第2話 鈴木洋平
あれから一年後。
今日は役所に婚姻届を提出しに行く。相手はもちろん、鈴木シネマで出会って私から声をかけた鈴木さん。
鈴木洋平。同じ町に住んでいる二十一歳の大学三年生。
私の高校卒業後に、洋平さんがプロポーズしてくれたのだ。
もちろん、お互いの両親は反対した。私は進学せずに家庭に入ってパートをするつもりで、洋平さんは大学に通いながら、バイトをしつつ就職活動もする。
せめて洋平さんが大学を卒業して就職してから、という両親の言うことも聞かずに、私は泣いたり騒いだりして、強引に同意を得た。
だって早く鈴木シネマに行きたいから!
洋平さんも必死にご両親を説得してくれて、今日この日を迎えることができた。
無事に婚姻届と転居届の提出を終えた帰り道。
「洋平さん、なんだかかっこよくなった。服もおしゃれだし、顔つきも。眼鏡からコンタクトにすると結構雰囲気変わるね」
「ありがとう。結婚したら、人に見られることが多くなると思うし。もちろん、
ああ、幸せだ。これからはこんな素敵な人と映画を楽しむことができるのだ。
早速だけど……。
「洋平さん、映画観に行かない? 鈴木シネマに」
「うん、僕もそう思っていた。今まで二人のときは遠くの映画館まで観に行ってたけど、これからはすぐ観に行けるね」
憧れの鈴木シネマ。新しい姓で記載された住民票を提示し、鈴木であることを証明する。では、いざ入場!
初めて入って気づいたのだが、映画は一作しか上映されてなかった。ポスターも貼ってないし。まったく映画の情報がわからない。
映画のタイトルは……聞いたことない。自主制作? でも、そういう映画こそ面白かったりする。
平日の昼間。席には余裕がある。隣には夫になったばかりの愛しい人。幸せいっぱいの気持ちで上映を待つ。
いよいよ始まった。俳優は……見たことない人ばかりだ。だけど、演技上手い。すごくリアルだ。思わず惹き込まれてしまう。鈴木シネマはやっぱり魅力的な映画館だったのだ。
あっという間に物語が終わり、エンドロールが流れる。
主演は……鈴木憲一? やっぱり知らない俳優さんだ。この映画からブレイクするといいな。
そして続く名前を見ると……。
鈴木さくら、鈴木萌乃……。ん? 鈴木ばっかりだ。続く名前もみんな鈴木。そんな偶然ある? 鈴木シネマに合わせた芸名にしたのかな。面白い。
映画は家族愛が溢れた感動的な作品で、隣から洋平さんがすすり泣きをする音が聞こえていた。洋平さん、私たちも素敵な家庭を築いていこうね。
映画館を出て、近くの洋食レストランでディナーを楽しんでから家路についた。
住まいは元から洋平さんが住んでいた1DKの部屋で二人暮らしをすることになった。鈴木シネマまで歩いてすぐに行ける距離にある。
いつかは広い家に住みたいな。そしてシアタールームを作って……なんて未熟な私たちにはまだまだ遠い夢か。
玄関扉を開けた洋平さんが私を先に入れてくれる。
「洋平さん、お疲れさまでした。 ね、映画、面白かったよね。次はいつ行く? 」
引越しで親にお金を借りたばかりだが、つい私はそんなことを聞いてしまう。
「映真の無邪気な顔、本当にかわいいね。こっちへおいで」
ソファに座っている洋平さんの隣に座ると、洋平さんは私を抱きしめた。
「映真、はなさないよ。これからもずっと一緒だよ」
なんて優しくてあたたかなハグだろう。私、ずっとこの人についていく。
――なんて、幸せな時間はほんの束の間だ。
初めての家事に労働。料理も掃除も親に任せきりだったので、なかなか慣れることができない。スーパーのフルタイムパートもミスばかりして、毎日のように社員に怒られている。新生活がこんなにもストレスがたまるなんて。こんな状況でも、洋平さんが優しくしてくれればいいのだけれど……。
結婚して十ヶ月ほど経った今では顔を合わせれば喧嘩。洋平さんが家に帰ってくる日が少なくなったから。たまに帰ってくるときはお酒の缶がたくさん入ったコンビニの袋を提げ、うつろな顔をしている。そんな洋平さんについ私は声を荒げる。
「ねえ、毎日何してるの? またコンビニ? 節約しようって言ったよね。お弁当作っても持っていってくれないし。大学ちゃんと卒業できるの? 学費払ってもらってるのに」
「……大学、辞めようかな」
「な、何言ってんの、ダメだよ! 辞めてちゃんと働く気あるの? バイトもどうせ辞めたんでしょ? こんなんじゃ離婚しろって言われちゃうよ」
「……」
洋平さんはそれには答えず、床に座り、缶ビールを開けて飲み始めた。ちょっとぉ……。
それからも洋平さんとはすれ違いの日々。相変わらず洋平さんは家に帰ってこない。
数日後、パートを終えて夕飯の買い物をしてから自宅に帰る。
部屋に上がるや否や、両手に持った買い物袋を床にドサっと置き、私は床に座り込んだ。もちろん、洋平さんはいない。涙が出てきた。
洋平さん、どうしちゃったの? なんでこんなことに。
鈴木シネマにだって最近は行けてない。生活を切り詰めなければならないから。
もう……。穏やかで幸せな映画ライフを送れると思ったのに。
涙がとめどなく溢れてくる。どうしたらいいの……。
キィ……。
玄関扉が開いた気配がして、ビクッとして振り向いた。そういえば鍵を閉め忘れていた。
すると、洋平さん……じゃない、知らない女の人が立っていた。メイクも服装も派手だ。だ、誰?
「あなたが洋平の奥さん?」
「な、なんなんですか? いきなり勝手に入ってきて! あなた誰ですか!?」
もしかして洋平さんの浮気相手? 他に好きな人ができたから私に冷たくするの? 私は泣き喚いた。
「お、落ち着きなさいよ。私は
落ち着けって、勝手に人のうち入ってきて何言ってんの? しかも鈴木って。よくある名字ではあるけど、こんな女と同じだなんてすごく嫌だ。
「あんたが洋平さんを惑わせたんでしょ! 優しくて真面目な彼を返してよ!」
「落ち着いてってば。ねぇ、鈴木シネマ行かない?」
え? 鈴木シネマと聞き、ピタリと動きが止まった。急に何? なんで鈴木シネマ?
「……誘うからには奢りですよね?」
「はいはい、わかりました。私の奢りで一緒に鈴木シネマに行ってくれませんか?」
行きたい。映画が見たい。そんな悪い人ではなさそうだし……。
「まあ、いいでしょう。お互い心を落ち着かせるためにも。映画を観終わってからじっくり話をしましょうか」
鈴木ミカルがやれやれ、といったようなため息を小さくついたのを私は見逃さなかったが、見ないふりをして「さ、行きましょう」と言った。
「その前に、冷蔵庫に入れたほうがいいんじゃない?」
鈴木ミカルはくたっと床に置かれた買い物袋を指差した。
やっぱり悪い人ではないだろう。
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