第90話 戦争の胎動

 *神の視点


「これはいったい……?」


 定気 小優と別れた後、安藤 マユミは人造人間を捕縛するために少し目を離した。その場には多数の公安がおり、直前まで人造人間はピクリとも動いていなかったため、安藤 マユミは多少目を離したとて変わりないだろう判断した。


 それが命取りであった。安藤 マユミの疲労を付与されていたはずの人造人間が、一瞬にして元気を取り戻し、爆風と共にその場から逃走したのだ。スキルを無効化するスキルにより、人造人間のデバフを解除するスキルは使えないはずだった。だがなぜか、人造人間は自身に付与された疲労を解除し、その場から逃走をしたのだ。


 安藤 マユミの判断が遅れたのはそのせいでもあった。彼女がこれまで見てきた人造人間は逃走などしなかった。どれだけHPを削られようと、亡者の如く襲いかかってきた。そんな人造人間が、初めて逃走したのだ。これまでの経験を裏切るような行動。安藤マユミは時間にして約1.1秒、走り出しが遅れた。


 この差は大きかった。足から生えた推進機関によって、人造人間はビル街を駆け回った。直線距離ならいざ知らず、市街地、それも昼間の人が多い時間にこの速さで逃走されれば、安藤 マユミは追いつけない。そのことをいち早く理解した彼女はほんの数秒で足を止め、公安本部に大規模な包囲作戦を要求した。


 そもそも、本来は人造人間を見た一般人は皆、公安により記憶を処理される。だがそれも簡単な作業ではない。人造人間はなるべく人目についてはいけない。万が一見失えば、記憶処理の範囲が大変なことになる。公安は人造人間が一般人の目に映ることを良しとしない。本部はすぐに包囲網を展開した。


 公安の持つ人材を動員し、人造人間が逃走した地域一帯を囲んだ。人造人間がそこから出ようとすれば、必ず公安の人間の目に止まり、追跡される。


 だがもちろん、この作戦のことも一般人に知られてはいけない。公安という存在は知られていても、厄災のことは知られてはいけないのだ。定気 小優が財布を探している間に、東京都ではこんなことが起きていた。


 そして、数分後、安藤 マユミの元に公安の人間から座標が送られてくる。そこに行ってみると、彼女を驚愕させる形で人造人間が捕らえられていた。


「私達がここに来た時には既にこうでした。」


 そこは路地裏。ビルとビルの合間。薄暗いそこで、人造人間は四肢を氷で貼り付けにされていた。それだけではない。肉体をいたぶったような、嗜虐的な傷跡が人造人間には残っていた。それらは全て氷によるものである。


 安藤 マユミはそれを見た瞬間、脳内にいくつか可能性を思い浮かべた。だがそのどれも決定的な根拠に欠けるものだった。


「一般人の仕業でしょうか……?」


 新入りの公安はそんなことを言った。それは違うだろう、と誰もが思った。一般人はこんな精密なスキルコントロールを持ち得ない。第一、いくらダメージが蓄積していたからといっても、相手は瞬足の人造人間だ。一般人が敵う相手ではない。


「とりあえず、収監しとこう。今度は逃がさないようにね。」


 安藤 マユミはそんなジョークを言ってみせた。この人造人間はもう逃げない。そんなことはこの場にいる公安メンバーなら誰しもが分かっていることだったからだ。そう、既に人造人間は事切れていたのだ。


「なーんか、きな臭いよねぇ。」


 安藤 マユミはポケットからタバコを取り出して加えた。スキルを無効化していたはずなのに、なぜかスキルを使えた人造人間。そしてなぜか逃げ出す人造人間。そして逃げた先で何者かに遭遇し、殺害された人造人間。全てが異質だ。安藤 マユミは、この事件の裏には、なにかがあるのではないかと思い始めていた。


 ■□■□

 *???の視点


「無理だった☆」


 薄暗い部屋の中、明るく彼女はそういった。若干不潔なその場所に、似合わぬほどの金髪。制服姿の彼女は、つい先ほどまで東京にいたのだろう。手には東京の有名なバナナのスイーツがある。


「そうか。アレは惜しいが、まぁいい。」


 その暗い部屋を照らすものはパソコンの光だけだった。それを食い入るように見る青年の顔は、歳のわりに老けているように見える。やたらと痩せて骨張った手が、キーボードを滑る。


「ねぇ、東海道。」


 金髪ギャルの顔がドロリと溶けた。そして次の瞬間には嗜虐的な笑みを浮かべた中性的な人物へと変わった。


「10月だっけ?」


 キーボードを鳴らしたまま、東海道と呼ばれた青年は答える。


「そうだ。スパイからの情報によると、10月に私立学園ギラと国立京都冒険者養成高校の合同合宿がある。その2日目を、我々で襲う。」


 中性的な人物は舌なめずりをする。手に持っていたスイーツを放り投げると、東海道の背中に飛びついた。


「遂に、遂に計画を始める時が来たんだね。」


「はしゃぐな、西海道。これはほんの序の口だ。私立学園ギラを乗っ取り、国立京都冒険者養成高校を潰す。10月の合宿はその足掛かりとするのだ。」


「なんでもいいよ。人、殺していいんでしょ?」


「もちろんだ。好きなだけ殺せ。あぁ、だが私立学園ギラにいる勇者は殺すなよ。」


「なんで?」


「人造人間の材料にする。自我を持たせたままな。」


「ふぅーん。自我を持たせたからさっきの奴は脱走したんじゃないの?」


「大丈夫だ。あれはちょっと調整をしくじった。初めての試みだったからな。だが次は失敗しない。」


「あ、そうそう、そのギラといえば……。」


「私立学園ギラだ。」


「そのなんちゃらかんちゃらギラといえば、さっき脱走した人造人間を始末するために追ってたら、偶然そこの八英に出会っちゃってさ。」


「八英!? まさか、黒鉄こくてつのながれか!? それとも勇者……。」


「いやいや、そんなんじゃないよ。定気 小優くんって子。」


「は? 誰だそれ。知らん。俺は雑魚には興味ない。」


「あっはー! 確かに。でも私守られちゃったんだ、その子に。いやぁ、まるで学生時代に戻った気分だったねぇ。」


 東海道は顔をしかめた。よほどその話題が気に入らなかったのだろう。西海道もそのことを察し、気まずい雰囲気が漂う。


「おかりえですのー!」


 その雰囲気をブチ壊す幼女が入ってきた。ビニール袋を提げた、丸っこいフォルムの女の子だ。小学校低学年くらいに見えるだろう。


「おかえり、だよ。南海道ちゃん。」


「南海道。例のブツはあったのか?」


「ありましたの! 牛肉に豚肉、人肉に鶏肉! いい人造人間が作れますの!」


「いいねぇ。つまみ食いしちゃお。」


「ダメですの! これは対Sランク用人造人間にしますの!」


「ミンチ肉じゃ対Sランク用は作れないと思うよ……。」


 東海道は重い腰を上げて、南海道のそばまでやってくると、ビニール袋をひったくる。


「量は十分ありそうだな。よし、俺はこれから素体を作る。西海道、南海道の子守りを頼む。」


「あいあいー。」


「あ、床に東京◯ナナが置いてありますの! いただきますですの!」


「うん、それは置いてるんじゃなくて、落ちてるんだと思うよ。」


 部屋の中から東海道が出ていくと、残された2人はスイーツを巡ってやいのやいの騒ぐ。彼らにとってはこれがいつもの光景で、人によって微笑ましくも見えるこの様相。


 だが、彼ら戦争の厄災は既に動き出していたのだ。このことは、まだ定気 小優はおろか、バンキング学長ですら知らなかった。そして来る10月。彼らによって惨劇が開始されることになる。

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