9.新生、ローズ・ウェルズ
「へぇ、見事に性別と種族だけ入れ替わってるわね」
エリザベートが操作しているパネル上に、現ロイズとギルドデータベース上の旧ロイズの個人識別情報が、比較表示されていた。
と言ってもエリザベート以外の面々には、それを見ても何が何やら理解できないのだが。
「性別と種族のコードが入れ替わっただけで、ここまで別人になるなんて……むしろ性別と種族だけがセットで入れ替わったから? 種族コードの影響範囲を考えると……」
ぶつぶつと専門的なことを呟きながら考え込むエリザベート。放っておいたら終わらなさそうだとシルトが声をかける。
「すまんが、考察は後にしてもらえないか」
「ああ、ごめんなさい。ついね」
「それにしても、全く読めないんだがこれ」
「エルフ語っぽいが私もあんまり読めないぞ」
「セキュリティ上、古代エルフ語で表示するようになってるの。クロエは勉強したはずなんだけど?」
「え……、そ、そうだっけ?」
出来の悪い生徒を見るエリザベートのジト目に、焦って目を逸らすクロエ。
「しかし、エリザベート氏が冒険者ギルド創始者とはな。知ってればデータベース関連で問題起きた時、わざわざ本部から人を呼ばなくて済んだのに」
シルトが困り顔でぼやく。
冒険者ギルド長としての責任上、機密の塊であるギルドデータベースに部外者がアクセスしている状態というのは、非常に落ち着かない。普通なら首が飛ぶ事態だ。
ところが、その部外者と思っていたエリザベートのアクセス権限が、ギルド長のシルト以上のものだったのだから困惑を隠しきれないでいた。
「そうやって便利使いされそうだったから黙ってたのよ」
「賢明だな」
肩をすくめるシルトに苦笑を返し、魔力操作で登録情報の更新をしていくエリザベート。
その横でロイズは情報検出用の水晶球に手を当て続ける。ロイズ本人には特にやることはなく、意味の分からない文字列を眺めるだけだったのだが。
「これでよし、っと。ロイズ君、名前変えるわね。ローズで良い?」
「は? なんで名前を?」
「男名のままでいるつもり?」
「う……」
「ローズ・ウェルズ、っと。違う名前が良かったら異議は五秒以内にね」
「五秒って、早すぎるだろう」
「ごーよーんさーん。ハイ終了」
「横暴だ」
「私が決めたかったな」
残念そうなクロエの言葉に、何となく不穏な気配を感じて、ロイズ改めローズが尋ねる。
「ちなみにクロエだったら、何て名前にしたんだ?」
「んー、黒髪だからクロちゃんとか」
「自分の名前とかぶってるだろ」
「あー、確かにぃ」
エリザベートが呆れたように言う。
「この子命名センスないから、任せたら大変なことになるわよ」
「俺が決めるのは?」
「言っとくけど、元の名前と似た響きにしておかないと、名前を呼ばれたときに反応できなくて困るわよ」
「……ローズでいいです」
奇しくも、というよりむしろ必然かもしれないが、マリアたちに咄嗟に名乗った偽名と同じだった。
「冒険者ランクや賞罰はそのまま。……いきなり見知らぬB級が現れることになるけど、まぁ帝都から流れてきたってことでいいかしら」
「帝都の事なんか何も知らないんだが」
「まぁ、そこらへんは追々カバーストーリーを詰めていくとしましょう。それとも正直に性転換を公表する?」
「それは……やめとこう」
公表は面倒事しか呼ばないであろうことは、ロイズ改めローズにも容易に想像ができた。
とはいえ、これで心配事が一つ消えたのだ。ローズは心が幾分軽くなった気がした。
「はぁ、これでとりあえず口座も引き継げそうか」
「あ、ギルド口座の引継ぎは別の話よ」
「え」
「あれって別に冒険者ギルドが管理してるわけではなくて、帝国中央銀行が管理してるのよ。さすがに名義人の名前が変わったら何等か判断が入るはずよ」
「ちょ、ちょっとまて、それなら名前は変えない方が良かったんじゃ」
「名前が変わって無くてもたいして変わらないわ。登録情報が変わったのに見逃されるほど甘くないのよ、あそこ。
まぁ、因子情報で本人なのはほぼ確定なんだから大丈夫でしょ、多分」
「……ほんとに大丈夫なのか?」
「さあ? 私ができるのはここまで、後は自分で頑張って」
どうやら軽くなったのは気のせいだったようだと、再び重い気分になるローズだった。
シルトに後を任せ、三人はギルドの情報管理室を後にする。
「一旦、家に戻って当面必要そうなものを取ってくる」
「そうだな、頃合いを見て、クランメンバーを動員して引っ越しするか」
「職権乱用じゃないか?」
「そうでもない。メンバーが引っ越す時はみんなで協力しあってる。ロイズ、じゃなかった、ローズも今後は手伝ってもらうことになるんじゃないかな」
「なるほどな」
そのまま廊下を歩いていると、書類を運んでいたノイアと行き会った。
「あ、ロイズさん……とクロエさん、エリザベートさん、先ほどはありがとうございました」
「ノイアか。礼ならクロエに言ってくれ」
ローズの肩越しにクロエが手を上げる。それに礼を返しつつノイアは気になっていたことを尋ねる。
「やっぱり元には戻れそうもないんですか?」
「どうやらそうらしい」
「それは……大変でしたね」
一瞬言葉選びに詰まったノイアは、結局月並みな表現でローズを慰める。
「正直、まだ受け止め切れていないところがあるが、まぁなるようになるさ」
「ふふ、ロイズさんらしいですね」
「あー、それだが、実はローズと名乗ることになったんだ」
「改名ですか。確かにその方がよさそうですね。なら、しゃべり方も改めたほうが良いのでは?」
「ん?」
「例えば一人称とか『俺』では駄目でしょう」
「う……」
自分が『私』と喋っているところを想像して、その違和感に顔をゆがめるローズ。
「ローズが嫌なら、私としては俺っ子のままでも良いよ、僕っ子も捨てがたいが」
クロエが茶化すように言う。冗談めかしているが本音である。
「ああ、そうだ。ローズさんが良ければ、言葉遣いとか、女性としての生活の仕方とか、心得とか、私がお教えしましょうか? 付きっきりで」
「ん?」
「女性の一人暮らしも危ないですし、私の部屋で暮らしましょう。職員寮ですけど、丁度空いてるんです」
笑顔で提案するノイアを、ローズは慌てて止める。
「いや、ちょっと待て」
「残念だったね」
ローズの言葉にかぶせるようにクロエが口を出す。
「ローズはウチで暮らすことになったんだよ。住居問題も今後のローズの調きょ……教育も問題はないよ」
廊下にピリリとした緊張感が走り、ノイアとクロエはしばし無言でにらみ合う。
今のわずかなやり取りで、二人がお互いを敵と認識するのには十分だった。
エリザベートは「へぇ」とつぶやいて面白そうに様子を見ているが、ローズは急に変わった空気に困惑する。
「ローズさん、それは本当ですか」
「ああ、本当だが」
「部屋も空いてるし、ローズにとっても有利な点がいっぱいだ。例えば服だね。私とローズの体格はさほど変わらないから、当面服装にも困らない。今ローズが着ている服も、私が貸したんだ。ぴったりだろう?」
ノイアが悔し気に視線を下げる。それを見たクロエは、調子に乗ってさらに言い募る。
「下着もぴったりだ」
「おい!」
ローズが今身に着けている下着もクロエから借りたものだったが、それを実際に身に着けるまで、多大な躊躇と精神的ダメージを乗り越えてきたのだ。
「えっと、つまり今ローズさんの下着は……」
「もちろん、私のだ」
「……」
「……」
冒険者ギルドの廊下を静寂が支配した。
どや顔だったクロエだが、全員が無言になったことで流石に「?」となる。
「あの、ローズさんは先日まで男性だったんですよ? 女性の方の服を借りて着る気持ちを考えてください」
「ちゃんと洗ってるぞ?」
「そういうことではなくてですね」
ノイアが指さす先に、顔を両手で覆って座り込むローズがいた。
「え、どうしたんだい?」
「クロエ、あなたもうちょっとデリカシーってものを覚えたほうがいいわよ」
「ええ? 私は常に相手に配慮してるつもりなんだけど」
ノイアがクロエを見る目が、可哀そうな人を見るものになっていた。
「クロエさん、仮にあなたがローズさんの男物の下着を身につけざるを得ない事があったとして、ローズさんが他人に『今クロエ、俺のパンツを履いてるんだ』ってばらしたら、どう思いますか?」
「……あー」
ものすごく納得がいったという顔をするクロエ。
「すまない、気が付かなかった。だって、平然としてるように見えたし。一応意識してくれていたんだな。少し嬉しいような安心したような……
いや、ホントごめんごめん」
ローズに向かって必死に謝るクロエに毒気が抜かれる思いになるノイアだった。
「はぁ、私とクロエさんじゃ経済力で勝負になりませんし、クロエさんがご自宅にローズさんを住まわせるというのであれば、お世話もお任せするしかないと思います。
ですけど、クロエさんの『その辺』がすごく心配です」
「実は昨日もやらかしてるしね」
「もう手遅れでしたか」
「いや、あれは……! 確かに! ごめん、だけど……!」
昨晩の事を思い出して慌てるクロエだが、言い訳が思いつかない。自分が悪かったと思っているので、弁明できないのだ。
「ノイアさん、あなた何歳だっけ」
「十六歳ですけど」
「二百歳児のクロエよりよっぽどしっかりしていそうね」
「何……だと?」
愕然とするクロエ。
「ふむ、ではこうしましょう。ローズの住居はこちら側。ただし、生活の面倒や教育はクロエとノイアで協力して行う」
「協力?」
「ええー! 私を裏切るつもりかい!? ベス!」
クロエがエリザベートに食って掛かるが、エリザベートのほうが涼しい顔だ。
「だって、あなた少しずれてる所があるじゃない? 正しい『常識』をローズに教えられるの?」
「う、そこはベスが適宜補ってだな……」
「私は協力しないから」
「な、なぜ?」
「面倒」
「……」
一刀両断のエリザベートに二の句が継げないクロエ。
「なので二人で協力してね。その方が面白そうだし」
「それが本音か」
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