2.黒髪のエルフ

 オーディルの冒険者ギルドの正面受付。

 今は昼を少し過ぎて、いつも通りギルドが閑散となる時間帯だ。

 受付嬢のノイアは午前の担当者と交代して業務を開始したところだった。

 この時間の受付はかなり暇だが、午後も夕方に近づくにつれ戻りの冒険者が加速度的に殺到してくるようになるのは規定路線だ。

 頬杖を突きながら、今現在の暇さにかまけて午前担当と午後担当どちらが楽か、などと益体もない比較を頭の中で行う。

 ふと気配を感じてギルドの入り口に目を向けると、小柄な人影が入ってくるのが見えた。


 美しい黒髪のエルフ少女。


 エルフ自体はさほど珍しくはない。この街の冒険者ギルドに登録しているエルフだけでも、数十人はいるだろう。

 それでも女性エルフとなると、その中で十人を超えるかどうかだろうか。

 さらに黒髪となるとノイアも見るのは初めてだった。

 肌は白く日に焼けていない。エルフは日焼けしにくいが、それにしても白すぎる。見た目の年齢は人族なら十五歳くらいだろうか。

 傷どころか染みひとつない肌、絹のような光沢のつややかな黒髪、明らかに庶民ではありえない。良いところのお嬢様なのだろうとノイアは断定した。


(見た目が人族の十五歳くらいだと、エルフだと三十代後半くらいかしらね。美人なエルフに生まれて、お金持ちに生まれて、天に愛されてるとしか思えないわね。だけど……)


 着ているものがおかしい。

 明らかに使い古された冒険者の装備だ。

 革をベースに要所を金属で補強した鎧は、使い古され幾度も補修した跡が見られる。

 背中には年季の入ったバックパック。これまた年季の入った金属製の兜と短弓、矢筒が、バックパックに吊り下げられているのがちらり見えた。少女の体格に比して不釣り合いな装備量だ。

 黒髪は無造作に束ねられ、その先がバックパックの中に放り込まれている。髪を異常なほどに大切にする女性エルフとしては珍しい雑な扱いだ。

 腰の片手剣の柄もベテランが良くやるように、革を編み込んだすべり止めの工夫が施されている。素人が素手で扱えばすぐに手のひらがボロボロになるだろう。

 それらのことごとくが年季の入った装備だ。何よりそのすべてが、小柄な彼女の体格に合っていない。


(他人から譲り受けた装備を無理に着込んでる?)


 エルフの新人冒険者がこの街からキャリアを開始する。それはさほど珍しい話ではない。

 しかし最初の印象――お嬢様エルフ――と考え合わせれば自ずと答えは出てくる。


(家出ね)


 冒険者の出自は詮索しない。これは不文律である。

 しかしこれはその不文律の適用外だ。

 どこの冒険者ギルド支部でも、この様な家出少女が冒険者を志望して訪れることが、数年に一度くらいはあるのだ。このような場合、少女を説得して家に帰してやらねば、関係者すべてが不幸になる。何百年も続く冒険者ギルドの対応マニュアルにも、特記事項として記載された緊急条項だった。


(それにしても、装備がなんとなく見覚えがある気がするんだけど……)


 黒髪のエルフ少女は迷う事もなく、まっすぐノイアのいる受付に近づき、その前の椅子にふわりと座り込む。その途中、一連の動作の中でバックパックを下ろし、椅子の横に置く。まるでベテラン冒険者のように、振る舞いに迷いがない。

 ただ、長い黒髪を放り込んでいたバックパックに頭を引っ張られ、首が傾いているのはご愛敬だろう。

 ノイアはちょっと笑いそうになったのを我慢して気を引き締める。家出少女対応はファーストコンタクトが肝心なのだ。


「ギルド長のシルトを頼む」


 エルフ少女はバックパックと繋がってしまっている髪の長さの調整に苦戦しつつ、要求を口にする。

 ノイアとしては長すぎる髪など切ってしまえばいいのにと思わなくもない。だが、女性エルフが傷んでもいない綺麗な髪を切るなど、あり得ないことも理解しているため黙っている。


(冒険者になるとそうも言ってられないんだけどね。それはともかく……)


「アポイントはございますか?」

「いや、ない」


(最初にいきなり家出を決めつけてもいけない。頭ごなしに説教してもいけない。とりあえずは正規の対応を行って様子を見る……だっけ?)


「えーと、新規登録でしたらギルド長への面会は不要で、この場で行うことができますが」

「まぁ、そういう反応になるよな」


 エルフ少女は懐から冒険者ギルドカードを取り出す。


「あれ? 失礼しました……」


(ギルド登録済み!? どういうこと!? どっかのバカ支部が登録しちゃったの!?)


 ノイアは内心の混乱と焦りを態度に表さないように必死になるが、頬が引き攣るのを隠しきれない。

 正規の登録済み冒険者が相手では、依頼の斡旋を要求された場合断れない。


(ええと、そうだ! マニュアルにあったわ。『止むを得ず冒険者登録を完了してしまった場合』!)


 マニュアル曰く、依頼斡旋要求に対して忠告や引き留めは却って相手を頑なにさせるため厳禁。それとなく危険のない依頼に誘導するのが吉。


(『それとなく』ってなによ。もっと具体的に! それに良いとこのお嬢様相手に危険のない依頼って、そんなものが冒険者ギルドにあるわけないじゃない!)


 マニュアルを丸暗記しているノイアの記憶力も大したものだが、ギルド受付嬢としてはまだ二年目。ほぼ新人に近いため想定外の状況は手に余る。

 助けを求めて周囲を見渡すが、昼休憩に入って通常より職員が少なくなっているギルド内で、彼女の苦境に気づく者はいなかった。


「……」


 焦るノイアを生暖かい目で見つめながら、エルフ少女がそっと冒険者ギルドカードをカードリーダーに当てる。

 それに気づいたノイアが何のつもりかと見守っていると、カードリーダーについた確認用の水晶が黄色に光る。


「え、黄色?」

「はぁ……黄色ならまだ救いがあるか」


 冒険者ギルドのカードリーダーは、カードの使用者とその登録者が同じであるかを確認し、ギルドとして各種手続き実行して良いか確認するための魔道具である。

 使用者と登録者が一致すれば確認用水晶が青色に光り、同時に受付嬢側に登録者名が表示され、各種手続きを正常に行えるようになる。

 赤色であればカードを間違っているか、不正使用であることが分かる。当然手続きは拒否される。

 黄色は『本人である蓋然性が高いが不審点がある』という状態を示す。これは主に精神破壊、精神汚染、あるいは洗脳などの状態異常を受けている状態であり、安全のため手続きは保留される。

 カードを間違えて赤く光ることはさほど珍しいことではないが、黄色に光ることは年に一度あるかないかの異常事態である。

 さらにノイアはカードリーダーの受付側に表示されたカードの登録者名を見て、驚きの声を出す。


「え!? ロイズさんのカード!?」

「声が大きい」


 エルフ少女が口の前で「シッ」っと人差し指を立てる。

 顔の俯き加減、指の角度、指を口から離す速さや手の動き、ノイアの見覚えのあるロイズの仕草だった。子供の頃からロイズと付き合いのあるノイアだからこそ、それが分かってしまった。


「え、そんな、まさか」


 ノイアの知っているロイズは、父親と同年代の三十代後半のベテラン冒険者で、長年ソロで活動をしている変わり者として一部で有名な男だ。間違ってもこのようなエルフ少女ではない。

 カードリーダーの機能として、性別はおろか種族すら異なるエルフ少女がロイズの冒険者カードを使って、黄色に光る可能性はない。普通ならば。


「……異常事態であることはこれで分かったと思うが、どうだ? シルトに取り次いでもらえるか?」

「は、はい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る