第3話

「だから、すみませんって……」

 自分たちの出番が終わって部室に引き上げた夏樹は、眉を吊り上げた上級生に頭を下げていた。

「いいや、許さないね! ナツキチ、お前はやってはならないことをやったんだ! それも、二度も!」

「二度……? 後半以外に何かしましたっけ?」

 夏樹が首を傾げると、上級生こと写真部部長・天川千草あまかわちぐさは椅子から立ち上がり、烈火のごとく怒り狂った。

「もう忘れたのか⁉ 写真部が降格寸前ってやつだよ!」

「ああー、あれですね」

「ああー、じゃないよ! これで新入生に、我が部は過疎りまくってることがバレてしまったじゃないか! 何たる失態! 何たる屈辱‼」

「過疎ってるのは事実じゃないですか」

「事実なら尚の事、人を呼び込まねばならんのだ! このままでは新聞部の二の舞になってしまう!」

 はあ、と夏樹は大人しく頷く。自分でも良い発表ではなかったと思っているので、謝る以外にできることがない。

 天川の言う二の舞とは、昨年新聞部が人員不足により、部から同好会に格下げとなったことを指している。名称こそは新聞部のままだが、予算審議委員会の際、各部に配布される進行予定表には部と区別するため、同好会は名前の後ろに※が付けられることになっている。これにより、他の部にも格下げの事実を知られてしまうのだった。

 これは小中規模の部に所属する生徒たちから、弱小部として嘲笑と迫害の的にされるために付けられた現代の緋文字、らしい。あくまで天川の私見である。

 ちなみに、新聞部と写真部は部長同士が反目し合っており、新聞部の格下げを知った天川はいち早く新聞部の部室へと赴き、語彙の限りを尽くして新聞部を嘲ってきたそうだ。つまり、今年写真部が同好会落ちすると、新聞部の部長が写真部を嗤いにくるのではないかと危惧しているのである。完全に自業自得だった。

「まあまあ、部長。確かに夏樹ちゃんの話はちょっとアレでしたけど、当日に無茶振りをしたあたし達にも責任がありますって」

 佳果が天川を宥める。



 今朝、夏樹は昨日よりも一時間以上早い電車に乗って登校した。

 予定されていた学力テストが終わり、早々に帰り支度を始めた夏樹を、佳果は両肩を掴み引き留めた。

「夏樹ちゃん、その様子だとすっかりお忘れのようだね」

「え? 今日はテスト受けておしまいじゃなかったっけ?」

 夏樹の言葉に、佳果はゆっくりと首を振る。

「今日は新入生のオリエンテーションがあるのだよ。そこでは部活動紹介も予定されていて、我々写真部にも時間を与えられているってわけ」

 なるほど、と夏樹は納得した。

 夏樹と佳果は同じ写真部に所属している。所属といっても、夏樹は人数合わせの部員であり、部室へは暇つぶしに立ち寄るくらいで、写真ひとつまともに撮ったことがない。当時の部長にはそれでいいと言われたし、今の部長からも写真を撮るよう強要されたことはないので、好きにさせてもらっている。

 だが、現在写真部の部員数は夏樹を含めて三名。部として活動するためには最低五名必要なので、今年新入部員を二名確保しなければならない。できなかった場合、写真部は同好会に格下げとなり、年間予算も半分以下になる。

 それを防ぐためには、まず新入生に認知してもらい、興味を引く必要がある。つまり新入生オリエンテーションは、写真部にとってまたとない好機なのだ。

 夏樹は人差し指を立てる。

「少しでも写真部が盛り上がっているように見せるために、わたしも出なくちゃいけないってことだね!」

「ザッツライッ! ……って、このやりとり昨日もしたはずなんだけどなー?」

「おやおやおやー?」

 夏樹は佳果と和やかに微笑み合う。……なんかそんなこと言ってたような気がする。

「そういうことですので、今日はこのまま部室に連行しまーす」

「あーれー」

 背中を押されながら夏樹は教室を出た。一度昇降口で下靴に履き替え、佳果に言われるまま部室棟へと向かう。

 同じように部室棟を目指す生徒たちが横を走り抜けていく。その後ろ姿を見送り、夏樹は隣に振り返った。

「わたしたちは急がなくても大丈夫なの?」

「うん。文化部は運動部の後だから、まだ結構時間あるよ。部活動紹介の前に生徒会が三十分くらい使うらしいし、あと一時間くらいは部室で待機かな」

 佳果は鞄から進行予定表を取り出す。

 各部持ち時間は三分。運動部が十七、文化部が二十二、発表順はそれぞれ五十音順で、先に運動部からの発表となる。ちなみに写真部は二十八番目だ。

「……今だけ名前、アートフォトグラフィック部に変えない? 副部長権限で」

「副部長の一存では何ともならないかなー」

 佳果が苦笑する。現在、写真部には三年生が一名しかおらず、不良部員に任せるわけにもいかないため、自動的に佳果が副部長に就任している。

「順番近くなったら、生徒会の人が呼びに来るんだって。それまで我々は発表の打ち合わせといきましょう」

「え、発表の内容、まだ考えてないの?」

 驚く夏樹に、ううん、と副部長は首を振る。

「どういうこと言うかは書き出してるんだけど、あたしも部長もあがり症だからねー。喋りは我が部の切り札、夏樹大先生にお任せしようということになったのだよ」

「……うっ、持病の癪が」

「わあ、大変。早く部室で休まないと」

 腹部を押さえる夏樹の腕を、佳果はぐいぐいと引っ張っていく。その容赦のなさに内心苦笑していたら、ごめんね、と佳果が困ったような顔で振り返った。

「夏樹ちゃんも目立つの好きじゃないのは分かってるんだけど、あたし達だけじゃ、カンペ用意してもちゃんとできる気がしなくて……。こんな騙し討ちみたいな真似して、頼むのはずるいんだけどね。どうしても今日の発表、成功させたいんだ」

 佳果は引っ張っていた腕を離し、夏樹に向き直る。

「お願い、夏樹ちゃん。頼まれてくれないかな?」

 その真剣な目で見上げられて、夏樹は少したじろぐ。

 おそらく、ぎりぎりまで打ち明けなかったのは、事前に話していたら夏樹が逃げる可能性があったからだ。日頃の不真面目な態度を見ていればそう思われて当然だし、元から積極的に部活動に参加していたわけでもない。

 身から出た錆とはいえ、そこまで信用されていないのかとやや胸が痛んだ。だが、その傷は自業自得によるものだ。それが嫌なら自分で態度を改めるしかない。

「平部員のわたしが、副部長様の頼みを無下に断れるわけないじゃないですかー」

 おどけてそう言うと、佳果の目が細くなった。

「うふ、知ってるー」

「あ、こいつー」

 うふふ、あはは、とふたりは部室棟に向かって走っていく。が、体力にはあまり自信がない写真部二名。すぐに疲れて歩き始めた。

 入り口にたどり着いたところで、ふと何かを思い出したように佳果が見上げてくる。

「ところで、夏樹ちゃん」

「んー?」

「持病の癪って、どんな病気?」

「……膵炎、とかかな。あ、購買でお昼買ってきてもいい?」

「もちのろんさー」



 そんなやり取りを経て、発表を引き受けることになったのだが、天川は納得しなかった。

「だって!」

「だって、じゃありませんよ。むしろ、一時間でよくやってくれたじゃないですか。あたし達がやっても、ぼそぼそ喋って何言ってるか分かんない感じになってただろうし、そう考えれば堂々とした発表だったじゃないですか」

「でも!」

「でも、と言いたくなる気持ちはもちろん分かりますよ。ただ、スマホの話が出た時に反応してた子もいたんですよね。日頃スマホで撮ってる人には、興味深い話だったのかもしれません。部長だって、スマホをサブカメラにしてるわけですし」

「うっ……」

 勢いが削がれてきた天川に、ずずいと佳果が距離を詰める。

「変に肩肘を張って、『一眼こそ至高!』みたいなこと言ってスマホ愛用者の反感を買うより、こうやって撮ると一眼と遜色ない写真が撮れるんですよー、みたいな話をした方が絶対食いつき良いですって」

「なら、なぜそれをさっきやらなかったんだ⁉」

「いやー、夏樹ちゃんの話聞いてて思いついたので。来年やりますね」

「キエエエエエ!」

 奇声を上げて天川が机に突っ伏し、ジタバタと暴れ始める。

「部長も納得してくれたことだし、お茶でも飲もうかな。夏樹ちゃんもいる?」

「あ、うん」

 夏樹が呆気に取られていると、佳果は慣れた様子で急須と茶筒を取り出している。

 それぞれ愛用の湯飲みやマグカップを用意し、戸棚に佳果が常備しているお菓子を並べ始めた頃には、天川も暴れるのに飽きたようで大人しくなっていた。



 散々校内で迷い、何とか部室棟にたどり着いた時には、時計は十七時を過ぎていた。しかし着いたはいいものの、部活生でもない人間が無断で立ち入っていいものか、華は部室棟の外階段の前で逡巡していた。

「上らないんですか?」

 背後から声をかけられて振り返ると、同じクラスの水無川が立っていた。

どうして、ここに。

そうと問いかけようとして、ふと昼の会話を思い出す。彼女は写真部に入部すると言っていたではないか。

「もしかして、水無川さんも写真部に?」

 水無川は、ええ、と短く答える。と、何か気づいたように華の顔をまじまじと見つめた。

「『も』?」

「あ、私もちょっと用があって……」

「そうですか」

 何となく言葉を濁してしまったが、水無川はそれほど興味がないらしく、華の横を通り過ぎると、さっさと階段を上り始めてしまう。

 まだ入部届すら出していないのに、新入生が入っていいものなのだろうか。

 そう頭の隅で考えながらも、華は慌てて水無川の後を追う。ひとりで入る勇気がなかったので、ほっとしている自分が少し情けなかった。

 水無川はそのまま振り返りもせず、どんどん階段を上っていく。あっという間に四階に到達すると、躊躇う様子もなく奥へと進んでいく。華もその後に続くと、先程のオリエンテーションで聞いていた通り、最奥に「写真部」の札が下げられた一室があった。外には紹介で言っていた通り何枚かの写真が飾られており、中からは微かに話し声が聞こえる。

 とうとう来てしまった。

 華は身の内で、鼓動が高鳴っていくのを感じていた。このドアの向こうに、昨日自分を助けてくれた彼女がいる。

 思いのほか早く訪れた再会を前に、華はほんの僅かな躊躇いを感じていた。急に押しかけて迷惑ではないだろうか。そんな思考が一瞬、頭を過る。

「失礼します」

 その隣から水無川の手がすっと伸び、ノックもなしにドアを開け放たれた。数秒遅れて事態を理解した華は「ちょ、」と思わず水無川の肩を掴む。

 しかし、その時にはもう半分以上開いており、ドアの向こうからこちらに振り返った瞳が、華の視線とぶつかった。

「あ……」

 間違えようがない。華は一瞬でそれが彼女だと気づいた。と同時に、頬から耳、首にかけてぞわぞわとした感覚が広がっていく。鏡を見なくても、頬が熱を持っていくのが分かった。

 何か、何か言わなくては。

 華は慌てて口を開く。

「あ、あの、」

「一年八組、水無川芽瑠。入部希望です。よろしくお願いします」

 華の様子など眼中にない水無川が、手短に述べ、ぺこりと頭を下げた。

 開いたドアの向こう、和室で座卓を囲んでにいた三名の生徒が、ぽかんとこちらを見つめている。

 最初に動いたのは、正面にいた黒髪のポニーテールの生徒だった。

「あ、ドッキリ?」

「ドッキリじゃないです。入部希望です」

 水無川の簡潔な返答に、未だ状況を掴めていないポニーテールの生徒は、そっか、と言ってそのまま口を閉ざしてしまう。

 しばしの沈黙。

「「「ええっ⁉」」」

 室内にいた三人の声が揃う。そのボリュームに華の肩が跳ねた。

 続いてポニーテールの絶叫。

「マジマジマジ⁉ マジマジのマジ⁉」

「マジマジのマジです」

「マジマジのマジだって! やべー‼」

 ポニーテールが興奮して、座卓に半分のしかかりながら他の二人に抱き着く。

「ぐえっ!」

 彼女はくぐもった声を出した。一方、

「あらー。まあ、立ち話もなんだから、入って入って」

 くせ毛で茶髪の生徒はポニーテールを押し退けながら、華たちに手招きをする。水無川が言われるがまま入って行くので、華は困惑しつつもそれに倣った。

「とりあえず、これに座って」

 用意してくれた座布団に並んで腰を下ろすと、くせ毛の生徒も自分の場所に戻った。

「じゃあ、まず自己紹介から。──あたしは浦星佳果って言います。二年で、一応副部長をやらせてもらってます」

 それと、と彼女は隣のポニーテールの生徒を手で示す。

「この情緒がちょっと不安定な人が、三年で部長の天川千草さんです。で、そっちは相沢夏樹さん。あたしと同じ二年生です」

 紹介されたポニーテールこと天川は、ようやく彼女──夏樹を離して正面に座り直す。解放された夏樹は首を擦り、ふと華を見た。一瞬緊張が高まったが、その視線はどこか怪訝な色をしている。

 華は一抹の不安を感じながら、あの、と切り出した。

「昨日は、ありがとうございました。おかげで入学式に間に合いました」

 その言葉を聞いて、夏樹の目がゆっくりと見開かれる。

「ああ、やっぱり!」

 その顔に朗らかな笑みが浮かぶ。

「ちゃんと間に合ったんだね。よかったー」

 よっちゃん、と夏樹は佳果に声をかける。

「この子、昨日話した子だよ。ほら、駅で会ったっていう」

「あ、やっぱりか」

 佳果は華と夏樹を交互に見た。

「金髪って言ってたから、もしかして、とは思ったんだけど。夏樹ちゃんの反応が微妙なんだもん」

「いやー、十中八九そうじゃないかとは思ってたんだけど、万一間違ってたら、何この人……ってなっちゃうなーとか考えちゃって」

 夏樹は、照れくさそうに頬を掻いている。華は困惑してふたりを見たが、口を開くより先に、夏樹があっけらかんと笑う。

「それにしても、あなたも写真部に入ってくれるとはねー。何だか、運命的なものを感じるなあ」

 ワンテンポ遅れて、え、と華は声を出した。にこにこと微笑む三人を見て、華はようやくとんでもない誤解が生まれていることに気がついた。

「あ、あの、違うんです」

「うん?」

「私は、その、昨日のお礼を言いに来ただけで……」

「……えっ」

 夏樹の呟きに続いて、再び沈黙。三人の顔から小波のように笑みが引き、それに比例して室内が暗くなっていく。

 沈黙に耐えられず、すみません、と華は頭を下げた。

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