第12話

 夏の最中、冷房の魔法がよく効いた学舎の中。

 エリザ女史の研究室に呼び出されたおれは、彼女の助手の学生が出してくれた茶を飲みながら、ぼんやりとソファに腰を下ろしていた。


 呼び出しておきながら、彼女は部屋を留守にしていたのである。

 学生が、申し訳なさそうに肩を縮こまらせて、ぺこぺこ頭を下げてくる。


 いや別にきみが悪いわけじゃないから……悪いのはあの合法ロリだからね。

 しかも彼女とて、別に意地悪でおれを待ちぼうけさせているわけでもなく、急に教授会に呼び出しを喰らったから、という次第であるとのこと。


 つまり、教授会が悪い。

 でもあそこの老人ども、ヒトの時間を奪うことなんて何とも思ってないんだよなあ。


 加えて言えば、大賢者を絶対視していた世代の代表格である者たちであるからして、研究面でも頭が固い。

 ろくな実績を出せていなくても、大賢者の理論をちょっとなぞっただけで研究者になれた時代の産物、平たく言って老害どもである。


 当時は、それでもマトモな研究者と呼ばれていたのだ。

 そもそも研究という分野がほとんど未開拓だった。


 今は違う。

 国のテコ入れもあって、少しずつ、状況が変わりつつある。


 エリザ女史なんかは新しい世代の一員で、実は大賢者の理論を拡張している卓越した数学者のひとりであった。

 だから彼女のことは応援しているのだ、個人的にも。


「やあ、待たせたね。いや本当にすまない」


 研究室の扉が開き、エリザ女史が戻ってくる。

 何か、ものすごく疲れた表情をしていた。


「教授会から、また何か無茶振りでもされましたか」

「わかるかね」

「そのやつれた表情を見れば、まあ」

「学院の警備体制の見直しについて、基礎計画を任されたよ」


 それ、助教授がやることじゃないよね?

 いじめられてない? 大丈夫?


「誤解しないでくれたまえ。彼らは旧世代の遺物でロクデナシだが、無茶を言っているわけではないのだ。わたしの実家を頼ってくれ、という話でね。家の名は捨てた、と反論したのだが……先に実家の方に話を通されて、逃げ道をふさがれていた。盤棋で言えば、詰みというやつだね」


 乾いた笑い声をあげるエリザ女史。

 目が死んでいる。


 あーこのひと、貴族の家に生まれたけど家の役目から逃げて研究者になったタイプか。

 貴族のまま研究者として名を為すことに批判的な風潮が、この学院にはあったりするのだ。


 もともと、研究者とは貴族の道楽、という時代が長かった。

 その研究というのも、大賢者の理論をなぞる、くらいの話であった時代である。


 そして、この学院の設立理念のひとつとして、広くさまざまな階級の者たちに学問の道を開くというものがあったのだ。

 別に貴族が学院で出世するために家を抜ける必要はないのだが、かといっていい顔はされない、ということである。


 貴族たちの派閥争いの場になったら学問の発展どころじゃないからね。

 その危惧そのものは、わかるんだけどね。


 エリザ女史は、学生が淹れた茶を飲んで、ひとつ大きな息を吐く。

 少しは落ち着いたみたいだ。


 おれの対面のソファに座り、さて、と膝を叩く。

 格好つけたつもりかもしれないが、ぺちっ、と可愛らしい音がしただけだった。


「そういう次第でね、何か便利な魔法があれば教えて欲しい。ああ、これは今日、来てもらったこととは無関係だよ」

「おれは警備のイロハなんざさっぱりだよ。冒険者時代にも、そっちの方はほとんどやらなかった」

「警備を破る方も?」

「破る方も、だ。冒険者とひと口に言ったところで、それぞれ専門分野はある。おれが組んでいたチームは野外での活動がメインだった」

「なるほど……」


 ふむふむ、と何やら考え込んでいる女史。

 脚をぷらぷらさせているその様子は、まるで子どもが遊んでいるようである。


「それで、おれを呼んだ要件の方は、何です?」

「そうだった。本題を片づけよう。実のところ、たいしたことではないんだが……食堂の方から問い合わせがあってね。知っての通り、学院の食堂では身分証を呈示することで無料の食事を提供している」


 学問をさまざまな階層が学べるように、という配慮のひとつだ。

 優秀な者であれば、どれほど金がなくても学べるようにということで、寮と食事は無料で提供しているのである。


 無論、お金を出せば水準以上のものも提供されるのだが……まあ、貴族とか大金持ち以外は無料の食事を取るみたいである。

 無料のやつでも、充分においしいしね。


 ちなみに姫さまも在学中は無料の食事だけだったとのこと。

 このあたりは、むしろ王族が率先して、という理由だろう。


 必ず毒見役が同席してたらしいけどね。

 そりゃ、用心は必要である。


「きみの身分証で食事をしている者が、どうもきみではないらしい、という報告があったらしいのだよ。そのあたりについて詳しく聞いて欲しい、と。とてもわたしがやるような仕事ではない気がするが……まあいい、そのあたりについて、何かあるかね」

「ああ、それは多分おれです。申し訳ありません、魔道具で変装……というか違和感を覚えさせる魔道具を開発して、そのままつけっぱなしだった奴ですね」


 すぐ理由に思い当たり、懐から取り出した首飾りをかける。

 残留魔力を使った魔道具のひとつで、つけた相手の気配を変える、という効果を持つものだ。


 果たして、エリザ女史は目を大きく見開いた。

 あ、びっくりしてる、びっくりしてる。


「どうです、おれに見えないでしょう」

「あ、ああ。たしかに、きみが目の前にいるはずなのに、感覚がその認識を拒絶しているというか……ふむ、ひどく気持ちが悪いな。少し待ちたまえ」


 エリザ女史は一度、目を閉じて、こめかみに手を当ててた。

 魔力を流しているようだ。


 まぶたを持ち上げ、おれをじっと見つめてくる。

 ひとつ、うなずく。


「うむ、普通にきみを認識できるようになったよ」

「認識強化ですか。なるほど、それで突破できるんですね。貴重な知見、感謝いたします」

「こんなところで試験をするのはやめてくれないか。ともあれ、理由が判明すれば、それでいい。手間をかけたね」


 おれは首飾りを外す。

 ふう、上手くいったか。


「ところで、その魔道具について是非とも詳しく聞きたいのだが……」

「それはまた後にしましょう」



        ◇ ※ ◇



 実際のところ、この首飾りはたまたま持っていただけである。

 この魔道具を開発していたのは本当だが、食堂で別人が食事をしていたのは事実だからだ。


 さすがに、それはごまかさざるを得なかった。

 明確に、いくつもの規則に違反しているからね……。


 研究室に戻って、施錠する。

 実験室がある奥の部屋の扉を開けた。


 そこに、白髪の女性がいる。

 ぶかぶかの白い貫頭衣をまとい、だらしなくソファに横になって本を読んでいたその女性がこちらを振り返り、笑顔を向けてくる。


 一見、十五かそこらの若いヒトの女性のようだ。

 その尖った耳と外見に似合わぬ知性に溢れたルビーの双眸だけが、彼女の本性を表していた。


 耳長族と呼ばれる、ヒトではない種族。

 ヒトの数倍の時を生きるというその種族の末裔が彼女である。


「やあ、疲れた顔をしているね」

「きみのせいだ。おれの身分証を勝手に持ち出して、食堂に行ったな」

「認識阻害の魔法はかけておいたはずだけどね」

「鋭い奴が、おれじゃない、と見破ったみたいだな。この学院には腕の立つ魔術師が多い。用心しろ、と言ったはずだぞ」

「そうか、ヒトもなかなかやるじゃないか」


 女は、嬉しそうに笑う。

 自分の魔法がヒトに破られて喜ぶヤツなんて、こいつくらいだろう。


「ファースト。きみならこそこそしないで、正面から学院の門を叩けばよかっただろうに」

「書類とか面倒じゃないか」

「かわりに、おれが面倒なことになってるんだよ!」


 こいつが研究室に転がり込んできたのは、南の国との戦が終わった少し後のことだ。

 学院のセキュリティを破り、おれの研究室にかけていた結界も破り、いつの間にかこのソファに寝そべっていたこいつを見たときの驚愕がわかるだろうか。


 ちなみにそのときのこいつの第一声は「やあ、久しぶりに顔を見に来たよ。一年ぶりかな」である。

 実際のところ五年ぶりであった。


 それから時々、こいつはふらっと現れては、数日から十日ほど居候して、また去っていく。

 今のところ学院側にはいっさい行動を察知されていない、と本人は自信満々に語っていた。


 こいつが腕の立つ魔術師であることは、よく承知している。

 だからまあ、ある程度は安心していたのだが……。


 しっかりバレてるじゃねーか、こんにゃろう!!


「いやあ、ぼくの魔法にも欠陥があることがわかった。これは大きな進歩だ。改良する余地があるということだからね」

「おれが開発した残留魔力の検知魔法で探知された可能性もあるから、そのへんは気をつけておけって言ったよな」

「そうだねえ、きみがセキュリティに協力しているとなると、もうちょっと気を引き締めるべきだねえ」


 呑気なことを言って、ソファの上でごろごろする。

 まるで猫のようだ。


「おれの我慢にも限界があるからな」

「わかっているさ。迷惑をかけるつもりはない。それに、そろそろおいとましようと思っていたからね」


 そう、大陸でも希少種の耳長族であるこいつは、同じ師を仰ぎ、共に学んだ人物であった。

 つまりは、まあ。


 大賢者の弟子のひとりである。

 大賢者の最初の弟子だから、ファースト。


 大賢者の弟子たちは、互いの名はけっして呼ばず、数字で呼び合った。

 万一のときの用心である。


 互いの本名を知っていた場合、大賢者の弟子がひとり見つかったら、そこから芋づる式に皆の正体が判明してしまう、と考えたのである。

 大賢者は、最初から己が消えたときのことを考えていたのだろう。


 そう、およそ百年前に目の前の女を弟子にとったときから。

 で――。


 つい先日までは、気まぐれなこいつのことだ、何となく気が向いたからおれの下へ現れたのだろう、程度に思っていた。

 時々、抜け出すのも、猫の散歩のようなものだと考えていた。


 しかしながら、今、おれの手もとには別の情報がある。

 いい機会だ、訊ねてみよう。


「ファースト、きみはセブンの行方を探しているんじゃないのか」


 ソファの上でごろごろしていた女が、ぴたりと静止した。

 銀の髪が持ち上がる。


 こちらを振り向き、炎のような双眸でおれを睨んできた。


「どうして、そう思った」

「カンだよ」

「そうかい。まあいい、その通りさ。弟弟子が何か企んでいる気がしてね。この国が怪しいと睨んでいたんだけど、どうも見当はずれだったようだ」


 やっぱりか。

 セブン、大賢者の七番目の弟子。


 人形繰りのセブン。

 そう呼ばれることもあった人物で、師の持つ自動人形の技術をかなりの割合で受け継いだ。


 北の国に現れた大賢者の弟子を名乗る人物。

 仲間の名を汚す者として狩られたはずのその人物が、実は自動人形であったと知ったとき、まっさきに脳裏に浮かべた顔でもある。


「何か知っていることがあったら、話してくれると嬉しいね」

「あいつを見つけて、どうするんだ」


 ファーストは、曖昧に笑った。

 おれはため息をつく。


「わかった、話すよ」


 おれは、一連の出来事について彼女に説明した。


「なるほど、ね。きみの昔の仲間の名を騙って、か……」

「どう思う?」

「セブンは昔のきみを知っているのかい?」


 ああ、そうか、そういう問題があったか。

 おれはセブンの過去を知らないし、その本当の名前も知らない。


 同時に、セブンもまたおれの過去なんて知らないはずだし、本当の名前も……。

 どうだろうな、あいつが本気になって調べたら、おれの名前くらい簡単に調べられるかもしれない。


 現にファーストは、こうしておれの前に姿を現したわけだし。


「何にせよ、まだわからないことが多すぎるね。迂闊に動かず、相手の次の出方を確かめた方がいい」


 ファーストは告げる。

 同感だった。


 翌日、ファーストは書き置きを残して消えた。


「また来る」


 そこには、達筆でただそれだけ記されていた。

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