第7話

 王都間近まで攻め込まれても、学院には幸い、まったく被害が及ばなかった。

 全ては、緊急時に高くそびえ立った氷の壁のおかげだ。


 その学院内部、以前と同様の少しお高い酒場にて。

 おれは昼間から飲んだくれていた。


「やってられんよ、もう。結局、残留魔力に関する研究は全部、軍を通さなきゃ発表できなくなっちまった」


 対面の小柄な女性、エリザ女史が、苦笑いして葡萄酒の杯を傾ける。

 テーブルの下で床につかない足をぷらぷらさせていて、相変わらず外見だけでは幼い少女にしか見えない。


 この酒場じゃ、ようやく彼女の存在を認知されたのか、最近は新しいウェイトレスでもない限り何も言われなくなったらしい。

 今回は彼女のおごり、ということになっていたから気兼ねなく存分に呑ませて貰おう。


 彼女としても、おれはただ数名の学生に野外での行動のノウハウを教授するだけのはずが、何故か姫さままで参加して、ついでに戦に巻き込まれてしまったことに思うところがある様子である。

 学院が陥落したら、彼女も殺されているか、奴隷になっていたか、どちらにしてもロクな未来はなかっただろう。


 今回、おれはいろいろと目立ちすぎた。

 そのおかげで最近、半分以上趣味でやっていた残留魔力に関する研究が軍に目をつけられてしまった。


「そりゃあ、あれだけ華々しい戦果を上げれば当然じゃないかね。この国の軍がぼんくら揃いじゃなくて幸いだった、と思うべきだろう」

「あの程度の魔法、すぐに対策魔法が出てくるさ」

「そうかもしれないね。だが、その間は他国を震え上がらせることができる。時間を稼げるということだ。外交で国家間のバランスをとることで大国に対抗している我が国にとって、とても重要なことだよ」


 なるほど、そういわれてみれば、そうなのかもしれない。

 研究者としてのおれは、どうもそういう、短期的な視野で物事を見ることに慣れていないのだ。


「いろいろ面白い現象が観測できたんだがなあ。残留魔力の対流を利用して魔法を発動させると魔力感知でも気づかれない場合があるとか、地面近くで滞留している魔力に働きかけることで一部の魔法を地中に浸透できることとか……」

「待ちたまえ、きみ。こんな席で爆発の魔法を炸裂させるような真似はやめるんだ」

「これくらい、データを見ていればすぐ気づくだろ」


 エリザ女史は、とてもとても大きなため息をついた。


「きみは、自分がヒトより少々データを解析する能力に長けていることを認識するべきだよ」


 そうだろうか。

 昔の同僚もこの程度なら普通にできたんだけどな。


 いやまあ、そうか。

 いまじゃあいつらも、おれと同様、大賢者の弟子、というたいそうな称号を得てしまっているのだった。


 どうもそのあたり、こちらの感覚が麻痺しているような気がしてきた。

 少しだけ……そう、少しだけだ。


「そんな、おかしいなあと言わんばかりに頭を掻くんじゃないよ。うん、わたしにもだんだん、きみのことがわかってきた気がするよ。地頭はいいのに、根本的なところでそういう感覚が鈍いのは……人付き合いが苦手なのか、それとも根本的なヒトへの苦手意識を持っているのか。研究者によくあるように、後者のような気がしてくるね」

「おいおい、おれのことをそんな人嫌いみたいに言わないでくれないか。……いや、まあ、社交界とかに出ているお貴族さまみたいなことは天地がひっくり返ってもできない気がするが」

「だろうね。ものの話によれば、大賢者さまもそういった社交的な場は苦手としていたそうだ。それが悪い、というわけじゃないよ」


 ああ、うん、師匠はそういうの本当に苦手だったね。

 どれくらい苦手って、師匠そっくりの自立人形をつくって社交の場に出していたくらい。


 王さまとかに対しても、その人形で対応してたんだぜ。

 本気で誰も気づいていなかったから、たいした精度の人形だったんだろうが……。


 このあたりは、弟子の間だけの話にしよう、ということになっているんだけどさ。


「この学院の教授連中だって、たいして変わっちゃいない。きみも知っているだろう?」

「知っているよ。人に面倒な仕事を押しつけて、酒ひとつでチャラにしようって輩がいることもな。……この、一角羊の肩ロースステーキって頼んでいいか」

「好きに頼みたまえよ。金の心配はしなくていい。教授会から、経費で落としていいという言質は取ってある」


 経費で落ちるんだ!?

 え、じゃあおれ、もっと豪快に行っちゃうよ。


「ただし、食べられる分だけにしたまえ。まったく、四十を過ぎた男だろう、きみは」

「え、も、もちろんだよ? 自分の腹の大きさはよく知っているよ?」

「別に貧乏な生活をしていたわけでもあるまいに、食い意地の張ったことだ」

「人のおごりだからこそうまいんだよ」

「いい性格をしているね」


 そんなに褒めるなよ。

 いやまあ言い訳すると、研究に夢中になると何も食べなくなるから、たまにこういうところで豪勢にやりたくなるというのもあるのだ。


 普段は、食欲より知識欲が大きくなりすぎているのが研究者というものである。

 ちなみにおれよりもっとヤバい奴になると生理機能すら忘れて研究に夢中になり、ズボンの中で漏らしていたみたいな話を平気でする。


 さすがのおれもドン引きだ。

 おれはせいぜい、徹夜しすぎて気絶したとか、腹が減っていることに気づかなくて餓死しそうになったとか、そういうのが年に数回ある程度なのだから。


 自分の理性に感謝するぜ。

 やっぱり、ヒトとして大切な一線は守らないとなあ。


「常識がない輩ほど、自らのことを常識人だと思っているものだ。いや、これは自戒でもあるがね」


 エリザ女史が、おれの顔を見て何か言っている。

 はっはっは、常識の塊みたいなこのおれに対して何を言ってるのかまったくわからんなあ。


 琥珀色の蒸留酒を、ぐいと喉に流し込む。

 熱い。


 女史が、また大きくため息をつく。


「多少は自覚があるようだから、まあ、これ以上は言わないでおくとするよ。こんな席でしみったれた説教なんてする女は婚期に恵まれないものだ」

「え?」

「何だね、その目は。わたしも研究に人生を捧げているとはいえ、人並みの願望くらいはあるさ。同じ年の友人は、皆、もう子どもがいるしね」


 唇を尖らせて、抗議してくる。

 いや、うん、子どもが機嫌を損ねているようにしか見えないんだけど……まあ、そういう趣味の男もいるとは聞くしな。


 でもそういう趣味の男って、上から目線で説教されるの嫌いそう。

 彼女の今後に幸があらんことを。


「何か言いたいことがあるなら、はっきりと言いたまえよ」

「別に何も。あえて言うとするなら、この学院の教授連中に人並みの願望があると思ってなかっただけだ」

「きみに言われると、ひどく理不尽な感じがあるね。実際のところ、家庭を放っておいて破綻する教授連中は実に多いわけだが……」


 そりゃ、そうだろうな。

 だいたいあいつら、王都に家がある奴でもろくに帰宅しないんだもの。


 この学院だけで衣食住がだいたい完結してしまっている弊害ではある。

 でもなあ、だからこそこの学院を離れがたいんだよなあ。


 おれが、何としてもこの地を守るべく動いた、その理由のひとつだ。

 ここ以上の研究環境は、現在のこの大陸において存在しないだろう、と。



        ◇ ※ ◇



 別の日。

 おれが同じ酒場のカウンターで呑んでいると、隣にひとりの学生が座った。


 そちらを見れば、はたしてメリアと名乗る謎の女学生であった。

 今日は、きっちりと学院の制服を着こなしている。


 完全に学生のフリをしているつもりらしい。

 バーテンダーは、彼女の胸もとに輝く成年の証をちらりと見て、ちいさく頷いている。


 学生でも、十五になればここへの出入りは自由だからなあ。

 エリザ女史は普通にそれ以下に見えるんだけど。


 で、彼女は平然とした調子で果実酒を頼んだ後、こちらを見てにっこりとする。


「その変装、気に入ったんですか」

「ええ、とっても」

「立場上、いろいろ不自由があることはお察しいたしますが」

「それに、こういう格好でなければ言えない言葉もあります。先日のお礼とか」


 先日の南の国との戦の話だ。

 公式には、あれはすべて姫さまの手柄となった。


 彼女は南の国の侵攻をいち早く察知し、一計を案じて森に隠れ……。

 そのカリスマでもって狩人たちを束ねた上で臭いの魔法で魔物たちを集め、敵軍の野営地に突入させたのだと。


 何かすごい名軍師が誕生してる気がする。

 王族一の賢女と謳われる彼女でなければ、盛りすぎと言われても仕方がない活躍っぷりである。


 でも、まあ。

 その方が、おれにとっても都合がよかったのだ。


 戦に勝利したなどという栄誉は、これっぽっちもいらない。

 人を殺したことで褒められるのは、もう飽き飽きだ。


 これが何かの魔法を発明したとかなら、それは確かにおれの手柄にして欲しいけどね。

 今回、これほど上手くいったのは偶然が重なったからだし、きっと次に同じことをやれといわれても、上手くはいかないだろう。


 そのあたりのことは、きちんと目の前の少女に説明してある。

 あの作戦を思いついたきっかけとなる、彼女の母も参加した、ずっと昔の戦いのことも。


 彼女もそれで納得してくれた。

 そのはずだった。


「改めて、ありがとうございました。あなたのおかげで、我が国は救われました」

「おれなんかがいなくても、最終的にはなんとかなったでしょう」

「ええ、最終的には。ですがその前に、多くの血が流れていたことでしょう」


 それは、そうかもしれない。

 おれがあのとき全力を尽くしたのは、おれが知る者たちに誰ひとりとして死んで欲しくなかった、というわがままからだ。


「わたくしは、あの危機に際し、あなたが積極的に立ち向かってくれたことを、とても嬉しく思っております」

「嬉しい、ですか?」

「ええ。以前のあなたは、ともすればふらりと、どこかへ出かけていって……それきり、二度と戻ってこないのではないかと、そう感じさせるような気配をまとっておりました。今は少し違います。この国が、この学院が、あなたにとって大切な場所であるが故に、あのときあなたは、この地を守ろうと動いた。そのように感じるのは、わたくしの傲慢でありましょうか」


 おれは少し考えた末、素直にうなずいた。


「ええ。いまのおれは、この地を離れがたい場所だと感じています。よほどのことがなければ、この地で研究を続けていたい。そう思っています。ただ、ひとつだけ誤解は解いておきたい」

「誤解、ですか」

「かつての戦友の娘が、心を痛めていた。そのありさまを見て、少しばかりちからになりたいと感じたのですよ」


 少女は、少し驚いた様子で、固まってしまった。

 いまは黒い双眸が、じっとおれを見つめてくる。


「何ですか。おれの言葉が、そんなに意外ですか」

「母の言葉を、思い出しました」

「あいつは、おれのことをなんて言ってたんですか。どうせ、頭でっかちで理屈ばかりの偏屈者、とかでしょうけど」

「そうとも言ってましたね」


 姫さまは、くすくす笑う。

 やっぱりかよあんちくしょうめ。


「ですがそれと同じくらい、『どこかの誰かのために戦うための理屈を探している人だった』とも」

「何ですか、それは」

「ですが実際に、あなたは戦ってくれました。わたくしごときのために」


 王女さまが、自分ごとき、とか言っちゃダメなんじゃないかな。

 いや、違うか、いまこの姿だから、彼女はそう言ってしまうのか。


「あなたは、嫌なんですか、いまの立場が」

「そのようなことは、けっして。ですがたまに……そう、母の昔話を思い出すようなとき、思ってしまうのです。どこか別のところで、自由に旅をしている自分が、もしかしたらいるのではないか、と」


 いまの自分ではない自分、か。

 もしも、という選ばなかった選択。


 そういったものを考えてしまうことは、別に不自然でも不健全でもない。

 誰だって、すべての選択に納得し、まったく過去を後悔しない生き方などできないものだ。


「あなたは、わたくしの身分を見て助けたのではなく、わたくしだけを見て助けてくれました。そのことを、とても嬉しく思います」


 改めてそう告げられ、笑いかけられる。

 おれは気恥ずかしさを覚えて、視線をそらした。


 杯を手にして、酒を呷る。

 強い酒精が喉を焼いた。


「どうか、これからもよろしくお願いいたしますね」

「それは、あなたの立場上の話ですか。それとも、一個人として?」

「両方、ですね。ですがどちらかといえば、わたくしをわたくしとして見てくれる者がこの地にいること、その事実だけで、とても嬉しく思うのです」


 おれはため息をつく。

 別に、彼女の言葉にほだされたわけではなく――。


 ただ、少し思い出していた。

 かつてのチームが解散したときの、彼女の母の言葉を。


「互いの道は分かれても、わたしたちは友だ。皆が、皆を見ている。わたしも、皆の活躍を見守っている。そのことを、いつも忘れないでくれ」


 と。


「あなたは確かに、あいつの娘だ」

「まあ、それは褒めているのですか」


 おれはその言葉に返事をせず、もう一度、杯を呷る。

 酒が、うまい。

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