13.襲撃 *
ベルは勝手知ったる路地裏を滑るように進む。
ここはオーディルの街に六つある下層民地区の中でも最底辺のいわゆるZ-六地区だ。
地べたに座り込む浮浪者も、それよりマシな恰好の下層民も、ベルを気に留めることはない。むしろ積極的に行く手を避ける者すらいる。
ベルの身形はこのZ-六地区にそぐわぬものであるが、誰もあえてベルに絡むようなことはしない。
この地区は盗賊ギルドの隠然たる影響下にあった。例えベルの顔を知らぬものでもその勝手知ったる素振りから、盗賊ギルド関連の人物であることは当たりが付いた。逆にその程度の判断力もないものは、この地区では生きてはいけない。
(ちゃんとついて来いよ……?)
ベルは小走りで走りながら背後に意識を向ける。追跡されている気配はない。
(さすがに振り切っちゃったか? だが最終的には辿り着けるはず)
そのために『小細工』をあえて見逃したのだから。
実のところベルは、今回の件に深入りすることにはあまり乗り気ではなかった。【水晶宮殿】だけでも手に余るのに、冒険者ギルドまで相手取るなど正気とは思えなかったからだ。その二つの組織を同時に相手取ることになったのは、ベルが組長の追及を逃れるためについた出まかせが大本の原因ではある。それが本当に繋がってしまったのは想定外だが、だからと言ってその責任を取りたいとは思わない。
ローズとやらにやられっぱなしなのは癪だが、もはややり返すにはあまりにもリスクが高すぎる。自宅での襲撃に失敗した時点で手を引くべきだったのだ。
さらに、よりによって冒険者ギルド長の娘を攫うなど、いろんな意味であまりにもやばすぎる。
フィリップと組長が得意になって描いた絵図であるが、可能ならば自分は知らないふりで距離を置きたいところだった。現実には距離を置くどころか、実行犯として指名されてしまい、『保険』まで掛けられてしまったのだが。
ただ、ノイアの誘拐を自分が任されたのは不幸中の幸いではある。他の者に任せたらろくなことにならなかっただろうから。だが……
(釘は刺しておいたけど……)
あの見張り役の馬鹿っぷりがどうにも不安だ。
ベルは通りがかった特徴のない住宅の扉を少しだけ開け、滑り込むようにその中に入る。
鍵もかかっておらず、一見不用心にも見えるが、部外者はそこにたどり着くまでに排除されるため、押し入られたり、忍び込まれたりすることはありえない。仮に官憲や敵対組織の者が近づいてきたとしても、扉にたどり着くはるか前に連絡が届き、迎撃態勢なり、逃亡なりが完了している仕組みだ。
突然入ってきたベルに驚いている下っ端が、焦った顔で何やら言い訳めいた言葉を口にしていたが、ベルは一顧だにせず階段を駆け上がる。
(猿以下の知能だなこいつら)
ノイアが閉じ込められている部屋にまっすぐ進み、その扉を躊躇なく開け放つ。
「何をしている」
「あぁん?」
ノイアを床に押し倒し、その上に跨っていた男が振り向いた瞬間、ベルはその顔面に回し蹴りを入れる。蹴られた男は壁まで転がっていく。
「大丈夫?」
「……」
ノイアが床に伏せたまま無言でベルを見つめ返す。多少服の乱れはあるものの、幸い未遂だったようだ。ただ、顔を何度か殴られたようだった。
「で、でめぇ!!」
激高した男が起き上がってベルに掴み掛ろうとし、相手に気づいて慌てて止まる。
「僕、手を出すなって言ったよね?」
「いや、何も別にケガさせるつもりは」
「手を出すなの意味わかってない? 本当に?」
「それは……」
はぁーと深いため息をつくベルに男は慌てて言い訳をする。
「別に減るもんでもないし、ちょっとくらい良いだろ?」
それを聞いたベルは、無言で男の股間に蹴りを入れる。
「ぎゃう!!!??」
男はその場で突っ伏して泡を吹いて転がる。ベルはそれを避けると、ノイアを助け起こしてハンカチで口の端に滲んだ血をふき取る。
「ごめんね、うちってホントに人材不足でさ。こいつは処分しておくから勘弁して」
「……処分?」
「考えない方が良いよ」
「……」
転がっている男が脂汗の滲む顔でベルを見上げる。
「お、俺に手を出したら、フィリップさんが黙ってねぇぞ」
ベルは男にゆっくり近づくと、しゃがんでその耳元に語り掛ける。
「安心していいよ。フィリップとも話はついてるし。……想定以上だったけど」
「な、なん? 想定?」
その時、階下から叫び声と激しい物音が聞こえてくる。
「え、まさかもう来た!?」
ベルが焦ったように立ち上がると、短剣を逆手に持って部屋の入口方向に身構える。
何が来たかは考えるまでもないだろう。あの黒髪のエルフ、ローズだ。もしクロエならこの建物ごと吹き飛ばされている。
(いや、ノイアがいるのにさすがにそれはないか)
だが、それにしてもあまりにも早すぎる。
(想定より早い。まさか一人で突入してきた? 完全に舐められてるな……! いや、今考えるべきはそこじゃない)
改めてローズの迎撃を考える。
今床に這いつくばっている男はあてにならない。
ノイアは戦闘力的に警戒する必要もないだろう。
差し引きするまでもなくベルが自分一人で対応するしかない。
耳を澄ます。
階下からの物音はすでに聞こえなくなっていた。
タン。タン。タン。
その代わりに、壁を叩くような規則的な音が聞こえてくる。
(何の音だ? 階段の軋みが聞こえない。階下から何か投げているのか?)
一階が制圧されたのは間違いない。だがその後の状況が掴めない。
何のために壁を叩いている?
一瞬の逡巡。
開け放ったままの扉を閉めるか、このまま迎え撃つか。それすら決めかねる。
考える時間がなさすぎる。思考時間を与えないことも向こうの狙いのうちだろう。
ベルは相手の術中にはまりつつあることを自覚しながらも、手をこまねいてしまっている自分に苛立つ。
思わず舌打ちをした瞬間。
部屋の入口、扉の開口部、その上部を影が走る。
人間は空を飛べない。ベルも当然それを前提として、視線を水平にして入口を警戒していたし、奇襲があっても下段方向を想定していた。そのため扉の上部、ベルの意識から外れた所に現れた影に一瞬反応が遅れる。
その影を見てベルが叫ぶ。
「ローズ!!」
黒い影、ローズはそのまま天井付近の壁を蹴り、脚力と重力とで一気に加速すると、一直線にベルに襲い掛かる。
(なんだそりゃ!?)
獣人のベルですら本気で反応しきれない高速の襲撃。
困惑と混乱からベルができたのは、反射的に短剣を前に突き出すことだけだった。
――――
遡ること五分前。
街のZ-六地区を縫うように走るベルを建物の上から追跡する影があった。
(ベル自身の【隠形】と単純なスピード、それに路地にところどころ施された攪乱魔法の併用で尾行を防ぐわけか。一応は考えてあるんだな)
ローズが見てもベルの【隠形】はかなり完成度が高い。人ごみに紛れた程度で追跡はかなり困難になるだろう。ひと気のないダンジョンで追跡されても、距離を置かれると気づけないかもしれない。
(どうもあの時、追跡されていたようだしな)
【竜王の風穴】の七十層での出来事を思い出す。
あの時ローズはベルの存在に全く気付いていなかったが、彼の言動を考えれば追跡されていたと考えるべきだ。ローズの見た所、ベルの戦闘力では七十層を単独で抜けるのは難しいはずだった。
だが分からないこともある。階層ボスとの決着でロイズが重傷を負ったタイミング。あれはベルにとって絶好のチャンスだった。
にもかかわらず、実際にはそこからローズになってしまうまでの間、なぜかベルは行動を起こさなかった。
(……トイレ?)
ばかばかしいが、意外に可能性は高いかもしれない。人間誰しも避けられない生理現象なのだから。
ローズは一瞬昨日の事故を思い出しそうになり、慌てて頭を振って『それ』を思考の隅に追いやる。
「俺は何も思い出していない。何も気づいていない……」
呪文のように唱えつつ、追跡を続行する。
入り組んだZ-六地区の路地を進むベルは、頭上からの追跡でもすぐに見失う。ベル自身の【隠形】と併せて普通では追跡は極めて困難だ。
にもかかわらずローズが追跡を継続できているのには仕掛けがある。ベルの帽子に刺さった小さなピン状のマーカーと呼ばれる魔導具だ。
マーカーはモンスター等に仕掛けて、その活動範囲や現在地を探るために使用されるものだ。ローズはダンジョン攻略の効率化、つまり戦闘を回避したモンスターとの再遭遇や挟撃状態回避のためによくマーカーを活用していた。
仕掛けたのは路地裏でベルを見送る直前。あのときローズは頭を抱えるふりをしてマーカーを頭上に投げた。わざとらし過ぎたかと思ったが、幸いベルは気づかず見逃してくれた。
そのマーカーはベルの死角となる頭上から彼の帽子に刺さり、今はベルの行き先をローズに教えてくれている。
(上手くいけば儲けものくらいのつもりだったが、案外うまくいったな)
クロエが「器用だね」と言っていたのはこのことだった。
「それにしても……体が軽い」
路地により間隔が空いた建物の屋根を音もなく飛び越えながら、ローズは自らの体に生じた“異常”に嘆息する。
(二十年以上、追い求め続けて果たせなかった動きが、おそらく今なら実現できている)
冒険者になった頃、ロイズには自分の身体操作、体術について理想が見えていた。
ただし、引退を決意するまで、ついにそれを実現することはできなかった。
最初に体力の不足を単純なランニングと筋力トレーニングで補うことだけはうまくいった。
しかし速さの不足に対し筋力の強化で改善を試みて筋力量の増加により却って遅くなり、それならばと乏しい魔力による身体強化を試みて動作の正確性を失い、速さと正確性の一挙両得を狙った脂肪の削減では持久力が激減し……と、どうしても力と速さと正確性、そして持久力を理想的なバランスで取れなかったのだ。
結局は最後まで満足するレベルには達することができず、「自分には才能がない」それが二十余年の結論だった。
(それがこうもあっさりと)
筋力と体重のバランス、身体強化時の魔力の通り、それらすべてが以前とは比べ物にならない。エルフ化、女性化により、今後体力や筋力で苦労するだろうという予測は完全に杞憂になりそうだった。今ならAランクにも届くという確信すら抱いていた。
(今までの苦労は何だったんだ……っと、終点か)
ベルが滑り込むように建物に入っていくのが見えた。
そこから三つの建物の屋上を飛んで渡り、建物のひさしやベランダを踏み台にして地面に降りる。建物のもろい部分には瞬間的に接触物強化――体外式強化魔法の応用――で破損を防ぐとともに、大きな音が鳴るのを防ぐ。
自己の肉体を超えて、武具等を強化する体外式強化魔法は、身体強化の延長線上の技術ではあるが、それを瞬間的に触れたものに対して行うのは極めて困難だ。
ロイズも実用レベルに至ったのは、せいぜい武器強化程度――自分の手で保持し続けるものを対象とするため難度は段違いに低い――だったのだが、この体になってから瞬間的な強化もあっさり実現できてしまった。そのことにローズは複雑な思いになる。
「まぁ悪いことではないんだがな。さて、どうしたものか……正面突破するか?」
この手のアジトは攻められることを考慮した構造、態勢になっているのが常だ。裏側に回ったところで、あまりメリットはない。無論正面が最も堅固だろうが、裏も相応に堅いはずだ。
ならば正面から攻めるのが時間効率的にもベターだろう。それが正しいか否か確かめる術はないが、なにより今は時間が惜しい。ローズは決断する。
勢いよく扉を開けると、小部屋の正面に椅子に座って後ろを気にしている男がいた。
男は突然の物音でローズの方に振り返る。
「何だてめ、ぶっ!」
男が椅子から立ち上がり、腰のナイフを抜くより先に、ローズの拳が男の顔面に突き刺さる。
軽くのけぞったところに追撃して鳩尾に膝。
「ぐっ」
最後に後頭部に組んだ両手を振り下ろしとどめを刺す。
「ふむ、なかなか良い」
崩れ落ちる男の体を避けつつ、ローズは一連の攻撃の速度、威力に満足する。
体の具合を確かめるため敢えて弱い打撃で、一連のコンボを試したのだが、魔力で強化された体は当たり負けすることもなく、想定通りの威力を過不足なく発揮した。これならば本気で急所を突けば、一撃で命を刈り取ることすら可能だろう。
「一人だけか? 数人はいると思ったが」
この小部屋には奥の階段と二つの扉があったが、今の騒ぎにも拘らず、どこからも人が出てくる気配はない。
あまりにも無防備すぎる。罠にしても妙だ。
「とりあえず……二階か」
二階が怪しいというより、二階以外に人の気配がない。
(ひょっとして外れを引いたか? まぁその場合は他の拠点の位置を吐かせればいいか)
ローズは階段へ向かうが、素直に上るべきか一瞬ためらう。罠がある可能性もあるし、階段がぼろ過ぎて軋み音で登っているのがもろばれになりそうだった。接触物強化も考えたが、階段全体が軋みを上げそうな状態のため、部分的な強化では意味がなさそうだった。
「ならば、ちょっと試してみるか」
その場で軽く二度飛び、助走をつけて階段の壁に飛ぶ。
そしてそのまま壁を踏み台にして逆の壁へ飛ぶ。
壁から壁へ、三角飛びを繰り返して階段を使うことなく二階へ上っていく。壁には着地の瞬間、接触物強化で破損や音鳴りを軽減する。
(いける、か?)
ぶっつけ本番でもある程度やれる自信はあったが、あまりにもイメージ通りに動けてしまった。つい調子に乗って、階段だけのつもりだったのを二階の廊下でも同じように壁飛びを続けてしまう。
三角飛びも要領で左右の壁を蹴って空中を進み、ローズは人の気配のする扉の開いた部屋にそのまま飛び込む。
その瞬間、問題に気づく。
(やばっ)
速すぎた。
余りにも高速で飛び込みすぎた。
部屋の中の状況を確認する間もなく、部屋の中の壁を蹴って無理やり方向転換し、加速する。こうなれば速さで強硬突破するしかない。
その正面にベルがいた。
「ローズ!!」
(うおおおお!?)
ローズは盛大に焦りながらも、突き出されたベルの短剣を咄嗟に左手で払い、その柄を手ごと握りこんで自分の進路から無理やり外す。
ほとんど反射的に腰から引き抜いた自分の短剣をベルの喉元に突き付けつつ、半ば以上体当たりするようにベルを押し倒し、跨ぐようにしてかろうじてベルを踏みつけるのを避けて着地する。
「ぐぅ!」
ベルは背中をしたたかに打ち付けつつも、顎を引いて後頭部を強打することは避けていた。
その様子を見て内心ほっとするローズであったが、顔には出さず、むしろ当然の結果という顔でベルを見下ろす。
(結果オーライ)
――――――――――
一部改訂しました
・アジトへ向かう途中のベルの内心を追加。
・その他細部調整。
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