第91話 支配の胎動

 学生寮でのんびりしていた俺は、そろそろ飯にしようかと思い冷蔵庫を開けた。


「な、ない!?」


 冷蔵庫の中にはなにも入っていなかった。これはおかしい。昨日までたくさん食べ物が入っていたはずなのに。


「大魔王食べた?」


「食うわけなかろう。」


 じゃあ誰が食べたんだよ。泥棒? にしてはなにも取られてないしなぁ。不思議だ。こんなことがあるなんて。


「しゃーない。買い物……そういや財布なくなってたんだった……。」


 詰み。終わり。ガメオベー。俺は今日ここで飢えて死ぬのだ。


「バンキングとかいう奴に金をもらいに行けばよいではないか。貴様の保護者は今のところアイツだろう。」


 あ、確かに。バンキング学長ならお金くれるかも。ナイスアイデア。


「大魔王もたまには役に立つなぁ。」


 俺は学生寮から出て、学長の元に行くことにした。階段を降り、地面を踏み締め校内を歩いている、その時だった。


「定気 小優さん、ですよね。」


 男が現れた。そいつは空間からにじみ出るように、あるいは紙にインクを垂らしたように、現れた。黒いローブを深々と被り、目元は見えない。しかし体つきと声で男だと分かる。その男の登場と共に、辺りには名状しがたい異様な臭いが充満する。


「あなた、真実に興味はありませんか?」


 不審者はそんなことを言った。


「あいにく、宗教勧誘なら間に合ってます。」


「宗教勧誘では……いえ、あなたがそう思うのであればそれもまた真実なのでしょう。」


 不審者は音を殺して笑った。クツクツクツと笑った。その様子があまりに不気味で、人外じみていて、俺は思わず後退りした。


「ですが、否定はしないのですね。やはりあなたは真実に興味がある。」


「……。」


「沈黙は肯定。あなたはなにが知りたいのですか? その身に宿る大魔王の正体、とかですか?」


「ッ!?」


 俺は驚いた。俺の中に大魔王がいることは、俺以外誰も知らないはずだからだ。なのにこいつは知っている。それだけではない。魔王ではなく、大魔王と言ったのだ。あの勇者の家系ですら、大魔王のことは言っていなかった。魔王のことは知っていても、誰も大魔王のことは知らないんだ。なのにこいつは知っている。


「お前、何者だ?」


「それは真実に比べれば些細なこと。ですが敢えて信頼を得るために答えましょう。」


 男はローブを外した。そこには、顔があるはずの部分には、ただ闇が蠢いていた。顔の上部が丸っきり闇に包まれていたのだ。カサカサの唇だけが言葉を紡ぎ、俺の耳を犯す。


「私は厄災が1つ、支配の司祭。その真実を司る者です。真実の支祭と呼んでください。」


「し、支配の厄災……!?」


 あ、あり得ない! 支配の厄災は秘密裏に冒険者ギルドに壊滅させられたはず!


「そうです。かつて支配の組織には4人の支祭がいました。本能、欲望、罪悪、そして真実。どれも人を支配する概念の名を冠してるのです。そして私はその真実を司る者。」


 男は1歩こちらに近づいてきた。顔に纏わりつく闇が揺れる。


「私は真実を知っています。全ての真実を、です。もちろん、あなたの本来の姿についても。」


「俺の……本来の姿?」


「そうです。それを教えて差し上げましょう。ですが、交換条件があるのです。」


 真実の支祭はまた1歩近づいてくる。俺の顔に覆い被さるように、深淵の闇がやってくる。


「あなたに、私達の組織に入ってほしいのです。そうすれば全ての真実をお教えしますよ。」


 男は笑っていた。今度はヌタヌタと笑っていた。唇が歪み、その笑みをより不気味なものへ変える。


「どうです? 私と一緒に世界を支配してみませんか?」


 眼前で蠢く闇に、不思議と恐怖は湧かなかった。


「どうして……。」


「ふむ?」


「どうして俺がお前の言葉を信じると思うんだ。」


 信じない。信用なんてない。こいつはただの不審者だ。そんな奴の言葉なんて信じない。


「私は真実しか口にしません。」


「それが嘘じゃないかって疑ってるんだ。そうでなくとも、怪しい人間の言葉は信じない!」


 俺は距離を取った。そんな誘惑に乗ると思われているなら心外だ。俺は心の強い男なのだ。


「あぁ。憐れなる者よ。あなたは騙されているのですよ。あなたは真実を知らない。」


「そんなことどうだっていい。学園の教師を呼ぶぞ。」


「あなたを取り巻く環境。その全ては虚像なのです。牢獄に囚われた小鳥よ。人を導く者を教師と呼ぶのであれば私こそが教師そのものなのですよ。」


 夏休み中とはいえおそらく無許可で学園内に侵入している時点で、こいつは犯罪者だ。だったら多少の正当防衛は許されるはず!


「〈リーサル・ドゥーン〉」


〈ドゥーン・リロード〉の習得により、〈リーサル・ドゥーン〉をある程度は連発できるようになった。とはいえ12万も当てたりしない。人が死なない程度の……1000ドゥーンくらいを俺は放った。


「おっと。それは真実じゃない。」


 だが、俺の放った音の塊は不審者にぶつかる前に霧散した。


「どうやら今はまだその時ではないようですね。ですが、既に厄災は動き出しています。それを努々忘れぬよう……。」


 男はそう言って姿を消した。まばたきの間に。まるで最初からそこには人などいなかったかのように。


「……夢か?」


 その場にはなにも残らなかった。もしかしたら夢だったのかもしれない。俺は不思議な気持ちを抱えたまま、学長の元へと向かった。

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