第35話

 この国で山登りを得意とする者は、そのほとんどが軍人である。

 軍では山登りの演習があるらしいからね。


 狩人や冒険者は、なにせ王都のそばに豊かな森があるから、探索の条件もキツくなる山中にはあまり分け入らない。

 それに、険しい山はたいてい国境となっており、故にいろいろややこしい問題も起こりやすい。


 東の国との国境にある山脈もそうだけど、今回、おれたちが登る山も、北の国との境に存在していた。

 まあ、軍がこんな山を越えるの大変だし、そうなってもひと目でわかるわけだから、こういう土地が国の境になるのはよくあることなのである。


 みたいなことを、道中の野営の最中、チャッケナに語った。

 島育ちの彼女は、たいへんに感銘を受けた様子で、おれの話を身を乗り出して聞いてくれた。


「北の国との小競り合いとか、あったりするのですか?」

「現在のところ北の国との関係は悪くないですし、山の中腹に砦が置かれている程度です。今回は、その砦で一泊します」

「夕方までには山頂につける程度、と聞きましたが……」

「山頂で一夜を明かすのは危険ですよ」


 ふたり助手……護衛の男たちが、しきりにうなずいている。

 日程については彼らとも事前に話し合って、了解をとりつけてあった。


 旅をするとき一番重要なのは事前準備なのだ。

 本当にね、もうね、実は何が足りない、やっぱりあれをやろう、みたいなことを言い出すヤツと一緒に旅をするとね、ガチで死が見えたりするんですよ……。


 ちなみに姫さまの亡き母上が、気分で旅程を変えようとする御仁だった。

 毎回、残りのおれたちが全力で説得したものである。


 おれはそのへん、わりと実直で、どっちかというと予定通りにいかないとキレるタイプである。

 若い頃は見積もりが甘くて、割と二回に一回はキレていた気がする。


 ……本当、よくあんなチームが一年も保ったよなあ。

 いや、そんなことは、いまはいいんだ。


 山登りを開始してしばしののち。

 真っ先にダウンしたのが、チャッケナだった。


 青息吐息でしゃがみこんでいる。

 お供のふたりも、普段からかなり鍛えているだろうに、少し顔色が悪い。


 ちなみにおれは当然、ほとんど汗をかいていないし、クルンカも平然としている。

 その程度の、本来なら何でも無い山道のはずなんだが……。


「申し訳……ありません……こんな、はずは……」

「もしかして、みなさんが住んでいた島って、あまり高低差がないところでした?」

「はい……。ですが海で泳いだり、森を歩いたり、体力には自信があったのです」

「高低差のある移動は、使う足腰の筋肉が違うんですよね」


 そう言ったところ、護衛も含めて彼ら全員が驚いていた。

 あとクルンカも驚いていた。


「そうなんですか!?」

「知らなかった? クルンカの家は全員が健脚だろうからなあ」

「それは、そうですね。おじいちゃんも一日中歩けます」


 あのお年でそれはすごいなあ。

 いやでも、山登りを訓練に取り入れてる軍人あがりは、そんなもんかもしれない。


「まあ、ゆっくり行きましょう」


 こりゃたしかに、おれがついてきてよかった。

 いや、おれじゃなくてもいいんだけど、この国の地形に慣れた人が一緒じゃなければ事故が起きるところだった。


 エリザ女史の地味な好プレイである。

 護衛の男たちがチャッケナを背負うと言い出したが、彼女はそれを拒否した。


「緊急時には、頼みます。ですがいまは、時間も充分にありますから。いずれ慣れなければいけないことです」


 とのことで、彼女の考えはまったく正しい。

 自分の足で歩けなくては、フィールドワークなど夢のまた夢なのだから。


「それこそ、夕方までに中腹の砦につく、くらいのペースでよろしい」

「ですね! わたし、この山は登ったことがあるので、先導は任せてください!」


 クルンカがやたらに元気なのは、きっと自分がリードできる場面が嬉しいからなのだろう。


「クルンカお姉ちゃん、頼んだぞ」

「先生、普通に気持ちが悪いので、その呼び方はやめてください」

「はい……」


 からかったら、マジレスが返ってきた。

 本当にごめんなさい。


 まあ、一連のやりとりでチャッケナが笑ってくれたから、よしとする。

 護衛のみなさんの態度も、これまでよりはだいぶ緩くなった気がする。


「水分は充分にとってください。用意してきた水筒が足りなくなったら、こっちで出しますから」


 勝手に水が湧く水筒は人数分用意してある。

 山中で川を流れる水なんて、濾過しないと呑めないからね。


「あ、そのあたりは大丈夫です。濾過の魔法は、わたし得意ですから」

「そういえば水の魔法が得意なんでしたね」


 馬車の中で、おれの知らない魔法をいろいろ教えてくれた。

 もっともそのいくつかは、彼女のような海の獣人との混血種でなければ使えないものであるらしい。


 実に興味深い。

 属性というのは大賢者がつくった、おおまかなふるい分けなのだが、彼女たちの民はその例外なのである。


 三百年前、大賢者がこの地に降り立ったとき、ヒトは七種類の魔法因子持ちが混ざり合った種であった。

 故に大賢者は、この七種類の魔法因子を七属性と定義し、ヒトに適した魔法理論を構築した。


 しかし本来、魔法因子は七つだけではない……どころか無限に存在する。

 現在、一般的に伝わっている魔法理論は、すべてこのヒトという種に限定された理論にすぎないのだ。


 師から、理屈としては聞いていたんだけどね。

 あとおれの身近な例外として、耳長族であるファーストなんかもいたんだけど……あいつ、器用にヒトの魔法も自分なりのアレンジで使いこなしちゃうんだよなあ。


「先生、七属性の分類って、ひょっとして間違っているんですか?」


 そんなやりとりをしていたら、御者のクルンカが小首をかしげて訊ねてきた。

 おれはなんと答えたものかと考えた末、「狭義のヒトという限定的な状況では合っている」と返事をしている。


「狭義のヒト、ですか」

「ここでは、三百年前に大賢者さまが出会ったヒト、という意味だ」

「なるほどー?」


 このあたり、歴史といっしょに話をしなきゃいけないヤツなのだよなあ。

 学院で彼女が一通りの教養を学んでから、また話をするべきだろう。


 ちょうどいいから、山登りのついでに、ヒトのここ三百年の歴史についてクルンカに講義をする。

 おれと彼女にとっては、それくらい余裕がある道中だったのだ。


 チャッケナと彼女の護衛たちも、おれたちを前を歩きながら、おれの歴史講義に耳を傾けていた。

 ひととおりは大陸の歴史を学んでいる彼女たちにとっても、いくらかは新鮮な情報を提供できた様子である。


 やれやれ、と空をみあげた。

 雲ひとつない澄み渡った空で、黒いカラスが優雅に舞っていた。



        ◇ ※ ◇



 あまり整備されていない山道を、ゆっくりと歩く。

 予定の倍くらいかかって、そろそろ空が赤く染まり始めるだろうという頃、ようやく山の中腹の砦にたどり着いた。


 山の中腹に立てられた砦は、簡易なものだった。

 砦を囲む壁は、背丈の倍くらいの高さがあるとはいえ木製で、内部には平屋の建物が四軒あるばかり。


 常駐する兵も十人ほどで、あまり緊張感がある様子はない。

 それも当然のことで、北の国との争いは、ここ二十年ほど、いちども起きていないのだ。


 まあ、そのぶん南の国との関係がめちゃくちゃ悪いんだけどね。

 あと、北の国の更に向こう側には、あまり仲がよくない大国がいたりするんだけどね。


 なのでこの砦の役割は、この山を通って北の国とこちらの国を行き来する旅人の監視が主な仕事となる。

 掘っ立て小屋を貸し出しているのも、そういった旅人向けのサービスだ。


 おれたちは山を更に登るわけだけど。

 兵の代表には、学院の者です、と言ったら「ああ……」という顔で素直に納得してくれた。


 これが「ああ、お偉い学者さんたちですね。お疲れさまです」という意味なのか、それとも「ああ、あのキ○ガイども。怖いから触らないでおこう」という意味なのか、それは不明である。

 彼が視線も合わせずに最低限の伝達事項を告げた後、兵舎に戻ってしまったことについては考えないものとする。


 ともあれ、これでようやく、疲れ果てているチャッケナを休ませることができる。

 護衛の男たちもだいぶ疲弊しているので、さっさと小屋に押し込んだ。


 夕食は小屋の設備を使ってクルンカが用意する、とのことで、ここは彼女に任せることにする。

 王都から山までの道中でも、チャッケナたちはクルンカの料理に舌鼓を打っていたから、問題ないだろう。


 さて、というわけで……。

 クルンカには「周囲を確認してくる」と言って小屋を出たおれは、そのまま砦も出て、山の頂上に続く道へ。


 道しるべの上に、一羽のカラスが止まっていた。

 昼間も見た、黒いカラスだ。


「ファーストか」


 おれはカラスにそう訊ねた。

 カラスは口を開き、「ああ」とファーストの声で返事をした。


「まず、例の鉱石の出所を聞きたいんだが……そのあたりは後まわしにした方がいいか?」

「そうしてくれると、助かるね。ちょっときみの手を借りたい」

「きみがおれに助けを求めてくるとはね」


 よほどのことでなければ、彼女は自分ひとりで何とかしてしまう。

 こうして手助けを求めるのは、実に珍しいことである。


「きみでなければ、駄目なことなんだ」

「そんなことがあるか?」

「これを」


 カラスが片足を上げる。

 足首に巻かれた白い布が……なんだ、これを取れってことか?


 布を広げてみると、丁寧に折りたたまれた契約書だった。

 おれが何年か前につくった魔道具の製作を委託する契約で、おれの側にはほとんど儲けがないシロモノである。


 おいこら、きさま。

 うーん、まあ別にいまさらコレでお金を貰う気もないし、そもそもこれまで事業化していなかった理由が採算を取れないだろう、って判断なので、いいっちゃいいんだが……。


「何でわざわざ? 勝手にやればいいだろう」

「先方が、きちんと契約した上で事業としてやりたい、と言っていてね」

「だとしても、採算は取れるのか?」

「人の命が助かる」

「わかった、サインするよ」


 契約書にペンを滑らせる。

 いやほんと、こんなの勝手に利用してくれちゃっていいんだが……先方がそのへんで律儀に手続きしたい、というなら仕方がないね。


「恩に着るよ。次に会うときは、きみが名づけるところのクルカニウム鉱石について、いろいろと手土産を持っていこう」

「そっちの方が金よりよほど嬉しいね。期待している」

「それと、ぼくにも弟子ができた。弟子とはいいものだね。己の未熟さを教えてくれる」


 カラスが夜空に舞い上がった。

 ゆっくりと旋回しながら上昇していく様子を、おれはじっと見守った。


 弟子、か……。


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