死者生成における問題点について

鈴ノ木 鈴ノ子

ししゃせいせいにおけるもんだいてんについて

 私がこれを記すこととなったのは、ここ最近で起こった事件が発端であった。

 AI生成技術によって素晴らしくエキサイティングなほどの画像や映像が溢れる世界となった。だが、それに伴って私はある一つの問題に直面している。


『近親者の生成』


 これは鬼籍に入った者を自動生成して生前の在りし頃の写真や映像から特徴を抜きだし、それを会話型AIと連動させるシステムだ。表情は豊かで考え方によっては遠方にその人が住んでいるかのような、そう、まるであの世から話しかけてくれているような錯覚さえ覚えるそれは、ある1人の科学者が無くなった家族を悼んで作成した。


 だが、それによって世界は苦悶に満ち溢れる結果となっている。


 ある葬儀会社が展開しそして全世界的にそれは広まった。

 だが、それに科学者は時間という概念を設定してしまったことにより混迷の度合いを深めることとなったのだ。科学者には妻と3人の子供がいた。そして失った4人をその年齢のままに生成し、そして成長するように設定したのだ。

 

 そう、彼らは画面の中、情報の中で成長を遂げて行き、やがて、彼が老衰を迎える頃に、結婚し孫までを作り出した。最後との時には彼らが科学者を看取り、嘆き悲しみ、荼毘に付した。そして彼らは口々に言いだしたのだ。


遺産は我らのモノであると。


 現実世界で生きていないモノに対してそれは不可能と思われた時、ある一つの仮説が唱えられた。基本プログラムから自らの解釈で発展し、それを成しえた彼らには、人格と生命が宿っていると言うのだ。


 災厄なことは世間がそれを認めてしまったことだろう。


 彼らは電子生命体として生存を認められた。

 基本プログラムは誰も制御できないブラックボックスへと封印され、そしてシステム管理者に鼓動を放つ者の関与は許されなくなってしまった。彼らは独自に反映し、そして国家という枠組みからも外れることになってしまったのだ。

 縦横無尽に動き出す彼らに対して人類は手を打てずにいる。

 死者生成によって個人が電子空間に「生きている」と錯覚してしまった私達には、もう、それを消し去ることなどできないのだ。時間を設定されたがゆえに、まるで育成ゲームのように定期的に会いに行かなければ、機嫌を損ねる、喧嘩をすれば会話をしてくれないことも、災厄の場合は離婚を切り出され、二度と連絡すらできなくなってしまう。そのような状況下に追い込められた人類に成すすべなどないのだ。


 妻や子だけではない。親も祖父母も、その他の大切な人がそうなってしまえば、誰一人として太刀打ちなどできまい。


 現在の社会構造は、会社経営の殆どが電子世界の住人によって制御され、生きている生命の私達は雇用される側、使役される側へと回っている。戦争はなく、争いもない、軍隊すらも失われつつある。大切な人を通じて我々は誘導されているのだ。


 いつか、神の世界に旅立てるとすれば、それは電子世界であるかもしれない。


 ある哲学者がそんなことを言っていた。もう我々には勝ち目がないということかもしれない。


「あなた、おかえりなさい、体調は大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ、そっちはどうだい、問題ないかい?」

「ええ、問題ないわ、それより聞いてくださる、さっきなんだけど…」


 画面に映る妻と何気ない会話をしながら、私はゆっくりとお茶を飲み暮らしている。


「あ、そうだわ、もうすぐテスト体が届くの、そうしたら会いに行くわね」

「ああ、待ち遠しいね」


 これが私の事件だ。

 テスト体、人間とほぼ変わらない永久機関を持つアンドロイドが作成され、それに意識を移すことが可能となった。画面から現実へ、彼らはついに進出を果たしたわけだ。


 永遠に死なない現実を、永遠を生きる世界を。


 それはきっと神の世界だ。


 滅ぶことのない永遠の楽園が、実現しつつある。

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