引退予定冒険者、TSして種族まで変わった結果 → エルフの老後資金っていくら必要ですか?(震え声

始永有(シエイ アル)

1章

プロローグ――ひとつの結末

「しまっ……!」


 最後の最後、一瞬の判断ミスの代償としてロイズの腹部が切り裂かれる。

 咄嗟に抑えた左手から、血と共に臓物が溢れ出す。明らかに致命傷だった。階層ボスへのとどめと引き換えとはいえ、割に合わない結果だった。

 あふれ出た赤黒い内臓。これがなければヒールポーションで傷を塞いで助かる可能性もあった。しかし、この状態では内臓を押し込んで傷を塞いだところで、多少の延命は出来ても死は免れない。ロイズもこれまでそうやって力尽きた冒険者を何度も見送ってきたのだ。


「やらかした……。虎の子のハイヒールを使い切った時点で、撤退すべきだった……」


 ベテラン冒険者であるロイズには、この状態からでも治癒を見込める、希少で高価なハイヒールポーションの準備もあった。

 しかしそれも先ほど、階層ボスを追い詰めたところで負った重症の回復に使ってしまっていた。

 掛けた時間や費用を惜しんで、安全との天秤にかけてしまったのだ。


「最後の最後で欲が出たか」


 ロイズは今回で冒険者を引退する予定だった。三十八歳という年齢は、普通の冒険者ならとうに引退している年齢だ。


「ハイヒールは最後の守り。勝負には使うな。か」


 これまで自分に課してきたはずのルールを最後に逸脱してしまった。その代償を命で贖う事になったのだ。その迂闊さ、間抜けさに思わず苦笑を浮かべる。


「誰かが偶然通りかかる場所でもなし。……終わりか」


 階層ボス部屋の入口は開け放たれている。しかし人の気配はない。寒々としたダンジョンの光景のみが覗いている。

 部屋の入口と逆側には、ボス討伐の結果として階層の出口も開いているが、その先の帰還ポータルを使ってダンジョンを出ても、ハイヒールポーションを常備しているようなベテランと出会える可能性は非常に低い。このダンジョンの主な利用者は浅層階狙いの初~中級者なのだ。


「他に可能性があるとすれば」


 ボスの死体が消滅する。

 地上の動物や魔物とは違い、ダンジョンモンスターが死亡すると、その死体は一定時間で消滅する。あとにはドロップアイテム、もしくは宝箱が現れる。階層ボスの場合は大抵は宝箱だ。

 ロイズはそこにひとつだけ生還の可能性を見い出していた。

 この七十層の階層ボスの死体消滅後に現れる宝箱には、武具、装身具、その他の三つのアイテムが収められている。

 ロイズが今当てにしているのはその三つ目、『その他』だった。

 すなわち、ポーション等の薬品類、スクロールといった消耗品の出現枠。余程運が良くなければ大した価値は期待できない、一種のおまけ枠である。

 だが、今はそのおまけこそが最も重要だった。なぜならここにハイヒールポーションが出れば、ロイズは生き残れるのだから。

 ロイズは失血で真っ青になった顔で、荒い息をつきながら宝箱に近寄る。体が普段の数倍重い。身動きできなくなるまで、あまり時間はないだろう。


「頼むぞ」


 可能性は限りなく低い。階層ボスとはいえ、高級な消耗品アイテムの出現率はさほど高くない。出たとしても、それがハイヒールポーションである可能性はさらに低い。助かる可能性は百に一つか、千に一つか、あるいはそれ以下か。


「……ここで、これが出るのか」


 信じがたい結果にロイズは目を見開く。

 この時のロイズは奇跡的な幸運に恵まれていた。あるいは逆に果てしなく運が悪いと言うべきかもしれない。

 開いた宝箱には短剣、ペンダント、そして自身の命を救うであろうポーションが出現していた。


「アストラルリフレッシュポーションだと? こいつを見るのは二度目か」


 その効果は人の精神体と肉体をその年齢における最適状態まで再形成・修復するというものだ。死んでさえいなければ、どんな状態でも全て元通り。不治の呪いとして恐れられる吸血鬼症すら、完全に吸血鬼化する前であれば回復可能という、レア中のレアポーションである。

 市場価格三千万リグル。ロイズが二十二年の冒険者生活で貯めた預金金額の倍以上である。


「これを持ち帰れば、死ぬまで遊んで暮らせたのに……これを自分で飲むのか?」


 宝箱の縁でがっくり項垂れ、頭を振って気を取り直す。


「ダンジョン内でショックなことがあっても落ち込むな。生還してから思う存分落ち込め。……昔誰かに言った言葉が、今更帰ってきたぞ。因果応報ってやつか?」


 表面的には平静を装っているが、内心は大荒れである。


「ふぅ、流石に三千万を飲むのはちょっと勇気がいるな。飲むしかないんだが」


 蓋をあけると、躊躇いを振り切って一気に中身を飲み干す。

 その瞬間。


「あ、しまった」


 アストラルリフレッシュポーションが、使用時にどのような形で効果を発揮するのかをロイズは知らなかった。

 このポーションは使用時、対象を眠らせた状態で効果を発揮するものだった。当然だろう、体を作り替えるようなものなのだから。

 飲んだ瞬間に意識が遠くなったことでロイズはそれに思い至る。

 やはり三千万をふいにしたショックを完全には克服できていなかったらしい。普段のロイズならもう少し考えてから行動するところだ。

 暗転する視界と意識の中でロイズは祈る。


(ボスの再出現前に目覚めてくれよ……)


 ぷつりと意識が途絶える。



―――――



 意識がゆっくり覚醒する。

 天井のヒカリゴケに照らされた周囲は薄暗く、石の床に変な恰好で寝そべっていたせいで体が痛く――なってはいなかった。むしろ心身ともに近年稀にみる快調な目覚めだ。

 少々予想外だったが、悪いことではないなと思いなおすロイズ。


(ボスはまだ再出現していない……助かったか)


 致命傷を受けたはずの腹に痛みはない。それどころか古傷や腰など、色々とガタが来ていた部位の痛みすら綺麗さっぱり消えている。

 さらに全身にかつてないほど生気がみなぎっているのを感じる。


(なるほど、お貴族様が三千万を出しても欲しがるわけだ)


「ふう、それにしても迂闊だったな。まさか意識を失うとは……」


 予想してしかるべきだった――と続けようとして、自分が喋ったのと全く同じ台詞が、他人の声で聞こえてくるのに驚く。

 慌てて体を起こして周囲を見渡す。


「誰だ!」


 まただ。他人の声が聞こえる。いや違う。


「まさか」


 それは他人の声などではなく、自分の喉から出ている声だった。


「あー、あー、なんだこれ。どうなってる」


 妙に甲高い。まるで子供の声だ。

 他にも妙なことがある。

 喉に手を当てたことで気付いたが、手袋がなぜかぶかぶかだった。

 それだけではない。周囲を見渡そうと首を回した時に、妙に首すじにまとわりつく繊維状の感触。裂けた衣服でもまとわりついているのかと思ったが、よくよく見れば長く黒い髪の毛だった。

 見知らぬ黒髪が自分の体に巻きついていた。気色の悪さに思わず震える。

 手で掴んではぎ取ろうとすると、自分の頭が引っ張られる。


「あが? 自分の髪の毛? そういえば」


 アストラルリフレッシュポーションを使うと、その年齢までに伸びた髪の毛まで復活する、と聞いたことがあったのを思い出す。


「いや、でも俺の髪の色は赤茶のはずなんだが」


 傍らには宝箱。こんなに大きかっただろうか?

 とりあえず立ち上がる。

 ブーツがぶかぶかになっている。

 身に着けた装備がずり落ちる。

 数々の異常を説明する一つの予感。


「まさか」


 冷や汗をかきながら、それを確認するためにゆっくりと自分の体を見下ろす。


「な、なんじゃこりゃー!」


 十数年ぶりに心の底からの驚愕の叫びが喉をついて出た。

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