幕間1 目撃
裏稼業には縄張りやルールというものがある。
例えば、表世界にもほど近い博徒ならば、いわずもがなの賭博、あるいはそれを行うための賭場が縄張りである。また、それにまつわる数々の暗黙の了解がそれに付随する。
闇の世界の最奥たる暗殺ギルドならば、彼らを必要とする階級とのコネクションや情報の取り扱い、そして殺人技術そのものということになるだろうか。
それらは生業と言い換えても良いかもしれない。その領分を超える者は、時としてその咎を命で贖うことになる。
――――
遡ること一日前。
場所はダンジョン【竜王の風穴】第七十層。
「何をしてるんだろうな、僕は」
ベルは小さな手鏡を介してボス部屋を慎重に覗く。
確認するのはボスの負傷状況、そしてターゲットの様子だ。
特にターゲットに対しては入り口の壁を盾にして、可能な限り手鏡すらその視界に入らないように心がける。
もっとも、今ベルの顔はダンジョンの壁面と同じ色に塗られている。万一手鏡がターゲットの視界に入っても、鏡に映るのはその壁色の顔だ。それが鏡だと気づく可能性はほとんどないだろう。
戦いが始まってから既に数時間が経過していた。
「正気を疑う」
いくらソロ向きのダンジョンとはいえ、七十層のボスともなれば、単独で挑むようなモンスターではありえない。
竜種、アースドラゴン。
鈍重と言われることもあるが、それはあくまで相対的なものだ。移動速度は人が走る程度はある。そして、脚や尾の打撃は人の反応速度を悠々と超える。見て避けられるようなものではない。
そして何よりその防御力。岩の硬さの鱗で覆われたその体は、魔法や魔剣の類でなければ、傷つけることすら不可能だ。
不可能なはずだった。
だが、ターゲットはその不可能を覆し、何の変哲もない武器でアースドラゴンにダメージを与え続けていた。
短弓で岩の様な鱗と鱗の間に鉄矢を打ち込み、それに危険を冒して接近し、何度も打撃を加え、釘の如く打ち込む。
ダメージはある。だがそんなものはアースドラゴンの巨体からすれば、手指に刺さった棘程度だ。
ターゲットが鉄軸の短矢を四十本買いこんだのは把握している。鉄矢など重いだけで、多少威力があっても、所詮はただの矢に過ぎない。重く、嵩張り、まともに飛ばない。非常に使い勝手の悪い武器だ。
最初はターゲットは頭が悪いのではないかと思った。
だが今は、頭がおかしいに評価を訂正している。
数時間かけて左の前足と後ろ足に、合わせて三十本以上の鉄矢を打ち込まれたアースドラゴンは、今では明らかに動きが鈍くなっている。手指の棘でも三十本にもなれば……という事だろう。
「理屈は分かる。でも実行するか?」
やはりターゲットは頭がおかしい。
そもそも、鉄矢四十本をすべて打ち込んだ所で、ドラゴンの致命傷にはまだ程遠い。
そこからまた果てしのない、削り作業が始まるのだろう。一体どうやって仕留めるのか、ベルには想像もつかない。
「流石に不眠不休で二日も三日も戦い続けることはない。せいぜい一日でケリをつけるはず。……だよね?」
あり得ないと思いつつも不安になる。
「そもそも、あの男がドラゴンに負けたり、相打ちになったりってあり得るのか?」
甚だ疑問だった。
だが、そうなってもらわなければ、自分の仕事が遂行できない。ベルでは到底あの男――ロイズに、正面からでは敵わない。そんなことは分かり切っているのだ。
このままおそらく何も成すところなく、すごすごと帰る羽目になるのだろう。その結果が目に見えていた。
「もう帰っていい?」
無論誰も答えてはくれない。
一向に隙を見せないロイズを追って、【竜王の風穴】の七十層まで追跡すること二日。その間休息は三時間を二回のみ。
そこからさらに、階層ボスとの終わりの見えない戦闘を監視し続け……ベルの疲労はもう限界だった。
耐え切れず、一度だけという誘惑にかられ、頭を膝の上に置いてしまう。
まずい、という意識すら融けていく感覚に、為す術なく身を任せてしまい、そして……
―――
――――――
―――――――――
ダンジョンの床面から伝わってくるわずかな振動に、意識がほんの少し浮上する。
(……。あれ? 今何を……)
何かとても重要なことを忘れている気がするのに、眠気が再びベルの意識を奪いかける。
その時。
「な、なんじゃこりゃー!」
突如聞こえてきた大声にハッと覚醒する。そして瞬時に、今自分がいる場所を思い出し、焦りで全身が総毛立つ。
自分の失態に悪態をつきながら、慌てて身を起こして周囲を警戒する。幸い周囲にモンスターはいなかった。
ホッとしつつ、どれくらい眠っていたか考える。だが答えが出るわけもなかった。
(……それより今の叫び声はなんだ?)
ボス部屋をのぞき込み、そこに人影を見つけて慌てて引っ込める。
「今のは」
一瞬目に入ったのは、妙にはだけた服装をした、常識はずれに髪が長い白黒のエルフ。
そう、白黒。
白は肌の色で、黒は髪の色だ。
はだけた肩とずり落ちた下衣から見えた太ももの白さに、場違いにもドキドキしてしまう。
いや、そんなことを思っている場合じゃない。
記憶を漁ってみると、そのエルフが着こんでいるものは、どうもロイズの装備のように思える。
サイズが合わず、ぶかぶかなそれをなぜ着ようとしたのか。
その横顔に見覚えはない。黒髪のエルフなんて見たら忘れないだろう。
それにしても、ロイズはどうした? 死んだ? それならボスは? ベルの疑問は尽きないが、今は考える時ではない。
確認のため、取り落としていた手鏡を拾うと、聞き覚えのある重低音の振動が聞こえてきた。
そっと鏡で部屋を覗き込む。案の定、ボス部屋奥の出口が音を立てて閉まりつつあるところだった。
「やば! ま、まって!」
黒髪のエルフが慌てて叫びながら出口へ向かおうとし、一瞬足を止めて宝箱の中身を拾って、再度ダッシュする。
「あの野郎!」
その宝箱はあきらかにボスドロップだ。それはベルが狙っていた獲物のひとつでもある。
追いかけるべきか一瞬悩むが、ベルの位置からでは出口が閉まるまで到底間に合わない。
黒髪のエルフを呆然と見送りながら、ベルは状況を整理する。
ロイズの死体がないのが気になったが、三つはっきりしていることがあった。
一つ、黒髪のエルフがロイズの装備や荷物を奪った。
二つ、黒髪のエルフがボスドロップを奪った。
三つ目は……
「くそっ!」
黒髪のエルフが何者なのかはわからない。
ロイズが誰に殺されようと、誰にものを奪われようと、普段ならばベルの関知するところではない。
だが、今のロイズはベルが狙っていた獲物だったのだ。それを堂々と横取りされた。
裏稼業にもルールがある。けじめをつけなければならない。
が、その前に。
「ボス部屋の出口、閉じたな」
三つ目、ベルは逃げ遅れた。
リポップする階層ボスを倒せない以上、ダンジョンを出るためには、ここから六十一層の入場ポータルまで戻らなければならない。
ベルなら【隠形】を駆使すれば、急げば一日がかりで戻れるだろう。だが、その行程の困難さを考えると、徒労に終わったロイズの追跡と併せて、気が遠くなりそうだった。
「ふざけやがって!」
思いっきり壁を蹴る。
ビクともしない石壁に当たったベルのつま先に痛みが走る。
頭の片隅では今足を怪我をするわけにはいかず、それが不用意な行動であることを理解していた。だが、どうしても我慢がならなかったのだ。
「絶対けじめつけてやる!」
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