第119話 勇者と偶像
*神谷ヒカリの視点
それは私が12歳の頃の話。当時から小学生アイドルとして全国デビューしていた私は、とあるテレビ番組のオファーを受けた。
「実は、勇者の一族という方々がいまして。今度のテレビでその方々の生活をドキュメンタリーとして放送したいと考えているんです。」
勇者の一族。それは幼い私も聞いたことのある、山奥に住んでいるとされる一族のことだ。だけど私は実在するとは思っていなかった。勇者だなんて、クラスの男の子がいかにも好きそうな、作り話だと思っていた。
「もちろんお受けしますわ。私の子が、そんな素晴らしいオファーを断るなんてあり得ませんもの。ね、ヒカリ?」
「……うん。」
私はシングルマザーの家庭に生まれた。パパは冒険者だったらしく、私が生まれる前にダンジョンの中で殉職したのだとか。
「今日は頼みますよ、神谷ヒカリさん。今やあなたは数ある大人達にも引けを取らないトップスターなのですから。」
取材当日、サングラスをかけたおじさんにそう言われた。私は彼の言葉に、愛想よく答えるしかなかった。それ以外の答えを知らなかった。
「着きました。ここが勇者の……。」
その日はやけに暑い夏の日だった。今でも覚えている。サングラスをかけたおじさん、共演者の女優さん、番組スタッフ、そして幼い私。その場の全員を圧倒するような、そんな存在を。
「よくおいでくださいました。私は先代勇者にして勇者の一族の家長の、安倍 天海です。今日はよろしくお願いします。」
まず、共演者の女優さんが倒れた。次に機材を持っていたスタッフが次々と意識を失った。最後まで立っていられたのは私とサングラスのおじさんだけだった。
「よ、よろしく……お願い……し、します……。」
サングラスのおじさんは震えた声だった。私も恐怖を感じていた。いつだったか、人は圧倒的なレベル差を持つ相手を前にすると恐怖を感じるのだという話を聞いた気がする。今思えばアレがそうだったのだろう。アレは本能的な恐怖だった。私が意識を失わなかったのは、齢12歳にしてレベルが4もあったからだろう。だから耐えられた。逆に、ほとんどのレベル1や2の人達は耐えられずに失神してしまった。
「どうぞ気を楽にしてください。まずはその方々と一緒に、屋敷の中へ。」
安倍 天海と名乗った男性が手をひと振すると、気絶した人々が宙に浮いて次々と屋敷の中へと運び込まれていった。
「正直、私達としてはありのままの生活を見てもらえればと思っています。取り繕う気は一切ありません。」
屋敷の客間に通された私とサングラスをかけたおじさんは、安倍 天海さんと打ち合わせをした。その内容はあんまり覚えていないけど、ただ少しだけ鮮明に残った記憶がある。
「そういえば、私には娘がおりまして。ちょうどそこのお嬢さんの……お嬢さんと同じくらいの年の子です。勇者の一族は浮世離れしていますので、あの子には友達がいないんです。良ければ後で会いに行ってあげてください。」
それから私と目覚めた女優さんは、何事もなく取材を始めた。勇者の屋敷が非常に広大なことや、勇者の歴史について話を聞かせてもらったりした。女優さんはまだぎこちなかったけど、私はいつもの調子を取り戻して無邪気な子供を演じることができていた。
そうだ。私はずっと演じ続けてきた。
家では、ママに従順ないい子を。
クラスでは、明るくて誰にでも優しい優等生を。
テレビでは、みんなのアイドルを。
ずっとずっと、演じ続けてきた。その中に本物の私なんてなかった。仮面をつけ変えているだけに過ぎなかった。だけど、私はこういう生き物なんだと、どこか諦観していた。この日までは。
「ほら、あそこの庭にいるだろう。あの子が私の娘の、奏明だ。良ければ遊んでやってくれないか。」
安倍 天海さんは、休憩時間中に私に頼んできた。私は彼のお願いを了承し、中庭の女の子へ声をかけにいった。
「ねぇ、なにしてるの?」
私の声にビクリと肩を震わせて、その子は振り返った。華奢な、可愛らしい女の子だった。クリーム色と呼べる、美しい髪と整った顔立ち。幼さを残しつつどこか儚げな、そんな少女。
「だれ……?」
それが、私と奏明ちゃんのファーストコンタクトだった。彼女は極度の人見知りだったけど、私は持ち前の明るさでその心を掴むことができた。休憩時間が終わるまで私達は、2人で花を見つめたり、他愛もない会話をして親睦を深め合った。
「私達は自前のダンジョンを所有しておりまして。普段はこちらで修行をしているのです。では、本日は特別にその様子をお見せしますね。」
一般人がダンジョンに入る機会は稀だ。私はもちろん、共演者やスタッフの誰しもが、ダンジョンというものを知らなかった。
「これは迷宮型ダンジョンと言いまして……。」
安倍 天海さんの話を聞きながら、私達はダンジョンを進む。茶色い壁、天井、床。苔むした臭いと、薄暗い視界。なによりあちこちから放たれる殺意のようなものが、私の気分を蝕んだ。
「見てください。ちょうど私の自慢の息子が修行をしています。」
ダンジョンの奥で、巨大なモンスターと男の人が戦っている。かなり離れているのに、衝撃波がこっちまで伝わってきそうだった。
「もう少し近づいてみましょうか。」
安倍 天海さんは私達の背後に忍び寄っていたモンスターを一撃で屠るとら何事もなかったかのように言った。戦々恐々としながらも同意し、近づこうとした次の瞬間のことだった。
「ッ! まずい!」
その時、なにが起きたのかは正確には分からなかった。視界が歪んで、天地がひっくり返って、落下して、ぶつかって……。あと、知らない人が、見たことない不気味な、フードを被った人が一瞬見えた気がした。だけど輪郭があやふやで、あまり覚えていない。確かなことは、目覚めるとそこには私以外誰もいなかったということだけだった。
「あの……。」
私の声はダンジョンに虚しく反響する。しかし誰も来る様子はない。その時、私は状況を理解して泣きそうになった。だけど泣けばその声を聞きつけてモンスターがやってくるかもしれないと考え、無理矢理私は涙を抑えた。
そしてそれから、私はダンジョンの通路の隅でじっとすることにした。それがほんの数分のことだったのか、あるいは数時間のことだったのか、定かではない。
しばらくして、私は足音を聞いた。初めは誰かが助けに来たのだと思った。だけど足音が近づいてくるにつれ、それが人間のものではないことが分かった。私は走って逃げ出した。
だけど当然、追いつかれた。私を追いかけていたのは人より大きなカマキリのようなモンスターだった。そいつの足は私よりも速かった。
「こ、来ないで!」
私は走りながらそう叫んだ。だけど返ってきたのは巨大な鎌によるひと振りだった。私はそれを転がるようにして回避し、それから隙だらけの体に向かって蹴りを入れた。
「シャアアア!」
レベル4は、世間一般的には軍人を凌駕する身体能力を持つとされている。そんなレベル4の私の攻撃も、モンスターには通用しなかった。
「こ、来ないでよ……。」
私はその場にへたり込んだ。腰が抜けたんだ。だけど逃げなきゃと思って、這ってモンスターの攻撃を躱しながら先へ進んだ。
もちろんそんな状態でいつまでも無事でいられるわけもなく、ついに鎌が私の太ももに突き刺さる。生まれて初めての激痛に、涙が出たのを覚えている。
「や、やめて……。」
目の前で太ももから鎌が抜かれ、おびただしいほど出血する。そして血に濡れた鎌が再び私に振り下ろされようとしていた。その時の私は、死にたくないという思いでいっぱいだった。
死にたくなかった。どうしても死にたくなかった。例え意味を見出だせない人生だったとしても、死にたくなかった。どれが本当の自分なのか分からなくても、この先に希望がなかったとしても、それでも私は死にたくなかった。とにかくなんとしてでも私は、死にたくなかった。
「やめろよォォォォォッ!」
絶叫だった。シャウトだった。生まれてこのかた1度たりとも発したことのないような、魂の叫びだった。もしあの時の私がスクープに取り上げられていたなら、イメージダウンは免れられなかっただろう。しかしその魂の叫びは、私の顔にへばりついていた偽りの仮面を剥がしてくれた。
圧倒的な恐怖を前に、人は演技などしていられない。上っ面では保てない。根源的な恐怖を前に、神谷ヒカリという
それが私の、初めてのスキルの発現だった。
「……?」
私は鎌が振り下ろされた。しかし痛みはない。傷もない。理由は分からない。ただ、その時私は感覚的にスキルを発動したように思った。レベル4にもなってスキルが1つも発現しない特異体質だった私の、初めてのスキル。直感的に開いたステータス画面には、私の発現したスキルの名前が書いてあった。
「〈ファンの応援〉……?」
〈ファンの応援〉。効果はシンプル。自身の受けるダメージを近くにいるファンに肩代わりさせられるというものだ。
「もしかして……! おーい!」
私は1つの可能性に賭けて、思いっきり声を出した。すると何者かがダンジョンの中を走る音がしたんだ。
「〈ゆうしゃのいちげき〉」
現れたのは、中庭で遊んだあの女の子だった。美しい髪をたなびかせ、金色の剣を携えてやってきた。彼女が剣を振るうと、モンスターは一撃で死んでしまった。
「あなたは……。」
その子は出血していた。つい先程攻撃を受けたばかりといった様子。すぐにこの子が私の攻撃を肩代わりしてくれたのだと分かった。
「奏明ちゃん……。」
それから私はその子に手を引かれるまま、ダンジョンの外に脱出することができた。外に出るとたくさんの大人の人が来ていて、取材は中止と言われた。後日聞いた話なのだが、アレは何者かの襲撃によって起こされた事件らしい。だけど私は、そんなことにはあまり興味がなかった。その時の私の興味を惹いていたのは、私を助けてくれた彼女だけだった。
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