第28話
さて、獲物が餌に食いつかなかったとしても、おれたちにやれることは何もない。
せいぜい目立つ囮を続けながら、最低限の警戒をしつつ、己の仕事を続けるだけだ。
そもそも、本当にこの村で不正が行われているのかもわからないしね。
魚が隣国から密輸されている可能性だってあるし、この湖以外にも同じ川魚が獲れる場所はあるのだから。
その日は、徹夜で採集した水からデータを取り続けた。
こういうのは、スピードが命なのである。
まる一日どころか夜もずっと作業を続け……。
翌日の朝日が昇る頃、おおむねすべての計測が終わる。
隣の部屋で寝ていたクルンカが起き出してきた。
「えっ、先生、ずっと起きていたんですか!」
「もうすぐ終わるから。あとは片づけるだけなんだ」
「わかりました、ぱぱっと朝食をつくっちゃいますね。寝る前だから、軽めがいいですよね」
魔道具のコンロでトーストを焼く、香ばしい匂いが部屋に満ちる。
自分が、かなり空きっ腹を抱えていたことに気づかされた。
腹の虫が鳴る。
思ったより大きな音だったようで、クルンカが振り返ると、あははと笑った。
「いっぱいつくりますね!」
「ああ、うん、頼むよ。少し散歩してくる」
片づけは、食事の後でいいだろう。
借りている家の外に出た。
朝日が、まぶしい。
軽い目眩を覚える。
村人たちはもうとっくに起き出していた。
荷揚げする者や近くの耕作地に向かう者が通りを行き交っている。
「おう、兵士さん、今日は船で出ないのかね」
昨日、朝方に戻ってきた小舟を見ていたとおぼしき中年の男が話しかけてくる。
「昨日の後始末で、さっきまでずっと働いていたのさ」
「徹夜か。道理で、目が血走っていると思ったぜ。ちゃんと寝るんだぞ、兵士さん」
「あとおれは、学院の者だ。兵士じゃない」
「そうかい、学院の兵士さんなんだね。隣の国を警戒してくれて、ありがとうよ! でも、もうちょっと肩のちからは抜いた方がいいぜ!」
豪快に笑って、立ち去る男。
ひょっとして、隣国への牽制のために小舟を出したとでも思っているのだろうか。
まあ、研究内容を説明してもちんぷんかんぷんだろうから、仕方ないか。
師も、あまねくすべての者がすべての知識を持つことに意味はない、とおっしゃっていた。
誰かができないことを別の誰かができる。
そうして、皆が集まることでヒトはちからを得てきたのであると。
ちなみに師の言葉はそのあとに、こう続いた。
「あの糞国王、為政者は統計の意義を理解していなければ駄目だろう、為政者は!」
つまりはまあ、ちょっと腹立たしいことがあった後だったのである。
師だって、たまには感情的になる。
そんなことを思い出しながら、早朝の村をぶらぶらした。
なんか村人たちが、おれの姿を見て左右に避けていく。
あれ、おれ何かしちゃった?
首を振りながら、借家に戻った。
パンを焼く匂いが家中に立ち込めている。
意識が少し遠くなる。
起き出していた姫さまがテーブルの前の椅子に腰を下ろし、ひとり分に切ったパンにバターと木苺のジャムをたっぷりと塗っていた。
クルンカはぴかぴか輝きながら、コンロで燻製肉を炙っている。
「先生、姫さま、先に食べていてください!」
「ありがとう、クルンカ。そうさせてもらいましょう」
姫さまと向かい合って座り、温かい食事を取った。
研究室で何か食べるときは適当に保存食をかじっているから、この旅の数日でずいぶん生活が豊かになった気がする。
以前にも言った通り、学院にも食堂はあるし、研究者は無料なんだけどね。
何故か、それを利用したのは、おれのフリをして食堂に通っていたファーストばかりである。
「あれ、何か涙が出てきた……」
「わっ、先生、どうしたんですか? おいしくなかったですか?」
「すごくおいしくて、おいしすぎて、おれなんかがこんなに温かい料理を食べていいのかなって……」
「感情が不安定になっていますね。仕事に根を詰めすぎです。食べ終わったらすぐに寝なさい」
姫さまが、怖い顔をしておれに告げる。
いや、まだこれから片づけが、と抗議したところ……。
「わたくしとクルンカでやっておきます。昨日から見ていて、おおむね器具の扱いは理解しました。細かいミスは許容なさい。とにかく、あなたはいますぐにでも睡眠を取るべきです」
断固たる口調で、命じられてしまった。
え、え、え、別におれは何も……。
言い訳しようとしたところ、姫さまにひどく睨まれた。
クルンカも「むーっ」と睨んできた。
あれぇ……?
「先生、さっきからふらふら身体が揺れているし、スープもこぼしてます。普通じゃないですよ?」
そんなことは……あれ、ほんとだ、こぼしてる。
食事の後、ふたりに左右から引っ張られ、本当にベッドに放り込まれてしまった。
姫さまがいままでになく怒っている気がして、それにクルンカまで加わると、本能が逆らえないというか彼女たちに逆らってはいけないと告げているというか。
「わたくしとしたことが、迂闊でした。これほど情緒が不安定になるほど、働かせてしまったとは」
「姫さまは悪くありません。わたしが、ご飯で少しでもリラックスさせてあげようとか考えなければ……」
「いえ、クルンカ。あなたは悪くありません。これは管理する側のミスです。とにかく、彼は今日一日、休ませます。監視をお願いしますね」
「はいっ、お任せください!」
そんな声が、聞こえた。
うーん、すごく誤解されている気がする……。
そんなんじゃないんだけどなあ。
と、思いながらも。
やはり身体は疲れていたのか。
ベッドに入ったことで、肉体が疲労という概念を思い出したのか。
おれの意識は、吸い込まれるように闇に落ちていった。
◇ ※ ◇
起きると、夕方だった。
あーよく寝たわ、元気いっぱいだ。
完全に寝不足だったわ。
そりゃ姫さまもあんな顔するわ。
というか、彼女の母にそっくりだったな、朝の姫さま。
いっしょに行動していた頃、よく強制的にベッドへ叩き込まれたことを、いまになって思い出した。
「あなたが寝不足でパフォーマンスを充分に発揮できないと、わたしたちが迷惑するのよ」
断固とした口調でそう告げられると、こちらとしても反論の余地がない。
血は争えないなあ、とか考えていると、寝室の扉が開いて、クルンカが顔を出した。
「先生! もう大丈夫ですか?」
「ああ、元気になったよ。ありがとう」
「晩御飯、食べられますか?」
「腹は減ってないけど、食べるよ。身体を元気な状態にしておきたい」
「わかりました! 今度こそ控え目に用意しますね!」
扉が閉まる。
さて、とベッドから出て軽くストレッチをすると、だいぶ全身が凝り固まっていたことに否応なく気づかされた。
うーん、年を取ったな、と感じる。
昔は、数日徹夜してその後、冒険に出かけてもなんともなかったんだけど。
いまは無理をしたぶん、きっちりと身体に疲労が蓄積していることが実感できてしまう。
こういうとき、ファーストのように身体が丈夫な長命種が羨ましくなる。
ひょっとして、セブンが意識ある人形をつくっているのも、そのあたりが関係しているのかな。
人形の姿なら、疲労を覚えずずっと研究を続けられるとか、そういう……。
ちょっと魅力的かもしれない、と思ってしまった。
好きなことだけを続けて、生きていきたい。
そうもいかない世の中の、この理不尽よ。
何てことを考えながら応接室に赴く。
姫さまが、難しい顔で紙束を睨んでいた。
寝室から出てきたおれに気づいて、こちらに振り向く。
ふむ、とおれの全身を眺めてくる。
「何ですか、ええと、おれの服装がヘンだったりします?」
「あなたに身だしなみは、もとより期待しておりません」
「人生の先達として申し上げますが、正論は時にヒトを傷つけるんですよ」
姫さまが、ふふ、と笑う。
「もう大丈夫ですね。睡眠の効果が出たようで、何よりです」
「朝までのおれ、そんなにおかしかったですか」
「ええ。とてもひどい表情をしておられましたよ。いましもヒトを殺しそうな」
「そんなに」
おれは頭を掻いた。
自分では意外と気づかないものだ。
「データをどう解釈するか悩んでいたんですよね」
「解釈」
「ちょっと、誤差とも言いがたい結果が出て……」
姫さまが、目を細める。
「現時点での推測で構いません。聞かせていただけますか」
「まだはっきりとは言えません。できればもう何か所かでサンプリングして、きっちりとまとめた上でご報告したいのですが……」
「いいから、さっさと」
ばんばん、とテーブルを叩く姫さま。
最近、彼女のおれに対する扱いが雑になってきた気がする。
「想定していない成分を検出した可能性があります。大げさに言えば、未発見の物質かもしれません。微弱な魔力を帯びた物質です」
姫さまが、驚きに目をおおきく見開く。
まあそうだよな、学院に通っていた彼女なら、未発見の物質、なんてセンセーショナルな単語に食いつかないはずがない。
とはいえ、大陸における人類の版図などたいしたものではない。
どこに未知が眠っているとも限らない、と師もおっしゃっていた。
「検知されたのは一ヶ所からのものではなく、湖の多くの場所です」
「その成分によって、何か想定されていない状況が発生していますか」
「まだ何とも。ですが今後、何らかの異常が生まれる可能性はあります」
「どのようにしてそれが湖の水に混ざったか、推定できますか?」
「現状ではデータが足りません。隣国の状況も確認する必要がありますし、湖の底も調べる必要があるかもしれません。あとは、どこかの川から、この新しく魔力を帯びた成分が湖に流れ込んできている可能性も」
姫さまは、厳しい表情になる。
うん、だから言いたくなかったんだよなあ。
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