第27話

前話を少し変更しました。

具体的には、王都から船で川を下って村に来たことになりました。

特に読み返す必要はありません。


修正の理由は、書いているうちに「これ海運が発達してそうだなあ」と思ったからです。 


―――――――――――


翌日の早朝。

 朝靄の中、機材を積んだ手こぎの小舟を漕いで岸を離れた。


 姫さまは留守番で、ついてきたのはクルンカひとりだ。

 水の上は本当に危険だから彼女も置いてきたかったのだが、これには姫さまが強硬に反対した。


「危険だからこそ、彼女を連れていってください。足手まといにはなりません」


 軍貴族の家系として、泳ぎは幼いころから教練を受けていた、とのことである。

 そういうことであれば、是非もない。


 ちなみに軍貴族というのは、この国のようないくつかの新興国に特有のものである。

 固有の領地を持たず王国軍の主力となる人員を排出することを目的とした貴族家だ。


 高い魔力を持ち、肉体と戦闘用魔法の鍛錬を積んだ彼らは、血と汗でもって開拓の先頭に立ち、人類の最前線で戦い続けてきた。

 百年前、この国が出来たころは、彼らの主な敵は森の魔物であった。


 現在、仮想敵となっているのは、隣国の軍である。

 その半数は国境の砦に駐留しているが、定期的に人員を交代し王都に戻るため、家族の家は王都にあるのが普通であった。


「そういえば、クルンカ。あくまで仮定の話として聞いて欲しいんだが」

「はい!」

「もし、その身体が光る特性が消えたら、きみは学院を辞めて軍に入るのか?」


 クルンカは、あごに人差し指を当てて、うーんと考え込んだ。


「そうですねえ。たぶん、父と母はそれを望むと思います。でもわたしは……学院でいろいろなことを学ぶ日々も楽しいんです! エリザちゃん……エリザ教授からは、望むなら専攻の面倒も見る、っておっしゃってくれています」


 いまエリザちゃんって言った?

 あのひと、生徒からもそんな気安く呼ばれてるのか……。


 そりゃあ、やけ酒のひとつもしたくなる気持ちはわからないでもない。

 まあ、呼び名なんてどうでもいいんだけどね。


 おれのことなら好きに呼べばいい。

 どうせ名前なんて書類の最後に書く文字列のひとつに過ぎないのだから。


「きみを助手として派遣してきたのは、別の教授だったような……」

「はい、その方が派閥として都合がいい、と。エリザ教授は、自分と先生があまり近いと見られるのはよくない、と」


 ちなみにエリザ女史は助教授である。

 まあ、学生の身ではたいした違いもないことだろうが。


「きみ自身に将来の展望があるなら、いいんだ。あと、この一件は本当に期待しないでくれよ」

「はい! 期待しないで、期待してお待ちしてます!」


 いい返事だけど、だいぶ期待されている気がする。

 まあ、それはそれとして……。


 適当なところで小舟を止めて、ロープを垂らす。

 水深の計測だ。


 何度か位置を変えて、これを行う。

 水面は透き通っているけれど、さすがに朝靄の中で底が見えるほどではない。


 で、計測と並行してガラス製のビーカーで水を採集しては、きっちり封をして保存。

 サンプルが偏ってはいけないので、これも距離を置いて何か所かで行う。


 今日は早朝に行ったけど、昼と夕方、あとできれば夜にも同じ作業をしたい。

 問題は、夜に小舟で湖に出るのは姫さまが大反対しそうなことなんだけども。


「あっ、お魚さんです!」

「取っちゃ駄目だからね。今日はあくまで水の採集だけだ。漁業権の侵害した輩は、村の人にこっそり始末されても文句が言えない」

「ぴいっ、わかりましたっ」


 身を乗り出したクルンカが全身を輝かせたのを見て、慌てて止める。

 こいつ、いま魔法で魚を捕まえようとしたな。


 水泳の鍛錬をしてきた、ってことはおそらく川でだろうから、そのときに川魚を捕まえるようなこともしていたのかもしれない。

 王都の上流なら、そういうことが気軽にできる場所もある。


 森のそばになって、いつ魔物が出てくるかわからないから、普通は護衛なしでそんなところに行かないけどね。

 彼女の場合、親兄弟がだいたい軍人だろうから、話が変わってくるのだ。


 たぶん彼女にとって、魔物退治も、親や兄たちが鍛錬のついでにやっている修行の一環、くらいなのだろう。

 軍貴族には、そういう頭まで筋肉が詰まった家がいくつもあると聞いたことがある。


「魔法を使うのが簡単にわかっちゃうこんな身体じゃ、やっぱり戦いには向きませんね……」

「別に全員が全員、戦う必要なんてない。おれだって、別に戦いたいわけじゃない。研究者として生きるなら、ちょっと身を守る程度のちから以上のものなんて必要ないよ」

「はい……」


 少女は落ち込んでしまった。

 ああ、うーん、こういう相手の対応は苦手なんだよなあ。


 やっぱり姫さまにも来て貰った方がよかったかもしれない。

 いや、やっぱり駄目だ、あの方がいたら、もっと面倒なことになる気がヒシヒシとする。


 気をとり直して、場所を変えながら水の採集を続けた。

 霧が消えて澄み渡った水面がよく見えるようになった頃、作業が終了する。


「それじゃ、戻ろう」

「はいっ! わたしが漕ぎますね!」


 ぴかぴか輝きながら、クルンカが小舟の櫂を漕ぐ。

 ものすごい加速で、小舟が暴れ馬のように動き出す。


 朝の漁に出ていた漁師たちの船を追い抜き、あっという間に村まで戻った。

 漁師さん、びっくりしてたなあ。


 まあ、軍貴族の身体強化魔法だからね。

 ちいさな身体であってもそれだけ強力なのである。



        ◇ ※ ◇



 小舟から陸にあがってすぐ、村人に囲まれた。

 主にクルンカが。


「お嬢ちゃん、すげぇな! 軍のお方だったかぁ」

「ぴかぴか綺麗だったなあ、初めて見る魔法だあ」

「あ、あの、あれはただの身体強化で……」


 あわあわしているクルンカは放置して、おれは採集物を収納したバッグを両腕で抱え、ゆっくりと運ぶ。

 つまづいて転びでもしたら、今朝の労働がすべて水の泡であるから、嫌が応でも慎重にならざるを得ない。


 と――数歩いったところで、前に立ちふさがる者がいた。

 学生服を着た姫さまだった。


「それはわたくしが運びましょう。あなたは責任者として、彼女を助け出してください」

「いや、え、待って、応対とかそういうの殿下の仕事でしょ?」

「何をおっしゃっているのです、先生? わたくしはただの一学徒、下っ端の助手でしかありません」


 昨日、村長の屋敷に行って話をつけてたじゃねえか!

 いやまあたぶん村長さんは彼女の顔を知ってるからね……そのへんスジは通さないといけないのはわかるんだけどね……。


「わっ、わっ、わっ、先生、助けてくださーいっ」

「ほら、先生?」

「ええと……それじゃ、これ運んでおいてくださいね」


 姫さまにバッグを渡して、きびすを返した。

 村人に群がられているクルンカの手を掴み、「はいはいはい、うちの助手を返してくださいね」と引きずり出す。


「この子自身は学生なんですから、あまり軍人らしいところを求めないでくださいよ」

「お、おう……ええと、あんたは昨日来た学者さんだよな」

「ええ、王家からこの湖の水質の調査を依頼されています」


 実際は王家に許可を取って水質調査をしているのだが、そこはあえて、王家の依頼、ということにしておく。

 この程度の方便は、研究馬鹿のおれでもできるのである。


 研究を円滑に行うためだからね。

 仕方ないね。


「王家から……そうかぁ、えらい学者さんだったんだなあ」

「うちの村もね、時々、王女さまが見えられて、湖の向こうと交渉されてるんだよ」

「へえ、そうなんですねぇ」


 その王女さま、さっきまでそこにいたよ。

 意外とバレないもんだな……いや、そういう仕事のときは村人の前には顔を出さないだけか。


 だから現在でも学院にメリアという名前で普通に出入りできている。

 いや本当にそれは大丈夫なのか……? 去年まで素顔で在籍していたわけだから、顔見知り結構いるよな……?


 そのあたりはまあ、ある程度、学院内では忖度されているのかもしれない。

 公式には、学院内で身分はいっさい関係ない、ということになっているのだから。


「あ、あの、先生、ごめんなさい」

「うん、何が?」

「あの……わたしのせいで、先生にご迷惑が……」

「迷惑とは思ってないし、遠慮なく頼ってくれていい。きみを助手として雇った以上、きみの安全を守るのはこちらの役目だ」


 この子、身のこなしを見ていても、きっちり訓練を受けている者のそれである。

 見ていて安心できる。


 村人の対応なんかは……。

 まあ、高位軍人の家だとあまり民と交わらないと聞くし、学院でもああいう遠慮のないタイプは少なかろうし、無理もない。


 むしろ学院では、おれみたいに冒険者あがりなんてタイプの方が珍しいのだ。

 今回の一連の研究でも、地方の民を相手に適当なあしらい方ができる者、という条件も加味した結果、おれがここに来ることになったわけだしな……。


 フィールドワークが得意な教授でも、けっこうそのへんができない人はいる。

 具体的には貴族の出身とかだと、民は上から目線で命令すればいいもの、と思っている者はいまもよく見る。


 為政者としてはそれでいいのかもしれないけどね。

 研究者のフィールドワークは、割とその地の民の目線から見なきゃ、見えてこないものも多い。


「それより、どうだった」

「あっ、はい。反応はありませんでした」


 少女は服のポケットから赤い宝石を取り出す。

 おれが開発した、魔法に反応して振動するという、ただそれだけの魔道具である。


 つまり、誰かが何らかの目的で彼女に対して魔法を発動したら、それを教えてくれるということだ。

 ちなみに断りなく他人に魔法を使うことは、基本的にひどく失礼なことで、場合によっては殺し合いになっても仕方がない、とされている。


 それでも、こっそりと相手を調べたい者がいれば、隠密性の高い探査系魔法を使うだろう。

 そういう相手からのアクションが誰でもわかる、という点がこの魔道具の利点なのだが……。


 正直、使いどころが限定的すぎて微妙なんだよなあ。

 今回みたいな状況では、その限定的な能力が有効だったんだけど。


 少なくとも、こんなところで仕掛けてはこないか。

 あるいは、最初から姫さまたちが懸念されているようなものは存在しないのか。


 実のところ、おれたちがこの村に来た理由はもうひとつあるのだ。

 というか姫さまにとっては、そっちが本題だったりするのだが……。


 密漁だ。

 この湖でも漁をしていいポイントというのは限られており、漁獲量は隣国との協定で厳守を求められている。


 ところが最近、それ以上の量の魚が市場に流れているという疑惑が出ていたのだ。

 今回、おれの研究に便乗して、その疑惑を解明するべく、よりによって姫さま本人が出てきたということである。


 何で姫さまが? とツッコミを入れたいところだが……。

 おれたちは、囮だ。


 姫さまの姿を見て、相手が過剰に警戒してくれれば、それでいい。

 本命の別動隊が、その隙に、湖の周辺を調査するということになっていた。


 どうしてここまで本気なの? と聞いてみたところ……。

 隣国との協定を破るということは王家が隣国との約束を破ったということになってしまうから、とのこと。


 裏では割と深刻な問題になりかけているらしい。

 正直、学院の研究をダシにそういう政治的な動きをするの、やめて欲しいんだけどなあ。


 とはいえ今回の水質調査は、漁場の質の算出にも関わってきていて……。

 つまり漁場が想定より多ければそれだけ基準となるデータが狂ってしまう。


 所詮は多少の誤差にすぎないかもしれないが、データの乱れを許すのか、と問われれば……。

 それは許せねぇよなあ。


 うん、そういう風に説得されたんだ。

 姫さまも、おれの使い方がだんだんわかってきたな?


 わかって欲しくなかったよ……。

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