6.ロイズの真実
「ローズちゃん、また後でねぇ」
黒髪のエルフ――ローズ=ロイズを連れてきたマリアが執務室を出ていく。
マリアはロイズを随分と気に入っているようだが、流石に同席は遠慮したらしい。少々常識が迷子気味だと思っていたマリアの評価を、クロエは頭の中で修正する。ほんの少しだけ。
執務室に据えられた応接セット、その両側のソファーに二対一で対峙する、クロエとエリザベート。
そして謎の黒髪のエルフ少女――ローズ。
「本当に黒髪なんだね」
エルフは金髪や銀髪、その他明るい系統の髪色が多く、濃い髪色は滅多にいない。濃い髪色は混じった人族の影響とされているが、真偽のほどは定かではない。
そのエキゾチック――エルフ基準――な魅力に、クロエは思わず息をのむ。
「それであなたは……」
「ロイズだ」
「ローズね」
「いや、ロイズだ」
「……」
クロエとエリザベートが揃って首を傾げる。
つい先ほど話題にしていた名前ではあるが、そのロイズの名がここで出てくるのは予想外だ。
「ロイズ君がどうかしたのかしら」
「いや……信じられないと思うけど、俺がロイズなんだ」
そう言うと、ロイズは自身の冒険者ギルドカードを差し出して、その名前を示す。
「は? 何を言って……」
「ギルドでカードリーダーにかけたら黄色に光った。意味わかるか?」
「まさか……!」
エリザベートが思わずという感じで声を上げたのを横目に、クロエは疑問を呈する。
「仮に君が本当にロイズだとして、そのカードだけでは本人の証明にはならんのではないかな?」
そのクロエの疑問をエリザベートが遮る。
「いいえ、ここで肝心なのは認証結果の黄色発光よ」
「どういう事? そんなもの、ここでは口でどうとでも」
「そう。口でどうとでも言えること。何の証明にもならない。わざわざそんな嘘を吐く意味は何もないわ」
「ふむ? まぁ確かに」
「要するに、ここで本人証明は重要ではなく事実上すでに解決済み、ということよね? おそらく冒険者ギルドでシルト氏に確認済み。
それよりもなぜその姿になったかの理由、その心当たりを私に聞きたいという事ね? 私のアストラル研究の知見を頼って。
あとは、可能であれば元に戻る方法も聞きたいってところかしら」
「話が早いな。まさにその通りだ」
(マリア相手の時と頭の回転がこうも違うのは何故なのかな? ……というか、ちょっと待って)
少々現実味のない話に、ちょっとずれたことを考えていたクロエだったが、話の内容が頭に浸透するにつれ、それが自身にとって聞き捨てならないことであることに気が付く。
「え? ということは、君は本当にロイズなのかい?」
「そうだ。不本意ながらな」
「え……」
ロイズが肩をすくめながらため息をつく。
クロエはその返答に呆然とし、ソファーから立ち上がり、座り、立ち上がりかけてまた座る。
そのクロエの不審な行動を首を傾げつつ見守るロイズ。
「えええええええ!? なんでぇ!? はぁ!? え? どういうことぉ!?」
「……そこまで驚かれると、この姿になってしまった甲斐が、少しはある気がするな」
「何を冷静に言ってるんだ君は! えぇ? 種族はともかく性別まで変える奴があるか! 私の事も考えろ!」
「何を言ってるんだお前は。俺も好きでこの姿になったわけじゃないぞ?」
ローテーブルに両手をついて食って掛かるクロエの勢いに、引き気味になるロイズ。
「あー、気にしないでロイズ君。クロエはちょっと個人的理由で動揺してるだけだから」
「?」
「クロエもちょっと落ち着きなさい。まずはそうなった原因を教えて。そこが分からないと話が進まないわ。ある程度予想はつくけれどね」
「ほう、流石だな」
ソファーの上で呆然としたまま使い物にならない感じになってしまったクロエを置いて、二人で話を進める。
「……まずはダンジョンで重傷を負った所からか」
……
…………
………………
「なるほどね」
ロイズが一連の経緯を説明し終えると、エリザベートは納得したようにうなずく。
ちなみに、クロエはまだ呆然としたままだ。
「結論を言いましょう。あなたの体が変化した理由、それはアストラルリフレッシュポーションの効果ね」
「まぁ、それ以外ないよな。一応確認するが、知らない間に他人の体を乗っ取ったって可能性はないんだな」
「そんなことはあり得ないわ。精神と肉体は一体不可分なのだから」
「ふむ、そこだけは良かった。だが、なぜポーションでこんなことになるんだ」
「そうね、それを説明するにはまず人の精神と肉体の構成について説明が必要になるわね」
人が生まれるとき、両親から引き継いだ因子が融合し、精神核(アストラルコア)が形成される。それは人の魂とでもいうべき部分だ。その精神核を基に精神体(アストラルボディ)が成長し、それと鏡合わせのように肉体(マテリアルボディ)が成長する。
「両親が同種族の場合、精神核の形成時に性別や容姿、髪色といった要素が決定される。当然種族は同じ。そしてそれらは生涯変わることが無いわ」
エリザベートが両手の人差し指を立て、それをくっつける。
「ところが、エルフと人族の混血の場合はちょっと特殊で、精神核の形成時に人族になるのか、エルフになるのかが最初に決まる。ハーフが生まれないのはこのためね」
左手のみ指を親指に変え、同じようにくっつける。そして、直後に右手だけで人差し指と親指交互に立てて見せる。
エリザベート的には手の仕草でイメージを分かりやすく表しているつもりらしい。どや顔である。
ロイズ的には分かるような分からないような、という感じだったが。空気の読める男として分かった振りをして頷く。もう女だが。
「……ふむ」
「でも種族が確定した後も、選択されなかった種族因子は精神核から完全に消えたわけではないの。いわば眠ったような状態になっているわけね。だから、その子孫の種族が突然入れ替わることが稀にある。これがいわゆるチェンジリングね。
獣人族の種類決定をイメージすると分かりやすいかしら?」
獣人族の種類――狼種や猫種など――が両親と一致しないことが多いのは、一般にもよく知られている。それが先祖の影響であるということも。
一方、人族やエルフの子供の種族入れ替わり――チェンジリングは知らない者も多いので、エリザベートは補足として付け加える。
「まさか、チェンジリングが関係するのか?」
「そのまさかよ。稀なことではあるけれど、精神核の融合が落ち着く前に、精神体の形成が先に始まる場合があるの。この場合、一度成長が始まった精神体は、形成が始まった時点の核を基にしてるから、最終的に落ち着いた核と成長した精神体が不一致な状態で、人間として完成してしまうことになる」
「するとどうなる」
「精神核はいわば心の形。目に見える肉体や、肉体と表裏一体の精神体との差異など誰にも気づかれない。普通はそのまま生涯、その不整合に気付かずに一生を終えるでしょうね。本人は違和感を抱え続けることになるでしょうけど」
「違和感?」
「典型的な例では、あなたのように精神核――いわば魂が女性で肉体が男性だと、見た目は男性なのに男性を愛するようになってしまったり」
「ちょっと待て、俺は別に男が恋愛対象というわけじゃないぞ」
「あら? そうなの? ロイズ君がその歳まで独り身なのは、実は女性に興味がないからだって、もっぱらの噂だったんだけど」
「はぁ!? なんだその噂は!」
「みんな気を使ってたのよ? まぁ、性的指向は後天的な面も大きいから、精神核の性別との矛盾はさほど不思議はないかしら」
「いや、ちょっと待ってくれ、聞き捨てならないことがあったぞ? 俺の魂が女性?」
「そ、しかもエルフ。本来なら人族両親の間にチェンジリングの女性エルフとして生まれてきたはずだったものが、偶然人族として生まれてしまったわけね。運が良いのか悪いのか」
衝撃の事実に頭を抱えてしまうロイズ。
元に戻れないことは薄々覚悟していたロイズであったが、むしろ自分が本来は女性だったなどというのは、完全に予想の範囲外の話だった。
「つまりアストラルリフレッシュポーションでこの姿になったのは……」
「そう。ポーションの効果で本来の精神核を基に精神体と肉体が再生成された結果ね。むしろ今のあなたの姿こそが本来のあなたという訳」
「元の体に戻ることは」
「不可能ね。人族男性ロイズの構成情報は永遠に失われてしまった。天龍ですら元に戻せないでしょう」
「なん……だと」
予想外の話に加え、元に戻れないことを断言され、さらなるショックを受けるロイズ。覚悟をしていたつもりでも、やはりショックはショックだった。
笑うしかないという言葉の意味を実感して「はは……」と無意識に声が出てしまう。そこでふと気づく。
「……ひょっとして、俺が集団行動に苦手意識があったのも、上下関係のストレスにどうしても耐えられなかったのも……」
「個性もあったでしょうけど、一般的エルフの性格ね、それって」
「そう……だったのか……」
がっくしと力なく俯くロイズ。
そして先ほどから天井を見上げて呆然としたままのクロエ。
「どうしようかしら、これ」
二人を眺めて困ったようにため息を吐くエリザベートであった。
「まぁなんだ。今後はうちのクランの施設、自由に使って良いぞ?」
「ああ」
「メンバー用の宿舎も使うか? あ、今満員だったか」
「ああ」
一足早く立ち直ったクロエがロイズを慰めるが、当の本人は未だ上の空だ。
「ちなみにエルフは不老だ、つまり死ぬまで労働から解放されない。概ね千年」
「あああああ……!」
「はっはっは、ようこそ魂の牢獄へ」
「慰めるか、追い詰めるかどっちかにしなさいな」
「いや、ちょっと面白くて」
立ち直ってから妙に機嫌が良いクロエ。
「考えてみれば、種族的な問題も年齢も解決したじゃあないか。それと比べれば性別など些細な事だ。しかも多大な精神的ショックを受けている今、これは付け込むチャンスではないだろうか」
「なにか言っていることが怖いわね」
エリザベートが呆れるが、まぁそれも悪くないかと思い直す。
クロエは血縁的には彼女の姉の娘――姪にあたる。成り行きで面倒を見てきた――と言っても既に百年が経過している――が、そろそろ独り立ちさせるのも悪くない。
その後のクロエのパートナーとして、ロイズは悪い選択肢ではなかった。その人柄は良く知っているし。お人好しなロイズなら、一度クロエのパートナーとなれば、意外と脆い所もあるクロエを良く支えてくれるだろう。
「性別は……まぁいいか。子供が欲しくなっても、やりようはいくらでもあるし」
エルフは人族と比べて性欲が非常に薄い。その影響があるのかは不明だが、パートナー選びに同性を選ぶことがしばしばあった。無論珍しくはあるが、類を見ないというほどではない。異種族婚よりは、よほど正統とみなされる。
この辺りは異種族婚をあまりタブー視しない人族とは、感性が逆転している点だった。
「……いつまでも落ち込んでいられんか、切り替えよう」
一通り落ち込んだロイズは、意識的に気持ちを切り替えようとする。いつもの感情制御法だった。
(そういえば、エルフはメンタル面の自衛が得意と聞いたことがあったな)
エルフはその長い生を生きる上で、メンタルが非常に強くなっているとされている。正確には自分のメンタルを保護する自衛能力が優れている。
ロイズが無意識に行っていた、切り替え、割り切りも実はエルフの種族特性由来だったのかもしれない。それ以外にも考えれば考えるほど、あれやこれやいろいろと心当たりが出てくる。
「人生の悩みがこんな形で解決するとはな……いや、原因が分かっただけで解決はしていないのか」
そんなロイズの様子を眺めるクロエは、早速先ほどの策謀を実行に移さんと行動を開始する。
「ロイズ、君は今後ここで暮らしたまえ」
「……一応言っておくが、さっきのお前の声聞こえていたぞ」
「あれ? 声は抑えていたつもりだが……あ、聴力が良くなっているのか」
ジト目のロイズとそれでも余裕を崩さないクロエ。
「だが君、先程の私の言葉をどう解釈したんだ?」
「ん? 性別的、種族的に丁度良い、クランの下働きを確保できそうだという事だろう? 先日カリカさんが退職したばかりだし、渡りに船だろう。しかもショックで今後の人生に惑っている、そこに付け込もうとか、まるで悪龍だな」
「ふ、やはり勘違いしていたか」
「勘違い?」
そう言えば年齢だの性別だの微妙にニュアンスが違った気がするなと、クロエの言葉を思い返すが、半分以上上の空だったため正確には思い出せなかった。
「つまりだ。ここでひとつはっきりさせておこう。
実のところ私は君を……君の事を……
あー、うん。
なんだ?
つまりだな」
なお、ロイズはクロエがかつての自分をクランの雑用扱いしていたことについて、それ以上の意味があったことには気づいていない。何しろ十年間雑用扱いされ続けていたのだ。気付きようがない。
「なんだ?」
「えーと……」
思い切って一気に勝負を決めに行こうとしたクロエであるが、土壇場になって怖気づく。
これまでさんざん躊躇い続けてきたものを、急に改めようと思っても、そううまくいくものではない。それが出来るなら、十年もの間、関係は停滞していない。
そして一度躊躇うと、行動しないことの言い訳ばかりが思いついてしまう。
(考えてみればロイズは先日まで人族男性だったのだ。それを今エルフ女性になったからと言って、同性である私に言い寄られたらどう思うだろうか?
人族は同性愛への忌避感が強いと聞く。その常識を持ったままだとすると、気持ち悪いと思われてしまわないだろうか?
いや、男性意識が強く残っているとするならば、むしろ歓迎してくれるのか?
自分で言うのはなんだが、私の容姿はそこそこ優れている。種族、性別の区別なくファンだと言ってくれる者も多い。いけるのでは?
いや、それは自意識過剰なのでは? 本当に客観的で正当な評価と言えるのだろうか?
下手に自信をもって突撃して、あえなく玉砕なんてことになったら、ちょっと立ち直れないぞ?)
先程までのにこやかな表情そのままに、フリーズしてしまったクロエ。
ロイズは不審げに首を傾げ、エリザベートは額に手を当てて首を振る。
「相も変わらずヘタレね……
あー、ロイズ君良い? あなたひょっとして今の住居にそのまま住み続けられると思ってる?」
「ん? 駄目なのか?」
「駄目、とまではいわないけどお勧めしないわ。あの辺りは治安はそれほど悪くないけど、女性の一人暮らしというものを舐めない方が良いわね」
「ふむ」
「ついでに言っておくと、ソロの冒険も止めてね。引退は撤回する前提で言うけれど」
「なぜだ? このクランにもソロはいるじゃないか」
そこまで深く交流しているわけではないが、ロイズも【水晶宮殿】メンバーの幾人かと顔見知りではある。その中にソロで活動している者もいた。
「女性のソロ冒険者って、思った以上におかしな人に絡まれやすいのよ。色恋沙汰以外にも『屍肉漁り』の質の悪いのとかね。
冒険に出る前後に身を隠して、出発や帰還の日時を特定させないようにしたり、物資の購入量から行動期間がばれないようにしたり、それはもう涙ぐましい努力で自衛してるの」
「男性のソロも多少は気を付けていはいるが、女性はそこまでか……」
「そうなのよ。それにあなた、女性の体の手入れの仕方、理解してる? 特にその髪」
「髪は切ろうと思ってr」
「はぁ!?」
「はあああ!!???」
髪の事に触れた途端、フリーズしていたはずのクロエと冷静に話していたはずのエリザベート、その二人にものすごい勢いで詰め寄られる。思わず引いてしまうロイズ。
「え、駄目なのか?」
「駄目に決まってるでしょう!」
「君には常識というものが無いのかね!」
「いや、エルフの常識は無いが……」
「くっ、そうだった。やはり君はしばらくここに住んで、エルフの常識をしっかり身につける必要があるな」
「その髪を今あなたが考えてるであろう長さに切ってしまうのは、人族で例えるなら街中で服を脱ぎ散らかすようなものよ。緊急避難としてならともかく、普通なら人格を疑われるわ」
「そこまでか……」
種族の価値観の壁の厚さを実感するロイズだった。
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