幕間3 ガロア

 ガロアは【水晶宮殿】のクランハウスの前の通りを何気なさを装いながら歩く。

 その風体は大剣を背中に担ぎ腰の両側に予備武器らしき小剣を二本差した、年季の入った冒険者だ。冒険者関連の商店や宿のほど近いこの辺りを歩いていても違和感はない。

 だが、彼がローリー会の幹部であることは、一部界隈では公然の秘密である。現在盗賊ギルドと緊張関係にある【水晶宮殿】のメンバーの中に事情に詳しい者が居れば、その姿を見とがめられてもおかしくはなかった。

 もっとも、見とがめられたところで向こうから手出しをすることはできない。そこまで見切ってのガロアの行動ではあるのだが。

 ガロアの目の前で丁度クランハウスから、赤毛と黒毛の少女が連れ立って出かけていくところが見えた。その二人には緊張感などかけらも見えない。まるで盗賊ギルドとの緊張関係などないかのようだ。

 ガロアは顔をしかめる。


「はぁ、トップクランの連中は……キラキラして眩しいこったな」


 一瞬汚い言葉が出かけたが、周囲を気にして無難な皮肉を口にするに留める。

 ガロアの冒険者身分は今では偽装身分に近いものではあるが、一応はB級の端にかろうじて引っかかる程度の貢献度は維持している。

 そしてかつては上を目指したこともあった。

 圧倒的な実績、存在感を誇る【水晶宮殿】に対する彼の感情は、一言では言い表せない複雑さがあった。こうして特に意味のない『敵情視察』をしてしまう程度には。


「慢心しても当然な実力はあるんだろうが、それが正当なものかどうか……」


 ガロアはクランハウスの三階、おそらくクロエをはじめとしたクラン幹部が居るであろうあたりを見上げる。

 一見何の変哲もないレンガ造りの壁が日差しを受けながら、ガロアの視線をも遮っていた。

 ガロアは数秒そうした後、踵を返してローリー会へと道を戻る。


 十数年前、ガロアが冒険者として駆け出しの頃、彼は一度だけクロエと至近距離で顔を合わせたことがあった。

 生ける伝説。絶世の美姫。

 興奮と緊張の中での刹那の邂逅。だが、まだ若かったガロアが彼女の目から読み取ったものは、冴え冴えとした深淵。深く冷たい闇だった。

 ガロアも後になってから知ったことだが、エルフはその長い生涯で必然的に、人族では想像もできない精神的負荷を生涯に渡って蓄積することになる。

 例えば人族ならば、その人生の中で社会の不合理に苦しみながらも、成長するにつれ自然とそれらを呑みこむようになるものだ。

 だがエルフはそうはいかない。いつまでも若々しい感性を維持したまま、不合理と不条理を呑みこみかねたまま、途方もなく長い時を過ごさなければならない。種族としてストレス耐性が多少高くとも焼け石に水であった。

 無論、二百歳、三百歳と年齢を重ねていくにつれ、折り合いを付けられるようになるものだが、当時のクロエはその途上の最も危険な時期、所謂ところの『エルフの赤い季節』だった。

 人族の反抗期などは歳を取れば後に笑い話にもなろうが、エルフのそれは笑い話では済まない、その戦闘能力も相まって、いつ暴発するともしれない社会的な脅威ですらあった。


 あるいは若き日にクロエの瞳の奥に見た闇こそが、その後のガロアの人生を決定づけたのかもしれない。ふと思い返すたびに、そう思ってしまうほどの衝撃が、当時のガロアにはあった。

 それがどうだろう。ここ数年のクロエはそれ以前とは別人のようだった。

 崩壊寸前だったクランはトップクランとして返り咲き、本人は新人とも気さくに挨拶を交わしてくれる、身近な有名冒険者としてアイドル化している。

 それはガロアにとって、ひどい裏切りのように思われた。


「勝手な言いがかりなのは分かってるがね」


 ガロアは小さくつぶやきつつ、ローリー会の建物に顔パスで入ると、バーブルの執務室まで赴き、その扉をノックする。


「ガロアです」


 ガロアは言いながら扉を開けた取次役に武器を放り投げる。

 慌ててそれを受け止める取次役兼護衛の立場が、十年前までのガロアの立場であった。それが今では、ローリー会の実働部隊――暴力部門の次席。トップまでもう少しというところだった。実働部隊トップと言えば、ローリー会全体でも五本の指に入る。見上げるばかりだった頂上が朧気ながら見えてくる位置だ。

 我ながらよくここまできたもんだと、一瞬感慨に耽りそうになる。


「会長、本気であんな杜撰な策に乗るんですか?」


 勝手にソファーに座りながら、抱いていた疑問を口に出すと、バーブルがそれまで見ていた書類から顔を上げる。


「ごみ漁りの件か?」

「はい」


 バーブルは眼鏡をはずして眉間を抑えて一息つくと、秘書に茶を淹れるように命じる。


「バカどもの策はどうでもいい。こちらに都合の良い結果を出すのがお前の仕事だ」

「そりゃそうなんですがね」


 ガロアにはなぜバーブルがこれまで控えていた【水晶宮殿】への手出しを認めたのかが分からない。


「ぶっちゃけ、これはお前をケビンの後釜に据えるための段取りだ。どう転がるにせよお前が相応の『手柄』を挙げれば良い」


 ケビンはガロアの上司、実働部隊の現トップであるが、病気により半引退状態となっていた。本来ならとっくにガロアが後を継いでいるべきで、実際に実働部隊の仕事にも差し支えが生じていた。

 だが、ケビンのこれまでの功績から安易に交代させるのも憚られ、タイミングを見計らっている所だったのだ。


「そこは抜かるつもりはありませんがね。後々面倒じゃないですかい?」


 秘書の淹れた茶に口を湿らせてから、バーブルは笑う。


「【水晶宮殿】なら心配いらん。こちらに手出しできなくなる程度のネタは握っている」

「へぇ、聞いても?」

「……まだ駄目だ。これはちょいと扱いが難しい。まぁ、事が終われば教えてやるよ」

「ふぅん?」


 分からないと言えば、バーブルが自分を引き立ててくれる理由もそうだ。

 彼の護衛を務めていた時から、人として気が合う、相性が良いという思いはあった。友人と言ってしまうのは憚られるが、それに近い存在であるという自負はある。

 だが、それだけで無条件で引き立ててくれるほどバーブルは甘い男ではない。


(いや、そうでもないのか?)


 バーブルのような立場では親しい友人、知人というものは作り難い。立場がそれを許さない。

 ゆえに身近にそのような存在を置きたいのかもしれない。


(あるいは)


 ガロアにそう思わせることで、裏切らない、信頼できる側近を作り上げることがバーブルの真の狙いなのかもしれない。もしそこまで計算してガロアのバーブルに対する印象を操作しているとしたら、ほとんど悪魔の所業であるが。


(さすがに考えすぎか)


 無論、ある程度は計算してのことだろう。だが計算だけではない。普通、人間はそこまで感情を別勘定にはできないものだ。

 しかし、そう考えていてもおかしくはないのではと思わせるものがバーブルにはあった。伊達にローリー会の会長の座を三十年に渡って守ってはいない。


「なんだ?」


 ガロアの視線に訝し気にするバーブル。


「いや、これが終わったら釣りでも行きますか」

「ん? そう言えば最近ご無沙汰だったな。よし、久々に行くか」


 急に張り切り始めるバーブルを苦笑しながら眺めるガロア。

 あるいは、単純にこの共通の趣味のせいかもと思いながら。

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