第13話

 しばし時は遡り、春先のこと。

 知り合いの狩人から、相談がある、という連絡が入った。


 学院内の酒場で落ちあい、話を聞く。

 この地の狩人は、ある程度の腕があれば学院から受ける仕事をこなすことが普通だ。


 狩猟ギルドから発行される資格証で学院の入り口をパスできるし、有料だが内部の食堂を使うこともできる。

 おれの知り合いである彼も、学院内部は勝手知ったるものであった。


「森の奥で、犬亜人に襲われずに夜を過ごすことはできないか」


 酒を酌み交わしながらの世間話の後、彼が切り出した話は、そのようなものであった。

 なんでも学院の近くにある森の奥地、犬亜人が多数棲むあたりに、希少な薬草が採集できる場所があるらしい。


 しかし、そこに赴くだけでも二日、更に群生地の捜索にも日数がかかるとのこと。

 これまでは採集者と狩人数名でチームを組み、かなり気合の入った遠征をこなすことで、必要なだけの採集をこなしていたとのことである。


 で、この希少な薬草、これまでは一部の病を治すために使われる程度だったのだけれど……。

 現在、学院の研究者からの研究素材としての需要が増えているらしい。


「採集しすぎて枯渇する懸念はないのか」

「そこは問題ない、はずだ。森の奥は魔力が豊富で、魔力で育つ薬草がよく育つ。毎回、採集場所を変えているのも、一ヶ所で取りすぎないためだ」


 それでも慎重に、様子を見ながら採集量を増やしたい、とのことである。

 とはいえ、やはり大規模な採集チームを組むのは狩人たちの負担が大きく、何か知恵があれば……と。


 そういう次第で、おれに声がかかったらしい。


「おれは別に、言えば何でも出してくれる便利な雑貨屋じゃないんだぞ」

「そうだな。毎回、こちらの想像を超えたものを出してくる」


 狩人は笑って、今日の酒場の払いは任せろ、と告げた。


「臭いの魔法じゃ駄目なのか」

「犬亜人は鼻だけでなく耳もいい。ヒトの音を敏感に聞き分けて、襲って来るんだ。こちらが大人数であれば襲われないのだが、少人数だと……な」

「たしかに、あいつらは人数で襲うかどうか決めるよな。で、昼の行軍はともかく、夜に立てる物音は……」

「ああ。少人数の場合、獣に襲われないよう太い樹の上で寝るんだが、そういう場所はえてして犬亜人の縄張りで、夜の巡回に頻繁にでくわす」

「隙を見せれば囲まれる、か……」


 犬亜人は身の丈がヒトと同じくらいで、二足歩行し、棍棒などの原始的な武器も使う危険な生き物だ。

 独自の言語を持ち、ヒトには聞こえない高い音で会話する。


 全身、顔までけむくじゃらで、部族によって毛の色が異なり、同じ毛の色の者たちが集まって集落をつくる。

 なんでも毛の色で差別があるらしいのだが、詳しい生態はよくわかっていない。


 鼻と耳がいいぶん、目はあまりよくないらしい。

 森での活動に特化していて、長い手で軽々と木登りをするし、木の枝から枝へと身軽に跳躍することでも知られていた。


 そのうえ、鍛えたヒトと同じくらいの膂力でもって石を投げてきたり棍棒を振るう。

 しばしば十体以上の集団で行動し、強力なリーダーが現れた場合、ひとつの集落が五十体以上になることもある。


 かつて、おれと仲間たちがヒトの村を守るため命懸けで戦った集団が四十体で、あのときは優秀なリーダーがいたから、非常に手ごわい相手であった。

 雄も雌も肩を並べて狩りを行うため、集団での戦闘力はなかなかに侮れないものとなるからな……。


 で、学院の近くの森に棲む犬亜人は、ひとつの集落がせいぜいが十から二十程度の規模らしい。

 少人数の狩猟採集部隊で相手をするには、いささか骨の折れる敵といえるだろう。


「犬亜人から完全に身を隠す方法、か」

「あるのか」

「ないこともない、が……」


 冒険者時代、何度かやりあったこともある相手だ。

 仲間の斥候が、犬亜人の習性や弱点を事細かに教えてくれた。


 ただ、不文律などは部族ごと、集団ごとにさまざまに変化するとのこと。

 リーダーの性質によっても行動の指針が変わるため、何につけても一概にこう、とは言い難いことも。


 一般に魔物と同一視されるけど、かなりヒトに近い種族なんだよな……。

 かといって奴らはひどく狂暴だし、会話も成り立たないうえ、そう大きな集団にはならないため、国が本格的な駆除に動くことは少ない。


 そもそも、魔力が高い土地を好むという特性上、あまりヒトと縄張りがぶつからないのだ。

 森の中に開拓地をつくったりすると、とたんに厄介な隣人になるんだけどね……。


 またその特性上、森の奥を探索する冒険者や狩人とはぶつかりやすい。

 ………。


 師匠は、何て言ってたっけな。

 そうだ、犬亜人だって大陸に生まれた命のひとつで、彼らだって懸命に一日、一日を生きているのだ、とかだったような。


 師匠のああいうものいいは、優しい、というのとはまた違うんだ。

 己の邪魔になる存在を駆除することにためらいを覚える必要はない、とも言っていたし。


 ただ命が生まれて、懸命に生きて、死ぬ。

 その屍が、別の命を育むための糧となる。


 命と命とは、そうして互いに繋がりあっている。

 そう理解した上で行動を決めなさい、と……そんなことを言われたことは覚えていた。


 ファーストは師匠の言葉にしきりに納得していた。

 セブンは……うなずいてはいたけど、いまにして思えば、どこか不満そうだったような気がする。


 おれは……どうだったかなあ。

 そういう解釈もあるのか、とは考えたのだけれど、でも実際に犬亜人を見たら、そりゃ即座に駆除を選択するよなあ、とも……。


 でも、うん。

 もう一度、いろいろなことを考えてみるいい機会かもしれない。


「少し考えさせてくれ」


 それから、しばしの時が経った。

 久しぶりにファーストと再会し、そしてセブンのものとおぼしき手がかりを得た。


 その後……。



        ◇ ※ ◇



 季節は巡り、夏の盛り。

 おれは同じ狩人を研究室に呼び出した。


「この音叉をキャンプ地のそばに吊り下げてみてくれ。起動に少し魔力は使うが、夕方から夜明けくらいまでずっと動き続けるはずだ」


 そう言って、開発したばかりの魔道具を渡す。

 狩人は、受けとった銀の音叉をしげしげと眺めた。


「音を出す魔道具なのか?」

「ああ。ただし、ヒトの耳には聞こえない音だ。犬亜人のような一部の亜人、耳のいい魔物、そういった奴らは、少し離れたところからでもこの音を聞き分ける。一応、何度か実験してみてくれ。結果を報告してくれれば、報酬を払うよ」

「頼んだのはこちらだぞ」

「その魔道具が売り出せるなら、おれの儲けになる」

「犬亜人の縄張りの中で音が響いたら、これ幸いと襲って来るんじゃないか」


 おれは首を横に振った。


「犬亜人の使う言葉……合図、かな? それを繰り返し鳴らせる仕組みになっている。意味は『我は銀竜の加護を受けし者なり』だ」

「銀竜?」

「犬亜人の信仰らしい。遠い昔、世界よりも大きな銀竜がいて、それが犬亜人を産んだとか、そういうやつだったはずだよ」


 狩人は怪訝な表情になる。


「犬亜人の同盟者のことを、そう呼ぶんだ。奴らは、この言葉を知ってる者を襲わない、らしい」

「何というか……きみは何でも知っているのだな。犬亜人の信仰など、考えたこともなかった。ましてや同盟者など……」


 まあ、普通の人よりはいろいろ学んでいる方だとは思うが。

 別に何でもかんでも知っているわけじゃない。


 おれは苦笑いして首を横に振る。


「あれから、いろいろ調べたんだよ。犬亜人についての過去の研究はいくつかあって、幸いにも学院に写本が入っていた。知り合いにも話を聞いた」


 依頼を受けてから、いろいろな人と会った時、ついでに犬亜人のことも訊ねてみたのである。

 かつての仲間である斥候も、いくつかヒントになることを教えてくれた。


 信仰についての話は、ファーストの受け売りである。

 ファーストのやつ、犬亜人の言葉がわかるっぽいことを言ってたんだよな……。


 特殊な魔法で可聴域を変化させて、犬亜人のキーキー声を聞き分けることができるようにして調査した、とかで。

 正直、その発想はなかった。


 その魔法も教えて貰った。

 実に調べ甲斐がある魔法で、いささかそちらの解析に夢中になってしまったりしたことも……まあ、このあたりの話は別にいいんだ。


 とにかく重要なことは、複数の者たちから話を聞いて、ヒントを得て、その結果としてこの音叉があるということである。

 音叉の元になった音の魔法については、ファーストから「これならいける」と太鼓判を押されているから……大丈夫だと思いたい。


 うん、ファーストが研究室に居座っていた間に、いろいろとアドバイスを受けたのが、かなり大きかったりする。

 あいつと再会しなければ、ここまで短期間で完成することはなかっただろう。


 それでも、いろいろと問題点は出てくるだろうから……。

 あとは、信頼できる被験者に任せるしかない。


「まあ、使わせてもらうとしよう。おまえもいっしょに来てくれると助かるんだが」

「すまないが、今回は別の研究があってな。二回目の遠征にはつき合えると思う」


 できれば初回こそ、自分でデータを取りたかったところである。

 口頭で報告を受けるだけじゃわからないことがたくさんあるのだ。


 でもなあ……軍から残留魔力を用いた結界魔法についてデータを送れってめちゃくちゃせっつかれてるんだよな……。

 必要なのはわかるし、データの提出が遅れたら、また姫さまに呼び出してもらうぞ、って担当者から脅されているのである。


 ………。

 姫さまの扱い、なにげにひどくない?


 大丈夫?

 軍のひとたちにいじめられてない?


「ちょうど二日後に、森の奥に遠征することになっている。帰ってきたら、また共に酒を酌み交わそう」


 そう言って、杯を重ねる。

 適度に酔ったところで、狩人は音叉を手に王都へ戻っていった。


 十日ほどで戻る、と言い添えて。

 しかし。


 約束の日を過ぎても、彼らは戻って来なかった。

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