第4話

「本当にすみません」

 何度目だろう。さらさらと肩から流れ落ちる金糸。頭を下げる華の髪に気を取られつつも、夏樹は申し訳ない気持ちになっていた。

「こちらこそ勝手に盛り上がっちゃってごめん」

「そうそう。ちゃんとね、確認すればよかったのに、ほんとにごめんね」

 夏樹と佳果が謝る華を宥める。しかし、

「いや、でもさ、二人で一緒に来たら、それはもうそうだと思っちゃうよね?」

 それをよしとしない天川が口を尖らせながら横槍を入れてくる。

 佳果は必要以上ににこやかに振り返った。

「部長?」

「廃部寸前だって話をオリエンテーションでしてたわけだし、そんな部に顔を出したら、期待されちゃうのも無理からんことというかね?」

「部長、やめてください」

「その辺の認識がさー、少し甘いところがあなたにもあったよね。うん、うん。しょうがないからさ、責任取って入部しよ? ね?」

「おい、やめろ」

「よっちゃん、落ち着いて」

 佳果がドスの利いた声を出し始めたので、夏樹はいよいよ慌てた。目を丸くして佳果を見ている華にぎこちなく笑いかける。

「染井さんだっけ? あのね、本当に気にしなくていいから。あ、よければ校門まで送ろうか? うちって無駄に広いから移動も大変でしょ?」

 そう言って部長の魔の手から逃がそうとしたのだが、華は少し考えるようにやや俯き、いえ、と首を横に振った。

「確かに部長さんのおっしゃることにも一理あります。新入生が二人連れで来たら、私も誤解すると思いますし。変に期待をさせるような訪ね方をして、申し訳ありませんでした」

「ほほう、なかなか話の分かる子だねえ」

「染井さん、ほんとに気にしなくていいから」

 にやりと口角を上げる天川を、佳果が睨みつける。

 しかし、華は眉尻を下げているものの、いたって冷静に、先程まで何度も頭を下げていた少女とは思えないほど、落ち着いた様子で天川を見ていた。

「なので、しばらく仮入部をさせてもらえませんか?」

「仮入部?」

 はい、と華は頷く。

「責任を取って入部というのもみなさんに不誠実ですし、部活動をするかどうかもまだ決めていない状態でしたので、少し考える時間が欲しいんです。もちろん、活動に興味を持てたその時は改めて入部します」

「不誠実でいいから入部してよぉ!」

「部長……」

 佳果が額を押さえる。ここまで情けない姿を曝け出せる上級生に頭が痛むらしい。しかし、夏樹はそれほどなりふり構わず、新入生を勧誘できることに呆れを通り越して感動すらし始めていた。

 そんな不甲斐ない上級生たちのやりとりを見てか、思わぬところから声が上がった。

「いいんじゃないですか、仮入部」

 それまで──入部希望であることを告げてから──華の隣で沈黙を守っていた水無川が突如口を開いた。

「まずは体験してみないことには、面白いかどうかも分からないと思います。仮入部で写真部の魅力を知って頂きましょう」

 水無川は隣に向き直り、華の手を握った。

「ようこそ、写真部へ」

「あ、はい」

「なに、この子……」

 自分の言うべき台詞をすべて取られた天川は、勢いを削がれ大人しくなっている。佳果もぽかんとしている。

 しばしの沈黙。

「……ふ、ふふふっ、あはははは」

「夏樹ちゃん?」

 最初にその沈黙を破ったのは夏樹だった。

「いやあ、水無川さんに全部持ってかれちゃいましたね、部長」

「うるへー」

 ふてくされたように唇を突き出す天川をまあまあと宥め、夏樹は佳果に振り返る。佳果は未だに状況について行けず目を瞠っている。

「仮入部、本人がやりたいって言ってくれてるんだから、いいんじゃないかとわたしは思うんだけど、どうかな?」

「え、いやあ、いいのかなあ……」

 未だに悩む佳果に、華が力強く頷く。

「いいです。やりたいです、仮入部」

「うーん……何か言わせちゃってる感が拭えないけど、まあ、そこまで言ってくれるなら……是非、お願いします」

「はい。こちらこそ、お願いします」

 ぱちぱちぱち。

 水無川が華の手を離し、おもちゃの人形みたいに拍手をし始めた。

「いや、ほんと、なんなのこの子」

「入部希望です」

 水無川は間髪入れず無表情でそう言った。



「そういえば、相沢先輩はどうしてあんな時間に駅にいたんですか?」

「え、わたし?」

 話し合いが終わり、写真部が揃って家路につくバスの中。

 夏樹は隣に座る華から、昨日、始業には間に合わない時間に登校していた理由を尋ねられていた。

「もしかして、具合が悪かったんじゃ……」

 心配そうに眉根を寄せる華に、いやあ、と夏樹は苦笑する。

「普通に寝坊して、ご飯食べてたらあの時間になっただけだよ」

「そ、そうですか……」

 少女は気まずそうに膝へ視線を落とす。答えた後で明け透けすぎたかと思ったが、曖昧な返事をして変に心配されても居心地が悪い。ただ先輩としての威厳は地に落ちたかもしれないが。

「なになに、何の話?」

 その話題に外野から食いついてきたのは、前の座席に座っていた天川だった。夏樹は以前佳果に説明した内容をより大雑把に説明した。

 天川はふんふんと何度か頷くと、ふと真剣な顔をして、

「吹き曝しのホームに金色の髪をなびかせる美少女か……なかなか絵になりそうだね」

「あー、確かに」

 天川の隣に座った佳果がそれに賛同する。

「染井さん写真映えしそうだから被写体にしたくなるよね。ね、夏樹ちゃん」

「うん?」

 急に話題が戻ってきて、夏樹は反応が遅れた。その様子を見て天川は、やれやれと首を横に振った。

「ナツキチ、お前は本当に人に関心がないやつだな。撮らなくてもいいが、ちょっとは興味を持ってみたらどうだ」

「えー、まあ、考えておきます」

 ははは、と夏樹は乾いた笑いを漏らす。こういう時は反論しない方が話は早く終わる。

 そう思っていたのだが、今日は問屋が卸してくれなかった。

「天川部長、人に興味がないなら風景や物体の撮影でもいいと思うのですが、なぜ相沢先輩に撮らなくてもいいなどと言うのですか? 写真部に所属している以上、何らかの活動は必要ではないでしょうか?」

 通路を挟んで夏樹の隣に座った水無川が話に参加してきた。

「メルメル、良いところに気がついたな」

「メルメルではありません。芽瑠です」

「メルメル」

「芽瑠です」

 下らないやりとりを一通り交えると、天川はわざとらしく咳払いをする。

「確かにナツキチは写真部なのに写真を撮らない。それは先代の部長から強要しないよう言われているからだ」

「それは優遇じゃないですか」

「優遇ではない。遺言だ」

「いや、勝手に殺さないでください」

 佳果が呆れたような声を出す。そんな副部長の言葉を聞き慣れた様子で聞き流し、

「とにかく、だ」

 きっぱりと言い直すと、天川は意味ありげな目で夏樹を見る。

「ナツキチはいずれ撮るさ。それも人物写真をね」

 人物写真。夏樹は頭の中で繰り返した。人物写真を撮る、自分が。

 失笑しそうになって、寸でのところで堪えた。何をばかげたことを言うのだろう。人の顔を覚えられない自分が、人物写真なんて。

 夏樹は数日前のことを思い出す。

 遠縁の親戚が結婚したということで、母親が式の写真を見せてきたのだ。

「あんた、梢ちゃんに遊んでもらったことあったでしょ」

 そう言って写真を見せてくるのだが、花嫁の写真はドレス姿で認識できるだけで、肝心の梢ちゃんがどんな人だったのか思い出せなかった。

「覚えてないよ」

 夏樹は正直にそう母親に言った。顔の分からない新郎新婦の写真なんて、いつまでも見ていられるほど面白いものでもない。

 母親はため息をついた。

「あんた、あんなに良くしてもらったのに……冷たい子だね」

 何度も言われてきた言葉に、今さら反論しようとは思わなかった。

 夏樹は物心ついた時から、人の顔を覚えるのが苦手だった。目や鼻、口などといった一部分は認識できるのだが、ひとりの人間の顔として覚えようとすると急にぼやけてしまって思い浮かべることができない。

 それは、見ず知らずの他人だけでなく、幼馴染の佳果、自身の母親に対しても同じことであった。自分の顔すら、鏡を見ても自分の顔だという認識が薄い。まるで知らない誰かが立っているような感覚。誰に説明しても理解してもらえることなんてなかった。

 おかげで子供の頃から、人を覚えることも、相手がどう感じているのか表情を読み取ることもできず、色々な場面で苦労してきた。

 ──そんな自分が人物写真だって?

 本当にばかげている。夏樹は心の中でそう繰り返しながら、曖昧に笑った。

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