閑話 ロイズの憂鬱

「ちぇー、それじゃおやすみっ」


 ぱたりと客室の扉が閉まる。

 先ほどまで「一緒に寝るか? 寝るよね?」と枕を抱えて迫ってきていたクロエの誘惑(?)を振り切り、かろうじて客室に引っ込むロイズ。

 ただでさえ風呂場で全身弄られて色々大変なことになったというのに、そのうえ一緒のベッドで寝るなど、ロイズは自分の理性にそこまで信頼を置くことはできなかった。


「これが女同士の距離感なのか」


 女同士なのだから間違いなど起きようはずもない。とは思うのだが、ロイズの本能的なものが危険を察知していた。人間やろうと思えば何とかなってしまうのではないかと。


「人の気も知らないで」


 寝室のベッドに俯せに倒れこむ。

 自宅のベッドより数段高級そうな、柔らかな感触が全身を受け止める。

 しかし、その柔らかな反発が否応なく自分の形が以前と違うことを実感させる。

 特に胸。


「……」


 無言で半回転して仰向けになる。

 今度は腰回りの形が意識されてしまう。

 ついでに胸からも、うつ伏せとは違う圧迫を感じる。小ぶりなのがせめてもの救いだった。


「……きりがない」


 落ち着ける姿勢を探すのを早々にあきらめる。


「まだ……あれから一日たってないのか」


 ロイズの主観で言えば激動の一日だった。

 死にかけたと思ったら、激レアなポーションで助かり。

 助かったと思ったら、なぜか女性になってしまい。

 原因を求めて【水晶宮殿】を訪ねたら、元には戻れないととどめを刺され。

 呆然としている間にエルフ女性としての常識教育が始まり。

 なんだか良く分からないうちに風呂に入れられ。

 気になっていた女性に全身を弄られ……


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁーー!!」


 不意に『事故』を思い出してしまい、悲鳴とも呻きともつかない声をあげてベッドでもだえるロイズ。

 羞恥のあまり両手で顔を覆う。なんであんなことに。

 仕方ないじゃないか、まだ自分の体に慣れていないのだから。

 『事故』の記憶を強制的に頭の片隅に追いやる。

 一人でやらかしてもショックな事なのに、よりによってクロエの目の前で……


 ロイズにとってクロエは特別な女性だった。無論一方的なものだが。

 その三十八年の人生でロイズは男性はもちろん、女性にも恋することがほとんどなかった。

 仲の良い女性がいないわけでもなかったが、交際といえるほど深い仲まで進展はせず、かといって自ら相手を探す気も起こらず。

 性欲も薄かった。男の友人・知人が連れ立って花町へ繰り出すのを理解できず、誘いを断るのに苦労したくらいだ。

 ロイズ自身、自分がおかしいのは分かっていた。人としてどこかが欠けているのだろうと諦めてすらいた。

 ところが十年前。ある依頼をクロエ達と合同で受けることになった時の事だった。


『君がロイズか。よろしく』


 ただの握手。社交辞令もなしのただの挨拶。表情筋を動かす価値すら認められない無表情。

 そうしてクロエに相対した時、ロイズの心臓が不意に跳ねた。


『……?』


 なぜか目が離せない。声を聴くだけで鼓動が早くなる。何かの拍子に触れようものなら、心臓が跳ねる。

 まさか、これが恋?

 いや、だが待ってほしい。


 人族とエルフ。

 平凡冒険者と超有名S級冒険者。

 アラサー人族おっさんと見た目は少女のエルフ。

 普通の男とアイドル美少女。


 すべてが噛み合っていなかった。

 そもそも、初恋相手の見た目が十代半ばの少女という事実に、当時のロイズは愕然としたものだ。恋愛は自由といってもこれはないだろう。

 良くも悪くも常識人であったロイズは、自己嫌悪とともに初恋の記憶を封印することになった。


「墓まで持っていくつもりだったのに……」


 しかし、よくよく考えてみると、ロイズの真のアイデンティティがエルフ女性だったとして、十年前と言えば二十八歳。これは、エルフならば丁度思春期に差し掛かったくらいの年齢だ。

 それまで恋したことがなくても不思議はないし、エルフを相手に初恋を経験する当然だったのだ。

 ……あれ? 今では自分もエルフってことは、封印解除して良いのでは?

 今日一日でこれまでの十年分以上接近してしまった相手の顔を思い浮かべ、その思い付きにドキリとしてしまう。


「いや待て。女同士なんだけど」


 再び愕然とするロイズ。


「やっぱり墓まで持っていくしかないのか。……遠い墓場だなぁ」


 凡そ千年。エルフ女性としての残りの長い生。いまさら男と恋愛できるとも思えない。おそらく一生独身で過ごすしかないのだろう。ロイズはそう結論付ける。


「はぁ~~~~~~~~~~」


 盛大な溜息が自然に口から出た。

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