第32話

 ファーストが、おれが不在の間に研究室を訪れたという。

 しかしおれとは顔を合わせることなく、クルンカにクルカニウム鉱石の欠片を渡して、また消えた。


 あいつめ……ひょっとしなくても、以前からクルカニウム鉱石のこと知ってたな……?

 おそらくは耳長族の知識だ。


 耳長族の知識には、大賢者が知らなかったものも多い。

 長命で、各人が好き勝手にやっているので、珍妙な研究成果を個人が抱えていたりするのである。


 ファーストはそのあたりの価値に早々に気づき、各地の耳長族の里をまわって、知識の収集を心がけてきたらしい。

 おそらく、クルカニウム鉱石もその成果のひとつなのだろう。


 それはそれとして、耳長族では何という名前の鉱石なのか、今度聞いてみたいところである。

 ついでに耳長族での研究成果もこっそり教えて欲しい。


 あとできればデータをつき合わせて議論とかもしたい。

 もっと言うと、耳長族の研究者を連れてきて欲しい。


 本当は、こっちから耳長族の里に赴きたいんだけどね。

 彼らはひどく閉鎖的で、師がどこかの里に赴いたときも、三度、門前払いされて四度目でしぶしぶ中に入れてくれたとか。


 閑話休題。


 ファーストから貰った鉱石は、ありがたく研究チームに見せて、彼らに同定の手伝いをしてもらった。

 みんな大興奮で、三日間、寝ないでさまざまな実験が行われた。


 得られたデータを都度、突き合せて議論をした。

 結果、もっとでかい鉱石が必要だ、という結論に達した。


 ったく、あいつも使えねぇなあ、もっとでかい石を持ってこいよぉ。

 とは誰も言わないが、おれを見る同僚たちのいらだちの籠もった目が、そう言っているような気がしていたたまれない。


 ファーストが悪いとは思わない。

 というか、よくぞ持ってきてくれた、と賞賛したい。


 その上で、試料が絶対的に足りない。

 なにせ水溶性だから、これでは思い切った試験ができない。


「姫さまに直談判して、王家のおちからでクルカニウム鉱石を手に入れて貰おうではないか!」


 学院の会議室にて。

 三徹後の代表研究者がそう叫び、目が血走った同僚たちが血気盛んに声をあげている。


 おれは知らないフリをして会議室から抜け出そうとしたが、捕まって左右からはがいじめにされていた。

 何で? おれもう知らないよ?


「きみは姫さまと仲がいいと聞く」

「どこから聞いたのそれ、知らない、おれ全然知らない」

「エリザ女史だ」


 あんにゃろう。


「彼女こそ姫さまと仲がいいでしょう。あっち経由で依頼すればいいじゃないですか」

「このプロジェクトに参加しているきみの口から要請することで、より説得力が出る。ほら、この紙にサインするだけでいいから」


 羊皮紙が、おれの目の前にさっと出てくる。

 こ、こいつら、王家への嘆願書なんていつの間につくったんだ……。


「姫さまにお願いなんてしたら、代償で何を要求されるかわかったものじゃないんだよ!」

「この紙にもある通り、この研究は極めて有益だ! 現時点でわかっていることだけも、王家は必ずや研究の続行を命じるに違いない! いや、必ずや!」


 代表研究者が血走った目で叫ぶ。

 いやまあ確かに、クルカニウム鉱石の特性は驚くべきものであったのだ。


 まず、この物質を水に溶かして一定の濃度にすることで、魔力の伝導性が非常に高くなる。

 実験では、調整次第で魔力の到達距離が三倍まで伸びた。


 もっときっちりと濃度の調節を行えば、どこまで記録が伸張するかわからない。

 このへん本当に、現状、採集できたクルカニウムの量が少なすぎるんだよね……。


 次に、ある種の生命力を変化させる性質。

 具体的なところはまだまだ不明なのだが、魔力を通すことで植物の生育などに影響を及ぼすことができるようだ。


 他にもいくつか実験の結果、こういうのもありそう、というのがあったりするんだけど……。

 いずれも試料不足で、上手くいっていない。


 そういうわけで、我々は欲求不満なのだ。

 王宮に直訴するべし、と意気込む者たちの気持ちもわからないでもない。


 でもなあ、いまくだんの山脈は、姫さまの方でも繊細な取り扱いって感じっぽいんだよなあ。

 下手に首を突っ込むと政治に巻き込まれかねない。


 しかも、そのことを目の前の男たちに言うことはできない。

 いまのところ秘密にしておけ、と姫さまから命じられている。


「とりあえず、実験のレポートを提出して、様子を見る、って感じでいいんじゃないですかね。直訴はそれからでも遅くはないでしょう」


 羊皮紙にサインはせず、そう言ってみた。

 集まった研究者たちはたいへんに不満そうである。


「ひょっとしたら、王宮がおれたちの予想以上に食いつくかもしれませんよ。とりあえず予算が出れば、研究は続けられますし」


 思わせぶりに、告げる。

 いやほんといまこの場から逃げるためのでまかせなんだけどね。


 そのはず、だったんだけどね。

 結論から言うと、王宮はめちゃくちゃ食いついてきた。



        ◇ ※ ◇



 学院の酒場では酒以外のドリンクメニューも充実している。

 まあ、教授が若い学生を連れてくることも多いからね。


 ただし、十五歳未満への飲酒は禁止だ。

 子どもの飲酒は成長を阻害する、という研究結果が出ているし、大賢者もそれを認めている。


 十五歳で区切っているのは、それがこの国における成人が十五歳だからだ。

 このあたりは王都などではマナーの範疇だが、この学院においては割と厳格なルールとして運用されている。


 そういうわけで、いつもの酒場にクルンカを連れてきて、果実ジュースを頼んだ。

 たまには助手におごって、甲斐性を見せておく必要があるというものなのだ。


 料理は遠慮なく頼んでいいぞ、と告げたところ、クルンカはメニュー表を皿のように眺めた後、異国の珍しい料理をいくつか注文した。

 運ばれてきた大皿を目に焼きつけるように眺めて、ゆっくりと、まるで試料を扱う研究者のように慎重に口に運ぶ。


「味はどうだ」

「羽根羊の肉に岩塩とこの黒い香辛料を磨り込んで、蒸したものですね。香草の匂いで羽根羊の臭みが消えてます。こっちのタレは……魚醤の一種かな? うん、柔らかいお肉に染み込んで、脂と混ざり合って味を引き立てています。付け合わせの根菜も……」

「まるで研究者だな……」

「料理研究家のクルンカちゃんとお呼びください!」


 少女は、えっへんと平坦な胸を張る。

 実際に、クルンカのつくる料理はクオリティが髙くて、彼女がその方面で勉強熱心なことはよく知っていたが……。


「別に、新しい料理を研究する必要はないんだぞ」

「そうはいきません。先生の健康を管理するのも助手の役目です!」

「そんな給料は払ってないが……」

「そうですね。新発見の石に勝手にわたしの名前をつけるのも、給料のうちじゃないですよね」


 ぷい、とそっぽを向く。

 頬をふくらませているが、まあこれはフリだろう。


「では、クルンカ料理長にふさわしいお給料はいくらか、言ってくれないかな。いまの三倍でいいか?」

「え、いや、そんなに貰うわけにはいきません! 先生はもっと現実的な相場をご理解ください!」


 あたふたした後、なぜか怒り始めた。


「わたしのことからかってますよね! もーっ!」

「お金貰えるって言われてこんなに慌てるヤツも珍しいよ……。給料については、わりと本気なんだが」


 実際、この子が事務仕事をしてくれているおかげで、研究がめちゃくちゃはかどっているからね。

 今回の共同研究も、割り当てとか清算とかの細かい仕事が山ほどあって、そういうのを片っ端から片づけてくれる彼女には感謝しかない。


 今日、ここに連れてきたのも、おれとしては慰労のつもりだったのだが……。

 まあ、料理を味わって、それを楽しんでいるのは確かっぽいから、これでいいのかもしれない。


「なんでもすぐ分析を始めるところは、研究者に向いてると思うぞ」

「それは姫さまにも言われました。軍に入らず学院に入って正解ですよ、って」

「いまでも、軍に未練はあるのか?」

「そりゃあ、わたし以外は、みんな軍人の家ですからね。親戚もだいたいそうです。わたしひとり学院というのは、ちょっとどころじゃなく肩身が狭いですよ」


 そう言ったあと、慌てた様子で「あ、でも、そのことで責められているってわけじゃなくて」と言い訳を始める。


「家でみんなが集まるとき、わたしだけ軍の中の話に混ざれない、とか、そういうので……」

「共通体験は結びつきを強めるからなあ。それはわかる。おれも、冒険者や狩人と、どの魔物を倒したときの話、とかで盛り上がるし」

「そうそう、そういうの! みんなが羨ましいんです!」

「これからはクルンカも、自分の名前がついた鉱石の話とかで盛り上がれるじゃないか」

「わたし何もしてないのに、全然自慢じゃないですよそれ……」


 何もしてない、ということはないんじゃないかな。

 おれが研究に没頭できたのも、きみが雑務と料理を全部やってくれたからだよ。


 そのうえ、懸念のひとつであったファーストとも、どうやら仲良くコンタクトできたみたいだし。

 いやあ、あいつと上手くいくかとか、あいつを見てどう思うかとか、どう姫さまに報告するのかとか、ちょっと気になってたんだよ。


 ファーストも、おれの姉弟子、ということさえ口にしなければ単に数多いる放浪の研究者というだけだ。

 耳長族は変わり者が多くて、故郷を出てくるような変人はだいたい一ヶ所に留まることがないから、あちこちうろついていても不思議なことは何もない。


 で、そのあたりを注意深く観察していたところ。

 クルンカは、ファーストのことを姫さまにいっさい報告していない様子であった。


 姫さまからも、おれの研究室を極秘で訪ねてくる女、という明らかに怪しい人物についての言及がない。

 どうやら本当に、クルンカはおれの周辺を嗅ぎまわる任務を帯びてはいない、ということらしい。


 そのあたりについておれの方から口にするのは、藪を突っついて蛇猫を出すようなものだ。

 ただ、そのことについて礼だけはしておきたかった。


 いま給料の話をしたが、たぶん姫さまからも彼女にお金が流れているはずなんだよ。

 それにも関わらず、彼女が姫さまに報告しない、というのは……可能性は三つ。


 ひとつは、ファーストの一件が重要じゃないと考えているということ。

 ふたつめは、彼女自身の考えで、そのあたりを止めているということ。


 そしてみっつめは、姫さまの方が、彼女に「報告するな」と命じている可能性である。

 どれがいちばん、可能性が高いかといえば……。


 まあ、みっつめ、かなあ。

 姫さまだって、いまさらおれがこの国を裏切るとは思っていないだろう。


 それくらいには信用されている、と断言できる。

 クルンカを送り込んできたのは、だからおれをスパイするのではなく、おれに寄って来る輩からおれとおれの研究を守る、という意味合いが強いはずだ。


 その中でおれの秘密を知ってしまった場合、クルンカが任務を遂行するのにもっとも効果的な指示は……。

 と考えると、まあ、そういうことになる。


「ほれ、もっと食べろ食べろ。肉のおかわり、いっとくか?」

「待ってください、先生。わたし食べ盛りですけど、さすがにステーキもう一枚は無理です!」

「若いんだ、何とかなるだろ」

「なりません! こーんなにわたしのお腹をふくらませてどうするつもりですか!」

「その言い方、外聞が悪いからな。大声を出さないように」

「あ、はい」


 今日は果実ジュースのおかわりを頼みながら、料理をつっつく。

 北の方の国で生まれた料理の濃い味つけが彼女の好みのようだったが、それはそれとして「先生に出すときは、こっちの南国風のソースを使った方がいいですねえ」といった自己分析を忘れないのがすごい。


 料理のプロ、といった感じだ。

 そっち方面、学院ではまったく学んでないはずなんだけど……。


 なお。

 以前、そのあたりにツッコミを入れたところ、


「料理の腕は軍で必要になりますからね」


 クルンカは平然と、そう返してきた。


「父と母が言ってました。過酷な状況でも、おいしいご飯が食べられれば、士気が上がるそうです」


 それは確かにそうだな、と思った。

 冒険者時代のおれたちも、そうだったから。


 師のもとで研究生活を続けるうちに、何故か粗食に馴れちゃったんだけどね……。


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