★4★ 幻想的な炎は懐かしい夢と共に

 カチカチと、カチカチとテイオウグモは牙をぶつけ、怒り狂っていた。

 それは東方の国に伝わる恐ろしきモンスター【オニ】を彷彿させるほどのもので、少し離れているにも関わらず激しい怒りが伝わってくる。


 ああ、嫌だよ。こんなに怒ったモンスターと戦うなんて。

 しかもこっちにいるのは状況を理解していない変態と、弱りきった冒険者の少女だ。

 まともに動けるのは俺しかいないってのがミソだね、うん。


「ガガガガガガガッッッッッ!!!!!」


「ど、どうするのよこれ! あんなに怒ったテイオウグモなんて見たことないんだけど!」

「俺だって見たことないって。逃げるにしても勝つにしても、戦わないといけないな」

〈フッフッフッ、ならばワシの出番じゃ。とっておきの魔法があるからそれをお前達に使わせてやろう!〉

「お前のエロポエムを読んでいる暇はない!」


 とはいったものの、俺達はテイオウグモの対策なんて一切していない。

 このまま戦ったら全員あいつの餌食だ。


 頼りになるかどうかはわからないが、アルフレッドの魔法に頼るしかない状況でもあるか。

 しかし、魔法を発動させるには結構文量があるポエムを読まないといけない。

 つまり、地味に発動時間がかかるのがネックだ。


 その時間をどうやって稼ぐかが肝になってくる。


 さて、どうやってテイオウグモから時間を稼ごうか。

 下手に気を引けば猛毒の牙でやられる。かといって警戒しすぎれば魔法が発動できない。


「シキ、私が時間を稼ぐわ」

「稼ぐって、何言ってるんだよ。お前は体力を使い切ってるだろ」

「囮ぐらいできるわよ。それに私、こう見えても剣士で前衛を張っているんだからね」

「あのな、今はそういう話じゃ――」


「そういう話よ。秘策があるんでしょ? じゃあそれに懸けるしかないわ」


 そういってクリスは腰に携えていた短剣を抜いた。


 ったく、こいつはこういうタイプか。

 仲間だけじゃなく、赤の他人までに生命を張るのは感心しない。

 だがまあ、今はその根性に感謝しないとな。


「アルフレッドの魔法を使う。だけど使うためにはあいつの記憶を読む必要があるんだ。まあまあ時間がかかるが、大丈夫か?」

「意地でも食い止めるわよ」

「……わかった、死ぬなよ」


 俺の代わりにクリスがテイオウグモと対峙する。

 できればこんなこと、女の子にさせたくないが仕方ない。


「アルフレッド、魔法を使うぞ!」


 俺は振り返り、アルフレッドへ声をかける。

 するとアルフレッドは悲しそうな声を出して泣いていた。


〈シキ、助けてくれー〉


 俺は絶句する。


 なぜならアルフレッドは、テイオウグモのクモの糸に引っかかって身動きができなくなっていたからだ。

 しかも最悪なことに全身がクモの糸で絡め取られており、アルフレッドの中身が読めないほどベッタリとくっついていた。


「何してるんだ、お前……」

〈カッコいいところを見せようとストレッチしてたんじゃ。そしたら糸に引っかかってしまっての。あれよあれよと絡みついて、動けなくなったんじゃ〉

「余計なことをするなよ、バカ!」


 どうするんだよ、これ!

 せっかくクリスが生命を懸けてテイオウグモを足止めしているってのに、これじゃあ魔法が発動できないじゃないか。


 ああ、ヤバい。明らかにクリスが押されている。

 致命傷となる攻撃は喰らわないようにギリギリ躱しているが、そんな芸当は長く続かないだろうな。


 どうする、どうするこれ。

 いや、落ちつけ。考えなくてもわかるだろ。


 まずはアルフレッドに絡みついたクモの糸を取らなきゃ。

 こいつの中身さえ開ければこっちのものだ。


「ちょっ、ちょっと! 魔法はまだなの!」

「トラブルが起きた。すまん、頑張ってくれ!」


〈助けてくれぇぇ。ベトベトして気持ち悪いんじゃー〉

「助けてやるから少し静かにしろ! ああ、くそ。手がかかるなお前は!」


 だああ、なんつー絡み方をしているんだよ。

 振りほどこうと暴れたせいか、いろんな箇所にクモの糸がベッタリついてやがる。


 下手に開こうとしたらページが千切れそうで怖いんだけど。


「早くしなさいよ、シキ! もう、限界、なん……だけ、ど!」


 くそ、アルフレッドに構っていられない。

 このままだとクリスがやられる。

 仕方ない、アルフレッドを見捨ててクリスに加勢しよう。


 俺は戦いの方針を変え、テイオウグモとの戦いに参戦しようとした。

 だが、俺が剣を抜いて突撃しようとした瞬間である。


「きゃあっ」

「うおっ」


 テイオウグモが宙に浮き、俺達に尻を向けた直後に糸が勢いよく噴出した。

 クリスは回避しようとしたが疲労が溜まっていたせいか躱すことができない。

 たまたま後ろにいた俺はそれに巻き込まれ、一緒にクモの糸を被ってしまう。


 被ってみてわかったが、テイオウグモのクモの糸はとんでもなく粘着力が高い。

 暴れれば暴れるほど絡みついていき、動けなくなっていく。


「うぅ、もう、ダメ……」

「クリス!」


 そんなクモの糸を再び被ったクリスは、体力を使い切ってしまったためか倒れてしまう。

 テイオウグモは倒れたクリスを見て、舌舐めずりしながらゆっくり近づいていく。


 マズい、あいつはクリスを食べる気だ。

 くそ、助けようにもクモの糸が邪魔で思うように動けない。


 どうする? ホントにどうする?

 本当にヤバい状況だぞ。


「ひっく、ひっく……」


 とんでもなく最悪な状況。

 形勢逆転なんてあり得ない状況。

 都合のいい奇跡なんて起きるはずない状況。


 しかし、そんなとんでもなくマズい状況でとんでもないことが起きる。

 それは明らかに、冒険者じゃない幼い女の子が泣きながら歩いてきたことだ。


「ここどこ……お母さんどこ……うわぁーん!」


 見つけた。

 俺達が探していた迷子の子どもだ。

 でも、今この状況で見つけたくはなかった。


 いや、待て。

 もしかしたら、これは救いの手じゃないか?


 俺はあんまり神様なんて信じないけど、今回ばかりは感謝してやる。


「おい、君!」

「ふえっ?」

「頼みがある。クモの糸に絡まっているそこの本を取ってくれ!」

「本? え、どこにあるの?」


「君から見て左側の茂みだ。頼む、早く取ってくれ!」


 ああ、マズい。

 テイオウグモが今にもクリスを食べようとしている。

 このまま噛みつかれたら確実に死んでしまう。


 ああ、早く。とにかく早くアルフレッドを取ってくれ。


「うわっ、ベトベト」

〈おお、これは何という天の助けじゃ〉

「しゃ、喋った!」

〈しかもワシ達が探していた子じゃないか! 女の子だったとは。眼福眼福〉


「早くしてくれ! クリスが食われる!」


 俺の叫びを聞き、女の子はアルフレッドをクモの糸から解放しようと触れるとその瞬間にアルフレッドの身体が光り輝いた。

 その光をまとったままアルフレッドは俺に飛び込み、一気にクモの糸を飛ばす。


 俺は何が起きたかわからないまま、開かれたページに目を通す。

 そこには長ったらしいポエムではなく、たった一つの言葉が記されていた。


「ラヴィン・ヒート・ファントム――」


 その言葉を読み上げた瞬間、強烈な緋色の輝きが放たれた。

 それは俺を、クリスを、そしてテイオウグモを飲み込む。


 何が起きたのか。わからない。

 わからないが、この輝きはとてもつもなく優しく、温かいものだってことはわかった。


 その優しく温かい輝きに触れたおかげなのか、俺は妙な幻想を見ることになる。


『頼りにしてますよ、先生』


 白い髪の少女が、笑顔を浮かべていた。

 アルフレッドの記憶なのだろうか。わからないが、彼女は楽しそうに笑っていたんだ。


 温かな光が消えていく。その終わり際に、違う顔が俺の脳裏にこびりついた。


『ごめんなさい、先生』


 それは、涙でぐしゃぐしゃになっている少女の顔だった。


 何が起きてそんな顔をしているのか。

 どうしてアルフレッドに謝っているのか。


 浮かんだ疑問は一瞬にして消え、俺はすぐに現実に引き戻された。


「ガアアアアアッッッッッ!!!」


 テイオウグモが燃えている。

 テイオウグモだけが燃えている。


 何が起きたんだ。

 本当に何が起きたんだよ。


 俺は混乱しながら自分の身体を見ると、絡みついていたクモの糸がすっかり消えていた。


「すごい、すごいよおじさん!」

「……ああ。すごいな」


 迷子の子どものおかげで魔法は確かに発動した。

 だが、この魔法は一体どんな魔法だったんだろうか。


 俺はアルフレッドを見る。

 するとアルフレッドは、眠っていたのか起きたばかりの様子を見せた。


〈懐かしい夢を見たわい〉


 俺は、詳しく聞かない。

 いや聞けなかった。


 ただ、アルフレッドと一緒に不思議な炎に身体を焼かれているテイオウグモを見つめる。

 それが正しい答えだとは思うことなく――

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