第82話 死ぬほどキツい

 昼ご飯を終えた俺はトレーニングルームに戻ってきた。いや、少し違う。先ほどまで使っていたトレーニングルームとは別のトレーニングルームにやってきたのだ。そこには奏明がいて、死んだように倒れていた。


「可愛い妹の顔を見に来たついでに、客人を連れてきたぞ。どうせなら一緒にトレーニングした方が捗ると思ってな。」


 こうしてトレーニングに奏明が加わった。が、奏明は俺より何倍もキツイトレーニングを課せられていて、既に俺よりボロボロだった。


「バーベル4トンも持てないなんて、ステータスが落ちたんじゃあないか、奏明?」


「まぁ落ち着け快晴。快晴がこのくらいの時はまだ2トンも持てなかったじゃないか。」


 その言い方だと今は持てるんですか……!?


「奏明の友人も、既にボロボロのようだね。致死量のトレーニングを受けて蘇生魔法が発動した痕跡がある。」


 嘘だろ……俺死んでたの……?


「じゃ、オバチャン直々のトレーニングでも~っと体をいじめてあげるわ。覚悟しなさーい。」


 俺は今日ほど生を呪ったことはなかった。生き地獄とはまさにこのこと。俺も奏明もボロ雑巾のように扱われ、トレーニングという名の蹂躙を受けたのだった。


 そして時刻は午後7時。


「よし、じゃあ今日はここまでにしようか。」


 俺は死んだ。多分数十回は死んでいる。オーバーワークの5乗くらいした。体も心も朽ち果て、生ける屍となった。呼吸をするだけで全身に激痛が走る。苦しい。辛い。


「じゃあ晩御飯にしよう。」


 唯一の救いは飯だけだった。俺は痛みに耐えながらも食べた。しかし奏明はあんまり食べていなかった。それもそのはず、呼吸をするだけで痛いのだから当然咀嚼もクソ痛い。それを我慢して食べているわけなので、食欲なんてあるはずないのだ。


 飯を終えると、大浴場に案内された。男と女で使う場所が分かれているらしい。さすが豪邸。俺は痛みにめいめい耐えながら体を洗った。


「ではこの後は自由に過ごしてもらって結構。あぁ、だがくれぐれも娘に不埒な真似はしないように。」


 と言われたので俺は寝ることにした。当たり前だ。正直全身の激痛が酷すぎて意識を落とさないと耐えられない。お客さん用の寝室に案内してもらい、俺はそのまま大きなベッドに体を埋めた。


 のだが、当然眠れない。痛い。苦しい。だが死ぬことも許されない。睡眠薬が欲しい。しかしそれを頼もうにも、このバカみたいに広い屋敷の中を探して誰かを探すのは酷だ。この屋敷、使用人みたいな人が全然いないんだもん。執事さんとレストランでご飯作ってくれた人以外見てないよ。掃除とかどうしてんだよ……。


 というわけで眠ることもできずひたすら悶々としていると、次第にまぶたが重くなってくる。時間が経てば痛みにも慣れ、眠くもなるようだ。欠伸が出る。なんだか夢のような幻覚が見える。朧としていて輪郭はハッキリしていないけど、人のようだ。誰だろう、と思う間もなく、俺の意識はストンと消えた。


 それからすぐに目を覚ました。いや、多分すぐにではないのだろう。目を覚まして最初に感じたのは痛み。次に喉の渇きだった。さっきまで喉は渇いてなかったので、長いこと眠っていたのだろう。窓から差し込む光はまだ暗い。もうひと眠りするか、と寝返りをしたその時、キィと音を立てて寝室の扉が開いた。


「起きてる?」


 現れたのは奏明だった。


「寝てるよ。」


「トイレに行こうとしたら迷っちゃったんだよね。それでたまたまこの部屋に行き着いたんだ。」


 なんで自分の家で迷うんだよ。しかも奏明の寝室ってこの寝室と対極の位置になかったっけ。


「そうか。トイレの場所ならお兄さん方に聞いてくれ。」


「お邪魔します。」


 まずい! 会話が噛み合ってない!


「バレたら締められるの俺なんですが。」


「まあまあ。大丈夫だよ。それより体は平気?」


「全然クソ。もう息してるだけで痛い。」


「元気そうだね。よかった。」


 これが元気そうに見えるってのか!


「ところでなんで奏明来たんだよ。夜中に女の子が男の子の寝室に入るんじゃありません。」


「夜這いだよ。」


「夜這い!?」


「ふふっ、小粋なジョークだよ。」


 この憎らしげな笑顔を殴ってやりたい。今はこの筋肉痛に免じて許してやるが。


「定気が筋肉痛で死んでないか様子を見に来たの。」


「死んでるよ。もしかしたらさっきまで死んでたのかもしれない。」


「どうしても辛いならマッサージしてあげようか?」


「うーんダメです。冗談抜きで兄上達が怖い。」


 両親も大概親バカだけど。


「じゃあ……添い寝?」


「なるほど、奏明は俺を殺しにきた暗殺者だったのか。」


「む、今のはジョークじゃなかったのに。」


 ジョークじゃないから困るんだよ。そういうこと言ったらダメだぞ。


「とりあえず俺の体はボロボロだ。構ってやりたいのは山々だが、今日はもう無理。死ぬ。動けない。寝たい。」


「そっか。なら仕方ないよね。」


「そう。仕方ないんだ。じゃ、おやすみ。」


「うん、おやすみ。」


 そう言って奏明は俺のベッドに潜り込んでくる。


「ちょいちょいちょい。」


「お兄ちゃん達は喜んでくれるのに、定気はそうじゃないんだね。」


 俺はお兄ちゃんじゃなくて同級生だからな! つうかどうなってんだよ奏明の貞操観念は! どういう教育してんだ!


「眠いんでしょ? 一緒にいてあげるから、寝てもいいよ。」


 無理! 圧倒的無理! どうして異性と一緒のベッドでスヤスヤできると思ってるんです? 俺男子高校生っすよ? こいつマジで言ってんのか?


「早く寝ないと、身体回復しないよ。」


 くぅ……それはそう……そうなんだが……!


「せ、せめてもうちょっと離れてくれやしませんかい?」


「じゃあ手、握っておいてあげるね。」


 なんでだよ! というツッコミも虚しく消えた。俺はなす術なく手を握られ、そのまま恥ずかしいやら緊張やらで頭がショートして、そのうち考えるのをやめた。人間不思議なもので、そうすると次第に眠気が再びやってきて、遂にはまた眠ってしまったのだった。

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