やさしいひと

@musubi3837

やさしいひと

好きなんて感情、ここ最近思ったことない。ましてや恋なんて、もう、いつからしてないのだろう。

それらしい記憶の中の女性は、なぜか憐れむような、申し訳なく思うようなそんな目でこちらを見ている。確か別れを告げられたのはそれから一日だか、二日だか後のことだ。

確か冬だった気がする。地球温暖化のせいだかなんだかわからないが、その年は寒くなるのがやけに遅かった。いつもは葉を落とす木々も11月ぐらいまでは綺麗な紅葉を見せてくれていた。

マフラーや手袋などの防寒着着込んでいても肌寒い気温だった。僕はそれなりに着込んでいたが彼女はそこまで厚着していたわけでもなく、口癖みたいに寒いですねと言っていた。僕があげたマフラーは一度巻いているのを見た後、二度と巻いているのは見なかった。

クリスマスが近づくたびに帰り道に並ぶ僕たちの距離は、日に日に離れていった。最後に手を繋いだのはいつだっただろうか。別に気恥ずかしいわけでもないのに僕から誘うことはなかった。最後に彼女の方から誘われたのはそれから一ヶ月くらい前の事だったと思う。

別に何を話すわけでもない。部活のことを聞いても学校のことを聞いても、帰ってくるのは曖昧な返事と〇〇〇さんにはわからないことですよと、それだけだった。今から思えば、ある種の優しさとも思えた。なんて呼ばれていたかも、もう思い出せなくなってしまった。

うまく答えられない僕はいつも、そっか楽しそうなら何よりだよ、とまるで無関心みたいな言葉で返すのがやっとだった。

無言が痛く寂しい季節だった。

吹いてきた風に彼女は寒いですね、と言った。

僕はそうだね、と返すのが精一杯だった。


生暖かい風が吹き付け、なんとなく春を感じる。むしろ日差しも相まって夏の予兆にすら思える天気だ。自転車を漕ぐ足が心なしか震えてきた。多分釣る前の兆候だと思う。部活を途中で投げ出した弊害だろう、文句を言うまい。

今日は昼からの授業なのでいつもよりゆっくりの登校だ。それゆえにいつもより暑い。朝ゆっくり出来るのはいいが、夏に近づくに連れて日差しが辛くなってくる。地球温暖化は嫌いだ。風が涼しかったらいくらかマシだったろう。最悪の始まりだ。

自転車のスタンドを落とす音が、かしゃーんと静かに響く。平日の昼前の駅は、人通りも交通量も他の日に比べ物にならないくらい少ない時間帯だった。無人駅の自動改札を通り、入ってすぐ左のベンチに腰をかける。大学の通学時間を潰すために始めた読書は思いのほか性に合っているようで、もう二桁は小説を読んだと思う。丁度いい通学時間があってよかったと思いつつも、近くに引っ越せば他のこともできたろうと思うとなんとも言えない。結果オーライって事にしておこう。

駅の屋根にもらった影にありがたみを感じながら、先ほどとは幾分か涼しくなった風で少し涼む。風からは少し遅れて電車が音を立てて新しい風を連れてホームに向かってくる。高校時代に慣れ親しんだ電動ドアからは幾分か時代の遅れた半自動ドアの電車に乗り込む。今まで想像していた田舎暮らしからは違ったが、これはこれで楽しい。この時間の車内には席の三分の一くらいの人がまばらに座っている程度で、それほど人も多くなく大体座れる。ドア横のいわゆる角席に腰掛け、カバンの中から手探りで本を出す。いつも通りのラブコメを開く。昨日の続きが少し気になっていたから、楽しみに読み始める。発車したばかりの電車の揺れは心地よかった。

「俺は、お前にさ、桜にさ、、」

小説の中の主人公はそう言ってヒロインに思いを伝えようとしている。控えめ目な主人公の性格からしたらこうやって思いを伝える行為に至るまでの決心はそれはそれは大変だったろう。

「お前には、幸せになって欲しい。」

この言葉にたどり着くためにどれほどの努力をしたのだろう。そう思うだけでも少し泣けてくる。

「その相手が俺だったら、もし俺だったら、嬉しい。」

感動ものだ。いい話。車内ということを忘れて泣きじゃくってしまいそうなくらいにはウルウルきてる。スタンディングオベーションしたい。

「私ね、理人、私ね。今までより理人を知りたいの。幼馴染って言葉に甘えて全てを知った気になってた。まだ見てない理人をみたいの。それがどんな理人でも、私はみたい。かっこよくても、可愛くても、ちょっとカッコ悪いところでも」

そう言ってヒロインは主人公の手を取り、ゆっくりと包む。手があったかいのか、みるみると体が赤く染まっていく。

「これからも理人のこと教えて」

そう言って赤く染まった主人公の頬にそっと口付けをする。驚いたように主人公は一歩下がる。顔は今までにないくらい赤くなっていた。

そっとヒロインの方を見ると幸せそうに笑っている。明確に意味を変えたこの繋いだ手を離したくはなかった。

そう書き綴られた本を閉じる。少し余韻に浸りたいと思い、上を向いて車内広告に目をやる。やっぱりサウナ後の水風呂の方がいいな。

とは言え、すごくいい作品だった。主人公の不器用だけどまっすぐとした思いを貫く心や、ヒロインの全てを受け入れる心の広さ。凄いよかった。

手か、、

いつから繋いでないっけ、、

そう思うが、あまり鮮明に記憶を思い出すのは自分が躊躇した。かろうじて思い出せたのは、大学帰りに見た高校生カップルが手を繋いで帰る姿だった。

あの時、無性に過去の自分のように思ってしまった。笑っていた二人に過去の自分が鮮明に重なった。思い出すのはなぜか初めて付き合った彼女の方だった。

まあそっちの方が単純に長かったし、二人目の彼女とは一度しか繋いだことはなかったから、記憶の濃さとかだろう。そっと右側を見ると今でもいそうな気がする、振り向こうとする自分が悲しく思える。ずっと囚われている。そんな感じ。俺が見ていたいのは楽しかった記憶の中の彼女。目を向けなければいけない今の元カノの存在ではなかった。ずっと過去の美化されたた彼女との記憶を徘徊してる。多分ここからずっと動けない。

俺が見ていたいのは俺が必要とされている彼女で、俺から離れていった彼女ではなかった。

時間が経って、口では吹っ切れたと言ったのも自分に言い聞かせる節が大きかった。全くと言って効果のなかった。そのせいか、忘れるために始めたバンドを元カノが見にきていたと聞いた時は心なしか嬉しかった。

口ではもうどうでもいいよと言っていたが小学生のような好きの裏返しだったと思う。あんまり声を大にして言いたくはなかった。

その後、ちょっとして二人目の彼女から告白された時は、最低なことを言えば都合がいいと思った。高校に入ってからずっと仲もよかったし、気の知れた友達だった。最近、距離が近いと感じていたし、やけに意識していた相手でもあった。幸せになれると思った。全部忘れて幸せに出来るとも思った。幸せがあると思った。

付き合ってからは幸せだった。

愛して愛して愛して愛した。

まるで自分に言い聞かせるように好きと言っていた。可愛いと伝えていた。実際好きだったし可愛かったが今から思うと自分の洗脳の方が役割として大きかった。思い出してはいけないと思った気持ちを上書きするのに精一杯だった。いずれ自分から離れていってしまうと思うと、愛していると伝えるのはどこか悲しく思うようにもなった。

二人目の彼女が好きな俳優の話を僕にした時、正直ここまでだろうと思った。前の彼女は自分を顔で見ていたと聞いたことがあったから、性格が壊滅的だと自覚している自分には、もう彼女をここに引き留める手段がないと思った。手でも握って離したくないと思った。心が離れていくのを感じたから物理的な距離くらいは近くに居たいと思った。

手が繋ぎたい旨を伝えた僕の問いかけを、彼女は申し訳なさそうにどこか居心地の悪そうに断った。もう届かないと思った。心が置いていかれるのを感じた。

僕の中の彼女は振り向くことなく僕の問いかけには答えてくれなかった。そこから自分を見せられなかった。自分の好きなように振る舞う自分は彼女にとって僕の見たくない面だったのだと思う。それからはきっと彼女が見たいと思っているだろう面だけしか出せなかった。かつて友達としてやってこれた面で振る舞うしかなかった。

ずっと笑って、彼女の言動に賛同の意思を示し続けた。面白そうと思っていそうな話をするときには目一杯のリアクションをとって笑い、悲しそうな話なら今にも泣き出しそうな素振りを見せた。

彼女に捨てられたくなかった。

僕が彼女を本当の意味で好きになったのはあまりにも遅かった。

彼女から別れたいと言われたとき、心の底にあった罪悪感が消えていくのがわかった。それと同時に心の真ん中のあまりにも大きなものを失った気もした。

言葉こそなかったが、私が一緒に居たかったのは貴方ではない、と言われた気がした。

僕のしたことに比べたらあまりにも軽いしっぺ返しで、それでいて大きなものを失った喪失感が何日も消えなかった。

自分のエゴで友人も恋人も失ったのは辛かった。

それでも心のどこかに初めて付き合った彼女が居て、ここから動くことは自分の意思でできないと思った。

愛されたいと思った僕は誰も愛することができなくなった。

独り身で生涯を終えるのは別に悪くないと思う。身近にそうゆう人を知っているし、金銭面とかを考えればそっちの方が楽だった。何よりいつか別れが来る関係はあまりにも悲しく、もう体験したくないと思った。

自分の愛する人に先立たれたくないと思った。それならば自分の中に作り上げた美化された思い出と過ごす方が何倍も幸せだと思った。いつか自分が死ぬときは誰の目にも触れずに死にたいと思う。どこか遠く、初めて見る顔の医者かなんかに殺される。

自死願望がある。

そう言って間違いない。

自分のせいで誰かが悲しむのは嫌だった。本音を言うとめんどくさかった。誰かの話を聞いて同調する仕事は性に合っていると思うが、本来の自分とはかけ離れていくのが目に見えてわかった。

みんなが俺に似せたカカシと会話しているようなそんな感覚だった。それは俺の器を持った他のやつで製作者の意図を汲み取って欲しいと伏線を張ってみるけれど、多分下手なのだろう、どれも届くことはなかった。

それならばカカシの自分のまま生涯を終えた方がいいな、と思った。

カカシの方が性格はいいし人当たりもいい。みんなの記憶の中の俺は多分、悪くないやつ、くらいで生涯を終えると思う。それならば別によかった。誰も記憶の中にいる僕が美化された僕と気づくことなく今後も生きていく。思い出話の中の僕はきっとそんなに悪いやつじゃないと思う。

気づかない方がいいこともあるんだ。

後から編集された思い出の写真を見て、これが思い出だ、と上書きするのも別に悪いことではないと思う。でもそれは思い出の一瞬を切り取った写真ではなく、自分の意思で上書きした美化された思い出。それを見て思い出を語り、また美化した思い出を強める。みんなで話し合う共通の美化された思い出に囲まれて過ごす。生きやすいし、幸せだ。それでいい。自分だけ知っていれば他人が指摘する必要はない。そう言うもの。

それならばカカシだとバレる前に店を畳んだ方がいい。

そう思った。

幸せの定義は知らないが主観的に言えば別に不幸ではない生涯になると思う。

幸せを求めて不幸になるのはもう嫌だった。


電車が止まり、そこそこ大きなターミナル駅で扉を開ける。僕は席を立ち、乗り換えのために人混みの中に潜っていく。改札を出て、少し開けたところで階段を登る。横にはけたたましい音楽がなるパチンコ屋が並んでいる。イヤホンをしていても貫通してくる音に驚きを隠せない。客引きの女性を無視していく人の流れ沿ってモノレールの駅に着く。無視される側は辛いだろうなと常々思う。

モノレールと言っても特段電車と変わるところもなく、強いて言うなら緊急脱出用の梯子が用意されているくらいだった。乗り込んだモノレールは通勤ラッシュの時間帯にちょうどかぶるため、いつも人に揉まれる。圧倒的にこれが原因で近場に引っ越したいと思ってる。

落ち着かないモノレールでは、カバンから小説を出そうにも痴漢と間違われるといけないため、動けない。何も考えることもない。暇を持て余す時間だけが過ぎた。

モノレールを早々に降りて学校まで歩く。こっちは小雨が降っていた。雨は好きになった。初めて付き合った彼女の影響だ。


雨は好きになった。初めての彼女は雨が好きだったから、必然的に僕も好きになった。

もともと雨は嫌いだった。作られた自分の仮面が化粧落としのように落とされていく感覚があった。友人には見せていない姿が見せるのは嫌われるのが怖くて嫌だった。

君はどんな先輩でも好きですよ、と言ってくれた。初めて言われた言葉で、思わず泣きそうになった。

ただ嬉しかった、愛されたことが。今まで愛された実感がなかった僕が初めて実感できた。あの瞬間だけは。僕が口にした恋の言葉に笑ってくれる君が僕の救いだった。独りよがりな恋とは違った。君がいた。泣きそうだった。幸せを知った。伸ばした手を繋いでくれた。何も言わずに笑って僕を迎えてくれた。

どうでも良い話に笑ってくれたり、笑ったり、一緒に悩んだり、君といる瞬間が過ぎるのが楽しくもあり、終わらないでほしかった。そこに永遠を見出したかった。この時間を自分の手で終わらせたくなった。

君が僕を見なくなったのは少しずつ気づいていた。誰よりも君に好かれたかったから、そればにいた自信があったから、多分、誰よりも先に気づいた。心のどこかでずっと思っていた答えかもしれないとも思った。

「結局、俺は都合のいい男なのか」

ふと昔、彼氏さんイケメンだねとクラスメイトに褒められたと嬉しそうに語る君を思い出した。

やっぱり顔だけだったんかな。俺の価値。

どんな俺でも好きと言ってくれたのは、どんな俺でも顔は変わらなかったからだろう。

周りから、顔は悪くないと言われたこともあるし、顔に関しては平均値くらいはあると思ってる。性格は言わずもがなだった。

日に日に目が合わない時間が長くなっていった。前みたいな、あんま恥ずかしいので見つめないでください、とかそうゆう照れの時間ではなく、無関心からくる時間だった。

それ比例するように部活で笑っている時間は増えていった。これこそ、心ここに在らずってやつかなって思った。

友達から聞いた話だと君の好きな人は、うちの部活の部長らしかった。部活から乗り換えて僕の方に来たのは聞いていたが、部長が彼女と別れたことでワンチャンを狙いに行こうとしているというのは初耳だった。正直失笑しか出なかった。悲しさよりも、自分の不甲斐なさで胸が苦しかった。ポジションも、勉強も、顔も、人間性も勝てず、しまいには愛する彼女すらそっち行ってしまうとなり、自分に残っているのはなんなんだろうと思った。元々顔目当てで来たのに、顔が勝ててないのなら、屍と一緒じゃないかと思った。

友達は別れた方が良いと言ってくれた。それは純粋な善意で、誰がどう見てもそう言うと思う。今からすればすぐ別れるのが正解だった思う。時間が愛を深めるわけではないと思うが、瞬間ダメージより蓄積ダメージの方が心にくるのは誰が見ても明らかだった。でも、何故かと言った方が正しいと思うが、別れるなんて思い浮かばなかった。飼い慣らされていたと言えば正確かもしれない。純粋に別れたくないと思っていた。この肩書きが消えたら君のそばにいられなくなると知っていたから、この立場から離れたくなかった。

だから、いつ別れを告げられるか怖かった。

終わらせたくなかった。君から離れたくなかった。君から嫌われるのが嫌だった。いっそ、そばに入れるなら愛なんていらないと思った。

無難に動いた。動くしかなかった。優しく、機嫌を取って。君に愛想笑いに救われたり、傷ついたり。感情的になれたら楽だった。

言いたかったことも、やりたかったことも、あげたかったものも、行きたかった場所も、なにも叶うことはなかった。

何も言えなかった。君がこっちを向くのを願うだけで、何もできなかった。延命処置だけして根本の治療は何もできなかった。正直、話し合いたいこともいくつもあった。聞きたかったことも、言いたかった不満も。何もかも言えなかった。友達からは怒って良いよ、お前にはその権利がある、って言われた。実際、クソ野郎みたいなムーブをして、君は実は被害者だったみたいな感じになれば、君の評価も下がらないと思うし、後々周りに愚痴だったり、笑い話にでも出来ると思って、決心していた。最後ぐらい嘘をついても良いと思った。本心から出た嘘。でも、出来なかった。心を鬼にして怒ることも、自分を偽って騙すことも。言えた言葉は、どれも君を庇う言葉で、誰のためにもならないものばっかりだった。言えた本心なんて何一つなかった。不意にみるスマホケースは君からのクリスマスプレゼントだった。結局それも次の彼女と付き合うまでは捨てられなかった。俺の中の思い出は結局捨てられることはなかった。

残るのは元カレが俺と言う事実だけ、それもすぐに払拭される。

君の中には俺は残らない。


傘の間から見える雨に心が少し落ち込む。

向かう先が大学でなかったら濡れていくところだったが、あいにく目立つのは性分に合わないのでやめておいた。

ふとスマホを見て、来ているLINEの中から重要そうなのだけ返す。読んでる小説の感想を共有するのは時間がかかるからじっくり考えようと思い、LINEをとじ、適当な音楽を流しゆっくり大学へ向かった。


講義五分前にも関わらず教室にはあまり人がいなかった。もしかしたら雨だから学校に来たくない層が大半を占めているのかもと思った。

LINEで新しくできた友達から着いたかの連絡が来て、大体の現在地を送ってやる。

授業前は大体騒がしい。今日もそれに漏れずにそうだった。

慌てて入って来た生徒を見て、こっちと言う手振りをして誘導する。隣の席からカバンを退けて、友の座る席を作ってやる。

笑顔で今日第一声を友に向かって発する。

やっぱりカカシの方が人当たりは良かった。

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