7.価格の秘密

 クロエの髪の長さは太ももまでくらいで、普段はそのままストレートにおろしている。縛ってまとめることもあり、場合によっては服の背中に用意された収納構造に仕舞うこともあるらしい。

 エリザベートの髪は丁寧に編み込んでいるため見た目では分からないが、伸ばせばくるぶしまで届く。毎日朝晩の手入れ、髪型のセットに二時間以上かかるらしい。……むしろたった二時間でセットできるのか?

 先ほどまで受けていた「エルフ女性教育」のついでに聞いた個人情報を反芻しつつ、ロイズは現実逃避を続行する。


「いやあ、惚れ惚れするな、この長さ、この髪質。私もアストラルリフレッシュポーションで、髪をリセットしようか」

「……」

「んー、まぁ三千万はちと高過ぎか。買えん事もないが」

「……」

「しかしそれにしても、黒曜石の様なこの黒髪……ふふふ、美しい……」

「……」


 恍惚とするクロエが、湯船につかっているロイズの髪を、丁寧に洗う。

 少し目の色が怪しくなったクロエが、高価な頭髪用洗浄剤を文字通り湯水のごとく使い、まるで召使いのように湯船に浸かっているロイズの髪を洗っている。その様にロイズは戦慄を禁じ得ない。

 クロエには種族、性別を問わずファンが多い。エーリカの至宝、白銀の姫君の呼び名は伊達ではない。

 しかもクロエは現在、素肌にバスタオルを巻いただけ、という扇情的な格好なのだ。

 スレンダーながら女性らしい曲線を描く肩や腰、際どい所まで晒された手足、そして物理的なまぶしさすら感じるうなじ……。その彫像のごとき完成された美を、風呂場に入るときにロイズは一瞬目に入れてしまった。


(いや、思い出すんじゃない俺。……それにしても、半ば無理やり風呂に連れてこられたが、これをクロエのファンに知られたら殺されてしまうのでは? いや、今は俺も女性だからセーフか?)


 ロイズはこの歳まで独身ではあったが、女性に全く興味がないわけでもなかった。

 雑用係扱いに甘んじながらも【水晶宮殿】に加入したのも、多少の下心はあったのだ。特にクロエはロイズにとっても特別な女性だった。言葉を交わし、近くで眺めることができるだけでも、役得というものだ。

 その裸身が物理的に手の届く位置に存在する。非常に心臓に悪い。


(女になって嗜好が変わるのかもと思ったけど、そうでもないんだな)


 遠い目で浴室の壁に視線を固定して、クロエの裸身が目に入らないように努める。

 表面的には平然として見せているが、実のところ心臓の音がクロエまで届いていないか、気が気でない。


「この状況でも平然とされると、ちょっと自信を失うな……」


 そのロイズの様子を見て残念そうにつぶやくクロエ。


(いやいや、表情や態度を取り繕うだけで精一杯なんだけどな!)


 動揺を悟られていないことにホッとするロイズ。邪な目で見ていると思われたくない、男の見栄だった。もう女だが。


「まぁいいや。あー、それにしても私ももっと髪を伸ばしたいな。冒険者でなければなぁ」

「十分長いように思えるが」


 一瞬クロエの方に視線を向けそうになって、慌てて戻す。


「馬鹿を言っちゃあいけないよ、君。大昔のエルフの王族には亡くなったときの髪の長さが、遠矢の間合いになるほどまで伸ばしていた方もいたんだ」

「どうやって生活するんだそれ」

「さあ? 昔は今では考えられないほど髪を伸ばすことも、そう珍しいことでもなかったらしくてね。当時の記録には日常生活でどう工夫していたのか、ほとんど記録がない」

「なんで珍しくないのに記録がないんだ」

「普通過ぎて記録する者がいなかったんだ。君も喉が渇いたときに水を飲むことなど、日記には記録しないだろう?」

「理屈は分かるが、いまいち納得がいかない」

「そうかい? さて、名残惜しいが髪の手入れはこれくらいにしておこう」

「さようか」


 忍耐が試される時間ももうすぐ終わりらしい。ロイズは密かにほっと息を吐く。

 ちなみにクロエがロイズの髪の手入れに費やした時間は半時間ほどである。


「さあ、君自身がふやけてしまう前に体も洗うぞ」

「……え?」


 まさか洗いっことか言うやつか? と戦慄するロイズ。


「背中は洗ってやるので、あとは自分でな。……それとも全身洗ってやろうか?」

「いや、それは流石に」


 ほっとしつつも、心惹かれる思いを断ち切ってクロエの提案を断る。


「そうか。なら湯船から上がってくれ……なんでそっぽを向いてるんだ?」

「気にするな」


 クロエを視界に入れないように、慎重に湯船から出る。

 クロエの前で椅子に座り背中を向ける。湯を吸った髪が重い。


「んー、そういえば君は、肌も新品の敏感肌になってるんじゃないか」

「新品なら洗う必要なくないか?」

「お子ちゃまみたいなこと言うんじゃないよ。体はちゃんと毎日洗うように」

「はい」


 それにしても、流れで自分もここに住むような話になっていたが、まさか風呂も毎日こんな風に? それに気づいた一瞬の動揺が、隙となった。


「よし、洗うぞ。えい」

「ひゃあああ!?」


 ロイズがあげた悲鳴に驚き、思わず手を止めてしまうクロエ。


「ど、どうした? 女の子みたいな悲鳴を上げて、って女の子か」

「い、いや、なんで素手なんだ!?」


 ロイズの背中を洗おうとしたクロエは、なぜかタオルも使わず素手であった。


「しばらくは素手で洗ったほうが良いぞ、この柔肌は」

「そ、そうなのか?」

「素手で触れただけで、これではなぁ」

「ひょわぁぁぁぁ!??!?」


 今度は意識的に背中を撫でられ、再び悲鳴を上げるロイズ。石鹸まみれのクロエの手は、今のロイズにとって恐るべき凶器と化していた。


「……ふむ」

「や、やめろ……」


 背後でにやりと笑うクロエ。ロイズはその危険な気配に慄き、止めようとするが……手遅れだった。




 ロイズとクロエが風呂に入っている間、エリザベートは夕食の用意をしながら、今後の行動計画を立てる。


「ギルドでロイズ君のカード登録しなおして……名前変えたほうがいいわね。あと現住居は引き払わせる。考える間を与えず、なし崩しでここに住まわせる。いくら盆暗なクロエでも、一緒に住めば何等か進展は見込めるでしょ」


 エリザベートの中ではクロエとロイズをくっつけるのは、もはや既定路線であった。少なくとも友人にはしたい。今のクロエは友人が少なすぎるのだ。


「ちょっと強引だったけど、同棲してお風呂まで一緒に入れば、進まないものも勝手に進むというもの。女性同士だから問題ないという理論武装でロイズ君は拒否できない。それでありながら、ロイズ君の意識はまだ男性の頃の経験に引きずられてるから意識せざるを得ない。完璧ね」


 というか、これくらいお膳立てしなければ進展が見込めないのがクロエである。まだ足りない可能性すらある。さらに手を打つべきだろうか。悩むエリザベート。


「まぁ時間はたっぷりあるし、焦らずじっくりと……」


 エリザベートの背後でキッチンの扉が開く音がする。


「ただいま……」

「あら、早かったわね。まだ支度中なんだけど……」


 ばつの悪そうなクロエと、顔を真っ赤にしてうつむいたロイズが入ってくる。

 ちなみに二人とも服装はクロエの部屋着である。


「え、どうしたの?」

「あー、いや」


 クロエが目を逸らしつつ弁解を始める。


「アストラルリフレッシュポーションって、妙に市場価格が高いだろう」

「何を藪から棒に」


 治療を目的とする限り、病気はトータルキュアポーション、四肢の欠損はリジェネレーションポーションといった、相対的に安価なポーションで事足りる。市場価格は百万~五百万リグル程度であり、それらと比べるとアストラルリフレッシュポーションの三千万リグルは、効果を加味しても割高だ。


「まぁ、高いと言われれば高いわね」

「でだ、ロイズは全身新品同様の柔肌で、素手で洗ってやる必要があったのだが……他意はない! なかった! ホントだぞ?」

「なるほど?」


 再度の話題転換にクロエの意図をつかみかねるエリザベート。


「敏感になったロイズの反応が面白くて、つい興が乗って全身くまなく丁寧に洗ってやったのだが……、その、なんだ、結果としてロイズには少々、……不名誉なことになってしまってな……」

「え、まさか……」


 エリザベートは『不名誉なこと』とやらを想像する。


「人族貴族があのポーションを好んで求める理由、その一端を垣間見た気がする」

「あー……」


 想定以上に『仲良く』なってしまった二人に対し、なんと言えば良いか言葉に詰まるエリザベートであった。

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