第33話

 先日行なった、学院主導での国内の水質調査。

 そこから派生した、クルカニウムと名づけられた新物質の分析。


 これらの共同研究で代表を務めているのは、おれではない。

 貴族の傍流の庶子という学院の派閥的に微妙な出身ながら多大な業績をあげ、この分野の第一人者となっている初老の教授である。


 彼はメイス教授と呼ばれている。

 これは、本来の名ではなく通称なのだそうだ。


 本来の名は貴族家としてのものだから、学院では、論文に記名するときにも使わないのであると。

 ではなぜメイスなのかといえば、若い頃、戦闘訓練で愛用していたのが槌鉾メイスだったからとかで……。


 彼の研究室の壁には、いまでも愛用の槌鉾メイスが立てかけられているという。

 物騒だな、おい……。


 いやまあフィールドワークで魔物が出るようなところに行くこともままあるからと、備品として武器を置いてある研究室もそこそこ存在したりはするが。

 で、そのメイス教授が、王宮に呼び出された。


「きみが学院と王宮の繋ぎ役ではなかったのかね」


 メイス教授にそう問われて、心外であると首を左右に振るおれ。

 いやほんと、違うんだって!


 だから、きっちりと研究の有用性をアピールしてきてくれたまえ。

 と旗を振って送り出したところ。


 優秀でダンディでスタイリッシュなメイス教授は、顔を青くして、ひどく慌てた様子で王宮から戻ってきた。


「予算、どうなりました?」

「姫さま、怒ってませんでした?」

「クルカニウム、手に入りそうですか?」


 共同研究者たちが教授のもとへ集まり、口々に訊ねる。

 メイス教授は、沈痛な様子で指を三本立てた。


「研究費二割減、ですか……」

「え、違う? もしかして、半減? それは……さすがに……」


 それも違う、と教授は首を横に振る。

 重々しく、口を開く。


「三倍だ」

「は?」

「この研究の予算は三倍になった。同時に、軍の管轄下に入る。共同研究者全員だ」

「待ってください、それはいくらなんでも……」

「もう決まったことだ。明日には軍からの出向者が来るから、丁重に出迎えるように」


 それだけ言うと、教授は自分の研究室に引っ込んでしまった。

 抗議に行こうとした研究者たち数名は、しかし教授の研究室から聞こえてくる槌鉾メイスの鋭い風切り音を前にして尻込みし、閉じられたドアの前で顔を見合わせた後、立ち去ったという。



        ◇ ※ ◇



 おれの研究室に戻り、書類と格闘していたクルンカに事情を説明する。

 クルンカは困惑して様子で首を横に振っていた。


「軍の内部のことは、全然……。うちの家族も、それぞれ部署が違いますし、部署ごとに対立とかもあったりするので、そういう話は家庭に持ち込まないように、って」

「情報管理が行き届いていて何よりだ。軍から派遣される人員に、心当たりとかは?」

「そもそも、学院に来るということは研究内容をしっかり理解できる人じゃないといけませんよね? 実はわたし、軍派閥から期待されて入学した一期生なんですよね」


 期待の新人ということか。

 この子自身が研究者肌かどうかはともかく、頭はいいし事務はできるしで、本来はおれなんかの助手をしていていい人材ではない気がする。


 姫さまの命令なんだけどね。

 彼女の体質を研究したい系研究者の下につけるわけにはいかない、という事情もあるんだけどね。


「軍には、あまり学院の研究に詳しい人材がいない、と?」

「もちろん、魔術師として優秀な人はたくさんいますよ。だから先生が目をつけられたわけですし」

「実に不本意だ」

「そこは自覚してください! あと、戦争に使えそうな魔道具とかを見つけてくる専門の人とかはいるって聞いてます」


 厳しいことを言ったあと、クルンカは続ける。


「わたしは今回のプロジェクトに初期から参加していましたから、ある程度はわかります。でもデータを見て詳細を把握するとかはできません。先生方のやっていることは、それくらい知識と経験が必要なことです」

「つまり?」

「軍から来る人というのも、たぶん、おおまかな事情を把握できるかどうか、くらいじゃないでしょうか」

「それで、監視に来る意味があるか?」

「先生方を監視しないと、勝手に虎獣人の縄張りに突入しかねない、と思っているとか?」


 はっはっは、いくらおれたちが無謀でも、そこまでじゃないぞ。

 せいぜい、こっそりとくだんの山脈に侵入して、見張りをやり過ごしながらクルカニウム鉱石を捜す程度である。


 というかこの計画は、一部研究者の間でいまも進行中だ。

 案内できるような人材にアテがないので、実現性が絶望視されているだけで。


 もちろん、おれの友人の斥候のことは話していない。

 あいつに話を持っていっても、素人の引率なんて絶対に断られるし。


 やるなら、あいつとおれのふたりきり、となるわけで。

 おれは何故か姫さまから、「あなたはしばらく、学院から出ないように」とじきじきに釘を刺されているのだ。


 うう、ひどい話だ……。

 いったいおれが、何をやらかしたと言うんだ。


 ちょっと……その……昔、やんちゃをしたり、人に話せない人間関係のあれこれを勝手に解決したり。

 その程度じゃないか。


「先生、自分が被害者みたいな顔をしてますけど、その……いえ、何でもないです」

「クルンカくん、言いたいことがあるなら遠慮なく言ってみたまえ」

「ああっ、お仕事しないと! この書類、早く仕上げないとーっ!」


 わざとらしく大声をあげ、クルンカはペンを握って机に向き直る。

 ええい、賢しいことを。


「仕方がない。こっちはこっちで、準備だけはしておくか……」

「準備って、何です? いえ、わたしは書類を片づけるのに忙しいですけど」

「見られると機密指定されそうなものは隠して、あと、きみ以外が奥の部屋に入れないように防犯の魔道具を強化してだな」

「あの……わたしにそれ言っていいんですか」

「告げ口しないだろ?」

「しませんけど……」


 クルンカが、おおきなため息をついて立ち上がった。


「わかりました、わたしも協力します」


 まったく、できた助手である。



        ◇ ※ ◇



 翌日、軍から一組の男女が派遣されてきた。

 腰が曲がった年寄りの男性と、ピンと背筋を伸ばした若い女性だ。


 こちらは、研究者とその助手たちが全員で会議室に集まり、彼ら軍からの出向者たちを出迎える。

 総勢二十人以上で、広い会議室も少し狭く感じるほどである。


 年寄りの方が、クルンカの姿を見つけて、「久しぶりだね」と笑った。

 クルンカが、少しむすっとした顔で年寄りを見上げる。


「おじいちゃん! 今朝は何も言ってなかったじゃないですか!」

「軍の仕事とは、そういうものだ。クルンカも知っているだろう?」

「知ってますけど! 当日の朝なら教えてくれたって!」


 クルンカが「もー! もー!」と叫んでぴかぴか輝いている。

 老人は、呵呵と笑った。


「さて、わしらは特に何か口を出すことも、手を出すこともない。研究者の皆々様は、好きにしてくれたまえ」

「よろしいので?」


 メイス教授が、いぶかしげな表情で確認を取る。

 老人は「無論」とうなずいた。


「もとよりわしらには、あなた方の理論などわかりませぬ。実験データの数値を見ても、そこに意味を取ることができませぬ。それでも軍がわしらを派遣したのは、あなた方を監督している、という建前が必要であるからです」

「ずいぶんと、はっきり言いますね」

「おじいちゃん、取り繕うの嫌いだから……」


 何でそんな人を派遣したんですかね。


「おじいちゃん、とっくに軍を引退していたんです。でも最近、妙に張り切ってランニングとかしてて……こういうことだったんですね」


 ちらり、と老人の隣の女性を見てみれば、こちらは額に手を当てて深いため息をついていた。

 この人、苦労人っぽいなあ。


 そもそも、本来は員数外の老人が監査役としてやってくる時点で、向こうもあまり本気ではないことが伺える。

 そこに割り当てられたこの女性も、貧乏くじを引いた、というところなのだろうか。


 今回、姫さまの意向がどこまで働いているかもわからないんだよなあ。

 姫さまは、絶対に一連の出来事を重要視していると思うんだけど……。


「では、簡単に我々のこれまでの研究について、お話させていただきますね」


 メイス教授が、テーブルの上に広げた実験機材と、そこから得られたデータについて語りはじめる。

 素人向けの、簡略化された説明だ。


 老人は、ふむふむとわかったようなわからないような感じでうなずいている。

 女性の方は顔をしかめて、懸命にメモを取っていた。


 真面目な子だなあ。

 上司とぶつかって嫌われて左遷とかされそうな感じだ。


 とか適当なことを考えながらふたりの様子を眺めている。

 というか、おれたちこれ、もういる必要ないよね?


「おれ研究室に戻っていい?」


 とメイス教授に言ったら、めちゃくちゃ嫌な顔をされた。

 あ、そう、駄目? ……はい、わかりましたよ。


「先生は本当にだめな大人ですねえ」


 クルンカが呟き、それを耳にした老人がまた笑う。

 メイス教授がおれたちの方を睨んだあと、老人たちに頭を下げていた。


 うーん、気にするほどのこともないんじゃないかなあ。

 と思ったら、老人が「解散で構わぬでしょう」と声に出す。


「後ほど、研究室にお邪魔させていただきますわ。そのときは、どうかよろしく」

「あ、はい」


 さりげなく、来訪の約束を取りつけられてしまった。

 やるな、老人。


 クルンカが無言で肩をすくめている。

 そんな、「先生は本当に駄目ですねえ」みたいな顔をしないでくれたまえ、こちらにも傷つく心があるんだぞ。


 とはいえ、許可は出たので部屋から抜け出し、研究室に戻る。

 クルンカが、慌ててついてきた。


「先生、自由すぎませんか?」

「これはもう性格的なものだから、諦めてくれ。殿下にも諦められているぞ」

「そこは胸を張るところじゃないです!」


 クルンカはいいツッコミを入れるなあ。

 遠慮がないのは、実にいいことだ。


「先生、殿下と仲がいい男性ランキングで陛下とご兄弟を抜いて一位になってるの、ご存じですか?」

「え、なにそのランキング。どこで集計したの……?」

「王宮の側付きの間で、です」

「めちゃくちゃ限定的なランキングでは……?」


 あーでも側付きの子たちは、そのへんよく見ているのかな。

 でも別に、おれ、姫さまとそこまで仲がいいわけじゃない気が……。


 うーん、どうだろう?

 とクルンカの方を見てみれば、呆れた顔で「まあ、いいと思いますよ。殿下も楽しそうですから」とだけ口にする。


「楽しそうなら、いいんじゃないか」

「いまのは皮肉です!」

「そうなのか……」


 何で怒られたのかわからないが、とにかくクルンカはぴかぴか輝いていた。

 明かりいらずだなあ、いまは昼だけど。


 研究室に戻った後、中断していた実験に戻る。

 途中でクルンカのおじいちゃんが来たけど、おれが実験に集中しているのを見て、諦めて帰ったそうだ。


 そうだ、というのは後でクルンカが教えてくれたからである。

 彼が来たの、全然気づいてなかったわ……。


「先生、本当の本当にそういうところですよ」

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