1.とりあえずの生還

 ダンジョン【竜王の風穴】は総階層数が百層という大規模ダンジョンにもかかわらず、初~中級者向けダンジョンとされている。

 その理由は主にモンスターのリポップ率の低さと、その単体戦闘力の高さによる。上級者パーティーでは深層に潜っても、難度の割にリターンが少なく割に合わないのだ。

 結果として、浅層~中層を初級~中級者の狩場として、深層をより強力なモンスターへの対処法を覚えるためのステップアップ用として利用するのが、主な利用方法となっていた。

 その第一層のセーフゾーン。

 今、突入前の打ち合わせをしている三人の若い冒険者パーティーも、浅層で経験を積むためこのダンジョンを利用している初級冒険者たちだった。


「それじゃ行くぞ」


 打ち合わせを終え、十一層への入場ポータルへ向かおうとした彼らの背後で、七十層からの帰還ポータルが光を帯びる。


「七十層? あんなところで狩りする奴がいるのか」

「そう言えば、ここの深層はソロの上級者が入ることがあるって聞いたことあるな」

「ソロ? 今時?」


 ソロでの狩りはパーティでのそれと比較し、危険度が段違いとなる。最近は安全性を考慮し、どこの冒険者ギルドでもパーティーでの活動を推奨している。ソロで活動しているのは、よほどの変わり者か、嫌われ者というのが相場だ。

 あるいは、ソロ活動が比較的多かった時代からの生き残り――ロートルか。

 初級冒険者たちは突入を一旦中断し、どんな冒険者が現れるのか、興味津々でポータルを見つめる。

 すぐに光が収まり一人分の黒い人影が現れる。


「え」

「お」

「は?」


 その怪しげな風体に一瞬身構えた冒険者たちだったが、その人物が前髪を煩わしそうにかき分けると、思わず目を見張る。

 よくよく見れば小柄なエルフらしき少年、あるいは少女だった。

 エルフだと分かったのは、頭の左右から先のとがった長く白い耳が見えたためだ。

 最初の印象だった黒い人影は、顔が長い前髪で覆われ、薄汚れた暗い色の装備と相まって、そのような印象を与えたようだった。直前まで白く光っていたポータルとのギャップのせいもあるだろう。

 そのエルフの、かき分けられた前髪から覗いた白皙の美貌に、まだ少年と言って良い年代の冒険者たちは目を離せなくなる。


「ぎりぎりだったな、危なかった。ボスが再出現したら流石にもう一度倒すのは無理だ。逃げて六十一層の入場ポータルまで戻る羽目になるところだった。ただでさえ体がおかしなことになってるのに……」


 その小柄な黒髪のエルフ――姿形が全くの別人になってしまったが、自意識としてはロイズ――は、自身の現状を確認するようにつぶやく。いまいち声量の調整が旨くいかず、思ったより声が響いてしまったことに少し顔を顰める。

 一方、先客の冒険者たちは、ロイズの声を聴いて、鈴のなるような声とはこういう声の事かと、ほぅと息を吐く。声質から考えて少女と断定して良いだろう。三人ともが同時にそう結論する。


「あ、あの」

「ん?」


 声を掛けられた暫定ロイズ――当人が自分自身がロイズであることに、いまいち自信を持てずにいるため暫定である――のエルフ少女が、その初級冒険者の一人を見返す。


「……」

「……なにか?」


 声をかけてきておきながら、なぜか絶句してしまった冒険者をロイズは訝しげに見つめ返す。

 残りの二人に視線を移すが、その二人の反応も大同小異だ。


「?」


 ロイズは視線をわずかに下げて考え込み、何らかの結論を得たのか、おもむろにバックパックから手鏡を取り出す。曲がり角などの死角確認に用いるものだ。

 その手鏡を覗き込むと、ロイズは三人と同じよう一瞬絶句した後、困り気にまゆをひそめる。


「んー、あー……なるほどね」


 ロイズは鏡に映った自身の美貌を確認し、冒険者たちの反応に納得する。多少はエルフを見慣れているロイズにしても、美少女と断言できる容姿だったのだ。

 ここに至るまでに耳の長さに気づいて、ある程度の心構えをしていなければ、ショックでまた叫んでいたかもしれない。

 さらに自分の現在の格好を見下ろす。

 サイズが合わずにずり落ちかけた服装と各装備は、直す間もなくほとんどそのままである。階層ボスの再出現の兆候に気づいて、脱出を優先したためだ。

 さらには鎧の喉当て部分をどこかで失ったらしく、首から左肩にかけて、白い肌が覗いている。

 ロイズは無言でシャツと鎧の緩みを整え、肌の露出を抑える。

 残念そうに見守る冒険者たちをひと睨みすると、彼らは慌てて視線を逸らす。今更すぎたが。

 三人組のうちの一人が恐る恐るロイズに声をかける。


「あの、何かトラブルですか?」

「ん?」


 エルフである以上、若くは見えても年上なのはほぼ確実だ。なので一応は敬語だった。


「あー、いや、トラブルはトラブルだが、もう終わったというか、手遅れというか、正直意味が分からないというか」

「はあ」


 ロイズの要領を得ない返答に、何と返すべきか困惑する少年冒険者。


「あ! 君って一人? 何だったら今から俺たちと一緒に狩りに行かない?」

「馬鹿、七十層攻略できる人と俺たちが釣り合うわけないだろ。それに彼女は今戻ってきたばかりだぞ」

「あ、そっか」


 何とかしてこの機会をものにしたいという熱意を感じ、ロイズは苦笑いしてしまう。何の機会かは言わずもがなだ。


(気持ちは分からんでもないが)


 鏡で見た自身の顔を思い出しつつ、このままではちょっと面倒なことになりそうだと、さっさと話しを切り上げることにする。


「問題はないから、俺には構わずダンジョンに入場してくれ。十一層か? ムラサキオオトカゲの毒には気をつけろ」

「あ、ああ」

「いや、待っ」

「オレっ子?」


 三人の背中を押して半ば強引にポータルに放り込む。後ろ髪引かれる様な表情をされても、ロイズには彼らの期待には応えられない。

 ポータルに消えた三人を見送ると、ロイズはほっとして呟く。


「そっちの趣味はないんだ、すまんな。……いや、この場合どっちが正常なんだ? よくわからんな」


 他人がいなくなり落ち着いたところで、改めてブーツの紐を締め直し、腰のベルトやバックパックのハーネスを調整し、とりあえずの体裁を整える。

 次に身長の三倍ほどの長さに伸びた黒髪の対処に移る。とりあえずバックパックに無理やり押し込んではいたが、そのままでは首の可動範囲が制限されてしまう。


「切るか。いや、待てよ? もしこの体が他人のものだった場合まずいな」


 エルフ、特に女性エルフは髪に異常なほどの執着を持つ。


「他人の体を乗っ取るとか、そんなことがあり得るとも思えないが、現状がすでにあり得ないしな。一応考慮すべきか」


 もしこの体がロイズ本人――認めがたいが――のものであれば、自分の髪なのだから切っても構わないだろう。

 だが、万が一ロイズが他人の体を乗っ取ってしまっていた場合、体の本来の持ち主に殺されかねない。比喩ではなく文字通りの意味で。

 ロイズもエルフと髪に関わるトラブルはこれまで何度も聞いたことがあった。


「できるだけ綺麗にまとめて、バックパックに入れて保護しておくか。少し緩めにして外に出しておけば、首の動きを妨げることもなくなるだろう」


 髪紐がないため、包帯を短く切って代用する。まとめた髪を何カ所かで結び、悪戦苦闘しつつバックパックに収めようとする。髪質が良すぎて、結んだ包帯の位置が落ち着かず、すぐばらけそうになってしまうのだ。


「髪がこんなに伸びてるのに、爪はちょっと長い程度なのは良く分からんな」


 爪には最適な状態が適用されているのに、髪には適用されないらしい。もしくは長ければ長いほど最適なのだろうか、いまいち納得がいかないロイズ。

 何とかバックパックに収め、背負った状態で外に出ている長さを調整し、満足いく状態になってから、ふと我に返る。


「このまま街に帰ったらどうなるんだ?」


 先ほど手鏡で自分自身の顔を見て確信したが、今のロイズを初見でロイズであると看破できる者は、彼の知り合いにもいないだろう。

 むしろ口説きにかかる者すらいそうだった。


「勘弁してくれ……。そもそもどうしてこうなったんだ」


 アストラルリフレッシュポーションで容貌が変化したという例は、ロイズも聞いたことがある。しかしそれは、それまでの生活や修練、病気やケガなどによる後天的な変化が、本来あるべき姿に戻った結果である。性別や、ましてや種族が変化したなど聞いたこともない。あり得ないはずだった。


「元に戻れるのかこれ」


 怪しいと思わざるを得ない。体が変化してしまったにせよ、他人の体を奪い取ったにせよ、どう考えても極めてまれな現象だろう。それをもう一度起こして元に戻すなど、もう一度アストラルリフレッシュポーションを見つけるより困難だ。


「一生このまま? 本気か? あ、そういえばこれ、ギルド口座の金は引き下ろせるのか?」


 元に戻れないとなれば、それは人族男性のロイズが行方不明となり、新たに女性エルフのロイズ(仮)という別人が生まれたのと同じことだ。財産を引き継げるかも甚だ怪しい。つまり彼がこれまでロイズとして築き上げてきた財産は失なわれる可能性がある。

 二十二年間の苦労の成果が消える。その予感にロイズはぞっとしてしまう。


「いや、まて! まだそうと決まったわけじゃないぞ……。そうだ! ギルマスのシルトなら話せば俺と分かる。はずだ。多分。

 受付にはノイアもいるだろうし、アポもなんとかなる。はずだ。多分。……本当に?」


 絶望的な予感に知らず知らずのうちにしゃがみこんで、頭を抱えてしまっていたロイズ。

 嫌な冷や汗をかきながら、よろよろと体を起こして立ち上がる。

 精神的ショックのせいか、先ほどまで軽やかだった体がやけに重く感じる。


「と、とりあえず街に戻ろう」


 このままではまずいと思考をいったん棚上げして、冒険者の街オーディルへの帰路に就くロイズであった。

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