第3話
何の自慢にもならないが、おれは自分の歳を正確には覚えていない。
興味がないからである。
そんな労力はすべて、もっと有意義なことに費やしたい主義である。
たぶん三十六か、七か、八だろう。
魔術師協会の記録を見れば一発なのだが、まあ別にそんなことをしてもなあ。
十四歳で協会の三級魔術師として登録され、冒険者として数年暮らし、その後、とある人物の弟子となった。
その人物が世間に大賢者と呼ばれる偉大な存在であると知ったのは、弟子となってからしばらく経ってのことである。
我ながら、間抜けなことだ。
だってあのひと、偉ぶったりしないし、自分のことを語らないタイプだったから……。
おれも、師としては尊敬していたけど、まあうんそれ以外のことは、いろいろとね……。
そんなわけで、おれはいつの間にか、大賢者の弟子のひとりとなった。
そして我が師は、五年前にお隠れになった。
以来。
大陸中が、発狂したような大騒ぎとなって、その騒ぎは未だに収まっていない。
◇ ※ ◇
王立学院は、王都のそばに建てられた、それ自体がひとつの都市とも言うべき存在だ。
王都と違い城塞はないが、深い水堀に囲まれ、有事にはその水が壁のようにせり上がって敵の侵入を防ぐという。
実際にその様子を見たことはない。
見たいと思ったこともないけど。
戦争に巻き込まれたくなんてない。
侵略される側の悲惨さなんてものは、冒険者時代にさんざん見てきたのだから。
大賢者が大陸に数々の発明をもたらし人々を豊かにしたといっても、未だ貧富の差は大きく、明日の食べ物もなく腹を空かせる者たちは多い。
中には、ひと冬を過ごす食料を求めて他国へ略奪する軍すら存在する。
この国の周辺も、近年、きなくさい話で満ちていた。
本当に、勘弁して欲しい。
おれは学院の中で、ぬくぬくと研究者としての日常を謳歌できれば、それでいいのだ。
あとはまあ、たまの気晴らしに酒場に繰り出して見るとか。
そう、今日のように。
◇ ※ ◇
学院内には十と少しの酒場があり、学生向け、教員向け、貴族向け、ちょっといいお酒を置いてある店、料理が美味い店……と用途に応じてそれらは使い分けられている。
先日まで学生向けの安い酒場で安い酒をあおっていたおれだが、魔法の習得料でひと儲けしたいま、店もちょっとお高いところにグレードアップしている。
いや、別に貯金はあるし姫様から頂いたメダルの御威光も合わせれば最上級の貴族向けの店にも行けるっちゃ行けるんだが、そんな居心地が悪いところで酒を呑む気がしない、というあたりが本音である。
別に豪遊したり散財したりして憂さを晴らす趣味はないのだ。
ストレスが溜まったら研究すればいい。
研究が最高のストレス解消の手段だ。
みたいなことを以前、同じ研究員の立場の人物に語ったらドン引きされたんだけど、何でだろうね?
かくもヒトの世は難しい。
おれはこんなにも常識人なのに。
周囲がおれの常識について来ないのである。
閑話休題。
その日の夕方、おれは最近馴染みにしている店のカウンターで錬金ガラス製の杯を傾けていた。
琥珀色の蒸留酒が口の中を流れ、喉の奥がカァっと焼けるように熱くなる。
これだよ、これ。
この度数の高い酒がいいんだ。
酒造りの魔法は学院でも特に研究が進んでいる分野だ。
酒好き、いや酒狂いと言っていい研究者どもが、日々、己の人生をかけて発酵や蒸留についての研究を進めている。
その過程で日持ちのする発酵食品が生まれたり、新しい薬がつくられたりと副産物も多々あり、学院における主要研究分野のひとつとなっていた。
酒好きたちの熱意について、偉大なる前王陛下は「度し難い馬鹿どもだが、馬鹿を上手く利用してこそ王の道よ」と言ったとか言わなかったとか。
学院の主要出資者は王家だから、それくらいは言ってもいい気がする。
まあ、そういった経緯もあって、学院の酒場では時代の最先端である蒸留酒が呑めるというわけだ。
で、気分よくカウンターでひとりでちびちび酒を呑んでいたところ、横に座る者がいた。
こんな場所には不釣り合いな、小柄な女性である。
というか、ぱっと見ただけでは子どもに見えるほど身の丈が低い。
彼女が白衣をまとっていて、右手に研究者の証である赤い宝石のはまった腕輪をしていなければ、とっくにつまみ出されていたに違いない。
この腕輪、別に装着は義務じゃないんだよな。
彼女の場合、これをしていないとガチで学生か見学者か何かと見間違われてしまうからというだけで。
「ミルクでもおごろうか、エリザ女史」
「人の容姿を皮肉るのは、あまり趣味がいいとは言えないね、きみ」
「悪かった、謝罪しよう。お詫びに、これと同じ琥珀酒をおごろうじゃないか」
バーテンダーに指示を出して、おれが呑んでいるのと同じ酒を用意してもらう。
エリザ女史はガラスのグラスに入ったそれを受けとって、くいっ、と一気に杯を傾け――。
げほげほとむせた。
そりゃそうだろ。
「この酒は一気に呑むもんじゃないぞ……わからないなら見栄を張らんで素直に聞いてくれ……」
「うるさいうるさいうるさーい!」
「酒場では静かに、な」
「わ、わかってるわ!」
涙目になって、うーっ、とこちらを睨んでくる。
びっくりするだろ、こいつこれで二十六歳の助教授なんだぜ。
いや、二十五だったかも。
二十七の可能性もあるな……まあ、彼女の年齢なんてどうでもいいか。
「きみ、いま何かロクでもないことを考えなかったかね」
「女史、他の酒を頼もうか? ああ、こっちのベリーの酢漬けは酒に合うぞ、食べるか?」
「あまりにも露骨なごまかしに、びっくりするよ。まるで研究にすべての情熱を注ぎ込むあまり、他者との対話には相応の熱意も経験も得ることがなかったかのようだ」
「それは、この学院の奴らの大半では?」
「ごもっとも。うちの教授も含めて、世捨て人のような者が多くて困ってしまうよ」
女史は、今度はグラスをそっと傾け、少しだけ口のなかに含み、口の中で転がした後、ゆっくりと喉を通らせる。
桜色の唇から、ほう、と熱い吐息が漏れる。
まるで子どもがままごとをしているような……いや、これ以上の論評はやめておこう。
「何か、わたしの顔についているかね?」
「贈り物を愉しんでいただけたなら幸いだね」
女史はおれをじとっとした目で睨んだ後、ゆっくりと首を横に振った。
「容姿を揶揄されることは慣れているがね。それを口に出さぬ限り、内心の自由は保障しよう。それが学院の決まりだ。――話を変えよう。先ほどきみは教授たちが世捨て人と言ったが、まさにそのことで少々、相談があるのだ」
「おれに、相談? 研究のことではなく?」
「研究のことなら、こんな場所で話をしないさ。研究室に乗り込んでいくのが学院の流儀だ。そうではなく、学生に関する話だ」
「それこそ、研究室でやるべき話では?」
「予算が出た後の話なら、そうするのだがね」
なるほど、構想段階の話か。
いまの段階では対価として支払うものがないから、こうして勤務時間外に話をしに来ている、と。
まったく、学生を抱える教授たちはたいへんだねえ。
身軽な研究員の立場で本当によかった。
「話を聞くだけなら、聞こう」
「助かるよ。どこに相談を持っていけばいいかもわからなくてね」
「学生のことで?」
「ああ。実は前から、話が上がっていたことではあるのだが。一部の学生から、アルバイトをしたいという要望が上がっていてね」
アルバイト? 勝手にすればいいだろう。
別に学院内にそういう決まり事があるわけでもない。
学舎の中庭に建てられた掲示板には、多くのアルバイト先が掲示されている。
報酬は、まあたいしたものではないとしても、そもそも学業の合間にやるものなのだから……。
おれは首をかしげた。
話がよくわからない。
「ありていにいうと、学業のかたわら、狩人か冒険者として金を稼ぎ、学費と生活費に充てたい、と考える者は多いのだ。貴族ならまだしも、平民には特にね」
「それはまあ、わかるな。無理をして学院に入ったものの金が続かない。よくある話だ」
「で、去年と一昨年、立て続けに何組も、冒険者として働いていた学生が事故で亡くなってね。これはまずい、と教授会で問題となって、一時的に狩人と冒険者は禁止、という規定ができたのだ」
知らなかったよ、そんなこと。
ちなみに狩人と冒険者の違いは、狩人が森や草原の生き物を狩るのに対して、冒険者は何でも屋というあたりだ。
冒険者は、街中の御用聞きから森の奥の先史文明遺跡漁りまで多種多様な仕事をこなす。
そのぶん、中身も玉石混交で、底辺にはごろつきまがいの連中もごろごろいる。
で、この両者、いちおうギルドは違うのだが、その役割にはかぶっているものも多い。
両方のギルドに籍を置いている者も多く、別に末端同士では仲のいい者もいれば喧嘩腰になる者もいて、両者の関係はひと口には説明できないものがある。
「だが、それもそろそろ限界だろう、と……先日も貧乏な学生から陳情が来てね。教授会としても思案のしどころ、かくなる上は若い者に対応を一任させよう、と問題の丸投げを画策したわけだ」
「それで、きみにお鉢が回ってきた、と」
「笑ってくれたまえ。いいように使われる下っ端の小娘がこのわたしさ」
ははっ、と自嘲するように笑って、小娘はグラスを傾けた。
一気に呑みすぎて、またげほげほむせる。
つくづく、格好のつかない人だなあ。
はっはっは。
「笑うな!」
「笑ってくれ、っていま言ったばかりじゃないか」
「そういう意味じゃない! ああもう、まったく。とにかく、そういう次第なんだ。きみは以前、冒険者をやっていたんだろう? 何かそのあたり、アドバイスとかできないかね」
アドバイス、ねえ。
そもそも冒険者なんて自己責任の極みみたいな仕事だからなあ。
学生といったって、他人の子に対して仕事を禁止する権利が学院側にあるのだろうか。
死んだとしても、それはそいつの勝手、ではないだろうか。
自分勝手で好きなように生きるおれとしては、どうしてもそう思ってしまうのである。
「きみが考えていることはわかるがね。学生があまり頻繁に亡くなるという噂が立つのは、学院側として看過できぬ問題なのだよ」
「なるほど、内実はともかく、問題が起こることこそ問題だ、と。役人みたいなことを言うな」
「学院の上層部なんて、役人とさしてかわりがないさ。保身に長けていなければ、そこまで出世できない」
そういえば、学院の上層部は貴族のパワーゲームで出世するんじゃなくて、内部での功績が点数化されて選出されるんだったな。
大陸全体で見ても、けっこう特殊な形式である。
何でも、大賢者からのアドバイスでこういう形式となったとか。
大賢者の言葉というものはえてして絶対視されがちで、だから一度決定されたこの方式については、貴族たちも文句ひとつ言えないのだという。
………。
あのひとは、そういう絶対視こそ望んでいなかったんだと思うんだけどなあ。
「冒険者はもともと危険と隣り合わせな仕事だろ。ましてや高い報酬を求めるなら、なおさらだろう」
「それは、もちろんそうだ。ちなみに一部の教授からは、普段、冒険者に依頼を出している薬草や鉱石の採集などを学生にやらせたい、という要望も上がっている」
「それは学生を薄給でこき使いたいだけだろう。却下しておけ」
この国において、研究者たちが研究に使う薬草や鉱石といった素材の採集は、冒険者の主要な仕事のひとつとなっている。
それだけ学院からの資金の流出も多いということで、それを何とかしたいという理屈はわからないでもないが……でもそれ、経済をまわすという意味では必要なことなんだよなあ。
そのあたりをエリザ助教授に説明するのも面倒くさい。
というか彼女はたぶんわかっていて、だからこそ愚痴として吐き出しているのだろう。
「ただ、まあ。そういうことなら、教授の方から薬草の採集なんかを依頼として学生に出して、相応の報酬を払うという形ならいいんじゃないか」
「ふむ、検討に値する意見だな」
エリザは考え込んだ。
「しかし、安全性の問題がある。場合によっては、教授が学生を死地に送り出した、という風評被害が出る可能性もあろう」
「そこは最低限、依頼の吟味が必要でしょうね。依頼料でギルドに中抜きされる部分というのは、そういったリスクをギルドが背負う、ということなのだから」
中抜きというのは一概に悪とはいえない。
需要と供給のマネジメント、マッチングという作業、それに伴う危険と看板、さまざまな要因が噛み合っているからこそ、それを事業とする者たちがいるのだ。
かつて、おれはそう説明された。
師匠に。
「まるで大賢者さまのようなものいいだな」
エリザが、ふふ、と笑う。
おれは苦虫を噛み潰したような顔で彼女を見る。
「わかるよ。大賢者さまの本の受け売りだろう?」
「そうだよ。悪いか」
「誰も、悪いとは言っていない。お隠れになってからも、大賢者さまの教えは人々に受け継がれている。素晴らしいことだ。大賢者さまも喜んでおられるだろう」
そうかな?
おれは、あまりそうは思わないんだけどなあ。
いや、まあ、いい。
それはいまはいいのだ。
「やはり、きみは頼りになるな。その調子で、もう少し頼りにさせてもらうとしよう」
「え、いや、待って? いまなんて?」
「教授会には、きみを推薦しておこう、ということだ」
女史はグラスを開けて立ち上がる。
「今度はわたしがおごろう。では、また」
「いや待て待て待て、どういうことだよ!?」
颯爽と酒場を出ていく小娘を、おれは慌てておいかけようとして……やべっ、金を払ってなかった。
会計をしているうちに、彼女の姿は路地にまぎれ、見えなくなっていた。
◇ ※ ◇
なお、後日。
教授会からおれ宛てに、ひとつの依頼が来ることとなる。
今後の教育と学院内での素材確保を円滑に進めるという名目で、教官として数名の学生を一人前の素材蒐集者に仕上げろ、という内容である。
それなりの報酬が出るとはいえ……面倒な……。
いちおう依頼の形式だから、拒否することは可能だ。
教授会から睨まれることさえ甘受すれば、である。
というかこれ、エリザ助教授がかけあって、お金が出る形式を整えたってことなんだろうな。
そこは感謝するべき……なのか?
さて、どうするかね。
いやまあ、たまには外で身体を動かすのもいいか。
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