12.交渉
翌朝。
街の中央広場へと大通りを並んで歩くローズとクロエ。
ローズは昨日と同じようにクロエから服を借りており、内心落ち着かないでいたが、今日一日を乗り越えればという一心で、表面上は平然とふるまっている。
「昨日考えたカバーストーリーだが、やっぱり俺……私がロイズの養女というのは無理があるんじゃないか?」
「実子よりはよっぽどマシだろう? ロイズの『遺産』を引き継いでる説明としてもこの上ないしね。良い歳になっても女性の影もなかったのは、種族違いで結ばれなかった密かな思い人が居たから。その思い人の娘が現れて……どこかの小説にありそうな導入だね」
「ちょっと待て、思い人ってなんだよ」
「今思いついた設定だ。なかなか良い感じじゃない? 聞いた人に感情移入させる感じで」
「あまり凝った設定は破綻するからやめよう、って話してたろう」
「これくらい良いじゃないか」
クロエはそう言うと、ローズの腕を取って自分の腕と絡めてほくそ笑む。
「お、おい」
「ノイアと合流する前に先制攻撃だ」
突然のクロエの行動に動揺したローズは、クロエのその小さなつぶやきに気が付かない。
今日も朝から出かけているのは、ローズの服や靴などを買い揃えるためであるが、先日の協定に基づき、ノイアも呼び出して三人で買い物に行くことになっていた。
最初クロエは抜け駆けを目論んでいたが、エリザベートにたしなめられ、昨日のうちに勤務中のノイアに約束を取り付けたのだ。
幸い今日はノイアの仕事休みの日だったため、こうして待ち合わせ場所へ向かっているわけだが、クロエとしては同居の優位を存分に活用するつもりだった。
「く、くっつきすぎじゃないか?」
「普通だよぅ」
素知らぬ顔でとぼけるクロエ。
ちなみにそんな二人の周囲からの注目度は朝っぱらから最高潮である。
だが、その行く手を遮る人影がひとつ。
「おはようございます。【水晶宮殿】のクロエさんと、えーと……」
ぶかぶかの帽子で耳を隠した獣人の少年。
「ベル……」
「先日はどうも黒髪さん」
ローズ達もいずれ何等かの接触があるとは考えていたが、ここまで堂々としたものは想定外だった。
ベルはにこりと笑みを浮かべて続ける。
「立ち話もなんですから、ちょっと付き合ってもらえませんかね」
「悪いがまた今度に……」
「ああ、ノイアさんなら所用で来られないそうですよ」
わざとらしい笑みを張り付けたまま、ベルは「所用」を強調する。ローズはその意図を正確に理解する。つまり人質に取られたのだ。
「……お前、ノイアを」
「怖いなぁ」
ローズの発する殺気をいなして、ベルは平然と肩をすくめる。
「ふふ、大丈夫ですよ、シルト氏との交渉もあるしね。パーティーが無事に終われば、みんな明日もハッピーですよ。きっと」
周囲の他人に聞かれないぎりぎりの声量で、もし聞かれても疑われないように、迂遠な表現でノイアを人質にしていることを肯定するベル。
(失敗した)
ローズは迂闊に殺気を放ったことを後悔する。これではローズに対して、ノイアが人質として有効であることを白状したも同然だった。
冷静に考えれば、ローズとノイアの関係性を盗賊ギルドが把握しているはずがなかった。何しろローズは先日まで存在しなかったのだ。突っぱねていれば少なくともローズに対しては、ノイアの人質としての有効性なしと判断されていただろう。
シルトが今どのような状況かは分からないが、シルトに対するノイアの人質の価値は言うまでもない。つまり逆説的にノイアの安全は担保されていたのだ。
にもかかわらず、ローズに対しても人質が有効であると相手に教えたのは明らかに余分。ローズ側の選択肢を狭める悪手だった。
「ふむ、まぁ止むを得ないな。ベルといったか? 話し合いと行こうか。わざわざま正面から出てきたということは、今すぐどうこうというわけではなく、交渉したいということなんだろう?」
ローズの失策を察したクロエが話を引き継ぐ。とはいえクロエもどのような態度をとるべきか決めかねていたため、どうとでも取れるような態度をとる。
「話が早くて助かるよ。じゃあ、ついてきて」
先導するように路地へと歩いていくベル。
ローズとクロエは周囲に不自然に見えないようにそれについていく。
ベルの足は街の住民なら近寄らない、裏路地のさらに奥へと向かう。
「僕が言うのもなんだけどさ、あんたたち正気?」
「何がだ?」
歩きながら世間話のように話すベル。しかしその言いたいことを計りかねて、ローズが問い返す。
「昨日の今日。盗賊ギルドに狙われているのが分かっていながら、のんきにお買い物って」
「それは……」
確かにノイアが巻き込まれかねないことを考えれば迂闊に過ぎた。
「まぁ、我々レベルになると盗賊ギルドとか、面倒くさいなぁくらいにしか思わないからね。今回の事は話が早くなって助かる」
「はぁ」
クロエがあえて軽い調子で答えると、ベルが呆れたようにため息をつく。
「ま、どうでもいいけどね、僕としては。……ここだ」
何の変哲もない路地裏、建物に囲まれつつも微妙に開けた薄暗いスペースがあった。
奇妙に生活感のない静けさの漂う空間だった。
「ここなら余計な他人に話を聞かれることもない」
「盗賊ギルドのテリトリーってことか」
「さて、どうだろうね」
わざわざ答えを与える必要もないと、ベルははぐらかす。
「こちらの要求としては単純だよ。まず一つ目。今回ロイズの身分を乗っ取って得た利益の半分を差し出してもらう」
「乗っ取った?」
いささか予想外の言葉がでて、思わずオウム返しにしてしまうローズ。
「とぼけないでもらえる? こちらは乗っ取りの証拠も握ってるんだよ。それを世間様に公開しない対価だと思ってくれればいい。もともとウチがロイズを狙っていた件はチャラにしてあげるよ。それを考えれば半分ってのは破格の条件だと思うけど?」
「証拠ってなんだ? それに、ロイズを狙っていたってのは?」
「証拠についてはこちらの切り札だから答えるつもりはないよ。ロイズを狙っていた件は……、まぁ分かんないか。『屍肉漁り』のターゲットだったのさ。君がかっさらっていっちゃったけどさ」
「……」
困惑するローズ。
『屍肉漁り』のことは無論ローズも知っている。冒険者のおこぼれ狙い、あるいは倒れた冒険者の死体を漁る者たちだ。性質の悪いのになると、弱った冒険者を襲うこともあるという。
しかし、ローズがロイズであった頃から、不用品を分かりやすく残してやったことはあっても、積極的な「ターゲット」にされた覚えはない。
「ふむ、ひょっとして君がローズになった直後を目撃されたんじゃないか?」
クロエがローズの耳に顔を近づけて囁くが、ベルはそれを咎めない。多少の内緒話は許容するらしい。
「【竜王の風穴】の七十層だぞ?」
「へぇ、それはまたずいぶん気合の入った『屍肉漁り』だね。だけど、そう考えると結構辻褄が合うじゃないか。直後だけ見ればロイズの装備を奪ったように見えたんじゃないかな?
あと、冒険者登録情報を書き換えたのも、傍から見れば身分乗っ取りに見えるかもね。ただ、だとすると冒険者ギルドの個人情報管理に疑念が生じちゃうんだけど」
「たしかに……」
ベルは二人が話し終えるのを見て要求の続きを告げる。
「次に二つ目。こちらはビジネスの話だ。ウチは今後、あんたらのしのぎをバックアップする用意がある。取り分はウチが四、あんたらと冒険者ギルドが合わせて六ってところでどう? そっちの配分は任せるよ」
「……」
どうやら、冒険者の身分乗っ取り事業に噛ませろということらしい。
「思いっきり勘違いされているな」
「でも下手に指摘すると、ノイアが危ないかも」
「厄介だな」
「うーん、否定しても信じてくれないだろうし……、肯定を匂わせつつ、返事を引き延ばそうか」
クロエが手を上げる。
「なに?」
「最初に確認したいんだけど、それってこちらに何のメリットがあるんだい?」
「ぶっちゃけない」
「えぇ……」
「不正の証拠を握ってるこちらが、あんたらの上前跳ねたいだけだ」
「めっちゃ正直ぃ」
取り繕いもせずに明け透けに真意を語るベルに、クロエもローズも唖然としてしまう。
「分かりやすくていいけどさ……。あー、今すぐ回答は致しかねるね。弊社に持ち帰って検討させて頂きます」
「……まぁいいよ。けど、返事は早めにした方が良いよ」
「なぜ?」
クロエは首を傾げてみせるが、内心は引き伸ばし工作が見抜かれたかと焦っていた。
「大事な交渉相手の娘だから、ノイアの事を傷つけるつもりはないんだけど」
「けど?」
「正直に言えばウチにも馬鹿はいるからさ。あんな美人あまり長居させない方が良い」
「脅しか?」
ローズはあえて意識的に言葉に怒気を含ませて尋ねる。
「いや、個人的な善意の忠告だよ」
「ふーん、なるほどね」
ベルのその言葉にクロエはそういえばと彼の言動を思い返す。
『盗賊ギルドに狙われているのが分かっていながら、のんきにお買い物って』
『あんな美人あまり長居させない方が良い』
ベルは最初からノイアの事を心配してた。
(なんで盗賊ギルドになんかにいるのかね、この子は)
「ここに来ればいつでも連絡を取れるようにしておく」
「分かった。忠告もありがたく頂いておくよ。ローズ、一旦帰ろうか」
「……」
ローズが悔し気に眉を伏せる。
「ふーん、君の名前ローズっていうんだ? 憶えたよ」
ベルはそう言うと、身を翻そうとする。
その直前、ローズが手を上げて、悔し気に頭を抱える。
「ノイア……くそっ」
「……」
その様子にベルが一瞬止まるが、何も言わずそのまま立ち去る。
後にはローズとクロエが残された。
ベルが立ち去ったのを確認して、何事もなかったかのように手を下ろすローズ。直前までの動揺が嘘のようだった。
「……私はとりあえず冒険者ギルドのシルトに状況を確認してくるよ」
「では俺はノイアを」
「ほんと、君って器用だね」
「ソロ冒険者はこれくらいできないとな」
「そうかなぁ……?」
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