第3話

「あ、ヌシ様」

 耕太がつぶやく。

「え、何なに?」

 りんが耕太に身を寄せる。耕太は川底の巨大なカニを指さして説明する。

「僕らがヌシ様って呼んでるサワガニだよ」

「え……めっちゃ大きいね。」

「でしょ? 毛ガニくらいだよね」

 ヌシ様は川底をゆったりと進む。

「なんかすごい。どこ行くのかな。ついて行こうよ。ヌシ様に」

 りんが耕太の袖を引っ張る。

「う、うん」

 耕太は答えた。ヌシ様はゆったりと川を横切り上流に進む。耕太とりんはついて行く。りんはときどきよろけて耕太の肩をつかむ。右手に小さなかばんを持っているから、よけいにフラフラするのだ。つかまれたところがこそばゆい。ヌシ様はずんずん進み、やがて流れの深い岩の隙間に姿を消した。気がつくと淳也たちの声が遠くなっていた。

「ヌシ様、見えなくなったね」

 りんが眉を下げる。

「だね。えっと、……ここ、座る?」

 そこは足を水につけながら座ることができる岩場で、気持ちがいいのだ。

「うん!」

 二人で並んで岩場に腰掛けた。りんの白い足が水の中で揺らめく。

「ゼリー食べる?」

 りんがこちらを向いた。

「え? うん」

 りんは手に持っていたかばんからゼリーを取り出した。コンビニで売っている、フルーツが入った大きめのゼリーだ。りんはビニールのフタを開け、プラスチックのスプーンと一緒に差し出した。

「ありがと」

 耕太はスプーンでゼリーをすくい、一口食べる。いつもより甘く感じる。ふと思う。これ、りんの分はあるのかな。

「かして」

 りんは耕太からゼリーとスプーンを取り、さっとすくって一口食べた。耕太はドキドキした。い、嫌じゃないのかな? 

「はい。耕太くんの番」

 りんが真っすぐ前を向いたままゼリーとスプーンを渡してきた。こ、これ口つけていいの? 耕太の鼓動が速くなる。チラリとりんを見る。りんがやや表情をこわばらせてこちらを見た。何でそんな見るんだよ。てか、これ口つけていいの? 耕太は一瞬迷ったのち、ゼリーをすくってエイっと食べる。りんがふっと肩を下ろす。味が全く分からなくなった。自分のドキドキがりんに聞こえそう。

 かわりばんこでゼリーを食べ終えたあと、りんが言った。

「あー、ここ気持ちいいな。あのー……突然で引くかもだけど、私歌いたくなっちゃいました。ちょっと、歌っていい?」

「え、歌? い、いいよ」

 戸惑う耕太をよそに、りんはすっと息を吸い込んだ。


  一口食べたスイカを私に渡して「食べる?」と言った君がまぶしい……


 人気女性グループ、ウォーターガールの「スイカの歌」だ。抜群に上手い。ミュージカルをやっていたというのは本当だったのだ。きちんと開いたピンクの唇から透明感のある声が山の向こうに伸びていく。恥ずかしいほどのラブソングだが、りんが歌うとサマになる。耕太はりんの白い横顔を見つめた。

「……以上です」

 歌い終わってりんがペコリと頭を下げた。耕太は思わず拍手をした。

「すごい。すごいよ川本さん!」

「ありがと。てか川本さんじゃなくて、りんね」

 りんが耕太をのぞき込む。

「う、うん」

 耕太が答える。

「そういえば……もうすぐ夏祭りだね」

「え? う、うん」

 三日後、八月六日はこの地域の夏祭りがある。会場は二つある。地域に二つしかない小学校がそれぞれの会場だ。一つ目の小学校では中央の櫓から赤の提灯が並び、中高生の間では「赤祭り」と呼ばれている。もう一つの小学校では櫓から黄色の提灯が並ぶ。こちらは「黄色祭り」だ。両方の会場に出店も出て、盆踊り、カラオケ大会などなどが開催される。カラオケ大会に出て人前で歌うなど、耕太にとっては一生縁がなさそうだが。

「耕太くんは行くの?」

「いや、どうだろ。決めてない」

「行きたいなー」

 りんがこちらを見る。どういう意味だろう。誘っていいのかな? どうしよ。どうしよ。

「私、お祭りでヨーヨー釣りしたいんだよね」

「ヨーヨー釣り? 金魚じゃなくて?」

「だって金魚は死んじゃうし。可哀そう。ヨーヨー釣りがいい。お祭り行きたいなー」

 耕太は大きく息を吸う。酸素が薄い。

「……じゃあ、僕」

「おーい!」

 耕太の声を遮るように、淳也が向こうから手を振る。耕太は手を振り返す。

「…え、えっと……戻ろっか」

「……うん」

 りんがうつむいた。

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