第31話

 わたし、クルンカは夏の終わりごろから、先生の助手として働いている。

 学生として学院に通う、そのかたわらである。


 教授や研究者のお手伝いは、基本的にはあまりお金がない学生のために用意された、救済という意味合いが強い仕事だ。

 わたしの家は軍貴族でも上の方で、特にお金に困ってはいなかった。


 でも。

 だからこそ、と殿下に頼まれてしまった。


 最初は、どうしてだろうと思ったのだけれど……。

 先生の研究成果を見せてもらったり、先生が検討中の研究について教えて貰ったりしたら、その理由もよくわかってしまった。


 いや……これ駄目だよ……このひと、ひとりにしちゃ駄目だよ……。

 十二歳のわたしでもわかることだ。


 先生の研究成果をちょっとちょろまかしたりするだけで、一財産を築けるかもしれない。

 そして先生は、きっとそれを知っても、何も気にしないだろう。


 いやむしろ……。


「ああ、おれのかわりに研究を完成させてくれたなんて、なんていいひとなんだ。ありがとう!」


 とか言いそうだ。

 いや、うん、きっと言う。


「せっかくだからコツとか教えようか?」


 みたいな余計なことまで言いそうである。

 別の国の密偵さんとかがバシバシ研究成果を持っていっちゃっても、むしろ喜んじゃう。


 そういうヒトなのだ。

 ヒト全体の発展のためには、きっと先生の方針が正しいのだろう。


 大賢者さまは、ずっとそういうやりかたをしてきたという話だ。

 でもそれは、大賢者さまを失ったいまの大陸において、国としては自殺行為もいいところ。


 秘匿するべき技術は、守らなければならない。

 だから、わたしがいる。


 先生の研究のお手伝いとして、研究室の中で目を光らせる。

 先生の秘密を、この身を盾にして守る。


 それがわたしの、本当の仕事だ。

 ちなみに殿下からは、こう仰せつかっていた。


「あなたは密偵ではなく、あくまであの方の助手です。わたくしに話せない秘密を抱えた場合、あの方の側に立って、あの方のために尽くしなさい。それが結果的に、わが国のためになるのです」


 そのときはよくわからなかったけれど、いまなら心の底から理解できる。

 先生は、しがらみが苦手なのだ。


 ある日突然ふっと消えてしまいそうな……。

 どこか知らないところに旅立ってしまいそうな……。


 そんな、あえて言うなら、そう。

 こだわりの薄い人なのだ。


 だからわたしがやるべきことは、あくまで先生を支えること。

 先生の秘密は胸に抱えて、お墓まで持っていくつもりで動くこと。


 だから、ねえ。

 先生?


 この床に落ちてる長い長い銀の髪の毛は何ですか、とかは聞きません。

 研究室の奥の部屋に、一時期、誰かが住んでいたっぽい雰囲気があるとかは気づかなかったことにします。


 ………。

 とか考えながら研究室のお掃除をしていたら、誰もいないはずの部屋に、いつの間にか人がいた。


 わあっ、とびっくりして飛び退き、腰の小剣を抜いて身構える。

 もしや、先生の研究を盗みに来た泥棒さんっ!?


 と思ったんだけれど。

 耳が長くて背が高い、若い女の人だった。


 とても綺麗な銀の髪と、吸い込まれそうなルビーの瞳。

 女の人は、微笑みながら、わたしの様子をじっと観察していた。


 わたしはどう反応していいかわからず、剣を鞘に収める。


「不審者の方、ですか?」


 そう訊ねてみた。

 女性は、耳をぴくぴくと動かし、目をぱちくりさせる。


 そして、こてん、と首を横に傾けた。

 わたしがじっと見つめていると、人差し指を自分の顔に向けて、「え、ぼく?」と囁く。


「きみこそ、誰だい?」

「失礼しました!わたし、クルンカと申します! 先生の助手をしてます!」


 元気よく挨拶した。

 女の人は、目をおおきく見開いて、わたしをじっと見つめてくる。


「あ、あの……何ですか?」

「助手……ふうん、そうかい。きみが、ね」

「あ、はい! お金のために、働いてます!」

「感心、感心!」


 女の人は、わたしの頭を撫でる。

 なんだか気持ちがよくなって、ふわー、ってなった。


 ………。

 はっ。


「やっぱり、不審者の方、ですか?」

「違うよ? そうだね、ここの先生の、古いお友達……かな」

「先生の? その……お姉さんが?」


 わたしより何歳か上だと思う。

 でも、先生のお友達だったら、もっとずっと年上のはず……。


「耳長族を知らないのかい? きみたちよりだいぶ長寿でね。このぼくも、とうに百数十年は生きている。正確な年齢は忘れてしまったけどね……」

「おばあちゃん、なんですか!?」

「そうだよ、この国ができる前から生きているくらいにはね」

「ふわーっ」


 そんなヒトもいるんだ……。

 初めて知ったよ。


 わたしが知っているのは、せいぜいが王都とこの学院、それとその周囲くらい。

 この前、湖に行ったときも、心の中では大冒険。


 まだまだ知らないことがたくさんある。

 憶測で話しちゃ駄目だね……。


「ごめんなさい。不審者の方、ではないのですね」

「そうだね。せめて、愛人、くらいは疑って欲しかったかな」

「先生は、研究室に恋人を連れ込むようなタイプじゃないかなって……」


 耳長族の女の人は、けらけら笑い出した。


「よくわかっているじゃないか」

「でも、鍵がかかっている部屋に勝手に入るのは駄目だと思います!」

「ぼくが合鍵を貰っている可能性について考えないのかい?」

「うちの学院、部外者に合鍵を渡すの禁止なので」

「あ、うん、そうなんだ。ごめんね」


 何故か謝られた。

 ちなみに、わたしは先生の助手になってから少しして、鍵を頂いている。


 えっへん。

 ええと……なんだか、この人がわたしを見る目が生暖かい気がする。


「ところできみ、面白い身体してるね」

「え? あの、わたし普通に男の人が……いえ、まだ好きとかよくわからないんですけど」

「体質の話だよ?」


 あ、うん、もちろん知ってました!

 ぜんぜん勘違いしてないよ!


「軽く魔法を使ってみてくれるかい?」

「あ、はい」


 当たり障りのない魔法、というと……このあたりかな。

 見世物にされるのは好きじゃないけど、でもこの人にアレを見せるのは、不思議と何の抵抗もなかった。


 身体強化の魔法を使う。

 わたしの全身に魔力が行き渡り、そして……全身が、ぴかぴかと派手に輝く。


「ふーむ、精霊憑き、か。でもこれだけ完成度の高いものは久しぶりに見た」

「えっと? それって、このピカピカするやつですよね?」

「うん、そうだよ。ああ、きみたちは光属性と相性がいい、と解釈しているのだっけ」

「違うんですか?」

「そもそも属性とは何か、という話しになるね。結論から言うと、大賢者さまが利便性のためにつけた区別のひとつなんだけど。大賢者さま以前から長く魔法を扱ってきた耳長族としては、『勝手にヒトがつくっていた区分』かなあ。まあ、ぼくはそういう悪い先入観を持たないタイプでね。ここはあえて、きみたちの区分を受け入れて話をすることを許容しようじゃないか。ところできみたちの言う『属性』の相補性について……」


 立て板に水、とばかりに。

 耳長族の女の人は、ものすごい早口で語り始めました。


 ああ、これ、知ってます。

 得意分野を語るときの先生です! 喉が枯れるまで延々と話すんですよね!


「きみ、聞いているかい?」

「すみません、わたしまだ、魔法のことはほとんど学んでなくて……専門的なのはちょっと」

「おっと失礼、この研究室にいるから、てっきり彼の教えを受けているのかと」

「助手のお仕事は、アルバイトとして、先生のために書類を書いたりすることなんです。あと、お掃除は趣味でやってます!」

「そうだったのかい。ぼくとしたことが、とんだ勘違いをしてしまった。本当に申し訳ないね」

「いえ、構いません。それより、専門的なことはともかくとして……わたしのこの身体のこと、詳しいんですか?」


 ふむ、と耳長族の人は腕組みして首をひねりはじめました。

 あ、これ知ってます!


 単純にハイ、かイイエ、で答えればいいことを難しく考えすぎているやつ!


「ええと……『ぼくごときまだ学びの道の途上にいるものが安易に詳しい、などと言っていいものだろうか』みたいな学者さん特有の謙遜はいいので、この学院の人より詳しいなら詳しい扱いだと思います!」

「きみ、案外容赦ないね? まあ、その基準だと、詳しい……かな? ふむ、察するにきみは自身の体質で不都合を感じているのかね」

「はい。わたしの家はみんな軍人になる家系で……その、この身体じゃ、軍人としては都合が悪いから、って……」


 手短かに、わたしの事情を説明する。

 耳長族さんは、また首をかしげてしまった。


 あれ、いまの説明のどこに間違いがあったんだろう。

 先生に対する説明とだいたい同じのはずなんだけど……。


「どうしてきみは、軍人になりたいんだい?」

「え? えっと、それは……そういう家系だから……」

「ふむ、子が親を見て育つ、というのはヒトにおいてままあることだ。ぼくも、親子でよく似た雰囲気を持つ者たちを観察したことがある。彼らに共通しているのは、親と子の間に強い繋がりがあるのと同時に、子に他の仕事を選ぶ選択がなかったという点だろう。ヒトの生きる場所が狭く、ヒトの選べるものが数えるほどであった頃はそれが当然だったのだろう。しかしいまは違う。加えて、この国は、この学院は、そういった世の風潮に対して否と叫ぶためにつくられたと聞く。学問とはすなわち、ヒトがより自由になる権利を手に入れるための手段である、とも。ぼくはその意見に対して少し別の見解を持っているけどね。そもそもぼくたちもヒトも、最初から何をどうやって生きるかについて選ぶ権利がある、ということだ。故に……」

「話が長いです。手短かに」


 わたしは、ぺんぺん、と近くの机を叩く。

 耳長族さんは、しゅんと長い耳を垂らしてしまった。


 うん、殿下の真似をしてみましたが、とっても効果的!

 学者さんの長話にはこうするのが一番って教えてくれたんです!


「別に軍人の娘だからって軍人になる必要はないだろうし、ヒトにはそれぞれ適切な仕事がある」

「でも、体質が原因で、望むお仕事に就けないのはちょっと悲しいです。わたしの体質を改善する方法があったら知りたいと思いました」

「あ、うん、それはそうだね。結論から言えば、ぼくの知る限りでは、体質の改善は理論上は可能だ。しかし難しい」

「どういうことでしょうか」

「ぼくが知る、きみと同じ体質の人物は、耳長族にも存在してね」

「おお!」

「その人物は二百年ほどかけて、魔法を行使しても光らなくなった」

「二百年……」


 わたしはただのヒトだ。

 二百年は、ちょっと長すぎる。


「だがまあ、それは非効率的な鍛錬の上でのことだった。ひょっとしたら、それを十分の一くらいに改善する方法もあるかもしれない」


 わたしがしょぼんとしたことに気づいた耳長族さんが、慌てた様子でつけ加えた。


「あの……二十年でも、長すぎます」

「そうだね……きみたちは、そうだったね。うん、まあ、ちょっと考えてみるよ。期待せずに待っていてくれたまえ」


 耳長族さんは扉を開けて出ていこうとした。

 わたしは慌てて、彼女を呼び止める。


「あの、先生にご用事があったんじゃないんですか?」

「そうだった。これを彼に渡してくれたまえ」


 耳長族さんが、どこからともなく取り出した小石を机の上に置いた。

 鉱石のような、でもどこにでもありそうな、黒ずんだ石だ。


「頼んだよ」


 そう言って、出ていってしまった。

 わたしは彼女が残した石を、じっと見つめる。


「ええと……これ、何でしょうか」


 ちょんちょん、とつつきますが、何の反応もない。

 好奇心で、石に少しだけ魔力を流してみた。


 わたしの身体がピカピカして……わっ、なんかいつも以上にピカピカしてる!

 わあ、なんかピカピカが止まらない!


 あの、これ……これ、これ、これ! これこれこれこれ!

 もしかして、この石! 鉱石!


 クルカニウムですかぁっ!


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