第14話
森の奥地に遠征した狩人の部隊が、予定を大幅に超過しても戻って来ていないという連絡が入った。
狩人が森の中で死ぬのは不幸な出来事ではあるが、それ自体はままあることだ。
たとえそれがベテランであっても、命のやりとりをする仕事である以上、いつだって不慮の事故というものは起こり得る。
集団で行動していたからといって、必ずしも安全とは限らないのが森の奥という未開の土地である。
しかし、王都の近くに住む狩人たちの精鋭がこぞって参加した部隊、それがひとり残らず失踪したともなれば、これは大きな事件であった。
どれほど大きいかといえば、普段は仲の悪い狩猟ギルドと冒険者ギルドのトップが顔を突き合わせて会議する必要があるくらいの大事件である。
で、なぜかその場に、このおれが呼ばれていた。
しかも会議の場所は王宮の会議室で、姫さまの姿まであった。
え、ちょっと待って、いくらなんでも大事件になりすぎてない?
そりゃ、おれだって友人の狩人が心配だけどさあ。
「森の奥に棲む亜人たちの動向には、王家も気を配っている事項なのです」
「犬亜人の集落がいくつもある、という話ですね」
「近年、確認されているのは犬亜人だけですが、以前は森巨人や森大鬼の姿も見られたと。わたくしが生まれる前の出来事ですが……」
王都の近くの森に、森巨人や森大鬼まで潜んでたの?
いや、森の奥というのがどこまで続いているのか、正確なところは把握していないというのが本当のところなのだろうけれど。
この国の西にある森は深く広大で、その先には山脈が広がり、その向こう側は人類の未踏破領域に繋がっているらしい。
王都は、そんな森に隣接している。
この王都も、百年ほど前は人類の最前線の砦であった。
当時はまだヒトの国々が大陸各地で領土を切り取ることに懸命で、同じような地はあちこちにあったという。
ただ、この地を守護する者たちは少し様子が違った。
その者は学者肌で、王となり独立した際、大賢者に頼らず人類の知の最前線でも己の道を切り開くための場所を、すなわち学院をつくった。
それがこの国と学院のなりたちである。
故に、西の森の動向は、常に王家の監視対象であるのだ、と……。
姫さまは、滔々とそう語ってみせた。
狩猟ギルドのギルド長と冒険者ギルドのギルド長が、そんな姫さまに頭を下げている。
どちらも壮年の男で、しかし身体を崩して一線を退いた者たちであった。
実際に会ったのは初めてだが、ふたりのことは知識として、そして狩人や冒険者たちから話を聞いて、多少は知っている。
ギルド長同士の仲はそれほど悪くないのだが、立場上、何かとぶつかることも多い。
そのため外では慎重な言動を心がけていて、禿げあがる思いだ、と……。
こうして並んでいるのを見る限り、ふたりとも頭髪には深刻な旱魃が訪れているようだった。
背負いこんだ苦労ともども、頑張って欲しいものである。
で、姫さまとギルド長ふたりの視線がおれの方へ向く。
「今回、あなたをお呼びしたのは他でもありません。狩人たちの遠征の目的は、あなたの魔道具を試験するためであったとか。犬亜人から身を守る魔道具でしたね?」
「それは目的のひとつ、と聞いていますよ。定期の薬草の採集依頼があったとのことでは?」
そのあたりどうなのだ、と狩猟ギルドのギルド長を見れば、彼はひとつうなずいて羊皮紙を取り出した。
「学院からの、実験用の薬草の採集依頼ですな。学院長のサインもございます。こちらに」
「拝見いたしましょう」
姫さまが羊皮紙を受けとり、内容に目を通す。
特に問題はなかったようで、すぐに羊皮紙はギルド長の手に戻った。
「やはり、失踪した者たちが森の奥に足を踏み入れたことは間違いないようです。しかし、これまでは上手くやっていたとのこと。念のため、まずは魔道具に問題があった、という可能性について確認させてください」
「現物は持参いたしまして、先ほど宮廷魔術師の方にお渡しいたしました。現在、確認して頂いております」
「わかりました。ではそちらについては後ほど」
ここまでのやりとりは、あらかじめ示し合わせたものである。
姫さまはおれにうなずいた後、ふたりのギルド長の方へ振り返る。
「冒険者ギルドは、今回の件、お手伝いいただけますでしょうか」
「王家からの要請とあらば、すぐにでも人員を派遣いたします。既に人選は概ね」
「よろしい。狩猟ギルドも、残っている者の中から三名を選び、道案内をお願いいたします」
姫さまが、手際よく両ギルドから人員を引き出し、救助隊の内容をまとめていく。
たぶんこれ、両ギルドだけに任せていたら数日かかることだろう。
そのあたりを王家の強権と剛腕でもって制してしまった。
救助の責任は王家が持つことになるかわりに、最速で、しかも最強の部隊を動かすことができる。
このやり方が正しいのだろう。
姫さまが懸念している最悪を想定するのなら。
あらかじめ彼女の侍従から聞いていた、最悪の想定。
それは深層に赴いた狩人たちが全滅していることではない。
森の奥で想定外の変化が起こっており、それがこの国に重大な影響を及ぼす。
それこそが、最悪と言えるのだ。
たとえば、犬亜人の群れが森の浅層に広がり、連鎖的に浅層の魔物が森の外に出没するようになるとか。
あるいはさきほど姫さまが言っていた森巨人や森大鬼が侵略を開始するとか。
はたまた、もっと厄介な魔物が現れた可能性とか。
別の想定もできる。
たとえば……そう、南の国が懲りずに、今度は大まわりして西の森を通り軍を派遣してきた、とか……。
いや、たぶんそれはないな。
いくらなんでも、軍隊が通るには、あの森はあまりにも危険すぎる。
訓練された冒険者や狩人たちが、あまり目立たない人数でなら、かろうじて、という難所なのだ。
あの森が何百人、何千人ともなる軍隊が通れるような土地であれば、どれほど気が楽なことか。
「魔道具のこともあります。あなたにも共に来ていただきたい。よろしいですか」
姫さまが、おれの方を向いてそう問いかけてくる。
もちろん、とおれはうなずき――。
うん? と首をひねる。
両ギルド長も、あれ、と首を横に傾けた。
おれと両ギルド長の視線が、一斉に、姫さまのそばに控える侍従に降り注ぐ。
侍従の少女が、申し訳なさそうに肩を落とし、ゆっくりと首を横に振った。
両ギルド長が、慌てた様子で口を開く。
「お待ちください、殿下」
「いまのおっしゃりよう、まるで殿下も同行するとでもおっしゃるかのような……」
「もちろん、救助隊のリーダーはわたくしです。これについては王より許可も得ております」
おい、王さま。
何考えているんだ。
いやまあたしかに、この姫さまは先日の森の中の訓練でもその実力を発揮してみせた。
足手まといにはならないだろう。
どころか、姫さまが指揮するなら冒険者と狩人の混成部隊であっても派閥争いなんて起こらない。
というか起こさせないだろうし、御旗のもと、皆が一致団結してくれるだろう。
あれ、いいことずくめだな?
姫さまの身に危険が及んだとき、おれたちの首が物理的に飛ぶ可能性さえ考慮しなければ。
「ご安心を。わたくしの身よりも、今回の遠征で得られる情報の方が有益であると説得いたしました。最悪の事態が起きたとしても、みなさんの責任ではないということ、既に一筆とっております。書類は、ここに」
姫さまは、にこやかに人数分の羊皮紙を差し出す。
最初からそのつもりだったのだろう、先ほど彼女が口にした内容がそのまま、書き記されていた。
両ギルド長が肩を落とす。
おいおい、がっくりしたいのはおれの方なんだが?
◇ ※ ◇
翌日、おれと姫さまを含めた十一人の救助隊は、朝日が昇る前に王都を発ち、森に入った。
森に詳しい狩人たちが先導し、冒険者たちが周囲を警戒、おれと姫さまは真ん中で彼らに守られる立場である。
姫さまの護衛として、いつもの側付きが、今日は革鎧を着て姫さまの二歩ほど後ろを歩いている。
腰には細身の剣を差していたが、身のこなしも森の中での足取りも堂に入ったもので、姫さま同様に専門の訓練を受けていることが窺えた。
「あなたの開発した魔道具には、何の落ち度もありませんでした」
道中、おれの隣を歩く姫さまが語る。
なんでおれが彼女の隣なのか謎なんだが……いや、でもそこがいちばん、隊列の邪魔にならないところだから仕方がないのかな。
後ろをついて歩く侍従をちらりと振り返れば、何の問題もない、とばかりにうなずいている。
「犬亜人の言葉の専門家も驚いていましたよ。これならば、たしかに彼らへの警告として機能すると」
「それはよかった。……犬亜人の言葉を専門にする人、いたんですか」
「この町が出来たころは、森の亜人種との対話を試みたこともあったのです。当時の名残と、その末裔です。老齢の方でしたが、己の研究成果を次の代に継承できないこと、嘆いておりました」
ファーストのやつが聞いたら、会いたがるかなあ。
そんなことを、ちらりと考える。
「あなたこそ、犬亜人の言葉など、いったいどこで?」
「古い知り合いから、少し」
「なるほど、冒険者時代のお知り合いですか」
勝手に勘違いしてくれたが、そこはあえて訂正しないでおく。
ファーストは希少種の耳長族だから、どうせ彼女が大賢者の弟子だとは夢にも思わないだろうが……まあ、念のためである。
「それより殿下、その格好で大丈夫なのですか」
おれは彼女の服装を指摘した。
以前のような学生のフリをしているわけではなく、この森の中ではひどく不釣り合いな、フリルがたっぷりとついた白いドレスをまとっていた。
靴に至ってはハイヒールである。
もっとも、歩きにくそうなその格好で身体をよろめかせることもなく、ドレスを汚すこともなく、おれや狩人たちに平然とついてきているのだから、見かけ通りの装備ではないことは明らかであった。
最低でも、服と靴の両方に保全と軽身の魔法がかかっている。
そこらの貴族では全財産をはたいても足りないほど値の張る魔道具だ。
問題は、何故そんな目立つ格好をしているか、ということの方であった。
この森の中で、どう考えてもこの人、重要人物に見えるからなあ。
仮にここで南の国の軍がいたら、絶対に襲って確保するだろう。
誰だって、こんな目立つ的を見逃すはずもない。
はたして姫さまは、薄く笑ってみせた。
ああ、そうか、なるほど……?
「建国当時のプロトコル、ですか。交渉の伝統。もし向こう側にもその言い伝えが残っていれば、話し合いの基盤になるとお考えで? ですが相手は犬亜人ですよ」
「先方に言い伝えが残っていなくとも、こちらがそれを蔑ろにしていい、ということにはなりませんよ。百年前の記録によれば、犬亜人との交渉は、この服装をした者が行うということになっているのですから」
すなわち、これは彼女の外交官としての正装なのだ。
わざわざ姫さまがこの一行の指揮を執ると言った時点で、そこは理解しておくべきだったかもしれない。
………。
いや知らんわ。
おれは政治なんかに関わりたくないんだ。
だから姫さまも、よくできました、とばかりの笑顔を見せないでください。
「殿下は犬亜人の言葉がわかるのですか」
「まったくわかりません。ですから、具体的なところは翻訳をお願いいたしますね」
え、おれがやるの?
そりゃ、ファーストから基本的な語彙は教えて貰ったけど……。
あいつらの言語には可聴域の外の音が使われるから、魔法で耳を強化しないといけないんだよなあ。
やってやれないことはないけど。
こんなことなら、それ用の魔道具も作っておくべきだったかもしれない。
おれは、ただ知り合いの狩人が心配だからついてきてるだけなんだけど……。
いや、その狩人の動向を知るためにも、犬亜人とのコンタクトが必要と姫さまは考えているわけだから、これも仕方がないことか。
こんなこと、研究者の仕事じゃない。
それは重々承知の上である。
「それに」
と姫さまは呟く。
少しうつむいて、どこか自分自身に言い聞かせるように。
「予感があるのです。ただの直感です。ただ、このまま座して待つのは愚策であると、そう胸がざわめくのです」
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