15.嵐の前 *

「あ、そうそう。ノイアはしばらくうちに泊まっていってね。また狙われたらいけないし」

「そう……ですね。ありがとうございます。ただ、父に連絡を入れたいのですが」

「あー、そうだなぁ、うちのクランメンバーに伝言頼もうか。それとついでに」


 クロエは執務机に埋め込まれた魔法陣に魔力を通して起動する。


「業務連絡。こちらクランマスターのクロエだ。本日ただいまをもって当クランは第二種警戒態勢に移行する。暫定だが想定される敵組織はこの街の盗賊ギルド。当面は単独行動は控えるように。不在のメンバーには所定の連絡方法で伝達すること。あと、マリアとユキは執務室に来てくれ。以上」


 クロエが起動したのは、手元の魔法陣からクランの建物全体にクロエの言葉を伝えるという放送魔導具だ。あまり見かけないものだけに、もし一階のラウンジに部外者が居たら、突然響いたクロエの声に非常に驚いたことだろう。


「便利だな」

「そうでもないよ、こちらから一方的に話すだけだから意外と使い時がないんだよね。声を送る部屋も指定できないし、頻繁に使ったらうるさいんだよね。ものすごくお金かけたのに」


 失敗したなぁという顔をするクロエ。富豪と言っていいクロエが後悔するとは一体どれほどの費用が掛かったのか、聞きたいような聞きたくないような気分になるローズ。

 それからさほど間を空けず、執務室のドアが音を立てて開く。


「ヘーイ! お待ち!」

「マリア、ノックしなさい」

「クラマスが頼み事って珍しいね」


 マリアはエリザベートの注意を無視して、ずかずかと執務室の中を進み、呼び出し理由を問う。

 マリアが悪意あって無視しているわけではないのは分かっているものの、エリザベートは若干ムッとしてしまう。

 マリアを止めようとして失敗し、入口で固まっていたユキは、その顔を見てさらに焦るが結局何も言えずにおどおどするだけだった。


「冒険者ギルドにお使いに行ってほしいのさ」

「さっきの放送がらみ?」

「一応ね」

「あ、ローズちゃんとノイアちゃんだ。あれ、ベルちゃんまで」


 応接セットに座っている三人を見つけて首を傾げるマリア。


「ふぅん、盗賊ギルドがらみで巻き込まれたのかな? じゃあ、伝言相手はシルトさん?」

「キミ、直感だけで正解当てるのホントすごいね」


 クロエが呆れたように言う。


「実は今朝、ノイアが誘拐されてね。見ての通りローズがすでに救出済みだが、安全のためしばらくうちで預かることにした。シルトにはギルドで待機してもらってるので、無事であることを伝えてほしい。心配してるだろうからね」

「誘拐……大事じゃないですか。伝言については了解しました」

「おこづかい欲しいなぁ」


 ユキがすぐさま引き受けようと返事したところを、マリアが報酬を要求する。


「ちょっと……」

「報酬は大事だね。無報酬は無責任ってね」


 クロエが同意して、銀貨数枚を差し出す。


「いえーい、お昼ご飯はミノステーキだ!」

「もう……それでは失礼します」


 早速任務を果たすべく、執務室を出ていくマリアとそれについていくユキ。

 それを見送りながらクロエがつぶやく。


「お昼か」


 そして、意味ありげにエリザベートに目線を送る。


「はいはい、この子と一緒に外食するわけにもいかないわね」


 エリザベートの視線を受けて驚くベル。


「え、僕?」

「他に誰が?」

「閉じ込めるなり縛るなりしてけばいいじゃん」

「どうせ見張りが必要だろう? それなら一緒に食卓を囲んでも変わんないよ」

「いや、普通は捕虜と一緒に飯食わないだろ。ってかクランメンバーに見張り頼めばいいだろ」

「うちは人手不足でね。ついでに言うと、皆あんまり言うこと聞いてくれない」

「人望ないの?」


 ベルがクロエに可哀そうな人を見るような目を向ける。


「失敬な!」

「まぁ舐められてるとことがあるわね、特にここ数年は」

「そう言えばだいぶ雰囲気が変わったよな……って、舐められてるのか?」

「以前みたいに変に畏れられてるよりは、今のほうがマシだとは思うわ」

「色々と思うところがあってね。誰かさんのおかげで」

「ふぅん」


 ローズが気のない返事をすると、クロエのジト目が突き刺さる。


「え、俺か? なんかしたか?」

「はぁ」


 クロエが頭を振る。

 何となく察するものがあったノイアやベルはともかく、全く自覚のないローズはクロエの態度に若干納得がいかず不満顔だ。


「まぁいいや。切欠はともかくとして、最近は我ながら親しみやすいクランマスターになって、人望がいや増してるはずなんだけど」

「人望云々はともかく、言うことを聞かない濃いメンバーを増やしたのはあなた自身でしょ」

「そうだっけ?」


 首を傾げるクロエを放って、エリザベートは昼食の用意のため席を立つ。

 自然に会話が止まった間。

 そこでベルがため息をつき、ぼそりと呟く。


「なんか拍子抜けだね」


 それを聞きとがめたローズが揶揄うように聞く。


「拷問でもされるかと思ったか?」

「まさか」


 肩をすくめるベル。


「一応は転向するって話でここに来たんだから、そこまではされないだろうとは思ってたさ。信用されてないにせよね。実際そうだったし。強者の余裕ってやつなの?」

「そこまで慢心しているつもりはないがな」

「どうだかね」




 結局その日はベルに対する尋問や今後の対策、盗賊ギルドに対する備えで時間を費やすことになった。

 ベルの奪回、あるいはそこまでいかなくとも何らかの接触があると思われたが、物資の調達のため街に出たクランメンバーも含めて、日が暮れるまで何事もなく終わる。

 本来であれば夜こそ警戒すべきであるが、クロエ曰く「ここは要塞みたいなものだからね」ということで、閉じこもっている限り心配はいらないとのことだった。


「すまないが今晩はここで過ごしてくれ」


 その日の夜は、ベルに三階の一角にある特別室が割り当てられた。入り口と窓を鉄格子で塞がれた監禁用の部屋だ。

 監禁用ではあるが……


「ちょっと引くほど豪華なんだけど?」


 口調からベルが本気で戸惑っているのがローズには分かった。

 実際この監禁部屋はローズが仮泊している客室の倍以上の広さと、貴族の私室とも遜色ない内装が施されていた。ただし家具や装飾品は少ない。家具が少ないのは変に隠れ場所にされるのを防ぐためだ。


「貴人を閉じ込めることもあるかなぁって凝ってみたんだよね。ちなみにこの部屋使うのは君で二人目、百年ぶりだね」

「へぇ」


 クロエの言葉に生返事を返しながら、ベルは呆れ顔のまま素直に部屋に入る。


「ホテルのスイートにでも泊まったと思ってくつろいでくれ。水はそこから出るし、ポットでお湯も沸かせる。お茶の葉もお菓子も用意してあるから勝手に食べて良いよ。あとトイレはそっち。お風呂はその隣ね」

「意味が分からねぇ」


 監視のためかベッドこそ同じ部屋に置かれていたが、トイレと風呂はプライベートに配慮した個室になっていた。

 呆れ顔から諦め顔になって、ソファーに座るベル。音もなく柔らかに全身を受け止めるその感触に真顔になる。


「朝食は六時だよ」

「おやすみ」


 クロエとローズは鉄格子に鍵を掛けると、挨拶を残して部屋を立ち去る。

 鉄格子の外、監視や接見用と思しき小部屋と廊下を隔てる扉がパタリと閉まると、部屋に施された魔術処置により周囲の音が遮断される。魔導具の灯火に照らされたその不自然な静寂の中、ベルはガシガシと頭を掻く。


「なんか調子狂うなぁ。……せっかくだから菓子食うか」


 湯を沸かすため、ポットに水を入れてスイッチを入れる。

 この魔導具ひとつで、ベルの稼ぎ何日分になるのか。下手をするとこのお茶の缶でひと月分が吹っ飛ぶかもしれない。そんなことを考える。

 部屋の内装や家具の全てが、ベルが生涯手にすることがないであろう高価な物ばかりだ。あまりにも桁が違い過ぎて嫉妬すら浮かばない。


「……何やってるんだろうな」


 ベルはケトルをじっと見つめ、湯が沸くのを待つ。

 ぼーっとしすぎて、扉がノックされているのに気が付いたのは、三度目の事だった。


「誰?」

「ノイアです」

「ノイア? なんで? あー、勝手に入って! こっちからじゃ開けられないから」


 部屋が防音されてるのに、なぜかノックの音とノイアの声は聞こえたことに気づき、その無駄に凝った仕組みに微妙な顔になるベル。

 頭を振って気持ちを切り替え、鉄格子前の小部屋に入ってきたノイアを迎える。


「あのさ、襲われた相手となに話す気?」

「多分ですけど、ベルさん以外に攫われてたらもっと酷いことになってましたよね?」

「……そうかもね。……はぁ、丁度お茶沸かしてたんだけど飲む?」

「頂きます」


 鉄格子を挟んで格子と一体化した小さなテーブルと、安っぽい椅子が向かい合わせに用意されていた。部屋の内装と合っていないのは、応急的に後付けしたものなのだろう。


「お茶の入れ方なんて知らないから適当だけど、どうぞ」

「ありがとうございます」


 ベルはティーカップに入れたお茶に、つかみ取った四つの角砂糖を放り込み、ソーサーにクッキーと一緒に載せて格子の間を滑らせる。

 それを手元に引き寄せたノイアは何とも言えない顔をしつつ、その紅茶を口に含む。


「うっ……」

「で、何?」


 想定以上の苦みと甘みの入り混じった味に思わず声が出てしまうノイア。その反応を無視してベルは要件を促す。


「マリーさんのことです」


 ベルがピクリと反応する。


「はぁ、まだ言ってるの? マリーは赤の他人だよ。あんたの同情を誘うための嘘」


 ベルが呆れた声で言う。

 ベルは以前、冒険者を装う上でノイアに身の上相談を行っていた。その時の相談というのが、彼の血の繋がらない盲目の妹の事だった。

 ベルが身の回りの世話をしているマリーという名の人族の子供、彼女に自立とまではいかないまでも、少しでも自力で食い扶持を稼げるようにと仕事を紹介したのだ。

 木片から木彫りの人形や、木製道具を削り出す仕事。最初ベルはマリーが刃物を扱うことを渋っていたが、ノイアや職人の丁寧な指導により、ある程度安全を確保しつつ仕事をこなせるようになると、一緒になってその成果を喜んだ。

 ノイアはそれがどうしても嘘の演技だとは思えなかったのだ。


「クロエさん達に言う気はありません。隠したいという気持ちもわかりますし」

「あのねぇ……」

「ただ、これだけはどうしても言いたかったんです」

「……」


 ノイアの真剣な様子に思わず黙り込むベル。


「マリーさんは、ベル君が冒険者としてまっとうな仕事を始めたことをとても喜んでいました」

「……」


 ベルは反応を返さない。だがその無反応がむしろ不自然さを際立たせ、ノイアに確信を与えることになる。やはりマリーはベルの大事な人なのだと。

 ゆえにベルが気づいていない事。多くの貧民が思考の外に置き、諦め、それゆえに気づけない事を指摘する。


「このまま本当にベル君がクロエさん達側に協力してくれるなら、……マリーさんの目、治せますよ」

「……あ」


 ベルが息を吸って目を見張る。


(やっぱり気づいてなかったのね)


 ノイアは密かに嘆息する。

 マリーの盲目は後天的なものであり、リジェネレーションポーションにより治療が可能ではあった。ただし、それには百万~五百万リグルという大金が必要だ。とても庶民では手が届かない。

 庶民にとって、四肢の欠損や失明の治療は貴族や大金持ちの特権であり、自分たちには縁のないことなのだ。それこそ『天国なら苦しみなく幸せに暮らせる』という教会の教えと同種の幻想でしかない。現実的な選択肢にはなりえないのだ。

 冒険者の大半もそれは変わらない。百万~五百万リグルを用立てられるのは、ごく一握りの一流冒険者だけだ。

 駆け出しの冒険者にその不可能に近い可能性を示すのは非常に酷な事である。焦りで無理をして事故を誘発しかねない。

 ゆえにノイアもこれまでベルにその可能性を指摘することはなかった。いつかベルが一流への取っ掛かりを掴めるならば、自ずとその可能性に思い至るはずだったからだ。


 今回、ベルが盗賊ギルドを裏切り、【水晶宮殿】側に貢献するならば、働きによってはリジェネレーションポーションを報酬として要求することも可能だろう。【水晶宮殿】にはそれだけの財力があるし、それに見合ったリスクを負った行動だからだ。

 ベルがそこに思い至らなかったのは、前述の庶民としての常識が邪魔したのと、何よりも元より盗賊ギルドを裏切るつもりがなかったためだろう。


「……」


 動揺を隠しきれないベルは、それでも無言だった。


「私にはベル君の事情は分かりません。ですが、あなたはマリーさんの幸福を優先することを信じています。あなたが最適な選択をすることを信じています。私が言いたいのはそれだけです」


 そう言うとノイアは席を立って、部屋を出ようとする。


「待って!」


 ベルの静止にノイアが立ち止まって振り向く。


「このことをクロエ達に言うの?」


 このこととはベルの現在の行動が盗賊ギルド側に立ったスパイ行為であろうということだ。もはやここに至って、ベルはノイアを誤魔化し切れるとは思っていない。ゆえに、素直にそれを認める言葉でノイアを引き止めた。


「いいえ」

「本気?」

「正直に言えば、さっきまでは迷っていました」

「……」

「ですが、もう決めました。言いません。……それではおやすみなさい」


 ノイアが去り、静かに扉が閉まる。


「……お人好し」


――――――――――

一部改訂しました。

・会話追加(「あのさ、襲われた相手と~)

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