第15話
三百年前、魔法はごく一部の特権階級だけが使える特別な技術であった。
二百年前、魔法は大賢者によって解析され、解体され、一般化されて、百人にひとりが初級の魔法を使える程度のものになっていた。
百年前、魔法はさらにヒトの技術として広まり、十人にひとりはなんらかの魔法を使えた。
加えて、都市部に住むほぼすべての者が魔道具の恩恵を受けていたという。
人々は団結し、各国が外敵との戦いに専念することで、ヒトは大陸のあちこちに広がっていった。
ときに揉め事も起こったが、最終的には大賢者の仲裁を受け入れることがほとんどで、ヒトは内部で争うのではなく外の敵と戦うためにちからを合わせた。
五年前、大賢者がこの世を去った。
各国は際限なく争い始めた。
大賢者が広めた魔法の力は、相手国の民を傷つけるために使われた。
多くの都市が灰燼に帰し、多くの民が魔道具の恩恵を失い荒野を彷徨うこととなった。
技術が常に前に進むとは限らない。
それはヒトの不断の努力がなければ、あっという間に衰退し、退行してしまう。
「ぼくたちは目の前にある恵みに感謝しなければいけない。それは漠然とそこにあるのではなく、先人の汗と血によって生み出された産物なのだから」
かつて、ファーストはそんなことを語っていた。
ヒトよりずっと長い命を持つ彼女は、日々の暮らしがいまほど便利ではなかった時代のことをよく覚えていたし、大賢者が為したことの偉大さを誰よりもよく理解していたようである。
「昔には戻りたくないね。ぼくは、いまの方がいい。そして、きっと明日の方がもっとよくなる。そう信じたいんだよ」
そう語ったのは、おれの研究室に転がり込んできたころのことである。
彼女は研究室から消える前に、いくつかの論文を置いていったのだが……。
正直、いまこれを発表するわけにはいかないような内容であった。
なんだよ、魔道具による遠距離交信技術の素案とそれが軍事と経済に与える影響って。
政治に疎いおれでも、これがとびきりの危険物だとわかってしまう。
ちなみに現在の学院が開発した技術では、特殊な魔法によって町と町の距離で限定的な交信をすることは可能だが、その魔力の消費量が大きいため緊急時に限られる。
で、現状、この魔法そのものが軍から機密扱いされているので……。
それを魔道具で可能にして汎用化した時点でロクでもないことになるのは明白なのだ。
そもそも、なけなしのプライドにかけて、ファーストの研究をおれの名前で出せるものかよ。
やるなら自分の名前でやって欲しいものである。
というわけでアイデアの一部だけ流用させてもらい、三百歩程度の短い範囲でのみ使える近距離通信用の魔道具をつくってみた。
わざわざ信号を送らなくても、開けた場所ならば大声を出せば何とか聞こえる、その程度の距離である。
魔力を込めるとエメラルドが輝く、ただそれだけの、他愛もないシロモノだ。
それでもまあ、いくつかのリズムを決めておけば、ある程度は情報を伝えられるだろう。
見かけは、ただのエメラルドがはまった指輪である。
森の中で、騒がないでも意志を伝えられる、その程度の役には立つ。
森の行軍、その一日目の終わり。
その指輪を姫さまにひとつ、冒険者、狩人のうち魔力の扱いに慣れた者にひとつずつ渡した。
「分散して行動する際に使ってください。二回連続でチカチカさせたら集合のサイン、三回連続ならすぐ逃げろ、としましょう」
野営の最中に四つの指輪をとり出してそう告げたところ、皆が、じっとおれを見つめてくる。
しばしの、沈黙。
「え、何ですかこの空気」
敬愛する姫さまが、とてもいい笑顔で「この魔道具は、今回の一件が終わった後、王家が預かりますね」とおっしゃった。
狩人と冒険者がうんうんとうなずいている。
「いささか横暴では?」
「この手のものは先に軍にもっていくように、といったでしょう」
「森の中ならともかく、軍事行動に使うには有効な距離が狭すぎるでしょう。しかも宝石の魔力許容量の関係で、これ以上の距離の延長は望めません。欠陥が多すぎるので実用化は断念した技術ですよ」
「ですが、町の中でなら充分な距離です。密偵たちはさぞ重宝するでしょうね」
ああ、そうか。
スパイなんかが使うには、ちょうどいい距離なのか。
考えてみれば、王宮の警備とかにも使えそうだな。
しまったなあ、そういうつもりじゃなかったんだけど。
「軍の方から、なんであの研究者を王家で囲っておかないのだ、と怒られるのはわたくしなのですよ?」
にこにこ顔の姫さまに、周囲の狩人と冒険者、ついでに侍女までもささっと距離をとる。
おい、侍女、おまえまで逃げてるんじゃねえ。
「しかも軍は、わたくしの幼少期に躾けの教師をしていた者を顧問として雇用し、わたくしの対応窓口とする嫌がらせをしてくるのですよ」
「いじめられてるんですか、殿下」
「学院に在学中、軍の上層部を論破して再編を図り、先進的な組織につくり変えただけですのに」
「組織運営に手をつけられたら、そりゃ恨まれますねえ」
それくらいは、おれでもわかる。
いや、結果として機動性と即応性が高い現在のこの国の軍が手に入ったのだから、間違ってはいないのだろうが……。
「ですが、その組織がなければ先の戦では危うかった、と評価されておりますよ」
「なまじ成果をあげてしまったから、ネチネチとやり返すしかないってヤツですね」
「まったく、大人げないことです」
ため息をつく姫さま。
うーん、こ、ここはノーコメントで……。
「そういうわけですので、くれぐれもあなたの発明は、まずわたくしに見せるようにお願いいたしますね」
「こんなの、息抜きでちょっと開発しただけなんですよ」
「なおさら悪い!」
キレられた。
侍女が、なんか知らないけどやたらとうなずいている。
おれが悪いのか? と狩人や冒険者たちの方を見る。
全員が、ぷいとそっぽを向いた。
「だいたい、研究の息抜きで魔道具を開発するってなんですか!」
「そんなことを言われましても……」
あるでしょ、ちょっと気分転換をしたくなること。
何日も徹夜でメインの研究が行き詰まってしまったから、休憩に別の研究をしてみたりすること。
みたいな話をしたところ、その場の全員からドン引きされてしまった。
え、なんで……?
「徹夜で頭が働いてないときに別の研究を始めるという話は、初めて聞きましたね……」
侍女が、ぽつりと呟く。
「研究以外に楽しみがない人生なのですか」
まわりがうんうんと同意している。
えー、よくあることじゃない?
そういうときに、えいやって勢いでつくってしまったものが意外とイケてたりするもんだよ?
「あなたが、研究者としていささか度を越した態度の持ち主であることは、かねてより認識しておりましたが……。普通、徹夜で疲れていたら寝るものでは?」
「そんな、せっかく上がったテンションがもったいない」
ねえ、と同意を求めて周囲を見る。
全員が、ホッポウスナギツネのような顔でおれを見返してくる。
あれえ、味方がいないぞ。
◇ ※ ◇
同行した狩人や冒険者とは、最近、流行の魔法や魔道具について話を聞いた。
普通の国であれば流行とは何だ、となるところだが、この国には学院があり、最先端の研究とその成果がガンガン足もとに下りてくる。
この地の狩人や冒険者には、目ざとくそれらを見極め、良いと思ったものは取り入れたり、上手く応用してみたり、と試行錯誤する者が多い。
というかそういう者たちが上澄みと呼ばれていくのだから、当然、両ギルドからこの場に選ばれた者たちはそういったものに詳しいはずであった。
「臭いの魔法は、最近、ヒトの臭いを出すモジュールが開発されまして。我々もよく利用させて貰っていますよ」
「待って待って、ヒトの臭いって、それ何の意味があるの?」
「こちら側の人数を水増しすることで、臭いに敏感な生き物は勝手に逃げていきますからね」
森を主な活動地点としている冒険者たちの言葉に、いきなり驚かされる。
そうか、ヒトの臭いを消すのが本来の使い方でありそれが当然だと思っていたのだけれど、逆にヒトの臭いを増やして相手を威圧するのか……。
狩人からすれば、獲物が逃げては話にならない。
しかし本命が森の奥の遺跡や薬草の採集である冒険者ならば、森の生き物はただの追い払うべき邪魔者にすぎない。
モジュール化により、そんな応用までされているとは……。
目から鱗、とはまさにこのことである。
「そもそも、モジュールという概念が画期的です。これまでの魔法には、大賢者さまから頂き、そのまま用いるもの、という固定観念がありました。大賢者さま以外の方が開発されてもそこは同じであろうと、当然のように思っていました。ただの冒険者である我々が、開発に加わるなど……斬新すぎて、最初は何をすればいいのかまったくわかりませんでしたよ」
冒険者は、大袈裟な身振り手振りでそんなことを語ってみせる。
いやほんと大袈裟だと思うんだよね、こっちとしては細かい部分まで自分でやるのが面倒だっただけなんだからさ……。
それに、おれのことはいいんだ。
おれなんかを褒めるなんて時間があったら、もっと世情について語って欲しい。
たとえばほら、最近、魔道具でいいものとかない?
みたいな風に話題を促してみる。
「魔道具はたいてい高価で、あまり手に入らないですが……。最近注目されているもの、となるとこれですね」
そう言って冒険者が取り出したのは、一見するとただの濡れた革袋であった。
袋の内部には、銀糸によって簡単な紋様が刺繍されている。
これは知らないやつだなあ。
手にとって、少し調べてみる。
「集水の水筒、といったところか?」
紋様から術式を読みとり、革袋を冒険者に返した。
相手はうなずき、「口を開いて一晩、そこらに吊り下げておくだけで朝には袋いっぱいの水が手に入ります。どこに探索に行くかわからない我々にとっては、もはや欠かせない道具ですよ」と告げる。
「なるほど、つくるのは簡単そうだが、こういうのは案外誰も思い浮かばないものだ。便利な発明、とはこういうものかもしれないな。学院には登録されていなかったように思うが……」
「ええ、学院の研究者じゃないと思います。酒場で呑んでいたら、耳長族の美人さんと意気投合しまして。冒険に出るとき水に困っている、という話をしたら、数日後、近くの店にこれを下ろしてくれて……」
「ほ、ほう?」
耳長族は、そもそも数が少ない。
そのうえ、故郷を出て旅をする者はなお少ない。
何かそいつ、知ってるヤツな気がしてきたな。
っていうか……。
「あの人とは、あれから一度も会えてないんですよねえ。でもこの水筒のレシピはタダで公開してくれたんです。いまあっちこっちの刺繍師が、これを量産してるんですよ」
「な、なるほど」
絶対にファーストだわ。
あんにゃろう、おれの研究室に転がり込んでおきながら、ときどき王都に呑みに出ていたのかよ。
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