第92話 死の胎動

「ってことで~、なんか俺の冷蔵庫の中身がなくなってたんすよ~。」


「冷蔵庫の中身が? それは大変だ。」


 俺はバンキング学長を訪ね、学長室に来ていた。案の定学長はそこで事務仕事をしていたので、俺は部屋に失礼してお金をせびった。


「で~、なんか今日町に行ったら財布落としちゃって~。」


「財布を? それも実に大変だ。」


「だから~、ちょーっとでいいからお金くれないかなーなんて思ったり~?」


「……言いたいことは分かった。安心しなさい。私は君の味方であり保護者だ。金銭は支給しよう。」


 やったぜ。


「その代わりというわけではないのだが、ちょっと君に話したいことがあってね。まぁ、立っていないで座りなさい。」


 俺に話したいこと? バンキング学長が? なんだろう?


「うーん、どこから話したものか。そうだな。君、今のところ一応ここの学生だろう?」


「えっ、あ、はい。そうっすけど。」


「学生ということは将来冒険者を目指しているという認識でいいかな?」


 将来か。考えたこともなかった……けど、せっかく日本有数の冒険者養成高校に入学できたんだし、冒険者になろうかなぁ。いや、でも公安も結構カッコよかったしなぁ。


「うーん、まだ悩んでます。」


「そうか。いやなに、その、大した話ではないのだがね。もし君が望むなら、山を貸しだそうと思ってね。」


 山?


「ギラは学園外にいくつも土地を所有している。そのうちの1つに、山がある。名前のない、小さな山だ。そこを夏休みの間だけ君に貸して、修行をしてもらおうと思っているのだよ。」


「や、山で修行っすか?」


「そうだ。君の同級生に羽山 風舞という生徒がいただろう。彼女は魔王騒動の後、復学まで山に籠っていた。私が精神的な療養になればいいと思って貸し出したんだ。」


「なるほど。だから羽山あんなに強くなってたんすね。」


「いや、それが……だね。さっきも言ったが、私は精神的な療養になればと思ってそこを貸し出したのだ。が、なぜか結構強くなって帰ってきた。」


「そ、それって……?」


「ギラの所有している山で修行すると、なぜか強くなれるらしい。だが理由は不明だ。君にはこの理由を調査してきてほしい。あと単純に強くなってきてほしい。」


 お、おつかいってコト!? 


「ま、まぁそれは全然構わないんですけど、どうして俺に強くなってほしいんですか?」


「10月に、京都の冒険者養成高校との合同合宿がある。実力を互いに高め合う目的でな。それで、実戦形式の催しがあるのだが、正直言って勝ちたい。勝った方が世間の評判に繋がるからだ。」


 な、なんて利益的な考え方だ!


「君をギラに入学させたのも話題性の確保のためだった。だが話題というのは移り行くものだ。」


「ギラなら八英戦でめちゃくちゃ注目されてるじゃないっすか。」


「それはそうだが、同業者に負けるわけにはいかないだろう。負ければギラの評判を下げることにもなる。どうしても勝たなくてはならないのだ。」


 ええー。うーん、でもまぁ分からなくもないけど。


「京都の高校と合宿をするのは1年生だけだ。そして今の時期暇してる1年生はあまり多くない。君にしか頼めないんだ。」


「もー、分かりましたよ。でもお金はくださいよ。」


「あぁ、もちろんだ。さっそくで悪いが、明日にでも向かってほしい。夏休み中ならいつでも開けてあるから、むしろそっちに住み込みでもいいかもしれない。」


 す、住み込みって……。


「ま、まぁ考えときますよ。それは。」


「そうか。山へはスーパー校舎の中にある大型転移装置から行ける。危険はないと思うが、万が一なにかあった時はこちらに情報が来るようになってるから安心しなさい。」


 そうなんだ。ハイテクだなぁ。よく分かんない技術だ。


「あ、それとお金だが、とりあえず10万円くらいでいいだろうか。」


「うおー、やったぜ。1ヶ月は持つな。」


 学長からお金を受け取り、俺はお礼を言って足早に去った。そして食料を買いに再び町に出た。奇しくもその様子は、端から見ればエサを与えられた小鳥のようであっただろう。


 ■□■□

 *神の視点


 定気 小優が学長室を去ってすぐ。バンキング学長を訪ねる者が現れた。


「失ぇ礼。」


 その男は音もなく静かに扉を開けて入ってきた。返事も待たず、さもそれが当然であるかのように。道化のような見た目は荘厳な学長室の雰囲気に相応しくない。


「……エックスか。よもや貴様がここを訪ねて来ようとは。」


 バンキング学長の顔に影が落ちる。なにかを察したような、暗い表情だ。先ほどまでの優しげな笑みはどこにもない。


「ぃいえ、そぉんな邪険に扱わないでぇくださいよぉ。」


「要件を言え。」


 学長は冷ややかに威圧した。エックスは萎縮することなくニタニタ笑いを止めない。


「まぁたまぁた、分かってるクセにぃ。わたぁしの口から言わせたいんですねぇ。」


 エックスは滑るようにバンキング学長の前まで来ると、囁くように言った。


「真実の支祭が、定気 小優に接触しました。」


 バンキング学長は顔を覆った。それがまるで世界の終わりかのように。


「でぇすがご安心をぉ。わたぁしの加護はちゃあんと発動しましたのでぇ、奴の毒牙には掛かりませんでしたよぉ。ですがぁ、アレはまずい。早急に手を打たねば取り返しのつかないことになる。」


「もう打ってる。夏休み中は山に隔離することにした。」


「ンフ、先見の明ですねぇ。」


「だが、まずい。予言の通りになっている。厄災が次々と動き出している。」


「戦争に動きは?」


「ない。不自然なほどにな。」


「まぁた公安が情報をビタ止めしてたらどうしますぅ?」


「公安か……。アレも一枚岩ではないからな。正直手の打ちようがない。だが、公安も人類を滅ぼしたくはないはずだ。戦争に動きがあれば必ず情報が入るようになっている。」


「わたぁしとしてはあぁんまり信用できませんよ、公安。支配全盛期にはすっかり懐柔されてましたからねぇ。」


「まぁ、貴様が言うなら間違いはないのだろうな。しかし……。」


 バンキング学長の脳内には様々な可能性が思い浮かぶ。彼は自分が人類の最終防衛線であると自覚している。故に失敗は許されないのだ。


「おそらく、次の……次の一手は……。」


「ンフ、せっかくの夏休み。学生がいない時期なんですから、打てる手は多いはずですよ。時間は有効に使わないとぉ。」


「次の……一手は……魔王の討伐だ。学園に潜む魔王を潰しておく。これが今の……最善策の……はずだ。エックスはどう思う?」


「欲望の専門家の観点から言わせてもらいますがぁ、その手でいいと思いますよぉ。どのみちあっちの方から先に手を出してきますしぃ、返り討ちにしちゃいましょぉ。」


「そうか。欲望の支祭である貴様が言うのであれば信用しよう。しかし事は夏休み中に片付くか?」


「えぇ、もちろぉん。ですがぁ、魔王は逃げ足が早いぃ。逃がさないように気をつけてくださいねぇ。」


 その時、学長室の扉がノックされた。教職員の誰かが来たのだろうか。バンキング学長は目でエックスに合図を送った。


「どうぞ。」


「失礼します。9月の1年生全クラス合同スキル訓練のプログラムの件で……。」


 入ってきたのはサッポロであった。冴えない中年といった容貌だが、教師ぜんとした清潔感もある。


「あれ、学長さっきまで誰かと話してませんでした?」


 サッポロは学長室の中を見渡す。しかしいるのはバンキング学長だけである。


「いや、私はずっと1人だったよ。」


 バンキング学長は優しげな笑みを浮かべていた。その顔を見たサッポロは思い直す。そうか、あれは気のせいだったのか、と。バンキング学長が嘘などつくはずがないと誰しもが思っているのだ。ましてや、裏で厄災と繋がっているなどとは、想像もしないだろう。

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