第21話

 セブンの生い立ちについて、詳しくは知らない。

 彼と師の繋がりはおれが師と出会うずっと以前からだ、ということくらいか。


 いや、もうひとつ。

 十歳かそこらで、何かのきっかけで師に拾われて、以来、師と共にいるというのは聞いたことがあった気がする。


 師は、彼の後にも何人か弟子をとった。

 しかしひとりを除いて、つまりこのおれ以外、皆、既にこの世にはいない。


 現在、生き残っている大賢者の弟子は、おれを含めて三人だけだ。

 最初の弟子、七番目の弟子、そしてこのおれ、最後の弟子。


 ラスト。

 おれは師や師の弟子たちにそう呼ばれていた。


 師が、これ以上の弟子を取らないとそう決めた証である。


「ラスト、きみは師の亡きあと、ヒトが師の教えを守ると思うか?」

「守らなくていいんじゃないか。師はもう、充分にヒトを導いた。これから先、ヒトは自分の頭で考えて、学んでいくべきだ」


 五年前の別れ際、おれとセブンはそんな会話をした。

 セブンはおれの返事に満足したのかしなかったのか、ただ黙って「そうか」とうなずき、去っていった。


 あれからずっと、彼とは会っていなかった。

 結構しぶといヤツだから、きっとどこかで無事でいるだろう、とは思っていたが。


 だけどまさか。

 森の奥で亜人たちをまとめて、彼らにとっての師に、大賢者になろうとしていたなんて。


 そんなことは、これまでちらりとも考えたことがなかった。


「セブン、おれにはわからない」


 だから、おれは正直にそう返答する。

 わからないことをわからないと宣言することは、ちっとも恥ではない、そう師から教わっていた。


 むしろ、わかったフリをする方が恥ずかしいものだ。

 見栄を張れば張るほど、余所からは滑稽に見えるものなのだから。


「そんなことをして、何になるんだ?」


 セブンは笑った。

 明日はきっと晴れるだろう、とでもいうかのような、無邪気で明るい表情だった。


「ヒトは知るだろう。自分たちがいまあるのは、あの方が気まぐれに彼らを教え導いてくれたからにすぎない、という事実を。あの方にとっては、それがヒトであっても、犬亜人であっても、森巨人や森大鬼であってもよかったという事実。ヒトは、己の分不相応な自尊心と傲岸不遜な思い上がりを理解するのだ」

「それだけか?」

「重要なのは、その先だ。ヒトは同格の競争者が現れて初めて、あの方の教えの真の意味を理解するだろう。我らにとっては、当たり前のことを」

「自らの手による発展と進歩。改良と新たな発見。自分たちの足で歩み出すこと……」

「そうだ。師はそれを望んでいたが、三百年を経て、気づいてしまった。己の存在こそがヒトの自主的な発展を妨げているのだと。故に、己の存在を消し去った。その結果が、現状だ」


 それはよく知っている。

 おれだって、この目で師が失われた後のヒトの国々の所業を見てきたのである。


 どうすればよいのか、考えたこともある。

 その結論は。


 知ったことか、であった。


 おれは研究者としての己に引きこもった。

 ある意味では、目と耳を塞いでいた、と言われても仕方がないところだ。


 セブンは違ったのだ。

 彼は生真面目で、探求心が旺盛で。


 そしてつくづく、お節介なやつなのである。


「そのために、森巨人や森大鬼を、ヒトの引き立て役にするのか」

「ただの引き立て役で終わるか、彼らがヒトを凌駕するのか、あるいは相争う存在になるのか。それはわたしにはわからない。実に興味深い研究課題だ。そうは思わないか?」

「興味深い思考実験だが、きみはそれを現実にしようとしている」

「現実だからこそ、いいのだ。頭の中で考えているだけでは、ものごとは解決しない」


 おれは深いため息をついた。

 もし、おれが他の地に腰を落ち着けていたなら、話は違っただろう。


 だが今、おれがいるこの土地は。

 かつての仲間が愛したこの土地は。


 かつての仲間の愛し子が、懸命に守ろうとしているこの土地は。

 そして、いまや多くの人々がおれの友となったこの土地は。


 いつの間にか、大切なものが増えてしまった。

 だから、首を横に振ってみせた。


「思わないよ、セブン」


 おれは、そう返事をする。

 セブンは怪訝な表情を見せた。


「何故だ」

「好きなものが、できたんだ」


 右手を軽く持ち上げる。

 合図だ。


「守りたいものができた」


 次の瞬間。

 森の中で閃光が走り、飛来した矢がセブンの頭部を射貫いた。


 セブンの身体はその勢いで吹き飛ばされ、崖から落下する。

 闇に吸い込まれ、消えていく。


 あっけないものだ。

 だがもとより、彼は戦いが得意ではなかった。


 おそらく、自分が死んだことすら気づかなかっただろう。

 まあ、あれが本物のセブンだと仮定してのことだが。


「よかったのかね」


 カラスが問いかけてくる。


「聞きたいことは聞いた。最低限の目的は、すでに果たした」


 軽く手を振って、沈黙の結界を解除する。

 ちょうど、森の中から、先の狙撃手たちが駆け寄ってくるところだった。


 行方不明になっていた狩人たちである。

 つい先ほど、彼らが隠れているところを発見し、合流と同時に情報の共有を行っていたのだ。


 もちろん、賢者の弟子云々は除いて。

 ひょっとすると、森巨人や森大鬼を集めたヒトというのは旧知の間柄の者かもしれない、とだけ語って。


 そう、森の奥で行方不明になった狩人たちは、ここの群れに一度襲われ……。

 大きな損害を出しながらも、撤退に成功したのだ。


 そして生き残った者たち、はずっと身を潜めて機を窺っていたのだった。

 セブンも気づかぬ、完璧な隠形であった。


 今回の面子が、魔道具の実験のためとして、学院の試作品をいくつも持ち込んでいたことが功を奏した形である。

 おれもその辺にはちょっと口を出しているが、基本的には学院の研究者たちの労作だ。


 彼らは、セブンでも手に負えないほどの魔道具をつくり出していた。

 ヒトは、けっして足踏みしているばかりではない。


 とはいえ彼らの食料の手持ちは心細くなっており、明日の朝までに進展がなければ、一か八かで撤退を開始していたとのことで……。

 うん、間一髪だったな。


 無理をしてでも、ひとりで飛び出して正解だった。

 で、そんな彼らの偵察結果を得て、おれはセブンとの会談に望み……。


 彼らには、合図があるまで手を出さないよう頼んでいたのだ。

 仲間を殺され血気に逸る気持ちはわかるが、まずは交渉したい、と。


 狩人たちは復讐を強く望んでいたから、彼らに戦うな、とは言えなかった。

 沈黙の結界が張られていても、一部の狩人は得意としている夜目の魔法で、おれの動きくらいは確認できる。


 そして、狙撃は見事成功した。

 セブンは……彼を名乗る存在は、こうして射貫かれ、崖から落ちていった。


 普通のヒトであれば、死んでいるだろう。

 たとえ大賢者の弟子であっても、である。


「ぼくは今のうちに、セブンの遺体の確認をして来よう」

「頼んだ。人形だった可能性の方が高いとおれは考えている」

「ぼくもだよ」


 カラスが舞い上がり、そして崖下に降下していく。

 入れ替わりに、狩人たちが到着した。


「おまえのおかげで、仲間の仇を取ることができた。だが、おまえの知己という、あの男は……」

「あいつを放置しておいたら、ここの軍勢が町を襲っていたかもしれん。仕方がないさ。まあ、だから姫さまたちには打ち合わせ通りに」

「無論だ。命の恩人の頼み、断るわけもない。おまえも無事で戻って来い」


 それだけ告げて、彼らに撤退するよう告げる。

 いくら森巨人や森大鬼でも、頭であるセブンが消えれば混乱するだろう、その隙に、という話である。


 狩人たちが立ち去った後、もう一度だけ、谷を覗き込んだ。

 門を見張る巨人たちは、真面目に律儀に、おそらくはセブンに言われた通りに、そこから動かない。


 よくもまあ、野蛮な巨人どもをあそこまで調教したものだ。

 あるいは教化、とでも言うべきなのだろうか。


 この里の発見がもう少し遅れれば、果たしてどうなっていたことだろう。

 だが。


 その未来は、もう訪れない。

 禍根はここで断つ。


「悪いな、未来の大賢者の弟子たち」


 魔法を行使する。

 師から教わった、おれが使える中でもっとも高い破壊力を持つ魔法だ。


「きみの良さは、そのこだわりの無さだ」


 かつて師に、そう言われたことがある。


「きみは相手の良しとするものを柔軟に受け入れる。そのうえで、もしきみがどうしてもこだわりたいものができたなら。そのときは、きみの心の赴くままに動くといい」


 当時は、師の言葉の意味がわからなかった。

 いまなら理解できる。


 どうしてこの魔法を、師がおれにだけ教えたのかも。

 師は、大賢者の弟子が暴走したとき、その後始末をおれに託したのだろう。


 周囲の魔力が谷の上空に集まり、急速に収束する。

 虹色の球体のようなものが、そこに生まれた。


 それは禍々しい輝きを放ちながら、次第に膨張していく。

 遅まきながら事態に気づいた見張りたちが騒ぎはじめた。


 建物から森巨人や森大鬼、それに彼らの使役種族である小鬼や双頭亜人、灰巨人といった多彩な面々が飛び出てくるが……。


 虹色の球体は回転しながら、次第に膨張の速度が増していく。

 それは急速に、周囲のあらゆるものを呑み込みはじめた。


 最初は木の葉や草や砂が、続いて小岩や小枝が。

 いよいよもって大岩や樹木までもを呑み込み、己のテリトリーを広げていく。


 そして。

 ついには、小鬼の身体が宙に浮き、虹色の球体に呑み込まれ――。


 小鬼が、断末魔の悲鳴をあげる。

 球体の中で、粉々になったのだ。


 ここに至り、ぼんやりと頭上で回転する球体を見上げていた彼らも、己の身が危ういことに気づいたようだ。

 巨人たちは虹色の球体に背を向けて、谷から逃げ始める。


 もう、遅い。

 すべてを吸引する球体は、一気にその身を拡大した。


 森巨人や森大鬼、その支配下にある者たちまで。

 谷に存在した、あるあらゆるものを呑み込んだ。


 建物も。

 壁も。


 文明の兆しであったそれらをすべて吸収し、粉々に砕き、広がり――。

 あらかじめ定められていた時間を過ぎたところで、ぴたりと膨張が停止すると、その身は溶けるように消えていった。


 すべてが終わった後。

 谷には巨大な穴が開き、巨人たちの存在は、その痕跡の一滴に至るまで消え去っていた。


 ほぼ同時に、カラスが舞い戻ってくる。


「人形だったよ」


 ファーストは、短くそう告げると、もう何もかもから興味を失った、とでもいうかのように夜空に舞い立った。

 使い魔は闇夜に溶ける。


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