第6話
予定していた土曜日はすぐに来た。天気にも恵まれて、比較的屋外での活動がしやすい気温だった。
夏樹は約束の三十分前に集合場所である駅の改札に着いていた。柱時計の周辺には疎らに人がおり、軽く周囲を見回してみたが顔見知りの姿はないようだった。少し早く来すぎたらしい。遅刻癖のある夏樹には快挙である。
やや迷ったが、夏樹は柱時計の真下で待つことにした。改札から出て正面だから相手に見つけてもらいやすい場所である。もう一度軽く周囲を見回した後、スマホを取り出して、暇つぶしにこれから行くファミレスのメニューを眺める。
それから数分ほど経って、声をかけられた。
「相沢先輩、こんにちは」
「……あ、染井さん。こんちはー」
顔を上げると、私服姿の華と思しき人物が立っていた。Tシャツにパーカー、アンクルパンツの下にスニーカーと地味な格好である。頭にはキャップを被り、髪は邪魔にならないようひとつに結ってある。動きやすさを重視したのだろうが、年頃の女の子にしては洒落っ気がなさすぎるような気がした。ただ着ている人間の素材がいいのか、野暮ったくは感じなかった。
華がリュックを片手に左右を見回す。
「まだ他には誰も来ていないんですか?」
「そうみたい」
辺りを窺っていた青い瞳が夏樹をふと捉えて、
「浦星先輩は一緒じゃないんですね」
いつも一緒にいることが多く、幼馴染だという話をしたからだろう。夏樹は、うん、と素直に頷く。
「出がけに忘れ物したみたいで、次の電車で来るって言ってたよ」
「そうなんですね」
華はあっさり納得した。それから少し躊躇いがちに
「あの、今日はありがとうございます」
「え、なに、突然」
華はかき分けるような仕草で前髪に触れている。
「待ち合わせにしようって提案してくださって……私が方向音痴だから、ですよね」
ああ、と夏樹は合点した。
「せっかくみんなで出かけるしね。待ち合わせの方が楽しいかなと思っただけだよ」
「そ、そうですか。……でも、あの、ありがとうございます。助かりました」
繰り返しお礼を言う華に、いいえー、と夏樹は軽く返した。
そんなやりとりをしていたら、改札の向こうから、小走り気味に誰かやってきた。
「夏樹ちゃーん、ごめーん、おまたせー」
佳果が少し大きな声で呼びかけて手を振ってくる。夏樹は、ああ、と顔を綻ばせた。
「おそよー」
「そよそよー」
いつもと真逆のやりとりにお互い軽く笑う。すぐ傍まで来てから、夏樹のそばにいる華に目を留めた。それからまじまじと見つめている。
「そんな見なくても。染井さんだよ」
「いや、わかってるけどさ、美人はシンプルな格好でもキマるなと思って」
佳果はじろじろと華を上から下まで舐めるように見ている。一方、華はぎこちなく、そんなことないです、と恐縮している。
「こらこら、よっちゃん。染井さん困ってるから」
夏樹が見かねて止めに入ると、佳果が驚いたように目を見開いた。
「困ってるって分かるんだ」
「え、そりゃー、フツーに……?」
「へー! へー! へー‼」
「なに、その反応」
思いもしない反応に夏樹は困惑する。佳果は、別にー、とはぐらかすように華を見る。
「染井さん、やったじゃん」
「え……?」
華が言葉の真意を取りかねたように言葉に詰まっていると、ピロン、ピロン、ピロンとスマホの通知音が立て続けに鳴る。佳果の反応の意味がよく分からないまま確認すると、部長から「先にファミレスにいる。メルメルも一緒」というメッセージが届いていた。きっと、ふたりも同じ内容だろう。
「……とりあえず、ファミレス行こっか」
佳果の提案に異議なしと二人は従った。
天川達と店で合流し、写真部は当初の予定通り、そこで昼食をとることにした。お昼時ということもあって店内は混んでいたが、天川達が席を取ってくれていたので、三人は待つことなく座ることができた。
「キミたちを迎えに行こうと思ったら、メルメルが中にいるんだもん。びびったわ」
「芽瑠です」
天川は朝から公園で撮影をしていたが、待ち合わせの時間が近づいたので、わざわざ駅まで戻ろうとしたそうだ。そこでファミレスの前を通った時、窓ガラス越しに水無川と目が合ったのだという。
「わたしは混むだろうと思って、早めに来て席を取っていました」
「早めにって何時頃に来たの?」
「十二時頃です」
佳果の質問に水無川は淡々と答える。天川とふたりでドリンクバーを頼んだらしく、水無川はメロンソーダを、天川は形容に悩む濁った色彩のジュースを飲んでいた。
それから各々好きなメニューを頼み、歓談し始めた。それまで知らなかったが、水無川はカメラ初心者というわけではなかったらしい。
「え、じゃあ経験者だったの?」
「経験者ってほどじゃないです。祖父が小さな写真館をやっていまして、その手伝いで少し触らせてもらったことがあるだけです」
へえ、と夏樹はやや驚く。今時、写真館なんて残っているのか。
そういえば、昔、商店街にもおじいさんがやっている写真屋があったが、夏樹が小学校へ入る前に閉店してしまった。確か、店を継いでくれる人がいなかったとか、そういう理由だったと思う。今はシャッターが閉まっていて、取り壊される様子も、人が出入りしている気配もない。
そんな話をしていたら頼んでいた料理が運ばれてきた。
食事をしながら一同は他愛のない話を続けていたが、隣の佳果はぼんやりと自分の前に置かれたパスタを見つめていた。
「よっちゃん、どっか具合悪い?」
夏樹が小声で尋ねると、はっと顔を上げる。
「あ、いや……。ちょっと考え事してて」
「考え事?」
夏樹は首を傾げる。佳果は慌てたように手を振る。
「えっと、ほら、今日は公園で撮影することになったけど、やっぱり学校で撮る練習もしておいた方が先々いいわけじゃない? だから、その根回しっていうのかな、そういうのを今後、あたしがしなきゃいけないんだなと思うと、ちょっと憂鬱で……」
ああ、と夏樹が頷く。
「確かに、屋外と屋内じゃ全然環境違うしねえ」
「そうそう」
「でもまあ、そこまで気負わなくても大丈夫だと思うよ? 事前に部長とか顧問の先生に許可もらって、部員にもちょっと伝えておいてもらえばいいだけなんだから。それくらいなら、わたしが全然行くし」
夏樹はそう言ってあっけらかんと笑う。佳果がほんの少し口元を綻ばせる。
「そうだね。冷静に考えたら、その辺は夏樹ちゃんに頼んじゃえばいいわけだし」
ね、と佳果は向かいに座る華に話しかけた。
「えっ、……ええ、そうですね」
華は突然話しかけられて驚いているようだ。それからそわそわと視線を左右に逸らし始めた。話しかけた佳果は微笑ましいものを見るように、目を細めている。
なんだろう、このふたり。
夏樹はなぜか自分が仲間外れにされているような気がして、少し疎外感を抱いた。
昼食をとり終えた五人はファミレスを出ると、天川の案内の下、森林公園へと移動し始めた。道中、夏樹は隣の水無川と、佳果は華と珍しく話をしていた。
「相沢先輩はどうして写真部に入ったんですか?」
さっきのふたりの反応が気になっていた夏樹が聞き耳を立てていると、水無川が尋ねてきた。
「え、わたし?」
「はい」
無表情な水無川がじっと夏樹を見上げてくる。その瞳の中に輝きを感じて、夏樹は彼女に期待されていることを悟った。が、とても後輩に話すような意味のある動機ではない。どうしたものかと思いつつ、がっかりしないでほしいんだけど、と前置きをする。
「わたしは写真にそこまで興味なかったんだよね」
「写真撮ってませんしね」
「そだね……。ただ、前の部長が誘ってくれて、それで」
「前の部長?」
うん、と夏樹は頷く。
「大角先輩っていうんだけど、新入部員勧誘のポスター見てたら、いきなり声かけてきて」
「星が好きなの?」と先輩は訊いてきた。
たまたま見ていたポスターが写真部のもので、そのポスターに使われていたのは星の軌跡を描いた写真だった。夏樹は北極星を中心に波紋のように広がる星々を、どこかで見たような気がしていた。多分、小学生の時に教科書か何かで。その時のことを思い出して眺めていた、ただそれだけだった。
「でも、前に見た時より、何か明るい気がするんですよね」
そう言ったら、先輩は顎に手を当てて、
「多分、それは長秒露出で撮ったものじゃないかな?」
「長秒露出?」
「そう。いわゆる一発撮りってやつで、長時間シャッターを開いたまま撮るの。途中でカメラがブレたり、星以外の光や雲が入っちゃったりしたら失敗。すっごい撮るの大変だし、ISO感度下げて撮るから、写る星の数が少なくなっちゃうの。あなたがその写真の方が明るいって感じたのは、多分そのせい」
「……よく分からないんですけど、このポスターの写真とは撮り方が違うってことですか?」
「そう」
「同じものを撮ったのに、そんなに変わるものなんですか?」
「もちろん。撮り方もそうだし、機材とか設定とか撮影する時の条件とかでも変わってくる。あとは、撮った人によっても違うかな」
「人によっても、ですか?」
「うん。だって、見えてるものも違うでしょ?」
そう言って先輩は笑っていた。
その後、高校生になったので、何か新しいことを始めたいと思っていることや、人数が多かったり上下関係が厳しかったりする部が苦手だという話をすると、
「それなら、うちの部にくればいいじゃん」
先輩は自信満々だった。
「うちの部って、今のところわたし含めて三人しかいないんだけど、どいつもこいつも団体行動に不向きなやつらでさー。部室行っても、わたししかいないから、めちゃくちゃ寂しいんだよね……。まあ、そんな感じだから、撮り方は当然わたしが教えるし、カメラも部にあるやつ使ってくれていいから。初期費用ゼロで、自分の好きな時に写真の撮り方を教えてもらえるって、なかなかお得だと思うよ? なんなら撮らなくてもいいし」
気が向いたら見学に来てね、と連絡先をもらってしまった。
ナンパみたいだと呆れつつも、まあ、少しくらいならと見学に行ったら、先輩はものすごく喜んでくれた。寂しいと言っていたのは、きっと本心だったのだろう。室内に他の部員の気配はなかった。
けれど、夏樹にはむしろそれが快適だった。先輩以外には誰もいないので、変に気を遣う必要もない。家と教室を往復していただけの生活に、少しだけ生まれた変化。
先輩は夏樹に入部を強要しなかった。それどころか、写真のこともカメラのことも、こちらから尋ねない限り、自分からは話さなかった。よく畳の上に転がって本を読んだり、座卓に向かって予習に取り組んだりしていた。言ってしまえば、ほとんど放置されていたわけだが、当時の夏樹にはその距離感がちょうど良かった。夏樹はますます写真部が気に入ってしまった。
「それでまあ、気づいたら入部届書いてたって感じなんだけど……なんか、全然ちゃんとした理由じゃなくてごめん」
夏樹が謝ると、水無川は首を横に振った。
「相沢先輩にとって写真部は、その先輩との思い出の場所なんですね」
「思い出って……ほとんど放置されてただけなんだけど」
苦笑いしながら、夏樹は内心、意外なことを言われたという気がしていた。
あの頃の部室が気に入っていたことは事実だが、思い出なんて大層なものではない。しかも、先輩が引退するまでの、ほんの数か月の出来事だ。思い入れなどあるはずもない。
水無川にもそう言おうと思ったが、浮かぶ言葉がどれも言い訳じみていて、口にするのが躊躇われた。結局、目的地に着くまでの間、ふたりの間にそれ以上の会話はなかった。
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