第26話

 学院のそばには王都がある。

 北から東にかけて草原が広がり、西から南にかけては広大な森がある。


 森から流れてくる川はゆるやかな流れで王都を通り、草原を抜けて隣国に繋がっている。

 実地の研究においても、さまざまな状況での実験においても、また研究内容の実践においても恵まれた環境だ。


 とはいえ、学院の近くに存在しないものもある。

 たとえば、湖や海もそのひとつだ。


 秋も深まる、少し肌寒さを覚えるようになってきたころ。

 おれは、学院を離れ、とある湖畔にたどり着いていた。


 王国の隣の国との国境となっている大きな湖である。

 本当はひとりで来たかったのだが……。


 何故か、助手と名乗る人物がふたり、同行している。

 一見はおれに選択権がありそうで、しかしたぶん拒否できないやつだった。


 何故ならば。

 ひとりはメリアと名乗る学生で、つまりは姫さまの変装なのだ。


 もうひとりは、少し前から姫さまの側付きとなったという小柄な女性で、彼女のことはクルンカと呼ぶよう言われていた。

 床まで届きそうな長い赤髪を後ろで束ね、おおきなルビーの瞳をくりくり動かす、元気で働き者の少女である。


 確かに書類仕事が得意な学生を、とある派閥から見繕ってもらったけど……。

 それで姫さまの側付きの人が来ちゃったんだよなあ。


 というか、どうも話を聞く限り。

 クルンカはおれの助手として送り込むために姫さまの側付きに選ばれたんだとか。


 小柄なのも、実際に十二歳だからということで……。

 何でも軍の高官の子女であるようだ。


 いやあの、学生のバイトはお金がない子がやるもの、って聞いたんだけど?

 完全に本末転倒じゃないですかね?


 と姫さまに抗議したところ……。


「あなたの研究の内容を記した書類ですよ。迂闊な者に触らせるわけにはいかないのです」


 と呆れ顔で返された。

 なるほど、だから軍の高官の娘ってことなのね……。


 クルンカはとてもしっかり者で、よく気づくし駄目と言ったことは絶対にやらないから、まあいいんだけど。

 ちょっとした訓練として森の浅層でキャンプをしたところ、魔法で荷物を出し入れしたり、料理をつくってくれたり、八面六臂の大活躍であった。


「先生のおつくりになった料理用の魔道具、本当に便利です! これ実家に持って帰りたいです!」


 野営の際、焚火の上に置いた鍋をおたまの魔道具で鍋底をさらうように自動周回の魔法でかき混ぜさせつつ、鋭刃の魔法をかけたナイフで具材を切り分ける彼女は、なんというか、とても輝いていた。

 いや実際に、全身をぴかぴかさせながら料理していた。


「わたし、魔法を使うと身体が光る体質で……。こんな体質だから、軍には入れなくて、だから親は学院に入れたんです」

「あー、光属性と相性がよすぎるのかな。たまにいるんだよ、そういう人」

「珍しい事例だけど、記録がないわけじゃないって聞きました。でも治療する方法はないって」


 軍では集団行動が基本で、皆が同じことをできなければならない。

 たとえば穴を掘って隠れているのにひとりだけぴかぴか輝いていては、隠密もなにもあったものではない。


 無論、それ相応の任務に当てることはできるかもしれないが……。

 なにかと肩身の狭い思いをすることになるだろう。


 そう考えれば、親の判断は妥当である。

 貴族や軍の家であれば、幼い頃から武器や戦闘用魔法の訓練をするのは普通だしね。


 なお、珍しい事例なので彼女の身体を研究したい、と言い出した研究者もいて、しかも彼女の家に圧力をかけられるような立場の人物だったらしい。

 幸いにも、彼女はエリザ女史と繋がりがあった。


 エリザ女史は、姫さまに相談した。

 結果、クルンカは姫さまの側付きに任命されたことで、そうした圧力を撥ねのけることができたとか。


 そういう政治におれを巻き込まないで欲しい、と心底思うが……。

 それはそれとして子どもに対して人体実験をためらわない輩はちょっとどうかと思う。


 なので、この子をかばうことに関しては、やぶさかではない。

 そのあたりのアピールもあって、おれは彼女を助手とすることを受け入れたというわけだ。


 今回の旅では、なぜか姫さまがついてきたけどね。

 なんか知らないけど、姫さまの仕事の大半を兄弟に引き継いだとかで、けっこう暇になった、と言い出したのである。


 政治に疎いおれでもわかる。

 おれがへんなことをしないか、王家が警戒しているのだ。


 今年に入ってから、おれの関係しているところで事件が多発しているのはわかる。

 半分くらいは冤罪なんだけど、もう半分は実際におれが微妙に遠因にいないこともないかもしれない気がちょっとだけするかも、しないかも……?


 いや、いまさら亡命とか横流しなんかは疑ってないだろうが……。

 ちょっとした不注意で重要な技術が他国に漏れることを強く懸念している、といったところか。


 はっはっは、心配しなくても、これ以上やらかしたりしないってば。

 過去のやらかしも、きちんと反省しているのである。


 だから、面倒は勘弁なんだけどなあ。

 とはいえ、溜まっていた書類については彼女たちのおかげで楽をさせてもらった。


 王都から湖のそばの村までは、川下りの船でおよそ半日。

 その間、おれは船室で論文執筆に勤しんだ。


 揺れる船の中でよくも羊皮紙に文字を書けますね、と姫さまは呆れていたのだが……。

 うん、このあたりはコツがあって、慣れればけっこういけるもんなんだよね。


「先生、湖が見えてきました! うわあ、とっても澄んでいて、綺麗です!」


 かくして、朝早くに王都を出発し、午後の日が傾きかけたころ。

 おれたちを乗せた船は、その大きな湖にたどり着いたのである。



        ◇ ※ ◇



 湖の周囲には集落が点在していて、それらを統べる村がこちら側と対岸にひとつずつ存在する。

 湖の西側の村はこの国の所属で、対岸の村はもう隣国だ。


 湖とその周辺は中立地帯となっているが、村同士、よくいざこざを起こしているという。

 そのたびに両国が代表を出し、交渉しているとのことで……いやはや、どこも大変だなあ。


 主な王都への輸出品は湖で採れる魚や貝である。

 おれたちを下ろした船は、帰りにこれらを山積みして、魔導具で動かす櫂を動かし、川を遡ることとなる。


 さて、村長への挨拶は姫さまとクルンカに任せて、おれはあらかじめ予約していた空き屋に荷物を運び込む。

 実験用の機材だ。


「おっさん、何してるんだー?」

「兵士さんかー?」


 村の子どもたちが、数名、集まってきた。

 宿に泊まる客はいても、空き屋を借りるような輩は珍しいのかもしれない。


「王都の方から来ました」

「うわっ、怪しいヤツだ!」

「本当なのに……」


 通報だーっ、と叫んで村の中央に逃げていく子どもたち。

 彼らは、ちょうど村長のもとから戻ってきた姫さまたちにぶつかり……。


 あっ、素早く前に出たクルンカが、ぴかぴか光ったかと思うと、その全員を地面に転がした。

 伊達に軍の高官の娘じゃないってことか。


「もうっ、きみたち! 危ないじゃないですか!」

「うわっ、強いガキだ!」

「ガキじゃありません! お酒だって呑めますよ!」


 いや、さすがにお酒は呑まない方がいいんじゃないかな。

 姫さまとかは、儀礼上仕方ないらしいけど。


「すっげぇ……めっちゃ光ってる……」

「えっへん」


 クルンカは洟垂れ小僧たちに感嘆され、輝きながらも自信満々に胸を張る。

 姫さまが、微笑ましいもの見たとばかりに少し離れたところから眺めている。


 まわりで見ていた大人たちが、何事もなくてよかった、と胸をなで下ろしている。

 姫さまっていちおう学院の制服を着ているとはいえ、明らかに貴族っぽいオーラが出ているもんなあ。


 貴族なんて、こんな辺境には滅多に来ないだろうけど。

 大人たちは他の町とかで、横柄な貴族を見たことがあるのかもしれない。


 で、まあその後は、ふたりに手伝って貰って荷物の搬入はあっさり終わった。

 近くを通りがかる大人たちが、肉体強化でピカピカ光るクルンカを見てびっくりしていた。


 実はそれよりびっくりなのは、姫さまを荷物運びに使っていることなんですよ。

 本人がやりたい、って言ってるからやらせてるけど。


「先生、この機材で何の実験をするんですか?」

「簡単に言うと、湖の中に、どういう比率で小さな生き物が棲んでいるか調べるんだ」

「ほへー」


 クルンカは澄んだ湖を眺めた。


「あれだけ綺麗な水なら、目で見て確認できませんか」

「普通の方法じゃ見えないほど小さな生き物だからね」

「そんなものが潜んでいるんですか?」

「潜んでないよ。どこにでもいる。目では見えないほど小さな生き物たちは、本当にどこにでもいるんだ」


 学院では、小さな生き物の研究も進んでいる。

 微生物、と名づけられていて、たとえばおれの身体にも無数の微生物がいる……とかは話すと気味悪がられることが多いから黙っておくか。


 ファーストによれば、耳長族の間では昔から有名な話らしいんだけど。

 あいつらヒトよりずっと前から魔法で目や耳を拡張していたから、そういうちいさな世界の出来事も当然のように受け入れている、ということらしい。


 で、学院が通訳の一件でとある耳長族とコンタクトを取った際、耳長族の昔の研究データというのを貰ったらしいのだ。

 貴重なデータに狂喜乱舞した一部の研究者たちは、本来の目的なんて完全にぽい捨てして、その研究データの解析に夢中になり……。


 おれも解析されたデータをちょっと見せて貰って、そうしたら、ね。

 いろいろと疑問点が出てきちゃってね。


 そのあたり実地で調べようぜ、って他の研究者たちと意気投合してね。

 あっという間に研究グループができちゃってね。


 じゃあいちばん厄介な湖のデータ採集は任せろ、って大見得を切っちゃってね。

 結果、いまがあるってわけよ!


 ということをざっくりと早口で説明してみせた。


「先生がとっても楽しそうなのはわかりました!」

「たいへんよろしい!」


 いえーい、とハイタッチするおれとクルンカ。

 それを見た姫さまがため息をついているが、放っておくことにする。


 短期的に見て役に立たない研究であっても相応に金を出してくれる王家には、無限の感謝を捧げたい。


「何を考えているのかはだいたいわかりますが、わたくし個人としてはこの研究に魅力を感じていますよ」

「えっ、そうなんですか!?」


 クルンカが驚いている。

 おいおい、きみ、この研究の価値がわかっていなかったのかね。


 いやわからないと思うよ。

 おれもただ楽しそうだから、ってだけでやってるんだから。


 はたして姫さまは、深い深いため息をつく。


「十中八九、あなたはただ楽しそうだから、で研究しているのでしょうが……。微生物、というものの違いが水質や魚の性質などに与える影響は大きいのではないか、と論文にありましたね」

「あ、ちゃんと読んだんですね、そのへん」

「それはつまり、わたくしたちの身体にも、微生物、というのは大きな影響を与えているのでは?」

「まあ、そうでしょうね」

「我々の身体が不調をきたしたり、魔力の変質が起こったりするとき、微生物が我々の身体に影響を与えているのではありませんか」

「その可能性もあると、耳長族は考えていたようですね」

「え、もしかして、わたしの身体が光るのも!?」


 クルンカがぱっと笑顔になる。

 うん、実はそういう説もあるんだよね、発光症に関しては。


 ただ実のところよくわかっていないことの方が多いし、発光を治すことができるかどうかもまったく不明だから黙っていたんだけど。

 そういったことをさっくりと説明すると、がっくりとしおれてしまった。


「そうなんですかぁ……」

「まあ、将来的にはそういうのも治療できるかもしれない。そのとっかかりとなるのが、今回のデータ収集だと思ってくれ」

「はいっ!」


 小柄な少女は勢いよくうなずいた。

 うん、元気があってよろしい。


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