第20話
おれは魔法で四肢を強化し、夜の森を風のように駆け抜ける。
あっという間に、昼に来た犬亜人の洞穴の付近を通り過ぎた。
更に森の奥へ。
鈴の音のように鳴く虫や木の枝で囀る鳥、草むらの下で這いずる多足の生き物など、ちいさな生き物は普段の森から何ら変化がないようだ。
しかし狼や猪、獅子熊や黒翼蛇といった中型から大型の痕跡は、すっかり消えてしまっている。
当然だろう、森巨人や森大鬼の群れがこのあたりまで出張ってきているなら、そのあたりの生き物など瞬時に喰いつくされてしまう。
森には命の連鎖がある、と以前、師がおっしゃっていた。
例えば害獣として嫌われるネズミのような生き物をすべて退治してしまったら、どうなるか。
まず、ネズミを捕食して生きる猫のような獣が困るだろう。
ネズミの糞は微小な生き物の栄養となり、それらの生き物を食べるもっと大きな生き物の糧となっているから、そうした生き物同士のバランスも崩れてしまう。
「だから何もしないのが一番だ、というわけではないよ。ひとつアクションをすれば、必ずいくつものアクションが返ってくる。それは良いものかもしれないし、悪いものであるかもしれない。そう理解した上で、自らが生きるために動きなさい」
同じ講義を聴いていたセブンは、あのときの師の言葉を覚えているだろうか。
ふと、そんなことを考えた。
「ぼくが考えるに、セブンはきみを挑発しているのではないかね」
おれに並んで飛ぶカラスが、ファーストの声で呟く。
「おれを怒らせて、あいつになんの得があるんだ」
「さあね。それが分かれば、同時にセブンの本当の目的もわかろうというものだ」
本当の目的、か。
北の新興国では、おれの古い知り合いを騙り、大賢者の弟子を名乗ったという。
そしていま、森の奥で森巨人や森大鬼を集めてひとつの軍勢とし、何かを企んでいるようだ。
あいつも、この国におれがいることは知っているという前提で……。
たしかに、おれに対して何らかのアプローチをかけてきているような気はする。
だが肝心のその理由が何なのか、さっぱりわからない。
おれを挑発しているというなら、何故、わざわざそうする必要があるというのか。
ただ喧嘩を売るにしては、あまりにもやることが大げさすぎる。
いったいどれだけの人々に迷惑をかけているのか……。
いや、あいつは他人がどうなろうが知ったことじゃない、と宣言するかもしれないが。
まあ、そういうやつなのだ。
自分勝手が服を着て歩いている。
そんな表現が適切な輩なのである。
別に悪い奴じゃないのだが。
というかむしろ、お節介焼きで正義感に溢れていて、一般的に言えばいいやつの部類なのだと思うが。
面倒くさいやつ、というのが、もっとも的確な表現かもしれない。
「ぼくはね、意外とこう、ヒトの表情から感情を読みとるのが上手いんだよ。これでも長生きだからね」
「何が言いたいんだ、ファースト」
「きみはセブンのことを面倒くさいやつだと考えているようだが、きみだってだいぶ面倒くさいやつだよ」
心外である。
おれなんて研究さえ与えてくれればいつまでも遊んでいるような、害のない一般人にすぎない。
「だからその顔……うーん、もういいか……」
何故か。
カラスは、呆れたように、かぁと鳴いた。
◇ ※ ◇
森巨人や森大鬼が集まれば、そりゃあもう絶対に派手な爪痕が残るし、場所の特定なんて簡単だろう。
そう慢心していたのだが、甘かった。
ざっと魔法で周囲を探知した感じ、さっぱり巨人種の痕跡が見つからない。
というかこれ、巨人とおぼしき足跡すらないぞ。
どういうことだ?
と首をかしげていると、カラスが口を開く。
「セブンが絡んでいるなら、痕跡の消去くらいやってのけるのではないかね? 犬亜人には、勧誘と威圧のためにわざと存在を仄めかしたのでは?」
ファーストの声に、はっとする。
そうか、こちら側の情報源が犬亜人だったから、少し勘違いしていたのかもしれない。
「ぼくはこの使い魔からではロクな魔法が使えない。きみの方で何とかしたまえ」
言われずとも、タネさえ分かれば、それくらいやってやるさ。
おれは、対探知魔法を探知する魔法を行使する。
そりゃね、対探知魔法は最近、学院に張った結界にも絡んでるくらい、おれが気にかけている分野だから。
それに対する対抗魔法も、当然、自分用に開発してある。
おっ、反応が返って来たぞ。
ああ、これ……おれが学院で発表した魔法理論をちょっといじったヤツだな……。
あ、ちょっと面白い改造してる。
へー、こんな回路あるんだ、じゃあこっちはどうなって……。
うわっ、罠だ。
こわっ、でも上手いなあ……。
この発想はなかった。
やるな、セブン。
じゃあえーと。
ここをちょいと……。
おっ、いい反応。
それじゃ次はこっちを……。
「きみ、きみ、きみ。こんな時に研究者モードに入るんじゃない。場所をわきまえたまえ。ええい、この……っ」
カラスが、おれの頭にとまって、嘴でつっついてくる。
わあっ、痛い、やめろやめろやめろっ!
◇ ※ ◇
巨人種たちの拠点は、認識阻害の結界さえ解析してしまえば簡単に発見できた。
起伏に富んだ森の中に存在した、小高い丘の上、そこから見下ろせる谷。
その谷の底に。
二十軒ほどの、ちょっとした村が存在したのである。
石造りの頑丈そうな建造物が、いくつも立ち並んでいる。
普通のヒトの家のように見えるものの、それぞれがヒトの建築の三倍以上はある巨大な家々であった。
谷の入り口には、積み重ねた石の小高い壁がある。
その壁の中央に木組みの大きな門が据えつけられ、門の上には森巨人と森大鬼、彼らの使役種族である小鬼が仲良く並んで、谷の外を油断なく睨んでいた。
明らかに、森巨人や森大鬼が持ちうる技術の産物ではない。
こんなものが以前からこの谷に存在したなら、とっくの昔に誰かが発見し、それをギルドや学院に報告していることだろう。
貴重な、他種族の文明の遺産。
そんなもの学院の一部研究者がよだれを垂らして研究対象とするようなシロモノであるのだから。
よって、この場にこれをつくった者は、比較的短期間にそれを達成したということになる。
森巨人や森大鬼を率いているというヒトこそが、その主犯であろう。
「これもう、絶対にセブンだよね」
そばの木の枝にとまったカラスが呟く。
「セブンか、セブンが入れ知恵した誰かの仕業だよ」
「だよねえ」
おれとカラスは、お互いに同意を示す。
建築様式、あいつが詳しい大陸西群島のやつと一緒なんだもんなあ。
群島地域は潮風が強いから、ぱっと見てわかるくらい、大陸のものとはつくりが違う。
高床式なのもそうなんだけど、まあこれは森の奥の谷というシチュエーションだと普通にマッチしているな。
そんなことを、ファーストと共に語り合う。
すると、背後に気配を感じた。
振り向くと、そこにひとりの男が立っていた。
中肉中背で禿頭の、初老の男だ。
日に焼けて浅黒い肌を灰色の貫頭衣に包んでいる。
顔は口髭も顎髭も伸び放題で、どこの浮浪者ともつかぬようないでたちである。
みすぼらしい男だ。
年のころ五十かそこらの、冴えない男にしか見えない。
しかし、こちらを静かに見つめてくるその漆黒の眼には、落ち着いた知性の輝きが宿っている。
男は手にした大杖を地面に突きながら、二歩、こちらへ歩み寄り……。
おれから十歩ほどの距離を置いて、立ち止まった。
「セブン」
カラスが、ファーストの声で呟く。
呼ばれた男は、木の枝の上にとまるカラスにちらりと視線を移し、「ファーストか」と吐き捨てた。
「久方ぶりの友人を訪ねるのに使い魔とは、相も変わらず、礼儀の欠片もないな」
「きみの攪乱にまんまとひっかかってね。いまは新興諸国を漫遊中さ。まさか、都会派のきみがこんな森の奥にいるとは思ってもみなかった。野生に帰った気分はどうだい」
「野生? とんでもない。ここには文明がある。見ろ、彼らは自分たちの手で家を立て、壁をつくり、この地を要塞にしてのけた」
カラスが、ファーストの声で高笑いする。
けたたましいその声は、谷で寝ていた巨人たちすら飛び起きそうなほど大きかったが……。
しかし、見張りの巨人たちも、谷の中も、静まり返ったままである。
うん、上手くいった。
「沈黙の結界か」
セブンが口の端をつり上げ、呟く。
おれはせいぜい自信ありげに、にやりとしてみせる。
「そりゃあ、結界のひとつも張るさ。きみとの会話を無粋な輩に邪魔されたくないからね」
「このわたしが、この場から彼らに連絡する方法をひとつも持っていないとでも思っているのか?」
「連絡するとしても、きみはしない。何故なら、ここにいるのがおれひとりだからだ。ファーストの本体も一緒だったら話は別かもしれないけどね。いたいけな後輩を数で袋叩きにするような真似は、きみの矜持が許さない。そうだろう?」
「きみはどれほど、わたしのことを知っているというのだ」
「知らないさ。でも、きみだっておれのことを、思っているほど知りはしない」
さて、と。
こんなところで言葉遊びをしていても仕方がない。
さっさと本題に入るべきだろう。
おれは樹上のカラスに目線を送る。
心得た、とばかりにファーストは使い魔の口を大きく開けさせた。
「セブン、師の一番弟子として、ぼくはきみに問いただす。きみは師のどのような言葉に従い、このような真似をした」
「どのような? 師は自らの言葉を絶対視することを、なによりも望まなかった。わたしが従っているのは、師の志だ」
「その志とは、何だ。いたずらに戦乱を広げ、いたずらにヒトを苦しめ、いたずらに殺める。それが師の志に沿うこととは、ぼくは思えない」
ファーストの言葉は、いつになく鋭い。
彼女にも、これまで思うところが数多あったのだろう。
世の中は、ただでさえ混乱している。
なのにセブンは、その混乱をいっそう助長させているようにしか見えない。
それは、ありし日の大賢者の思想とは相容れない。
少なくとも、その一点でおれとファーストの意見は一致していた。
だが。
その言葉を聞いて、セブンは高笑いした。
月のない闇夜を見上げ、哄笑した。
何がおかしくて仕方ないのかはさっぱりわからなかったが、おれとファーストはそんなセブンを、ただじっと睨み続けた。
「ヒトを苦しめ、殺める。それは師の教えの結果にすぎないよ。きみたちは、何もわかっちゃいない」
「ふむ」
ファーストは、その言葉に考え込むような呟きを返した。
「続けてくれ、セブン」
「そもそも、だ。ファースト。きみは、ヒトではないきみは、誰よりも疑念を抱いたのではないか。何故、師はヒトを選ばれたのか。何故、数多あるこの大陸の生き物の中で、ヒトに知識を与え、導いたのか。たとえば耳長族でもよかったはずだ。そう考えたことはなかったのかね」
「師の一番弟子はぼくだよ? 師は、別にヒトだけを選んで知識を与えたわけじゃない」
「その通りだ。では、森巨人や森大鬼でもよかったのではないかね」
おれは顔をしかめた。
「きみは、森巨人や森大鬼にとっての師となろうとしているのか?」
思わず、口を挟んでいた。
セブンは、これみよがしに口の端をつり上げる。
「ラスト」
そして、おれの名を呼ぶ。
「師の最後の弟子よ。きみなら、わたしのことを理解してくれると信じていた」
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