第16話

 昨日までは元気だった姫さまの侍女が、遅れがちになった。


 小休止の際、話しかけてみる。

 相手は少し鬱陶しそうに、突き放すような応対してきた。


 ははーん。

 小娘がこういう対応をしてくるとき、だいたい隠したいことがあるものなのだ。


 バレてないと思っているところは、割と可愛げがある。


「足を引きずっているな。見せてみろ」

「あなたは貴族の子女の素肌を何だと……」

「森では関係ない。黙って靴を脱げ」


 まわりの狩人や冒険者は、わかってはいても貴族を相手二恐れ多く、口に出せなかったようだ。

 だから、おれが指摘した。


 姫さまがびくっと肩を震わせる。

 本当は自分が気づくべきだった、と後悔している様子がありありと伺えた。


 普段はまわりをよく見ている彼女も、今回ばかりは自分のことでいっぱいいっぱいだった様子である。

 無理もない、このあたりは一見はなだらかなようでちょっとした起伏が多く、足を取られるものも多い。


 こういう場所に慣れているおれでも、だいぶ神経を削られている。

 森の中でもこういった場所では、想像以上に神経をすり減らすものなのだから。


 いくら優秀な貴族といえど、この場で自分だけでなく周囲にまで気を配るには、さすがに経験が足りない。

 まあ、そもそも普通の貴族は森の中に足を踏み入れないのだけれど。


 そのために、狩人や冒険者といった者たちがいるのだから。

 故にこれは、あなた方の落ち度ではない。


 そう、言葉を選んで、主従ふたりに言い聞かせる。


「いまあなた方がやるべきことは、森の経験者の言葉に耳を傾けることだ」

「あなたに言われずとも、わかっております」


 侍従は口を尖らせている。

 頭でわかってはいるが、それ故になおさら過剰に反応してしまうのだろう。


「だいたいあなたは、平素より貴族に対する敬意というものが……」

「そこまでにしておきましょう」


 姫さまが口を挟んだ。

 目を丸くする侍女に対して、ゆっくりと首を横に振る。


「耳の痛い正論を聞いたときほど、ヒトの度量が問われるのですよ」

「申し訳ございません、殿下」

「謝るのは、わたくしに対してではないでしょう」


 侍女はおれを睨んだ後、ふっ、と表情を消す。

 ゆっくりと頭を下げて、「申し訳ございません、つまらぬ意地を張りました」と謝罪の言葉を口にした。


「気にしないでくれ。それより、足を見せてくれ」


 予想通り、足の裏の皮が剥けて血まみれになっていたうえ、足首を軽く捻挫していた。

 治療の魔法がかかった軟膏を塗り、少しきつく布を巻いて足首を固定する。


 これで、今日一日くらいは何とかなるだろう。

 侍従の少女はしきりに恐縮していたが、彼女が相応に鍛えていることは普段の動きを見ればよくわかるし、頑張っているのはよくわかる、と諭しておく。


「こういう時、いちばんよくないのは、怪我を隠すことなんだ。些細なことでも口に出すこと。そんなことできみの評価は下がらないし、下がらせない。わかったね」

「はい……。平原でまる一日行軍するような訓練は得意でしたので、調子に乗っておりました」

「ああ、うん、森を歩くのはまた違う。でも大丈夫だ。きみはその差を覚えたし、次はもっと上手くやれる」


 姫さまの方を見ると、微笑みながらうなずいていた。


「前回の時も思いましたが、殿下は森歩きに慣れていますね」

「王家の別荘の森で、幼い頃から走りまわっておりました。かの地はごく一部の者しか連れていけないため、開放感がありましたね」

「誰に止められることもなくやんちゃしてたってことですか……」


 姫さまが、にっこりとする。

 まあ、王族なんてストレスの溜まるような仕事をしているのだ、時々は好き勝手に暴れたくなる気持ちもわかるが……。


 あ、この侍女の子の靴、足と形が合ってないなあ。

 許可を得たうえで造形変化の魔法を使って、靴の先端部分を少しだけ広げておく。


 ふと顔をあげれば、今度は姫さまが真剣な顔でおれの手つきを見ていた。


「あの、殿下? ひょっとして、この魔法も軍に預けるとか言いませんよね。ただ革の具合をいじるだけの魔法ですよ」

「たしかに、集団行動の際に便利な魔法だとは思いますが……。今回はただ、見事な手際だと思っただけです。それも、あなたがつくったものなのですか?」

「ええ、昔、冒険者時代に。あなたの母君が、やたらと靴を履き潰すものですから、都度修理できるようにと。正直、普通に靴屋が使うような道具でやった方がいいシロモノなんですよ。ただ、旅先では道具がなくても補修できる方が便利でしょう?」


 こういう、ちょっとした横着のための魔法はいくつもつくった。

 そのたびに仲間の持ち物で実験したり、失敗して壊したりで、何度も迷惑をかけたものである。


 あるとき、うっかりと狩人の弓を曲げてしまって、それに狩人がブチ切れて……。

 あの一件がチーム解散のきっかけのひとつだったのかなあ。


 後に仲直りはできたけど、本当に悪いことをしたといまでも深く反省している。


 探検の最中に、まだ実験中の魔法を使ってはならない。

 あと、相手に無断で相手の持ち物をいじってはならない。


 あの頃のおれは若かった。

 侍従の少女の治療を続けながら、そんな感じのことを、面白おかしく語ってみせた。


 狩人と冒険者たちはドン引きしていた。

 姫さまと侍従は呆れかえっていた。


「え、今の、笑うところですよ」

「まずひとつ、申しあげますが、わたくしの亡き母は侯爵家の隠し種ということになっております」

「あ、養子に入って……すみません、今の話、みなさん忘れてください」


 狩人と冒険者たちが、一斉にコクコクと首を上下させる。

 今のはおれのミスだ。


 ここにはいつもの面子以外もいるというのに。

 つい懐かしくなって、余計なことをしゃべってしまった。


 姫さまが、他言無用と彼らに重ねて言い聞かせ、そのうえで……。


「実際のところ知る者は知っておりますが、よからぬ貴族があなたに接触し利用する可能性はありますので」


 と補足する。


「よからぬ貴族、ですか」

「ヒトの過去を己の都合のいいように利用しようと企む輩はどこにでもいる、ということです」

「ドロドロの権力争いに、いたいけで無垢な研究者を巻き込まないで欲しいですね……」

「誰がいたいけで無垢かはともかく、そう考えるならばこそ隙を見せぬことです」


 面倒な。

 だから貴族に近づくのは嫌なんだ。


「それからもう一点、わたくしは弓使いではありませんし、剣もそこそこしか使えません。ですが自分の武器を勝手にいじられたら、それは怒髪天を突くという気持ち、たいへんによくわかります」

「はい……それは本当に……」

「母が生前、あなたには悪気はないがヒトの心がわからないところがある、と言っていました。今ならよくわかります」

「はい……申し訳ございません……はい……」


 その日の夜、狩人も冒険者も、皆がおれがそばに近づいてくると自分の得物をそさくさ隠すようになった。

 自業自得ではあるのだが、心が辛い。


 本当にもう反省して、二度とやらないって誓ったんだって。

 実際にあれからは、ヒトのものをいじるときは必ず前もって許可を取ってるって!



        ◇ ※ ◇



 深夜、ひとりキャンプ地を抜け出して、頼りない星の明かりだけを頼りに暗い森を歩く。

 淀んだ泉のそばに立つ。


 泉のまわりを旋回していた真っ黒な鳥が、おれを発見してまっすぐに飛んできた。

 足を突き出して翼をはためかせ減速、おれがつき出した腕に掴まって勢いを止める。


 カラスだった。

 その真紅の双眸がおれを射貫き、カラスはカァとひとつ鳴いた。


「北でのセブンの痕跡は完全に途絶えたよ」


 ファーストの声で、カラスは語った。

 このカラスはファーストの使い魔で、先ほどキャンプ地の上空を旋回しているところを発見したのである。


 何かおれに伝えたいことがあるのだと、直感的に悟った。

 だから、ひとりこうして、キャンプ地を抜けてきたわけである。


「ひょっとしたら、一連の出来事も茶番だったのかもしれないねえ」

「茶番? 国がひとつ滅んだことが、か?」

「ヒトの歴史ではよくあることだよ。この五年で、いくつもの国が滅びた。数えきれないほどの民が血と涙を流した。師がヒトに伝えた魔法はヒトに牙を剥き、ただ邪魔だから、というだけの理由で隣人の首を刈る者たちが跳梁跋扈している。ふざけた話だ。誰も、あのかたの考えを理解しない。理解できないのではなく、ただ己にとって都合が悪いからというだけの理由で、それを故意に忘れ去ろうとしている」

「きみらしくもない、苛立ったものいいだな」

「――セブンはそんな風に考えたのではないかな、と思ったのだよ」


 おれは眉根を寄せて夜空を見上げた。

 無数の星の瞬きは、五年前と何ひとつ変わらないように見える。


 だがこの大地は変わり果てた。

 大陸は今、乱れに乱れている。


 おれは、そんなこと知ったことじゃない、と思っていた。

 だからこそ、名を隠し学院に潜伏して、ただの研究者となった。


 ファーストは、これもまたヒトが選んだことだ、と他種族の気楽さでヒトの社会から離れたらしい。

 種族の特徴である長い耳を隠して、あちこち旅をしながら気ままな暮らしを続けていたという。


 セブンは。

 あのどこか生真面目なところがある男は、どうなのだろう。


 彼もまた姿をくらましたが、そこにはどんな意図が、どのような思いがあったのだろうか。

 そしていま、彼のものらしき人形が現れた意味とは何なのだろうか。


「ぼくはこれから、新興諸国をまわってみる。あのあたりが一番、大賢者の弟子を名乗る者が現れそうだからね」

「だろうな。安定した大国は、大賢者の弟子なんてありがたがらない。むしろ、己の地位と権力にとって邪魔になると考えるだろう」

「無論、大賢者の弟子を取り込めるなら、それはまた別の話なんだろうが……」

「大国ほど、そうは考えない。そんなに従順な者であれば、五年前にとっくに、渡りをつけてきただろうから、と」


 このあたりは、何度も話し合ったことだ。

 既存の国の大半は、おれたちのちからなど必要としていない。


 今まで大賢者から得た技術だけで充分にやっていける、と考えている。

 このままで、あとは自分たちのちからで他の余計な者どもを黙らせることができる、と傲岸不遜に見下している。


 彼らは恐れているのだ。

 ある日突然、次の大賢者が現れて、既存の秩序が乱されることを。


 自分たちがいらない者の側にまわることを。

 無論、いくつも例外は存在するだろうし、これは一時的な現象で、いずれはどこかの誰かがまた新たな道筋を見つけて民を導くのかもしれないが……。


 現状は、こうなのだ。

 だからこそ、それに対して思うところがあるおれたちは、それぞれが勝手に動いている。


 それでいいと思った。

 それしかないと思っていた。


 そもそも大賢者の弟子、などという称号には意味がない。

 邪魔なものでしかない。


 そういう理解であった。

 名を騙る者たちであればともかく、当の大賢者の弟子たちにとっては、それはただの足枷であるのだと。


 だが、ここに来てのセブンの不可解な行動だ。


「きみも気をつけたまえよ。セブンは、以前からきみのことを理解していると確信しているようだった」

「理解している? おれを?」

「彼が勝手にそう思っているようだ、ということさ。だからこそ、注意した方がいい」

「どういう意味だ」


 カラスは笑って、宙に舞い上がる。

 旋回しながら高度を上げていく。


 どうやら、これ以上の問答をするつもりはないらしい。

 ファーストの使い魔は、夜の闇に溶けるように消えた。


 おれはキャンプ地に戻り、朝までよく眠った。

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