第30話

 結論から言うと。

 くだんの山脈を探索した冒険者のひとりが、おれの古い知り合いである、昔のチームの斥候だった。


 姫さまは、彼が昔のチームの一員であることは知らなかったようだ。

 普通なら「さすがにそれくらい調査してるだろ」と思うところだが、それがあいつということなら、少し話が変わってくる。


 なにせあいつ、名前を頻繁に変えるからな……。

 数年ごとに徹底して経歴を消してるんだよな……。


 おれがいまでも繋がりがあるのは、単にあいつが、おれとの友誼を大切にしてくれているからだ。

 定期的に連絡をくれるのである。


 そしてあいつもまた、姫さまの母親が、かつて肩を並べて戦った彼女だとは知らない。

 それでも、なりふり構わず高い金を出して優秀な偵察兵を探した結果、あいつにたどり着いたというわけである。


 いやはや、とんだ巡り合わせもあったものだ。

 そういうわけで……。


 おれは現在、王都のしなびた酒場で、くだんの狩人とふたり、静かに酒を呑んでいる。

 他に客も少なく、店主も客の話には興味がない、そんな酒場だ。


 そこの薄暗い片隅で、ぼろぼろのテーブルを挟んで向かい合い、黙って酒を傾けているのだった。

 というか我が友人は、ここに来てから注文以外でひとことも口を聞いていない。


 怒っているのだ。

 おれが、姫さまの素性を黙っていたことを。


 同じチームだった彼女がこの国に嫁いだことは知っていた彼だが、その子らが姫さまたちだとはこれっぽっちも想像していなかったのだろう。

 無理もない、なにせ王妃としての彼女には、貴族の娘としての嘘で塗り固められた経歴がついていたのだから。


 で、おそらくこいつは、依頼の報告の際に姫さまと対面し、彼女からかつての仲間の面影を見たのだろう。

 そのとき、おれがこの国に愛着を抱いてる理由に気づいたのである。


 でもなあ、こういうの、言い出すタイミングがさあ……。

 と、王都の下町でもだいぶ出まわるようになった蒸留酒を静かに傾けていると。


「何故、言わなかった」


 あいつが、口を開いた。

 おれは素直に頭を下げる。


「すまん」

「何故、と聞いている」

「タイミングを逸したというか……」

「そうか」


 怒気が、消えた。

 深い深いため息をつく。


「おまえはそういう奴だったな」

「もしかして、おれ馬鹿にされた?」


 鼻で笑われた。

 なんだこのやろう。


「ひとの愛用していた弓を勝手に改造して……」

「その節はまことに申し訳ございませんでした」


 丁寧に頭を下げた。

 あんなことをしても友と呼んでくれるこいつは、とても人間ができていると思う。


「で、今度は何に首を突っ込んでいるんだ」

「まるでおれが落ち着きなく何にでも食いついているかのようなことを……」

「違うのか」

「………。まあ、おまえが偵察してきた山脈ともちょっと関係があるんだが」


 先日の湖畔の村での出来事を、ざっと語った。

 もっともこいつは既に、山脈を偵察する際、姫さまから最低限の情報を得ていた様子であるからして……。


「なるほど、山脈を住処とする虎獣人が、密漁の首謀者である疑いがあると」

「そこはよく知らないし、おれとしてはどうでもいい」

「だろうな」

「重要なのは、虎獣人の縄張りでおれの知らん物質が採集できるということだ」

「そちらは、下流の民の身体に影響がなければ無視していいと思うが……」


 お互いに睨み合った後、おれが先に視線をそらした。


「だって気になるんだよ。未知の物質だぞ?」

「ガキみたいなことを言うな」

「知りたいと思う心に年齢の柵なんてないだろう?」

「心に柵がないとしても、それを口にするかどうか判断するだけの理性は育つものだな」


 はっはっは、おれに理性がないと?

 昔よりは、あるよ?


「不服そうな顔だな」

「ございませんとも。ここを論点にしても勝ち目がないのはわかっているからな」


 我が麗しき旧友は、度のきつい酒をぐいと呑み干したあと、店主におかわりを頼んだ。


「おまえを口で負かした後の酒はうまいな」


 店主が次の酒を持ってくる間は沈黙の魔法の結界を解除して、当たり障りのない話題を選ぶ。

 グラスにたっぷりと注がれた酒を仏頂面の店主が持ってきて、カウンターの裏に戻ってから、再度、結界を展開した。


「それで、おまえは何を聞きたい?」

「虎獣人が草原まで下りてきて、自分たちで魚を流しているなら、普通に考えて噂のひとつやふたつは立つはずだ」


 おれは言った。


「そんな珍妙な出来事があったなら、王家の耳に入らないはずがない。そうは思わないか」

「まわりくどい。端的に、結論から話せ」

「草原から、ヒトが虎獣人に魚の買いつけに行った可能性が高い、と考えている。もっとも、わざわざあんな辺鄙なところへ行って交易なんて、採算が合うとは思えんが……」

「秘密の交易ルートがある、と言いたいのか?」

「それは、可能性のひとつだな」


 おれは人差し指を立てた。

 それから、「ふたつめ」と中指も立てる。


「交易なんてオマケなのかもしれない。もっと言えば、他に何もないから何かと魚を交換して、いらない魚は適当に市場に流した」

「ヒトの商人が、虎獣人に何かを渡したかった、と? ちょっとおれには理解できんが……」

「たとえば南の国の間諜が、虎獣人を焚きつけてこの国に嫌がらせをしようとしている、とか」

「そんな阿呆なことが……いや、あの国ならあり得るか」

「一概に否定できないから困るんだよなあ」


 南の国の侵攻は半年近く前のことで、誰の記憶にも新しい。

 王家は、この可能性を真っ先に疑ったはずだ。


「だがそれなら、魚を市場に流して王家を警戒させるだろうか?」

「南の国のやり口は、よく言えば大胆、悪く言えば雑だ」

「聞く限り、たしかにそうかもしれんな」


 うん、雑なんだよなあ。

 春の戦も、こちらの油断を突いたと言えば聞こえはいいが、一歩間違えば途中で全滅していたくらい無茶なものだった。


 あの国は、平気でああいうことをする。

 なんとなく、そんなイメージがこびりついてしまっている。


 そのあたり、おれとしてはどうでもいいのだけれど。

 所詮は国と国の話で、一研究者には本来、関係のないことだ。


 おれは「みっつめ」と薬指を持ち上げた。


「優秀な指導者が虎獣人を率いていて、その指導者はヒトの場合」

「あり得るのか、そんなことが」

「その指導者が、ヒトの姿をした人形、と言う可能性も含めるなら」


 優秀な狩人である我が親友は、一瞬、全身から殺気をみなぎらせた。

 幸いにして酒場の主人はカウンターの奥であったし、他に客もいなかったからそれを浴びたのはおれひとりだ。


 背筋に冷たいものが走り、反射的に構えかけた。

 この反応は想定していたから、懸命に堪えたけど。


 殺気はすぐに消えた。

 わが親友は、苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げる。


「すまん。おれも未熟だ」

「いや、いまのはおれも言い方が悪かった。まあ、そういうことだ」

「人形の正体について心当たりがあるようだな」

「かもしれんが、その件について、おまえに話せることはないんだ」

「おまえが言えない、というなら本当にそうなのだろうな。では聞かないことにする」


 こいつは、そういうやつなのだ。

 だからこそ、腹を割って話せる。


「虫のいい話をするが、おれから話せることは少ない。そのうえで、おまえから必要な情報を聞き出したい」

「本当に虫のいい話だな。だが、いいだろう。聞いてみろ」

「虎獣人の姿は見たか」

「巡回の者くらいだ。四体ひと組で動いていた。巡回ルートを探るのは時期尚早と判断して、すぐに引き返した」


 いくらこいつでも、相手が熟練の偵察兵であれば姿を見られる恐れがある。

 今回の姫さまのオーダーは、自分は見つからずに相手を可能な限り探ること、であったようだ。


 普通に考えて、コレ、めちゃくちゃ難しいんですよ。

 ことに山岳地帯で、相手の得意なフィールドだと。


 虎獣人はヒトよりずっと鼻がきくし、目もいい。

 加えて優れた敏捷さを持ち、ちからも強い。


 まともに虎獣人の集団とやり合うなら、彼のような熟練の偵察兵でも準備が必要となるのだ。

 まあこいつ、充分な準備さえあればやり合えちゃう、という時点でヤバいんだけどね……。


「その巡回の奴らの装備はどうだった? おまえはたしか、東の方で虎獣人とやり合った、と言っていたよな」

「よく覚えているな……。ああ、そうだが、特に装備に違和感は……いや、少し待て」


 親友は、杯をテーブルに置いて目を閉じた。

 おれはじっと待つ。


 しばしの後、目を開き、天井を見上げたまま語り出す。


「槍……穂先の鉄……そうだ、使い古して錆びた鉄ではなかった。まるで新品のように磨かれていた。首飾りも、泥ひとつついていなかった。考えてみれば、奴らの臭いも……肉食の生き物に特有の、あの腐ったような臭いがしなかった気がするな。これは、あまり近寄っていないから間違っているかもしれんが」

「わかった、ありがとう。参考になった。その違和感については、後で思い出したということにして、王家とも共有しておいてくれ」

「ああ、そうしよう。おれの手落ちだ。こんな、当然のように気づいてしかるべきことを……」


 己の仕事の不備と認識したのか、しきりに悔しがっている。

 とはいえ、こんな些細なこと、あらかじめポイントを見極めた上で観察しなければ、なかなかわかるものではない。


 記憶から、当時の状況を正確に再現できるだけでも、それはとてつもない才能なのだ。

 ヒトは時を経るに従い、己の中で記憶を改ざんしてしまう生き物なのだから。


「もう一点。これは念のために確認するんだが、道中にヒトの足跡はあったか」

「おれの前に山へ入った偵察兵のものとおぼしきものは発見した。それだけだ」

「ありがとう。充分だ」


 おれたちは、改めて杯を重ね、乾杯した。

 酒を浴びるように呑む。


 翌日、だいぶ重度の二日酔いに襲われた。

 激しく後悔した。


 もう昔のように若くはないのだ。

 年をとるって悲しいね……。


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