事を信じているにしても、現にクロエが姿を現していないということは、何らかの困難に見舞われているであろうことは容易に想像できる。にもかかわらず一切の動揺がない。

 軽く膝を曲げ、前後に開いた脚によって支えられた二刀の構え、そしてその視線は、ただガロアとの闘争のみに向けられていた。

 その印象は実際に剣を交えても変わることはなく、最後までその牙城は揺るがなかった。


(あるいは、俺が剣に生きていたのならば、届いたのか?)


 貧民に生まれたガロアには日々の生活があった。冒険者兼裏稼業の人間となってから、自らのうちにある理想の剣を追求しつつも、それを実現するための修練にとれる時間は、糧を得るための細々とした仕事の合間合間のわずかなものに過ぎなかった。

 それでも若い頃は寝食を削って剣に打ち込んだものだった。

 しかし、年齢を重ね、様々なしがらみにとらわれつつも、経済的に余裕が持てるようになり……自由になる時間が増えてからの方が、かえって剣に打ち込む時間は減っていった。

 それは自分の限界を悟ったゆえか、それとも情熱が失なわれたのか。

 黒髪のエルフ――ローズとの戦いは、かつての情熱を揺さぶられるようで、心地よく……そして不快だった。


(……)


 ぼやけた思考がにわかに定まり、意識が徐々に形を取り戻す。


(なぜ……俺は生きている?)


 それに気づき、カッと目を見開く。


「お、気が付いたかい?」


 仰向けになったガロアが目を開くとその傍ら、見上げる位置にクロエがいた。


「……生きていたのか?」

「そりゃ、あれくらいじゃ死なないよ」


 肩をすくめるクロエ。服装がほこりっぽいものの、怪我をした様子はない。ガロアの策は完全に失敗したらしい。

 状況は分からないながらも、ガロアは身を起こそうと身をよじる。


「まだ起きない方がいい。死んでいてもおかしくないほど血を失っていたからね。頭を上げたらまた倒れるよ。っと、ほい」

「ぐっ!?」


 言いながらガロアの口にポーションを突っ込むクロエ。

 即効性はないものの、ヒールポーションには失血時の造血作用があることはよく知られている。戸惑いつつも、素直にそれを飲み込み。飲み干した瓶を横に吐き出す。


「なんのつもりだ?」

「君たちって、抗争時には死体の数を比べるじゃないか。そういうの面倒なんだよね。だから死んでもらっちゃ困るんだよ」

「……」

「君は上部組織の重役っぽいし、貸しにできるだろう? あとは手打ちにする名目を与えれば解決するはずだ」

「名目?」

「『あの水晶宮殿と互角にやりあって、手打ちを承諾させた』ってところでどうかな? 面子が立てば、名目も事実もどうでもいいだろ? 実際のところは」

「そんなことで納得すると思ってるのか?」

「納得するよ。君の上役が納得せざるを得なくなる」

「なに?」


 ガロアの疑問には答えず、クロエは周囲を見渡す。

 白銀に輝く数十枚の光の板が、周囲を回転しながら取り巻いていた。

 そこからさらに距離を大きくとって取り囲む数十人の人影。既にそのうち幾人かが地面に倒れ伏している。ガロアが後詰に用意していた人員だった。


「全員無力化しても良いんだけど、そちらの面子もあるだろ? 引いてもらえるかな?」


 【リフレクトシールド】。物理、魔法を問わず攻撃を受け止め反射する魔法の盾。

 とはいえ、並の術者ならば一枚を自在に動かすこともままならず、一時凌ぎに使われるのがせいぜいの術だ。

 しかし、そのはずの【リフレクトシールド】が数十枚、あり得ない速度で乱舞している。それは数十人の盾持ち戦士が、人ならざる動きで、完璧な連携をもって進退するのと同義となる。

 百からの正規騎士団すら単独で相手にする、クロエの異名そのものである固有魔術。


「【水晶宮殿】……」

「ベルは貰っていくね。代わりにあの刺された方のおじさんと、刺した方のおじさんは置いてくから。なんか良く分からないけど、一応治しておいたよ。ポーション代はサービスだ」



――――――――――



 その日もバーブルは執務室で夜遅くまで書類仕事に追われていた。

 表の仕事と裏の仕事。仕事柄どちらも他人任せにし難いものが多く、どうしてもバーブルの負担は大きくなる。もっとも、バーブルについては同業者と比べても仕事、権限をひとりで抱えすぎではあったのだが。

 他人に任せすぎて、あるいは任せる範囲を誤って、足をすくわれて消える同業者を、これまで何人も見てきた。足をすくう側も、すくわれる側も、それらは全て金の魔力に狂った、人の業だった。

 バーブル自身、仕事の抱え込み過ぎの自覚はあるものの、それらの顛末を見てきただけに、なかなか他人に任せる気になれないでいたのだ。


「金、金、金。正直嫌になってくるぜ」


 一人きりの執務室、自嘲の笑みが浮かぶ。

 その金で立身出世を遂げ、人の上に立つ今の地位を築き上げたのだ。文句を言うのは筋違いだろう。それは分かっている。分かってはいるのだ。

 だが、その金に不自由のない今の立場ゆえに、逆に色々とままならないことが多くなることに、何とも言えぬ徒労感が拭えない。

 バーブルにはこの世界でのし上がる能力があった。だが、その性格は本質的に向いていない部分があるのだろう。

 かと言って、いまさらそれを捨てる気もさらさらないのだが。


「そろそろケリがついたころか?」


 キリの良い所で手を止め、葉巻を取り出して端をナイフで切り落とす。

 マッチで火をつけた葉巻をひと吸いして、ゆっくり煙を吐き出す。

 机の上に放置されている半紙にちらりと目をやる。フィリップが持ち込んだ例の証拠だった。

 ただし、使い道は別になるだろう。


「ちぃと扱いが厄介だが……」


 その扱いについて段取りを考えつつ、椅子に体重を預けて紫煙を吐き出し、やや薄暗い部屋の入り口をぼんやりとながめる。

 普段気にもしない椅子の軋み音が少し気になる。疲れているのだろう。

 ガロアの報告を受けるのは明日でもかまわない。今日はもう休むかと考え始めていた。


「?」


 灯りが瞬いたのに気づき、天井の照明魔道具を見上げる。特に異常がないのに首をかしげていると、一瞬の後に紫色の強い光が部屋を満たした。


「……!?」


 咄嗟に机の上のベル型魔道具――別室の護衛や使用人を呼ぶ為のもの――を掴もうと手を伸ばした所、その手首を掴まれて阻まれる。

 自分の手首を掴む、白く細い腕。華奢な見かけにもかかわらずびくともしない、その腕の先には、紫色に光る魔法陣を背負った人影がひとつ。


「誰だっ!」


 別室の護衛に聞こえるようにあえて大声を出すが、その自分の声には違和感があった。


「呼んでも無駄よ。今はここで何が起きようと、部屋の外には聞こえないわ」

「貴様は……」


 その言葉は事実だろう。バーブルは自分の声の違和感の原因に思い至った。まるで遮蔽物のない屋外で喋っているように聞こえるのだ。

 音を遮断、吸収しているのだろう。おそらくは音以外のものも。

 バーブルは掴まれた腕を振り払い、その人影から距離を取ろうとする。

 編み込んだ黄金の髪。白い肌にエメラルドグリーンの瞳。

 なにより特徴的なのは、その長く尖った耳。

 人族では有り得ないほどの美貌には、場にそぐわぬ微笑が浮かんでいた。


「エリザベート……、クラン【水晶宮殿】?」


 エリザベートはそれには直接答えず、囁くように言葉を発する。


「不用心ね。転移陣の逆侵入防止が甘すぎるわ」

「ばかな」


 バーブルの執務室に備えられた緊急用脱出用の転移陣。部下に対してはダミーを含めた八か所のセーフハウス、そのいずれかに繋がっていると説明しているそれは、実のところその八か所すべてに対して任意に接続を変更して、転移先を選択できる高度なものだった。

 接続先の選択権は執務室側にあるため、現在の接続先を知ることができなければ、そもそも逆侵入を試みることも不可能。当然、八か所全てに逆侵入防止措置も施されている。

 エリザベートならば防止措置を突破することはできるだろう。

 だとしても、盗賊ギルドが偽装する八か所のセーフハウスを特定することがまず困難であり、そこからさらに現在選択中の『当たり』を選び取る必要がある。総当たりするにしても、盗賊ギルドに発覚することなくそれを成し遂げるのは事実上不可能。発覚すれば、即座に警戒態勢を取られ、逆侵入の意味――すなわち奇襲効果――自体が失われる。

 だが現に、エリザベートは誰にも悟られることなくそれを突破してきた。


「一体どうやって」

「あら、簡単よ。だってこの陣を設置したのは私だもの」

「……は?」


 この転移陣を含むこの建物自体が、代々盗賊ギルドの会長に継承されてきた資産である。

 諸々の防衛装置は百年近く前に設置されたもので、歴代の盗賊ギルドでもごく一部の者にしか内容は伝えられていない。

 そこまで考えて、バーブルは目の前の人物が百年など軽く超えて生きる長命種であることを思い出す。同時に、再建される前の盗賊ギルドを壊滅させた張本人のうちの一人であったことも。

 そのような言わば仇敵に、過去のギルド幹部が本部の防衛装置の設置を頼むだろうか?


「ちゃんと代々言い聞かせるように言っておいたのに……。『【水晶宮殿】には手を出すな』って。人族は言葉は残しても、すぐにその中身を失ってしまう。本当に困ったものね」


 再建後の盗賊ギルド初代会長の戒めの言葉。

 盗賊ギルド内ならともかく、世間一般には流布されていない言葉だ。特に秘密というわけでもないため、噂程度は漏れ伝わっているだろうが、エリザベートの口ぶりには明らかな確信があった。


「なぜそれを知っている」


 半ば返答を予想しながら、バーブルは尋ねずには言われなかった。


「私が初代だから」


 予想通りの返答。

 あっさり侵入を許したことも、仇敵とは言えわざわざ特定の冒険者クランを警戒する警句が伝承されていたことも、分かってみれば当然の理由があった。

 疑問の回答がバーブルの腑に落ちる。だが、だからといって……


「ふっふふふ、ははははは!!」


 その言いなりになる道理もないだろう。


「なるほどな。しかし、なんだ? 初代の権威で黙らそうって腹か? そんなもので止められると思ってるのか? あんたも初代なら分ってるだろう。この世界は隙を見せたら終わり、弱さを見せたら終わりだ。ここまでコケにされたら行くところまで行くしか……」

「違うわ」


 バーブルの笑いが引っ込む。


「なに?」

「改めて、力の違いを見せてあげようと思って」


 執務室の戸棚に飾られた宝飾品の中から、一つの宝物を取り上げる。


「火竜の牙。不滅の象徴」


 火竜のブレスは鉄すら焼き尽くす。その口に生える牙は、必然的にその生涯にわたって幾度もそのブレス浴び続け、傷ひとつ、煤ひとつ付くことがない。ゆえに、その不滅性から個人や組織の永遠性を祈願する一種の象徴、宝飾品として扱われる。

 あまりにも加工性が悪すぎて、それ以外の使い道がほぼないという事情もあるが。

 エリザベートは両手に余るほどの大きさの、ゆるく曲がったその牙を右手で持つ。


「一説には、火竜の牙をひとつ破壊するためには、街を一つ焼き尽くすほどの熱量が必要だそうよ」

「……」

「一つ試してみましょうか」


 牙がエリザベートの手の上で浮き、徐々に光り始める。


「まさか」


 やがて、直視できないほど発光する牙を見ていられず、バーブルは手で遮りながら顔をそむける。

 魔術の素養のないバーブルですら容易に感じ取れる膨大な魔力の奔流。


「うおおおおお!?」


 執務室の中を嵐が吹き荒れる。

 だがそう感じているのはバーブルだけだった。ふと見ると、机上の書類や小物が一切微動だにしていないことに気づく。

 純粋な魔力はそれ自体は物理現象を生じない。それはエリザベートの発する魔力が目的の現象のみに消費され、一切無駄を生じていない証拠だった。バーブルの感じているものは、異常なほどの魔力の奔流に彼の精神体が起こした自己防衛反応だ。

 嵐の只中のバーブルの感覚と、静謐な周囲とのギャップが異常性を際立たせ、バーブルの背に冷や汗が浮く。その魔力がほんの少し矛先を変えただけで、自分という存在を軽く消し去ってしまうであろうことを、理屈によらず実感していた。

 しばらくして発光が収まると、エリザベートの手の上には未だ形を保った牙があった。

 一瞬、拍子抜けしつつも、バーブルは違和感を覚える。


「灰色……?」

「さて、成功したかしら?」


 エリザベートが握った手に力を入れると、灰色に変色した牙は乾いた音とともに塵のように砕け散り――そこには一本の細長い短剣の刀身が残った。


「初めて試す術式だけど、確かに都市一つ焼くほどの魔力を吸われたわね。ふぅ、効率が悪すぎるわ」


 軽くため息をついて、刀身の出来を確かめるように目の高さに持ち上げて眺める。

 金属なのか鉱物なのか、その中間のような不思議な質感の鈍い白色の刀身。

 指で弾いて、その音を確かめると、満足したのかひとつ頷く。


「記念にあげるわ。拵えは自分で何とかしてね」


 机の上にその刀身を突き立てると、ちょうどそこにあった半紙が燃え上がり、一瞬で灰となる。


「あ」

「まだ私のことを探している人がいるみたいね。百五十年も前のことなのに全くしつこいったら」

「……」

「一応言っておくけど、黙っておいてね?」


 エリザベートの微笑にバーブルは力なく頷くだけだった。

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