第6話

 おれたちが若かりし頃、後に姫さまの母親となる人物とチームを組んでいた時期のこと。

 四十体からなる犬亜人に襲われていた村をたったの五人で救った方法は、いまから思えばだいぶ無茶だった。


 チームの中でも身軽な者たちで森の魔物たちをつり出して、犬亜人の群れにぶつけたのだ。

 おかげで犬亜人の群れは散り散りになったが、暴れる魔物たちの後始末が大変だった。


 すべてが終わったときには、全員が傷だらけだった。

 あんな無茶、二度とするものかと本気で誓った。


 見も知らぬ誰かのために命を張るなんて、馬鹿のすることだと。


 では。

 見知った誰かのためなら、どうだろうか。



        ◇ ※ ◇



 森の生き物を草原におびき出し、敵軍にぶつける。

 臭いの魔法を使って。


 おれの作戦は、ただそれだけのシンプルなものだ。

 この地の生き物についてさほど詳しくないから、そのあたり上手く行けるかどうかはわからなかったのだが……。


「できる、と思うぜ」


 姫さまとの相談の最中にやってきた王都在住の狩人たちは、作戦の成功を請け負ってくれた。

 彼らは森で狩りをしていたところ、王都が封鎖されてしまい、帰るに帰れなくなって途方に暮れていたとのことである。


 三人から六人のグループが、合計で四つ。

 合計で十九人と、なかなかの規模だ。


 中にはおれの知り合いもいたので、話は円滑に進んだ。

 姫さまがいて、彼女がおれを参謀に任命したことも大きい。


「三つ首狼や獅子熊を操る臭いについては、かなり試してみたからな。きっと上手くいくさ」


 狩人たちは、やけに自信まんまんである。

 聞けば狩人たちは、おれが臭いの魔法を発表してからこの短期間でだいぶ練習したとのこと。


 いくつかのグループをつくり、野生の獣を相手にあれこれと研究したり、実験したりを繰り返したらしい。

 狩人って、そんな集団で動くような奴らだっけ……?


「それだけ、おまえさんの開発した魔法が画期的だったってことだよ。誇れ」


 見知らぬ男たちがおれを囲み、乱暴に肩を叩く。

 痛い、痛いって、この馬鹿力どもめ。


「ひとり、ふたりじゃ実験が失敗したとき危険だからな。魔物たちが暴れても対処できる人数でやる必要があったのさ。結果的に、仲良くなったグループで狩りに出かけることも増えた。一匹狼だった頃とは比べものにならんほど儲けが増えたよ」


 とのことである。

 こちらとしては思ってもみなかったことばかりで、いろいろとびっくりだ。


「とりあえず相手の食欲を惹く臭いで魔物を集めて、怒らせる臭いを敵軍に放り込む、ってあたりでいくかね」

「食欲が出る臭いより、雌が発情期に出す臭いの方がいいんじゃないか」

「それだと雌は近寄って来ない。種によっては同族同士で殺し合いが始まる。それに雄も発情期じゃなきゃ意味がない、って実験でわかっただろ」

「いやでも、発情期の臭いは反応が強烈だから……」


 おれや姫さまを置いてきぼりにして、狩人たちが頭をつき合わせてあれこれ話し合いはじめる。

 ああこれ、この雰囲気知ってる、おれ知ってる。


 ポンと課題を投げ与えられた学院の研究者たちと同じだ。

 夢中になってまわりが見えなくなるくらい熱中してしまうやつである。


 というわけで、姫さま、お願いします。

 目線で彼女に促すと、麗しの王女殿下は、ひとつこれみよがしに咳払いをしてみせた。


 白熱した議論を展開していた狩人たちが一斉に沈黙し、姫さまの方に振り向く。

 いまは白いドレスではなく狩人たちと同じ麻布の服をまとった少女は、笑顔で「食欲を惹く臭いで参りましょう」と言った。


「朝までに、確実に、そして大量に、魔物たちを動員する必要があります。その為の議論でしたら歓迎いたしますわ」


 言外に、余計なところで時間を食うな、と告げる。

 狩人たちは、コクコクとうなずき、議論に戻った。


「さて、姫さま。具体的なところは彼らに任せましょう。攻撃のタイミングは、朝日が昇る直前、それがもっとも見張りが油断する瞬間です」

「ええ、そうなると後は、王都にこの作戦を知らせなければ。敵が混乱したとて、所詮はひとときのこと。王都から打って出て、決定的な打撃を与える必要があります」


 ああ、それもあるか。

 王都との連絡、ね。


 方法はいくつか思いつく。


「王族だけが知ってる符号とか、ありますよね」

「無論です。鳩の足に手紙をくくりつけますか?」

「いまから鳩を捕まえて調教するのは、ちょっと時間がかかりすぎですね」


 さて、符号があるなら、それを使うべきだろう、が。

 ひとつだけ確認しておかないと。


「その符号、二度と使えなくなっても構いませんか」

「問題ありません。こういったものは一定期間で入れ替えるものですから。ですがその前に、何をするつもりか教えていただけますか」


 おれは、彼女に伝えた。

 姫さまは少し驚いた後、承諾してくれる。


 よし、これで準備は整った、かな。



        ◇ ※ ◇



 夜明けの少し前。

 暗い空に、眩い光の渦が生まれた。


 渦から生まれた無数の光が周囲に広がる。

 見張りの兵たちがざわめく。


「落ち着け! ただの光彩の魔法だ! 何の殺傷力もない!」


 部隊長のものとおぼしき大声が響き渡る。

 実際にその通りで、光はしばらく宙を舞った後、ゆっくりと闇に溶けた。


 いったい、いまのは何だったのか。

 王都の魔術師の手によるものか、それとも学院の魔術師か、あるいは包囲の外から打ち出された魔法か……。


 あの魔法に何の意味があるのか。

 ただの光彩の魔法にすぎないように見えて、別の効果があったのだろうか。


 あるいは本当に、ただ夜空に光を描くだけの魔法だったのだろうか。

 だとしたら、ただの悪戯か? あるいは、何かの合図?


 王都と学院の外に遊撃戦力があるとしたら、斥候を派遣して探すべきか。

 あるいはそういった考えすら、相手による何らかの誘導なのか。


「どこから魔法を行使した!? 魔力の発生源を探知するんだ!」


 指揮官は叫ぶ。

 だがそれに対する探知役の魔術師の返事は、「ここです! この野営地の中です!」であった。


 何かの間違いだろう、と指揮官はいぶかしむ。

 しかし何度、魔術師たちが探知魔法をかけても、魔法の発射地点は野営地の中なのであった。


「まさか、密偵が入り込んで……だが、わざわざ敵陣のど真ん中で派手な魔法を使う意味が……?」


 指揮官たちが、ひどく混乱している。

 そりゃあ、困るよな……状況証拠を集めた結果、余計に意図が不明になるんだから。


 種明かしをすれば、おれが使ったのは残留魔力である。

 野営地には多くの魔術師や高い魔力を持った貴族がいて、常に微小な魔力を放出している。


 おれは遠隔地からそれを利用して、魔法を行使した。

 最近、趣味で残留魔力の研究をしていたことが功を奏した形である。


 最終的な野営中の軍勢を束ねる者の判断は、「何もしない」だった。

 間もなく夜が明けるからだ。


 夜明けと共に兵が起き出し、その後間もなく、いよいよ王都を攻めることになる。

 その前に無駄な消耗は避けたい、という判断であった。


 魔術師にも、同じ理由で魔力を温存させる。

 彼らはこれから、王都を囲む壁を破壊するために、ギリギリまで魔力を絞り出す作業が待っているのだ。


 そういう次第であり……。

 おおむね、おれの予想通りであった。


 以上は、遠耳の魔法による敵陣の調査の結果である。

 指揮官たちの籠もる天幕は対探知阻害の魔導具で守られていても、伝令の兵たちの口は封じられない。


 野外である以上、空気の流れは阻害できない。

 無論、それは敵軍も承知の上であった。


 行動を秘匿するよりも、軍全体の意思を統一する方が重要であるという判断である。

 それ自体は間違いではない。


 その警戒を上まわる、予想外の方向からの攻撃が行われるのでなければ。

 さて、立ち去る前に残留魔力を使って、野獣たちを怒らせる臭いをばらまいて、と……。



        ◇ ※ ◇



 夜明けの直前、地平線の彼方がしらばみ始める頃。

 見張りの兵たちは、地鳴りに気づき、周囲を見渡す。


 大地が揺れていた。

 何か腹に響く太鼓のような不気味な音が、次第に大きくなってくる。


 それが、騎馬部隊が駆け足で近づいてくるような音であることに気づいた兵の一部が、「敵襲! 敵襲! 敵騎兵の接近だ!」と叫んだ。

 結果からいうと、それは間違いだった。


 野営地に襲ってきたのは敵軍ではなく、三つ首狼や獅子熊、黒翼蛇に泥灰猪といった森の魔物の大軍であったからである。

 狩人たちが、一晩中探しまわり、臭いによって操って集団とした、苦心の産物にして即席の魔物の軍勢である。


 数十頭。

 いずれも身の丈がヒトの数倍はある、肉食の、おそろしい野生の獣だ。


 森を飛び出し、馬よりも速く草原を駆け抜けた魔物たちは、野営地を囲む柵をいともたやすく破壊し、その内側に突入する。

 なんとか止めようと飛び出てきた兵を踏み潰し、逃げる者たちを追いかける。


 野営地は、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 濃厚な血の臭いが周囲にたちこめ、悲鳴と絶叫があちこちであがる。


 まだ寝ぼけ眼で起きてきた兵の幾人かは、事態を把握することもできず魔物の餌となった。

 一部の指揮官が懸命に怒鳴り、逃げ惑う兵たちを叱咤鼓舞するも、焼け石に水。


 そういった者たちの多くも、目立つが故に魔物に狙われ、その牙で蹂躙されることとなる。

 そのうえ、王都と学院の門が開き、騎兵を先頭とした部隊が飛び出てきた。


 彼らは迷うことなく魔物とは別の方向から野営地に突入し、その中央、指揮官たちの天幕を目指す。

 おれが打ち上げた魔法によるサインは、確かに、王都と学院にそれぞれいた王族の誰かの目に止まったのだ。


 ちなみにこの魔法は、残留魔力の強い場所、つまり魔術師が多く集まる場所から勝手に魔力を用いて発動するという、先日おれが開発したものである。

 そこまでして、結局、空に光を描く程度のことしかできないというしょっぱい魔法なのだが……。


 今回は、上手く役に立ってくれた。

 なお姫さまからは、「その魔法については、秘匿を。是非とも秘匿を。おそらく、軍が高く買い上げますので」と切実な声で言われてしまっている。


 これ、軍で運用したらどうせすぐ対抗魔法が開発されて無意味になると思うんだけどなあ。

 買い取ってくれるなら、それはそれでいいけど。


 別に軍が嫌いというわけじゃないし、おれの魔法で人が殺されるというのも、まあ冒険者時代にいろいろあったから特に思うところはないのだ。

 この魔法ひとつで文明が発展するとも思えないし。


 待てよ、これの応用で学院みたいな魔術師が多い場所限定の常在型魔導具を開発すれば……。

 いやいやいや、いまそれは置いておこう。


「南の国の軍勢が、散り散りとなって逃げていきますね」


 丘の上に立ち野営地の様子を観察していた姫さまが、胸をなで下ろして、野営地からこっそり戻ってきたおれに告げる。

 作戦が上手くいくか、最後の最後まで心配だったのだろう。


 ひとつ間違えば、動いてくれた狩人たちや、狩人と共に行動していた学生たちの身の危険もあるような作戦だった。

 誘導をミスったり、タイミングを間違えればすべてが水泡に帰するような、きわどい手であった。


 おれも全力でサポートしたのだが……。

 うん、正直、もう二度とやりたくないよ、こんなやりかた。


 暴れた魔物たちをどう処理するかも含めて、後始末がたいへんである。


「臭いの魔法については、もう隣国にも広まっているでしょう。いまさら規制はできない以上、同じことをやられる可能性がありますね。対策を練る必要があります」

「そのあたりは、上の方で勝手にやってください。何なら、臭いを消す魔法や風向きを変える魔法を開発すればいいでしょう?」

「あなたに、その役割を担っていただけると……」

「興味が湧きませんねえ」


 あんまり面白そうじゃないんだよな、そういうの。

 もっと気ままに研究をしたいんだ。


 そんな本音を思わず漏らしたところ、姫さまが、じとっとした目で睨んできた。


「あなたは本当に自由ですね」

「そんなに褒めないでくださいよ」

「皮肉です」

「知ってます」


 にこやかに、笑い合う。

 眼下では、未だ敵国の兵が逃げ惑い、悲鳴をあげていた。


 彼らのことは気の毒だと思うが……。

 いやこっちを侵略しに来た奴らのことなんて知らん、でいいか。


 まあ、何はともあれ。

 おれの平穏さえ守られれば、それでいいのだ。



        ◇ ※ ◇



 王都を巡る戦いは、かくして終わった。

 王都の部隊は敗走した敵軍を追撃し、大きな打撃を与えたとのこと。


 しばしののち、王家は勝利を宣言し、南の国は魔物を用いた卑劣な戦術を声高に非難した。

 逆侵攻、とまでは行かなかったものの……まあ、その先のことは、おれの知ったことじゃない。


 学院の安全は確保され、おれは平穏な日常を取り戻したのだ。

 今はただ、それだけでよかった。


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