第8話
南の国との争いが一段落した後。
王宮に呼び出され、いつもの応接室で姫さまと顔を合わせたとき、違和感を覚えた。
すぐに、その理由に気づく。
姫さまのそばに立っている側付きの少女ふたりのうちひとりが、見ない顔だったのだ。
おれの視線に気づいた姫さまが、陰鬱な表情で首を横に振る。
もうひとり、顔なじみの方の側付き――こちらはいつもおれを睨んでいた子なのだが――は、なぜか気まずそうにおれから視線をそらした。
「南の国の密偵が入り込んでいた、という話はいたしましたね。思った以上に根が深かった、ということなのです」
「ひょっとして、ここでの会話が南の国に漏れていた、ってことですか」
「現在、一族郎党を拘束し、そのあたりの確認を取っているところです。これは彼女の実家が他国に接近していたことに気づかなかったわたくしの責任です。場合によっては、王家を代表してお詫び申し上げることとなるでしょう」
いや、お詫びとかはいらないから……そういうの本当にいいから……。
そうか、あの側付きから漏れていた可能性、ねえ。
彼女にどれほどの故意があったかはともかく、他にもいろいろ情報が漏れてたんだろうな……。
一族郎党を拘束、ということは親から命令を受けていたのか。
頭の中身を洗いざらい調べる魔法、というものがある。
難易度の高い魔法で、発動まで何十時間もかけるかわりに拷問より簡単に情報の真偽をたしかめることができる。
ただし、代償として高い確率で対象の脳の機能を著しく破壊してしまうが故に、一般的には禁術に指定されていた。
百年と少し前に生まれたこれは、当時としては数少ない大賢者以外が開発した魔法で、しかし大賢者が嫌悪を示した、と公式の記録にもある。
そのあたりを彼女とその一族に片っ端から使っているとしたら、時間がかかるのも無理はない。
でも参ったな、畑の肥料に関しては、南の国の経済が立ち行かなくなった原因のひとつなんだよな。
つまり、あの戦のとき、おれ自身も南の国に狙われる対象のひとつだったということである。
場合によっては、今後もおれの命が狙われ続けるということだ。
最悪すぎる。
軽い目眩を覚えた。
「念のため申し上げておきますが、これはあなたの身が危うくなる、という話ではありません」
あれ?
おれの表情を見て、なんか姫さまも、きょとんとしている。
ひょっとして、認識の齟齬がある?
「もとより、魔法の開発者は学院の公式記録に名が乗っております。正式な手続きを経れば確認が可能です。その状態で、あなたはこれまで身の危険を覚えていなかった。そうでしょう?」
「それは、そうですね」
「わたくしどもがお詫びいたさなければならないのは、せっかくあなたがつくりあげた発明や魔法式が、正統な金額が支払われず南の国に流れてしまうという点についてですよ」
「え、ああ……学院の成果はこの国の中なら相応の金額で習得できるけど、他国では……」
「ええ、大賢者さまの定めた正式な手続きを経る場合、国と国の間でも、技術指導という形で金銭の授受が行われます。ですが南の国に流れた技術については、その保証がございません。南の国を通じて、あなたの技術は多くの国々に伝わるでしょう。ですがそれによる保証を、あなたが得ることはできません。この損失について、わたくしどもは何も手を打つことができません」
なるほど、ね。
おれは思わず、笑ってしまった。
姫さまが、これまで見たこともないような珍妙な顔になる。
わけがわからないと驚いている様子である。
「それは、どうでもいいんだ」
「はあ」
「失礼。そのあたりは正直、どうでもいいのです。わたしは研究ができればいい。そのついでに、少々、生活が安定するならなおよろしい。お金なんて、その程度にしか考えておりません」
「欲がないことですね」
「大賢者さまだって、無償でヒトに知識をお与えになりました。ヒトがいまこうして大陸の覇者であるのは、その知識のおかげです」
そう、三百年前、大賢者さまが表舞台に立つ以前のヒトは、大陸の片隅で震えて生きる、弱い生き物の群れにすぎなかった。
彼らが蓄えていた知識もちからもごく微量で、大型の魔物からは逃げる他なかったといわれている。
そんな矮小な命を哀れに思った大賢者は、彼らに知識を与えた。
ヒトは大賢者から得たものを用いて、己の活動圏を広げていった。
木々を伐採し、燃やして炭をつくった。
鉄を溶かして武器とした。
魔法の火球でヒトを奴隷とする鬼たちを焼き尽くした。
巨人を狩り、大蜘蛛を狩り、竜を狩った。
羊皮紙に文字を記録するようになった。
数の学問を発展させ、測量し、正確な地図をつくった。
山に穴を開けて、遠くまで石畳の道を敷いた。
生き物を飼い慣らし、馬車を牽かせて遠くまでものを届けることができるようになった。
そうして、少しずつ少しずつ、ヒトは大陸のあちこちに散らばっていった。
大賢者に導かれるまま。
かつて、おれは師に問うたことがある。
「何故、あなたはヒトにこれほど良くしてくれたのですか。あなたは何も貰っていないのに、ヒトに与えてばかりではないですか」
大賢者は笑って、こう返事をした。
「わたしは皆から、多くのものを与えて貰ったよ。たとえば、病で死ぬはずだった子が生き残り、笑って駆けまわる。その光景を眺めて、わたしはとても嬉しく思うのだ」
その気持ちは、おれにも少しはわかる。
かつて犬亜人たちに囲まれた村を死力を尽くして守り抜いたとき、村人たちに感謝され、村の子どもたちの笑顔を見て得た喜びと、きっと同じようなものだろう。
だが大賢者は、それを三百年に渡り続けてきたのだ。
ずっと、ずっと、見返りがただ笑顔だけで?
それはきっと、あの方の本心だったのだろう。
尊敬するべき人物だ。
素晴らしいことだと理解はできる。
その背中が、はるかに遠い。
どれだけ歩んでも、あの方に近づけたような気がしない。
「わたしは大賢者さまのようにはなれません。俗に染まったヒトのひとりです」
だが、そんな欲に染まったヒトであっても、大賢者に近づく努力をすることはできるに違いない。
そう思う程度には、あの方の、ありし日の背中に感化されてしまっている己を感じる。
「よろしいのですか。南の国に対する圧力をかける意味も含め、抗議をすることはできますが……」
「そのあたりは、お任せします。国にとって必要なことであれば、適度に利用してください」
「かしこまりました。では、そのように」
◇ ※ ◇
紅茶を一杯、口に含んだあと、姫さまは話を続ける。
「もうひとつ、お話しておくことがございます。南の国が短期間で国境の砦を突破し、我が国の中枢まで駆け抜けることができたのか、そのからくりです」
「わたしが聞いてよいことなのですか」
「是非ともお耳に入れたいことです」
聞きたくないなあ。
だって、ロクでもないことでしょ、どうせ。
とはいえ、拒否権はなさそうだ。
おれは彼女に、先を続けるよう促す。
「南の国は、近年になって開発された魔法を用いて、これを実現させました。早足の魔法、と我々は仮に呼んでおります。少ない魔力で兵の脚力だけを強化し、同じ方向にまっすぐ進むことができるというだけの魔法です。この魔法について、ご存じでしょうか」
ああ、あれか。
知ってる知ってる。
「わたしのように冒険者あがりの研究者がずっと以前に戯れで開発した魔法のはずですね。わたしも試してみましたが、とにかく汎用性が低いんですよ。一度、魔法をかけたら足を止めてはダメ、道を逸れても曲がってもダメ、警戒して周囲を観察することすらダメ、戦うなんてもってのほかで、しかも魔法が切れた後は疲れ果てて、半日くらい使い物になりません。欠陥魔法もいいところです。冒険者なら、誰だってこんな魔法は無駄だって断言するでしょう」
「ですが、軍においては有用でした。兵を効率的に運ぶ、という用途においては無類のちからを発揮するのです」
「それがかかっていることがわかっていれば、途中で適当に奇襲をひとつかけるだけで瓦解しますよ。後には疲れ果てて剣も握れない兵が残るだけです。簡単に潰せます」
してみると、あのときおれたちが見た野営地の中の兵たちは、疲れ果てていたのか。
少しちょっかいをかけてみるのもアリだったのだろうか。
「ですから、あの侵攻はただ一度限りで、我々の側の情報を遮断することでのみなし得たものでした。宮中の密偵が情報を遅延させ、我が国の中枢が侵攻に気づいた時には、もう目の前に敵の姿があったのです。王も、将軍たちも、ひどく慌てたと聞きます。無理もありません。どんな想定においても、あれほどの進軍速度を出せる兵法はなかったのですから」
なるほど、とおれはうなずく。
一発限りの奇襲、しかも相手の目をくらませておいての。
冒険者のセオリーとしても、そういうものは存在する。
敵の嫌がることをやって、敵の意表をつくことで勝ちを拾うというのは、納得できる戦い方であった。
正直、この国の全員が南の国をナメてたってことなんだよな。
おれもめちゃくちゃナメてたんだけどさ。
だって学院の存在価値を否定するような奴らなんだぜ……。
うーん、これはおれのよくないところかもしれないな。
おれの価値観にあてはまらない判断基準で動く相手だからって、まったくすべてにおいて馬鹿というわけではない。
彼らはただ、別の価値基準で動いているというだけで、だからこそおれの予想もしないところから一撃を繰り出してくるのだ。
冒険者時代にも、そういうことはよくあった。
魔法も使えない野蛮な巨人族が相手だから、ってその勢力圏で断崖絶壁の途上の岩棚で野宿したら、ほぼ垂直のその壁をよじ登って襲ってきたりな……。
あのとき、そう、目の前の少女の母は、鎧もつけずに剣一本だけで巨人族に立ち向かい、危うく崖下に落ちそうになっていた。
というか実際に巨人もろとも岩棚から飛び降りかけたところを、おれがギリギリのところで牽引の魔法をかけて、その身を引っ張ることで九死に一生を得たのだ。
「なにやら、嬉しそうですね。いまの話のどこに楽しい要素がありましたか」
おれの心中を読んだかのように、姫さまがジト目で睨んできた。
おかしいな、顔色を隠す魔道具は今日も使っているんだけど。
「この国は、もう二度とそんな手に引っかからないでしょう。それでいいのでは?」
「この件については、おっしゃる通り、きちんと対策を打ちます。ですが、今回の出来事で我々は強く認識いたしました。世の中には、まだ我々が知らない魔法が星の数ほどあるということ、そしてそれらのいくつかは適切に軍事に利用することで、決定的な戦果を得ることができるということです」
「そりゃ、大賢者さまがお隠れになってからまだ五年ですから」
大賢者がヒトに知識を授けていた間であっても、個々人の工夫がまったくなかったわけではない。
早足の魔法、などもそのひとつである。
ただまあ、そういったものが軽んじられていたのは確かで、早足の魔法を生み出した者も、自らのつくり出したものなど大賢者の知識に比べればちっぽけなもので、自分ごときが役に立つ魔法を生み出せるなどとはまったく思っていなかった様子である。
同時に、周囲の者たちも、大賢者以外の者が生み出した知識を一段低く見ていた。
あの方が失われてから、五年、それが少しずつ変わろうとしている。
きっとこの状況こそ、大賢者と呼ばれたあの方が望んだ未来のひとつなのだ。
「あなたであれば、どの魔法が戦争に役に立つか、判別できるのではないかと考えたのですが……」
「正直に申し上げて、わたしに軍事の才能はありませんよ。たしかに、研究者としていまもさまざまな論文は読みます。知識はそこそこあるつもりです。ですが、それを実地で生かすことができる才能はまた別のものであることは、姫さまとのお話でもよく理解させられました」
「なるほど、臭いの魔法などですか」
「ええ、まさにそれなど、典型的な例です。わたしは、他人から指摘されるまで、あれを武器として用いることができるなどとこれっぽっちも考えていなかったのですから」
それこそ、わたしの欠点であり限界なのだ。
先日の一件で、そのことは身に染みて理解させられた。
あのとき姫さまに反撃の作戦を提示できたのは、あくまで冒険者時代の経験と偶然、マッチしたからというだけの理由である。
こんな幸運は、そう何度も起こらないだろう。
そうしたことを、丁寧に説明してみせる。
ついでに姫さまの母のエピソードを挟み、彼女がいかに義侠心に溢れ、いかに勇猛果敢だったかを語ってみせた。
姫さまは、なんか母のエピソードの方にやたらと食いついていたが……。
なんか話をごまかすためのダシとして使ってしまって、申し訳ないと内心で謝罪しておく。
「話を戻しましょう」
あ、ごまかされてくれなかった。
姫さまは、こほんとひとつ、可愛い咳払いをする。
「そうした軍事利用可能な技術について審査する機関を設立することになりました。わたくしは、その機関の長としてあなたを推薦しようと考えていたのですが……」
「恐縮ですが、お断りさせてください」
そう言うと思った、という顔の姫さま。
ごめんよ、でも本当に、そういうのおれには向いてないから……。
それに、そんなことに時間を使っていたら、そのぶん研究の時間が削れてしまう。
おれは本当にやりたいことのためにこそ、時間を使いたいのである。
そう、誰かのためではなく。
おれ自身のために生きると、大賢者の弟子としての経歴を放り投げたときにそう決めたのだ。
「わかりました。この件については、わたくしの方で処理しておきます。それでは……」
姫さまは、もう一度にっこりとしてみせる。
「先ほどの母の話、もっと聞かせていただけますか」
まあ、それはいいだろう。
ちらりと側付きたちの方を盗み見れば、仕方がないなあとばかりに肩をすくめていた。
では、とおれは語り出す。
記憶の底から、二十年前の出来事を掘り起こして……。
その日も、夕方まで会談は続いた。
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