第9話

 いつかはこうなるだろうと思っていた。ただ、想像していたよりも時間はかかったようだ。

 呼び出された進路指導室には、ローテーブルを挟んで向かい合わせに並べられたソファ、壁に並べられた無機質なスチールラックと厚みがまちまちのファイル。窓辺に飾られたピンクのチューリップが唯一、室内を彩っている。

 そんな殺風景な部屋で、向かいに座った学年主任がゆっくりと華に尋ねてくる。

「入学式の日に我が校の生徒が二人、バイクに乗っているところを近隣の方が何人か見かけたそうでして。その内の一人が金髪だったそうなんですが、染井さん、それはあなたですか?」

 メガネをかけ、髪をきっちりと結い上げた姿は神経質そうに見えるが、その声音は思いのほか優しく、華は少し意外な気がした。

 先生曰く、バイクに乗った金髪の生徒を見かけたという目撃情報があるだけで、証拠となるようなものはないらしい。それでも華の返事は初めから決まっていた。

「そうです。私で間違いありません」

「我が校ではバイクでの通学は認められていません。それはご存知ですか?」

「はい」

「では、なぜ?」

「私のミスで入学式に遅刻しそうになったからです。代役の子に迷惑をかけられないと思い、知り合いに無理を言って乗せてもらいました」

「そのお知り合いの方とは?」

「それは」

 ──言えません。

 そう答えようとした、まさにその時だった。

「はい! はい! はい! そのバイクを運転していたのはわたしです!」

 何の前触れもなく、進路指導室のドアを勢いよく開けて、夏樹が飛び込んできた。

「えっ⁉」

「先輩⁉」

 突然の乱入者に先生は驚いて身を引き、華は思わず立ち上がった。

「な、なんですか、あなたは?」

「二年五組、出席番号一番、相沢夏樹です! 失礼ですが話を立ち聞きしていました! 入学式の日に、染井さんにバイクに乗るよう指示したのはわたしです!」

 ほとんど勢いで喋っている夏樹に、華は慌てて駆け寄る。

「先輩、落ち着いてください」

「大丈夫、大丈夫! 今のわたしはめっちゃ冷静だから! ここは任せて!」

 だめだ、冷静な人間の台詞ではない。

 華は早々に夏樹を宥めることは諦め、学年主任へと振り返る。

「先生、先輩はこう仰っていますが、最終的に乗せてくださるようにお願いしたのは私です。処分は私が受けますので、先輩には寛大なご処置をお願いいたします。彼女は困っている私を助けようとしてくれただけなんです」

「ちょ、染井さん! 先輩の出番を奪っちゃだめだよ!」

「奪ってません、事実です。先輩はあの日、私に出会わなかったらバイクに乗ろうなんて思っていませんでしたよね? だから、一番悪いのはきちんと通学経路を調べていなかった私なんです」

「いや、一番悪いのはバイクを運転したわたしだし! あ、ちなみに先生、わたしちゃんと免許は持ってますし、一年以上乗っているので二人乗りも法的には問題ありません! バイクも一二五㏄ですし!」

「では、本学でバイク通学が禁止されていることは知っていましたか?」

 そこは、さすが学年主任といったところか。先生は落ち着きを取り戻して、夏樹に身体ごと向き直っている。その様子を見て、夏樹も少しは冷静になったらしい。

「知ってました。知ってて、染井さんを後ろに乗せました。……すみませんでした」

「そうですか」

 先生は少し考えるように俯き、それから二人を見た。

「今回のことについては校長先生や教頭先生、あなた方の担任の先生とも話し合って処分を決めます。二人は一旦、教室に戻って授業に参加するように。いいですね?」

 はい、とふたりは声を揃えて答えた。

「失礼しました」

「した」

 華が一礼し、夏樹も頭を下げて戸を閉める。

 ふたりは並んで管理棟から教室棟へ戻っていく。もう始業のチャイムは鳴っていたらしく、廊下には他の生徒の姿はなかった。ふたり分の上履きが廊下を歩む音だけが聞こえる。

 しばらくはどちらも口を利かず、黙々と歩いていたのだが、

「……どうして来てしまったんですか? 先輩は処分されずに済んだかもしれないのに」

 続く沈黙に耐えられず、華は責めるようにそう言ってしまった。

 自分は別に良かったのだ。バイクに乗せてもらう時に、いつかこういう日が来ると分かっていたから。それだけ自分の髪色が目立つことなんて、小さな頃から嫌というほど知っている。

 けれど夏樹はそうではない。どちらかというと高身長の部類に入るが、彼女と同じくらいの背丈で、黒髪のショートヘアの生徒なんて何人もいる。おまけにフルフェイスのヘルメットを着けていたのだ。華さえ黙っていれば、バレることはなかっただろうに。

 すると夏樹はだらしのない笑顔を浮かべた。

「いやあ、だってわたし先輩だし。ちょっとでも格好良くいたいじゃない? 染井さんがちゃんと認めてるのに、自分だけ隠れてコソコソするなんてできないよ」

 それに、と夏樹は頭の後ろで手を組む。

「バイク通学、初めてのことじゃないし。むしろ今回バレてちゃんと処分してもらった方が、気が咎めなくて済むよ」

「そうなんですか?」

「そりゃそうだよ。駅にバイク停めてるんだよ? この前みたいにバスが遅れた時なんかは普通に乗ってたよ。通学以外でも用があれば使ってたし。──だからさ、染井さんが自分を責める必要なんてないんだよ」

 夏樹はそう言って穏やかに笑った。

 ああ、と華は思う。

 どうしてこの人は自分の考えていることが分かるのだろうか。どうしてこんなに優しいのか。たまたま電車を乗り過ごした自分をこれだけ気遣ってくれるのか。ただの後輩のためにこうして駆けつけてくれるのか。

 華は夏樹に何か言いたかった。でも、喉の奥が詰まって上手く声が出せない。

「それにしても、染井さんって結構頑固なんだね。知らなかった」

 そんな華の様子に気づかず、夏樹はあっけらかんとそんなことを言う。

 ──本人は絶対に気づいていないと思う。そう言っていた佳果の勘は当たっているらしい。

「……そうなんですよ。覚えておいてくださいね」

 何とかそれだけ言うと、うん、と夏樹は頷いた。その優しい声に華はそれ以上何も言えなかった。

 ふたりはそのまま何も言葉を交わさず、黙々と歩き続けた。教室棟へ入り、階段のところまできて、華は階段を上っていく夏樹を見上げる。

「では、また放課後に部室で」

「うん、またね」

 踊り場の窓から差し込んでいる光が、夏樹を明るく照らしている。

 華はその眩しさに目を眇め、キュッと手を握り締めた。

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たそはかれ 空閑夜半 @yahan_k

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