第34話
学院内の、いつもとは違う酒場にて、昼の少し前。
最近こんなことがあったのだ、とたまたま同席となったエリザ女史に語ったところ、「きみは本当に、まわりをかきまわすのが好きだね」と褒められた。
わーいやったーばんざーい。
両手を持ち上げておおげさに喜びを示す。
「褒めていると思うのかい?」
「他人の言葉は素直に受け取ることにしているので」
「それが許されるのは学生までだ」
そうかなあ。
冒険者時代も、「指示ははっきりと、正確に」とか「会話は端的に」とか「もってまわったいいまわしは駄目」とか「いいから戦っている最中に薀蓄を語るのはやめろ」とかよく言われたけどなあ。
みたいな屁理屈で反論したところ、ジト目で睨まれた。
にっこりと笑ってやった。
「きみは本当に、よく一年間も同じチームでやれたなあ」
「皆の努力あってこそです」
「本当に、きみ以外の皆が努力したんだなあって胸が熱くなるよ」
これが友情ってやつさ。
いまも、おれは彼らの友情に助けられているのだ。
と胸を張ったところ、「こんな奴を相手に、わたしは何を言っているんだろう……」とエリザ女史は額に手を当てて呻いた。
はっはっは、こんな奴とは失礼な。
わかっていて、女史をからかっているんじゃないか。
「ふんっ」
小柄な少女にしか見えない助教授は、水で薄めた葡萄酒がなみなみと注がれた陶器の杯を両手で持ち上げ、ぐびりと音を立てて呑む。
酒に弱いのにそんな呑み方するから、酒場の方が気を遣って、薄めた酒しか出されなくなるんだよ、このひと。
学院内には酒場が十軒もあるから、それぞれの酒場には馴染みがつく。
店の側では、問題児ならぬ問題教授リストみたいなものもまわっているとかで、彼女もそのひとりであるとのこと。
いや、彼女がおれのよく行く酒場だけでなくこの酒場でも常連になっているという可能性も少しはあるけど。
ここって学院内では平均より少し安めの酒場だから、教授連中は一部ののんべえしか来ないんだよ?
夕方になると、学生たちで席が埋まってうるさい。
だから、来るならいまみたいに午前中がいいんだよね。
ちなみにここより下のランクの酒場になると、朝でも夜でも学生で埋まっているので、本当にうるさい。
そういうところを好む超のんべえもいるとは聞くが、おれはちょっとそういうノリは苦手なのだ。
あと、酒場によっては研究者たちが新作の酒を下ろしたりしてるんだけど……このあたりの話はややこしくなるのでまた今度。
杯を一気に半分くらい空けた女史の顔は、もう真っ赤である。
「酒だけだと胃に悪いですよ。この豆スープとか、少し口に入れたらどうです」
「これ食べる」
「あ、ちょっと、そっちはおれが頼んだベーコン!」
「食べるもん!」
エリザ女史は、ちゃっかりとおれのそばにあった太いベーコンを奪い、大口を開けて豪快に喰らう。
おーい、それ、ちびちび食べようと思ってたんですけどー。
「うん、脂が口の中で弾けて、実においしいじゃないか」
「春に仕留めた泥灰猪の肉なんですよ。知り合いの狩人が、ここに納品したっていうから食べに来たのに」
「もう一品、頼めばいいじゃないか。おーい、店員!」
エリザ女史が、通りすがりのウェイトレスを呼び止めて注文する。
だがウェイトレスは、「その肉は終わりました」と無常に告げて、立ち去った。
おれたちの間に、しばし沈黙が立ち込める。
「数が少ないから早めに、ってアドバイスされたんですよ」
「本当に申し訳ない!」
「いいですって。また次の仕入れを待ちます」
ちなみに泥灰猪は西の森に棲む大型の魔物だ。
まるで灰か煤にまみれたような肌で、ヒトの胴体くらいの太さがある左右の牙が特徴的な大猪である。
熟練の狩人が複数人がかりでも仕留めるのは苦労する相手だが、なにせ体躯が馬の数倍はあるため、得られる肉の量が多い。
その大量の肉を、保存食として上手く活用できないか。
そんな研究を進めている部署と、おれの知り合いの狩人が共同開発したベーコン、それが、いま食いしん坊のエリザ女史が貪り食ったものの正体なのである。
「たしかに先ほどのことは申し訳なかったが、人を食欲の権化のように語るのはやめてくれたまえ」
「そちらのゼミの学生にいまの話を聞かれたくなかったら……クックック、わかっていますね?」
「な、何が望みだ」
「最近、学院に押しこめられていて暇なので、言い訳がきく外出の用事をつくりたいなーと。適当な依頼、ありませんかね」
「まあそりゃ、きみを外に出したらナニを始めるかわかったものじゃない、と最近みんな思い始めているからね……」
心外である。
おれはただ、好奇心の赴くままに自然現象を調査して、大地に隠された謎を暴きたてているだけだというのに。
かつて師も、おっしゃっていた。
ヒトの誰も知らないことを知ることこそ、我ら研究者の役目なのだ、と。
そのためには頑迷な迷信の信奉者を打破せねばならぬ。
迷妄を晒し過去の栄光に固執する輩の討滅こそ、真の勝利に繋がる唯一の道である、と……。
各国の王の調整に疲れ果てて、弟子たちと共に酒に酔っていたときに、そう叫んでいたのだ。
逃げ遅れたセブンが浴びるように呑まされて、ゲロの海に沈んでいたあの懐かしい日々のことである。
ろくな思い出じゃねえなこれ。
いやまあ、そんなことはいいのだ。
「特に、きみを森に入れると、また魔物が暴れるんじゃないかと恐れる者たちが多いのだよ」
「因果関係が逆転しています。今年起きた事件に関して、おれが原因だったことは一度もないのに……」
「理性では、そうだとわかっていてもね。研究者とて、占いに頼る者もいれば、過去の法則に囚われる者もいる。博打に嵌る研究者だって、似たようなものだろう」
博打は……そうかな……?
そうかも……?
「それはそれとして、だ。今年、研究者になったばかりの人物がいる。北方のとある山に登って霊草を採集したい、という話なんだが……」
彼女の口から出た霊草の名前は、たしかその山の山頂付近でしか咲いていない、特殊な花であった。
あの山全体が、ちょっと変わった魔力に包まれているって話なんだよな……。
あの山の湧き水の調査もしてみたかったのだ。
今回は、ちょうどいいタイミングかもしれない。
「だけど、まだ少し頼りなくてね。護衛もできる者がいると嬉しい、という話なんだ」
「はいはーい、やりまーす! 護衛、お任せくださーい!」
「うん、それじゃ、よろしく頼むよ。姫さまには、わたしの方から伝えておこう」
「そりゃ助かりますけど……いいんですか」
「このまま押し込めていると、ナニをやらかすかわからない。そう言っておけば、向こうも納得するさ。ああ、姫さまだって、懸命に軍を説得するだろう」
あの方の使い方を心得ているな、この人……。
さすが、姫さまの担当教授だっただけのことはある、のか?
「ところで、なんでおれの扱いが狂犬か何かみたいなモノなんですかね」
「それは自分の胸に手を当てて、よく考えてみたまえ」
「やましいところはこれっぽっちもないですね!」
自信満々に応えたところ、女史はうんざりした顔になる。
◇ ※ ◇
そういうわけで、二日後。
くだんの山の頂にある霊草採集部隊が学院を旅立った。
リーダーは新人研究者の女性で、名をチャッケナ。
ずっと北東の国から来た留学生で、鮮やかな青い髪とルビーの瞳を持つ、少し変わった雰囲気のある人物だ。
なんでも彼女の国は大陸のそばにある島であり、大陸人とは少し人種が違ううえ、大陸では獣人と呼ばれる者たちと血が混ざっているのだとか。
大陸では珍しい青い髪も、その混ざった血の証なのだという。
「わたしたちは、大陸の方々とは少し違う魔法を使えます。この学院に来たのも、わたしたちと大陸の方々との違いを理解するためでもあるのです」
とのことである。
あー、これアレだ、師がおっしゃっていた、三百年前以前に分化したヒトの一族の末裔ってやつだ。
知識としては、そういう人たちがいることは知っていた。
大賢者到来以前のヒトは大陸の弱小勢力で、森の中で魔物たちに怯えて暮らす人々であったこと。
そんな者たちの中でもごく一部、勇敢な者たちが外の世界へ旅立ち、その大半の試みは失敗したものの、ごくごく少数が新天地にたどり着いて、独自の発展をしたこと。
そういった人々は、魔力変化の要素が違うため、独自の属性を持ち、独自の魔法を用いることができること。
彼女の国の民は、そうした者たちというわけだ。
聞けば、国といっても民はせいぜい五千人がいいところで、しかも百年と少し前、大陸の各地に手を伸ばしたヒトに再発見されるまでは二千人を超えることがなかった程度であるという。
そんなチャッケナが使う魔法は、主に水を操るものが多かった。
一般に言われる水の魔法と違い、水を個体のように固めてみたり、水の成分を変質させてみたり……なるほど海の民ということは、まわりを常に水に囲まれているわけだから、こういう魔法が役に立つわけか……。
と、馬車の客席で彼女に魔法を使ってもらい、それを興味深く分析していたところ……。
「先生! チャッケナさん! 馬車の中に水をばらまかないでください!」
と御者のクルンカに怒られてしまった。
うん、今回、クルンカも同行しているのだ。
「先生は立場をわかってますか? わたしはお目付け役……いえ、助手として、先生に同行させてもらいますから!」
と押し切られたのである。
いまお目付け役っていった? いやまあ、いいけども……。
なお馬車の外では、チャッケナの助手の生徒がふたり、馬に乗ってついてきている。
助手、といっても故郷から彼女についてきた屈強の男性で……うん、うちの国なら貴族の従者か、それとも軍人か、といったところだろう。
つまりは、チャッケナという御仁。
彼女は貴人であり、国から屈強の配下をつけられる程度には大事にされている人物ということだ。
エリザ女史も、厄介な人物の護衛をさせてくれたものである。
いや、何か外に出る言い訳がないか頼んだのはおれの方なんだけども。
おれたちのやりとりを聞いて、チャッケナがくすくす笑う。
「仲がいいのですね、おふたりは」
「ええ、まあ、おかげさまで。優秀な助手で、とても助かっていますよ」
「そーですよ、先生! もっとわたしのことを褒めてくださいね!」
チャッケナは「本当に、仲がよくて羨ましい」と呟く。
あー、まあ、うん。
彼女の助手……護衛たちは、彼女との間に一線を引いて、護衛の立場に徹している感じだからなあ。
それが仕事であり、護衛である自分たちごときが彼女に気安い態度をとるなど言語道断、という思想が透けてみえる。
あれでは気づまりするのも、わからないでもない。
つーかこれ、護衛としてはあの人たちで充分で、だからおれが同行しているのはつまり、彼女の気晴らしにつきあえってことなのか?
ええい、エリザ女史も、またまわりくどいことを。
そういうのは、はっきりと口に出して指示して欲しい。
かくして馬車に揺られること、二日。
おれたちは、目的の山の麓にたどり着いた。
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