第19話
森の奥にヒトがいて、森巨人や森大鬼を糾合し、いつの間にか軍勢をつくりあげていた。
犬亜人から聞いたその話は、驚愕のひとことである。
おれたちはキャンプ地に戻った。
その情報を聞いた待機組は、さっそく活発に議論を始める。
このまま情報収集を続け、森巨人や森大鬼の脅威の度合いや彼らを集めたというヒトについて探るべきか。
それとも今すぐ引き返し、森の奥の異変を報告するべきか。
議題は、以上である。
ここに至り、行方不明になった狩人たちの捜索は二の次となってしまった。
彼らと顔見知りである狩人たちも、行方不明になった者の友人であるおれも、その点に異議はない。
森巨人や森大鬼がきちんとした指揮のもと統一した行動を取るというなら、これは森の中にひとつの国が出来たのと同じことである。
彼らが森の浅層までを領地としたなら、国はこの脅威に隣接することになる。
狩人たちが森を自由に使うこともできなくなるかもしれない。
この亜人種の軍勢が森の外に攻め寄せてきたとしても、さすがに王都の手前の草原で食い止めることができるとは思うが……。
少し考えるだけでも、この亜人種の国は無数の嫌がらせで国を困らせることができる、と姫さまは言った。
「たとえば、そうですね。森を封鎖し、南の国の軍勢だけを安全に通してやるとか」
初手で出てきたえげつない戦略に、狩人や冒険者たちが呻く。
南の国の脅威は、彼らの記憶にも新しい。
「それが実際に行われないとしても、示唆されるだけで、我が国は劣勢を強いられるでしょう。前回のような逆転劇は、二度と演じることができないでしょうから」
姫さまの懸念は、この地に住む誰もがよく理解できるものだった。
というか、誰もがよく理解できるように表現するのが上手いんだよな、このひと。
「森巨人や森大鬼を集めた者は、ヒトなのでしょう? その者と交渉することはできませんか?」
冒険者のひとりが意見した。
姫さまは、もちろん、とうなずく。
「その者と話し合うことは既定路線です。ですが、わたくしが王より賜った権限は犬亜人との交渉に関するものだけ。それよりもはるかに大きな勢力の台頭など、完全に考慮の外でありました。今後の方針については、王や軍と話し合う必要がございます」
ことは軍事も絡んでくる。
というか、場合によっては兵の配備に大幅な変更が生じるだろう。
とうてい、己が与えられた権限を越えている。
そういったことを、姫さまは正直に語ってみせた。
侍女が姫さまに非難の視線を向けている。
本当は、こんな発言を王宮の外に持ち出してはいけないのだろう。
しかし姫さまは、今は彼らによく納得した上で意見を出して欲しい、と考えているようだった。
あるいは、これはおれに対する説明も兼ねていて、おれに何か画期的なアイデアを出して欲しいのかもしれないが……。
無理だからね。
別におれは、いつでもどこでも名案を出せる軍師さまとかじゃないんだよ。
以前、南の国が攻め寄せてきたあのときは、たまたま全てが上手く噛み合っただけなんだから。
あんな幸運は二度とないだろう。
そもそも、あれもあれでリスクの高すぎる作戦だったのだから、二度とあんな無謀は試みるべきではないのだ。
とはいえ……。と。
おれは挙手し、ひとつ提案する。
「おれひとりを残して撤退、おれはもう少し、ひとりで調査というあたりが妥協点な気がします」
「どこが妥協点なのですか、どこが!」
姫さまが、思いきり身を乗り出してきた。
侍従が後ろから羽交い締めにして、彼女を抑える。
「殿下、口が悪いですよ」
「悪くもなります! あなたもまた、我が国にとって貴重な方であるという自覚、よく認識していただきたいですね」
こちらの言葉には、侍従もうんうんとうなずいていた。
狩人と冒険者たちは苦笑いでおれの方を見ている。
実のところ、おれひとりの方が動きやすいんだよな。
いろいろと、他人には見せられない奥の手があるし……。
「では、おれを含めた半数でもう少しだけ偵察し、残りが撤退、ではいかがですか。消息を絶った友の探索も含めて、もう少しちからを尽くしたいと思うのです」
「行方不明者の捜索については、今、重視するべきではありません。情は理解いたします。ですが、ことはもはやそのような段階ではございません」
「もちろん、情報を集めるついで、という形です。ここで少しでも情報が集まるかどうか、国の命運すら分けるのでは?」
それはその通りだったのか。
姫さまは黙ってしまった。
結局……。
「くれぐれも安全を第一に。身の危険を覚えたらすぐに撤退すること」
以上を条件として、半数がこの場に残り、今しばらく森の奥の情報を集めることとなった。
誤算だったのは、侍女がこちらに残ることになった点であろう。
彼女はまだ足の怪我が治りきっておらず、迅速な撤退に際して足手まといになる、という判断であった。
「いざとなれば、わたしは見捨てて下さって結構ですので。姫さまも、その点については承知しております」
姫さまに後を託された侍女は、そう宣言するものの……。
いや、さすがに見捨てるわけにもいかないでしょ。
姫さまの考えは、わかるよ。
おれたちが無茶しないように、あえて自らの懐刀をここに残したのだ。
まったく、しゃらくさい。
そんなことしなくても、おれは無茶なんて……。
いや、ちょっとはしたかも?
………。
うん、上手い手だな……。
ちっ。
この場に残ったのは、おれと侍女の他に狩人がふたり、冒険者がひとりである。
狩人はもとより、冒険者の中年男も偵察を得意としている人材のようだ。
時刻は夕方。
明日以降の段取りを立てて、犬亜人の縄張りの外で見張りを立てながら休むことにする。
「集水の水筒、こうなるとすごく便利だな……。川の近くに陣取る必要がないから、キャンプ地の候補が大幅に広がる」
「ええ。このアイデアを無料で広めてくれた方には感謝しかありません」
そんなことを、狩人や冒険者と語り合った。
暇をしている侍女が、昼間も随時、集水の水筒を使って水を溜めてくれていたから、キャンプ地では水にまったく困らなかったのである。
侍女が水浴びをする余裕すらあった。
おれたちも、と勧められたが、そこはあえて断っておく。
「この森の奥で清潔な臭いがしたら、それは逆に怪しいからな。臭くて悪いが、仕事が終わるまでは獣の臭いのままの方が安全なんだ」
狩人と冒険者たちがそう言うと、侍女は少し顔をしかめ、それから「浅慮でした」と素直に頭を下げた。
まあ、それもひと昔前までの話、今なら臭いの魔法で何とでもなるとは思うんだけど……。
そのあたりは口をつぐんでおく。
新しいものを付け焼刃で使うより慣れた習慣のまま動く方が、えてして上手くいくこともある。
「さて、見張りの順番を決めよう。そこの侍女殿以外で四人だから、ひとりずつ四交代で――」
◇ ※ ◇
と、いうわけで。
見張りが交代し、おれひとりの番になったところで。
おれは、ひとりでキャンプ地を抜け出すことにした。
うん、最初からそう決めていたのだ。
見張りをサボって皆が襲われた、などということになっては元も子もないので、とっておきの結界の魔法でキャンプ地全体を包んでおく。
一般的な認識阻害を用いたタイプではなく、空間そのものを捻じ曲げてしまう強力なものだから、これで彼らは絶対に安全である。
おれが結界を解かないと、出ることもできなくなっちゃうんだけどね。
耳長族の里を守る特殊な結界の小規模化で、昔、ファーストに教えて貰った、本来は門外不出の魔法であった。
ファーストからはけっこうガチめな声色で「魔法に詳しい人の前で使っちゃ駄目だし、誰かに教えるなんてもっての外。破ったら一生恨む」と言われているから、おれも滅多に使わない魔法である。
だがまあ、今回、ここでこれを使うことに関しては、彼女も文句を言うことはないだろう。
はたして。
結界を張ったキャンプ地からしばし離れたところで、羽音が響く。
月のない闇夜、森の枝葉を縫うようにして、漆黒のカラスが舞い降りてきた。
ファーストの使い魔だ。
カラスはおれの頭に着地する。
「ぼくへの目印であんな結界を張るものではないよ、きみ」
とさっそく苦言を呈してきた。
「で、何があったというのかね」
「たぶん、ファースト、きみも興味を持つ話だ」
おれは、昼の出来事をざっくりと語ってみせた。
ファーストの使い魔は、おれの頭の上で黙りこくる。
おれはその間も、暗視の魔法を使いながら速足で森の奥へとずんずん進んだ。
やがて、ファーストの使い魔が深いため息をつく。
「きみは、森の奥で森巨人や森大鬼を糾合したヒトこそがセブンだと思っているのかね」
「可能性はある、と考えた。状況証拠の積み重ねからの推測だ。そもそも、巨人たちを支配下に置くなんてことをできる者があいつ以外に何人もいるとは考え難い」
「セブンがどんな目的で動いていると思うんだい?」
「現状、判断の材料が少ない。だから、直接、あいつと話してみるしかないと考えている」
「だから、こうしてひとりで出てきたわけだ」
「ファースト、きみは以前、犬亜人の言葉を教えてくれた際、こう言っていた。『森巨人や森大鬼の言葉も、犬亜人の言葉と似たところが多い。犬亜人の言葉を覚えておけば、応用が利く』と」
「言ったね。事実だ」
「セブンに森巨人や森大鬼の言葉を教えたのか?」
「触りだけだが、教えた覚えがある。ぼくも、あのあたりに詳しいわけじゃなくてね。カタコトで意思の疎通ができる程度なんだ」
「そんな理解度で、よくもまあ『応用が利く』などとでかい口を叩けたな」
「実際にぼくが、応用で何とかしていたからね。まあ、あいつらに対するたいていの交渉は、ぼくのことをおいしいご飯だと考える彼らと意見の一致を見ることがなく終わったわけなのだが……」
つまりは、平和裏に交渉で終わったことはない、と。
常に戦いか逃走か、になった、と。
まあ、そうだろうな。
森巨人や森大鬼にとって、ヒトなどあまり食いでのない食料にすぎない。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
重要なのは、今回の一件、背後にセブンがいるかどうか、という点であった。
「我々は研究者だ」
カラスは告げる。
「仮説があるなら、実験あるのみ。きみが真実を確かめに行くと言うなら、ぼくも同行しよう。あいにくと、この使い魔を通して、ということになるがね。援護は期待しないでくれたまえ」
いくらファーストでも、使い魔ごしでは、ほとんど魔法を使えない。
専用の装備や、あらかじめそれ用の使い魔をつくっておくならば話は別だが、このカラスにはそういう機能は付与されていないようだ。
戦闘になれば、おれひとりですべてを切り抜ける必要がある。
まあ、それは望むところ、なのだが。
「ファースト、きみの知識だけでも心強いよ」
「実際のところ、正面から殴り合うならぼくは足手まといかもしれないからね。きみたち短命の種に知恵だけ助力する程度が、ぼくには似合いなのだろう」
彼女とてひとりで己の身を守る程度のことは充分にできるだろうから、これは謙遜だ。
そうでなくては、この乱れた世の中で、あちこち気ままなひとり旅など難しい。
「それじゃ、一気に行くか」
おれは身体強化の魔法をかけて、地面を蹴った。
爆発的な加速で宙を舞う。
太い樹の幹を蹴って方向転換しながら、森の奥へ、奥へとひた走った。
足もとが悪く障害物の多い森の奥なら、これが一番手っ取り早い。
カラスが振り落とされて、慌てて羽ばたきながら追従してきた。
「ぼくの使い魔を、もっと丁寧に扱えないのかね。そんな乱暴なことだから、先の侍従にも冷たい目で見られるのではないかな」
「会話を聞いてたのかよ!」
「いや、おおよその推測だ。きみが世間一般でどう見られているかくらい、よく承知しているつもりだからね。だが、どうやら推測は的を射ていたらしい」
「こんにゃろ、かまをかけやがったな!?」
「この程度の誘導にひっかかる方が悪い。きみ、この国の姫さまを相手に、迂闊な情報を抜かれていやしないかね」
「ちょっと自信がないんだよな……」
「おいおい、困るよきみぃ。しっかりしてくれたまえよ」
高速で移動しながら、カラスと会話する。
このあたりは周囲に大型の魔物の気配がないし、亜人種もいないようだ。
いや、っていうか静かすぎるな。
森の深層ってこんなもんだっけか……?
「肉食の魔物の数が極端に減っているのではないかね」
カラスが、ぽつりと呟いた。
おれは地面を覆う下草の上に着地する。
「少し待ってくれ。調べる」
糞尿探しの魔法を行使する。
さまざまな生き物の排泄物だけを探知する魔法で、狩人の役に立つかもと考えたのだが、肝心の狩人たちからは「難しすぎて覚えられない」とさんざんだった失敗作である。
「興味深い魔法を使うね。後で教えたまえ」
「そのうち、な。やっぱりだ。大型の生き物の糞尿がほとんどない。森の生態系がぶっ壊れているんじゃないか」
「そりゃあ、森巨人や森大鬼がひとつところに集まれば、肉の消費量も半端ではないだろうね」
「そういうことか……。セブンのやつ、それくらいわかっていただろうに」
「予断はよくないな。必ずしもセブンの仕業とは限らないだろう」
それはそうだ、が。
おれは舌打ちして、ふたたび高速で駆け出した。
夜は長い。
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