18.招待状

「手紙?」

「はい、今朝方に届いたものです。差出人の名前がなかったため、本来は受け取りを拒否するところですが……」

「まぁ、今はこんな状況だしね。受け取って正解だね」


 ユキは執務机越しにクロエへ手紙を渡すと「失礼します」と言い残し、すぐに執務室から退室する。

 マリアだったら中身を見たがるだろうなぁと思いつつ、クロエは封筒を裏、表とひっくり返し、日に透かし、次いで検知魔術を使う。そうして、ひとしきり危険がない事を確認すると慎重にペーパーナイフを入れる。


「これで全然関係ない手紙だったら面白いかも」

「面白くねぇよ」


 ソファーに座ってその様子を見ていたベルが思わずツッコミを入れる。

 封筒から取り出されたのは四つ折りにされたごく普通の繊維紙だった。クロエはそれを開いて目を通す。


「……ふむ」

「何と言ってきた?」

「読んでみる?」


 クロエが指で弾くと、四つ折りの手紙が宙を舞い、複雑な軌道を描いてソファに座るローズの手元へと滑り込む。魔法のようだが実際のところは魔法ではなく、単純に飛ばしただけだ。この場にいる者で、その無駄な小器用さに気づいたのはローズとエリザベートだけだった。


「えーと、『事態の過激化、長期化は双方に利あらず。会談にて決着致したし。今夜午後八時、流民街一番倉庫にて待つ。立ち合いは双方三名のみ。クロエ殿、ローズ殿、ベルの三名にて来られたし』……どの口で言うんだ」

「まぁ、ああいう輩は自分勝手だからねぇ」

「あの、ベル君がこちら側の人数に入ってるんですが」


 ノイアが疑問を差し挟む。


「実質四対二だねぇ」

「僕が裏切る前提かよ」

「えー、だってさぁ」


 ベルの抗議に対して、クロエが白々しいとばかりに疑いの目を向ける。

 それを受けてベルを肩をすくめる。


「分かってるよ。だからさ、僕から提案がある」

「ん?」


 茶化してはいるが、正直なところクロエとしては指定通りのメンバーで文句はなかった。ベルが裏切っても対処できる自信があったのだ。

 だが、ベルの想定外の反応に首を傾げる。


「寝返りの報酬としてリジェネレーションポーションが欲しい」

「……ふむ?」


 クロエは頭の中でベルの提案の意味を検討する。

 リジェネレーションポーションの効果は四肢の欠損などの回復だ。三つの等級があり効果には差がある。当然価格にも差があり、百~五百万リグル程度だ。安いものではないが金銭的には問題ない。そもそもクランに在庫もある。寝返りの報酬としては少々高額に思えるが、ベルの働きによっては考慮に値する。

 ベルの提案はそれをもって自分への信用を担保しろという意味であろう。であるならば、報酬としてはむしろ過剰な方が良いともいえる。普通に考えれば、報酬が高価であればあるほどベルが裏切る必然性が減るからだ。

 無論、敵方とベルが金銭に換えられない信頼関係で結ばれているのであれば、この考え方は無意味ではある。だが利害で結ばれた関係ならば、報酬が高価であればあるほど、それを断ち切れる可能性が高くなる。

 ただし疑問点もある。ベルに身体的な欠損があるようには見えない。むろん見えない箇所に問題がある可能性はあるのだが。


「用途を聞いても?」

「妹の目を治したい。昔、病気がもとで失明したんだ」

「妹? そういえば昨日そんなことを言っていたか。だが否定していなかったか?」


 ローズの疑問にベルは肩をすくめる。


「素直に認めるわけないだろ。大事なんだよ」


 ベルによると、子供の頃から共に生きてきた四人のうちの一人で、幼い頃の病気がもとで失明に近い状態に至ったらしい。


「血は繋がってないけどね。糞みたいな場所で兄弟のように育った四人の中で……僕とあの子だけが生き残ったんだ。僕が守らないといけないんだよ」


 多くは語らないベルの、意思を秘めたまなざしに黙り込む面々。

 その中でノイアはほっとした表情を浮かべる。ベルが真実を話してローズ達の味方になることを決意してくれたことがうれしいのだ。ゆえに少し食い気味に補足の言葉を連ねる。


「私は会ったことがあります。人族の盲目の女の子でした。ベル君と親しくしていたのは間違いありません」

「ふむ」


 クロエは頷いて考え込む。

 正直なところを言えばベルが味方である必要はない。だが何事も想定通りに行くとは限らないのだ。味方の戦力が多い方が良いに決まっている。万全を期すに如くはない。


「まぁ……良いか。一等級のポーションを用意しよう。先天性のものでなければ完全に治せるはずだよ。ただし成功報酬ね」

「ああ、それで良い」


 ほっとした顔になるベル。


「よし、まとめるよ。先方曰く話し合いだけど、十中八九罠だよね。ただ、こちらがそう思うことも向こうは織り込み済みのはず。

 正直に言えば向こうの目論見が読めないけど、こちらとしてもだらだらとちょっかいを掛けられ続ける方が面倒だ。ここで決着をつけたい。

 となれば今晩の誘いは受けて、相手次第の臨機応変で行こうと思うけどどうかな?」

「行き当たりばったりの出たとこ勝負と言わないか? それ」

「ぶぅー、だったら君はもっと良い案があるのかい?」

「いや、俺はあんまり考えるのは得意じゃないから」

「文句を言うだけで対案を示さないなんて酷いやつだ。あと『私』ね」

「……もう『俺』で良くないか?」

「だめぇー!」


 両手でバツ印を作ってしかめっ面で駄目出しするクロエ。エルフ女性の一人称については、何やらポリシーがあるらしい。


「罰ゲームでも設定しようか、お風呂での体洗いっことか」

「私はクロエさんの作戦に従います。お風呂は一人で入れます」

「よろしい。……いや、自分で言っといてなんだけど、そんなに嫌なの? ちょっとショックなんだけど?」


 不満顔のクロエだったが、ローズが本気で焦っているのを見て追及の手を引っ込める。揶揄い過ぎたかと若干焦りつつ。


「ま、いいや。とにかく今夜作戦決行だ。正面からぶっ飛ばすよ」

「……作戦?」


 余りにも単純すぎる作戦。そこにおける、自分の存在意義に疑問を抱いてしまったベルは、胡乱げな視線をクロエに向ける。無論クロエはそのような視線など気にはしないのだが。




 流民街。

 都市オーディルは冒険者の街という特性上入市条件が緩く、関税なし、わずかな保証料のみという他の地域ではありえない条件で都市に入ることができる。しかし食い詰めて流れ着いた者には、その緩い条件ですら満たせないことも少なくない。また、様々な理由から都市内に居られなくなった者も日々発生する。

 そういった者達が都市の城壁外に住み着いたのが流民街である。

 そこに住む者は様々であるが、都市外でできる日雇い仕事をこなしている者はまだマシで、大半は様々な理由で働く能力がない、あるいは働く気が無い者たちだ。

 オーディル都市内の底辺層であるZ-六地区の住民すら、そこに堕ちることを恐れる真の最底辺である。


 その場所はかつて都市の守備隊の駐屯地だった時期もあり、その移転時に放棄された建物がいくつか残存していた。

 ただし、事実上の放棄であっても書類上は都市の資産であるため、それらの建物に流民が勝手に住み着くのは都合が悪い。さっさと撤去すれば良さそうなものだが、お役所仕事なのか、別の意味があるのか、最低限の管理のもとに維持されていた。

 それら管理をしている組織が事実上盗賊ギルドの傘下であることは公然の秘密であり、管理下の建物の一つである『一番倉庫』を取引場所とするのは、【水晶宮殿】側にしてみれば自ら虎口に飛び込むようなものであった。




「こんなこと改めて説明するまでもないと思うけど」

「まぁね」


 ベルの解説に頷きつつ、クロエは軽い調子で返す。

 時刻は午後七時半。すでに日は暮れ、半分より太めの月が空に昇っていた。

 ローズ、クロエ、ベルの三人は市門を抜け、市壁に沿って流民街へと続く道を進む。月明りだけが頼りの道行きだ。

 整備された街道から分かれた、人の脚によって踏み固められただけの野原の筋。それが流民街へとつながる道だ。


「念のための認識合わせみたいなものさ。やっぱりあからさまに敵地だね。でもまぁ相手は会談だって言うんだから、とりあえずはそれを信じるとしようか」

「信じてないだろう」

「信じてる信じてる」


 全く信じてなさそうなクロエであるが、危機感もまた全くない。


「実際のところどっちでもいいんだよね、私は。君だって私の事は知ってるだろう? 私なら相手が五十人だろうと百人だろうとどうとでもなるさ」

「固有魔術【水晶宮殿】……」


 クロエのオリジナルの魔術であり、クラン名の由来ともなっているのが固有魔術【水晶宮殿】である。

 固有魔術とはその特殊性ゆえに他人が再現出来ない、少なくとも現時点で出来ていない魔術の事を言う。

 クロエの【水晶宮殿】は常時三十もの【リフレクトシールド】を展開し、それを自在に操ることで、ほぼ完全な全周防御を実現した魔術だ。

 クロエは腰から引き抜いたマジックワンド『トリアコンター』を器用にくるくると回して見せる。三十もの呪文を詠唱待機・発動維持できる伝説級の魔導具である。この魔道具こそが【水晶宮殿】をクロエただ一人の固有魔術たらしめている、とされている。


「【リフレクトシールド】なんて、極論すればただの魔法の盾だ。近接戦闘ができない魔術師が使ったところで使いこなせるもんじゃない。と思うだろう?」


 『トリアコンター』を元通り右腰に吊り下げて、左腰からレイピアを引き抜く。

 それを目にもとまらぬ速さで二~三度振り、最後に空中に突きを入れる。そして手首を翻して瞬時にレイピアを腰の鞘に納める。


「でも私は違う。三十の【リフレクトシールド】で構成される【水晶宮殿】に死角はないし、万が一突破されたとしても、私なら並の戦士なら剣でも勝てる。

 そもそも【水晶宮殿】を使わなくとも、普通に魔法で圧倒できるんだけどね」

「ふん、随分と口数が多いな」

「声を出していた方があちらさんも分かりやすくて良いだろう?」


 三人とも既に気づいていたが、夜の闇の中にいくつかの気配が紛れていた。無関係の流民街の住人という可能性もあるが、十中八九盗賊ギルドの手の者だろう。


「二人とも見えてきたぞ」


 役割分担的に前衛として数歩先行していたローズが注意を促す。

 流民街。

 あばら家ならマシな方、大半が家などとはとても言えない、木と板とぼろ布で出来た『住処』。

 その奥に場違いに小綺麗な背の高い四角い建物が見える。それが第一倉庫だった。

 そこまでの道の途中、焚火を囲んでいた幾人かの住民がクロエ達に気づき、ぎょっとする。

 このような時刻に身形の良い冒険者風の三人組が現れたのだ。流民街の住人にとって良い事のはずがなかった。

 とはいえ隠れるところもない住人たちは、不安そうに身を縮こめて三人が通り過ぎるのを見送る。


「チッ」

「気に入らないかい、流民街」


 ベルの舌打ちを聞きとがめて、クロエが問いかける。


「気に入らないね。どうせ秋には『掃除』されるってのに……、少しは足搔けよ」


 『掃除』とは毎年秋に行われる領主軍による流民街の取り壊し、住人の強制移住のことだ。

 開拓地に送られるとも、鉱山に送られるとも言われているが、詳しいことは公表されていない。なんにせよあまり外聞の良い事ではない。だが冬には雪も積もるこの地域で凍死されるよりはマシであり、貧民救済の面も一応はある。

 多少でも余裕のある者は冬の間だけでも街の中に「避難」するのだが、春になるとわざわざ流民街に戻る者も居る。事情はそれぞれであろうし、働きたくとも働けない者もいるのだが、「働かない者」たちも多い。Z地区で必死に足搔いてきたベルには理解できないことだった。


「まぁ若いと分からないかもしれないけど、色々とあるんだよ。人には」


 外見から若く見られがちではあるが、実年齢二百歳のクロエは相応に人生経験が豊富だ。ベルが抱く感情は遥か昔に通り過ぎた場所だった。


「ここだな」


 倉庫の敷地を隔てる粗末な木の柵、そして頼りない門扉。

 流民街の「住居」はそれらから小道一本隔てて建てられている。どうやっているのかは知る由もないが、住人が近づいたり、住み着いたりしないように管理がされているらしい。

 見ると倉庫の脇、通用口らしき扉がわずかに開いており、倉庫の中からの僅かな明かりが漏れていた。


「出迎えはなしか」

「勝手に入れってことかな? まぁ、ここまで来て躊躇う意味もないし、さっさと入ろうか」


 振り返ってクロエの方に顔を向けていたローズが肩をすくめて歩を進める。

 倉庫に近づくとその正面の大扉の脇の通用口をそっと押し開け、危険がない事を確認する。そして意を決して勢いよく全開にする。

 ローズが倉庫に入ると、足元にはむき出しの地面が広がっていた。

 倉庫の内部はがらんどう状態で、何本かの頑丈そうな柱が三階分ほどの高い天井を支えている。それらの柱に架けられたランプが倉庫内をまんべんなく照らしている。

 倉庫の正面側、通用口から大扉を挟んだ逆側の一角には、小部屋があったが、今回はそこには用はないようだ。なぜなら、通用口から対角線の方向の奥側に三人の人影が立っているのが見えたからだ。


「あんたらが『会談』の相手か」


 左から大剣を背負ったガタイの良い冒険者風の男。小太りの男。痩せぎすの男。年齢的には三人とも中年以降だろう。どうやらこの三人が交渉相手となるらしい。

 中央の小太りの男がローズに答える。


「初めまして【水晶宮殿】のお嬢さん方。わしの事はジョンと呼んでくれ。

 一応、身内からは組長と呼ばれている者だ」


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