第2話

 麗しき王女殿下、御年十五歳。

 賢王と名高き現王の三人の娘のうち、三年前に亡くなった前王妃が産んだ、たったひとりの女性である。


 ちなみにこの前王妃、男子は四人産んでいて、そのうちのひとりが王太子である。

 王妃の死後、後妻となった現王妃は女子ばかりふたりを産んでいて、そのあたりでいろいろ宮廷のもめごとがあったりするらしいが、おれの知ったことではない。


 更に側室の三人の子どもが合計で七人。

 この国の未来はおおむね安泰であろう。


 お家騒動とかなければね。

 頼むから、おれをそういうのに巻き込まないで欲しいと願っている。


 で、その王女殿下にお呼ばれして、おれはまた王宮に赴いている。

 先日と同じ応接室で、テーブルを挟んで向かい合い、異国の茶を呑んでいた。


「先日、あなたが発表した、自由に臭いを発する魔法、実に興味深かったです。いま後宮では、王妃と側室たちが、かぐわしい香りをいかにして身にまとうかで争っているのですよ」

「一気に広まりすぎじゃありませんか」

「開発したあなたのお手柄ですね。習得料だけで、たいしたものになったかと」


 たしかに、それはね。

 他国に関してはともかく、この国では、この国で登録された魔法に関して十年間は習得料の支払いを義務づけているのだ。


 こっそりと、すでに習得している者から習って習得料をごまかす人もいるけど。

 でも公の立場の人たちなら、そんな恥ずかしい真似はできない。


 故に、こうして貴族たちの間に魔法が広まると、けっこうな魔法習得料が開発者であるおれの懐に入ってくるのだ。

 正直たいした魔法じゃないと思っていたから、魔法習得に伴う技術料も安く設定しちゃったんだけどね。


 そうじゃないと、知人の狩人とかが覚えられないし。

 臭いの魔法、その本来の目的は、狩人が獲物を追跡する際、己の臭いをごまかすことにあるのだから。


 あとまあ、ついでにトイレの消臭とかにも使えないかな?

 とか余計な色気が出て、いろいろ拡張してしまった結果、妙に汎用性の高いものが出来上がってしまったのである。


 研究に夢中になっていると、よくあることだ。

 仕方ないことなのだ、うん。


「もちろん、あなたがお題目として唱えていた、トイレの芳香としても使われておりますよ。側付きたちから優先的に、覚えさせました」


 ちらり、と姫さまはソファのそばに立つふたりの女性を見やる。

 彼女たちが、恭しく頭を下げた。


 さっき思わず姫さまにツッコミを入れたとき、睨まれなかったのは、どうやらおれが開発した魔法を彼女たちも習得したことで、なんか敬意が芽生えたとかなんだろうか。

 いや、もうそれ以前に、お城に招かれたときもまわりの態度がだいぶ下にも置かぬ感じだったんだけど……何なんだろうね、これ。


「ですが、こういった魔法については事前にひとこと相談をいただきたかった、と軍部の方からお話が来ております」

「えぇぇぇ?」


 思わず、へんな声が出てしまった。

 軍部? それこそ何で?


「斥候が、探知魔法の対策として強い興味を示しているとのこと。探知魔法の一部は生物から発せられる臭いを利用しているとかで……このあたりはわたくしも初めて知ったのですが」

「ああ、そういえばそんな探知魔法もありましたね……。冒険者だとエコーロケーションの魔法の方が一般的なので忘れてました」


 このあたりは、探知魔法のレンジの問題もある。

 エコーロケーションはヒトの耳では聞こえない超音波を放ち、洞窟の壁などに反射したその音を聞き分けて周囲を探知する手法だ。


 洞窟や市街地など狭い場所では有効だが、広い場所では使い勝手が悪い。

 逆に臭いは風に乗って遠くまで届くから、軍とかだとこちらを利用することが多かったりするのである。


 狩猟ギルドがこの魔法で喜んだのも、野生の生き物の多くが臭いで相手を認識する、というあたりからだ。

 狩人たちが、こぞってこの魔法を習得しようとしているという話は以前に聞いた。


 特定の臭いで相手を誤認させる、というのは森の一部の生き物が使う処世術らしい。

 同時に、臭いを用いて会話に似たコミュニケーションを取る、ともいう。


「わたくしも習得いたしましたが、狙った臭いを出すのがなかなかに難しいですね。コツがあれば、教えていただきたいです」

「そのあたりは、正直、わたしよりも狩猟ギルドの方がノウハウを持っている様子です。彼らはあっという間に、特定の生き物が発する臭いについて解析していましたから」

「森の生き物の臭いを真似するのでしたね。報告が上がっています。ある種の生き物であれば自在に操れるようになるとか。実に興味深い」


 口もとに手を当て、考え込むお姫さま。

 なかなかに絵になっている。


 ちなみに彼女、王立学院に十歳で入学して、十四歳の去年に卒業している。

 平均的な貴族の在学期間は五年だから、一年短くすべての単位を取得しているので、これはそうとうに優秀といえた。


 賢女、という噂はおれの研究室にも届いているのだ。

 講義とかで顔を合わせたことはなかったけども。


 実際にこうして話をしていても、よく頭がまわるというのは本当なのだと理解できる。

 あの、どちらかというと猪突猛進を絵に描いたような剣士の娘がねえ。


 少し感慨深いものがある。

 いや、余計なところまで理解してしまわないか、おれとしては不安で仕方がないのだが……。


「軍事や狩猟といったことへの応用はともかくとしても、生活に即した魔法を生み出すあなたの才覚、得難いものだと感じております」

「過分なお言葉です。わたしはただ、興味を持ったものを研究しただけなのです」

「その着眼点が素晴らしい、ということですよ」


 うーん、そうなんだろうか。

 正直、この程度の魔法であればすでに誰かが開発していてもおかしくない。


 ただ、それをしっかり体系化し、簡略化し、広めてないだけで。

 ちなみに臭い魔法については、さまざまな臭いに対応することを目指した結果、主要な臭いの成分をモジュール化し、組み合わせることでオリジナルの臭いを出すことを可能としていた。


 この臭いモジュールについては術式の拡張部分で、独自のモジュールを開発することも推奨していて、狩猟ギルドの方では森の生き物を参考にレパートリー増加を試みているとのこと。

 すでに、魔法そのものがおれの手を離れて勝手に増殖するような事態となっている。


 ある程度は意図したこととはいえ、その功績までおれのものになるのは少々気持ちが悪い。

 だっておれ本人は、そこまでたくさんの臭いを使い分けられないのだもの。


 アドバイスを求められても、マジで困るのだ。

 開発者が使用者としても優秀とは限らないということ、皆さまよく理解して欲しい限りである。


 そういったことを、丁寧な言葉で説明する。

 姫さまは、心から面白そうな表情でおれの話を聞いてくれた。


「研究者という人々の心持ちがようやく少しわかった気がします。あなた方は、ひょっとするとただ興味があるというだけで、この大陸を破壊する魔法、といったものを開発してしまうのですね」

「そこまでのものであれば流石に自重すると思いますが……いや、するかな? しないかも。……冗談ですって、しない……はず、ですよ?」


 側付きのふたりがめちゃくちゃ睨んできたので、言葉を濁す。

 ごめん、なんか本当にやりそうな顔がいくつか思い浮かんでしまったのですよ……。


 いや、でもあいつらも、さすがにそれを世界中に広める、とかはしなさそうだし。

 ただこっそり開発して、自分だけのものとして秘匿するだけだと思うから許して欲しい。


 駄目かなあ。

 駄目かもなあ。



        ◇ ※ ◇



 ふたりで、蜂蜜をたっぷり入れた渋茶を、時間をかけて楽しむ。

 姫君は今日も高原に咲く花のように優雅に笑い、話題を変えた。


「あなたが大賢者の弟子と繋がりがあるのではないか、と疑う者がいます。故に、数々の研究成果を得たのではないかと。無論、わたくしはそのようなこと、根も葉もない噂であると存じております。ただの妬みでありましょう」


 澄み渡った青空を思わせる瞳で、まっすぐにおれを見つめてくる。

 ははは……こりゃ、下手な返事はできないぞ。


「妬み、ですか」

「一介の研究員でありながら、抜きんでた才覚でもって頭角を現したあなたは、いまや時の人。その成功を羨むものもいれば、妬むものもおりましょう」

「大賢者さまが危惧したのは、発明や発見はすべて大賢者がするもの、と当然のように思われていた状況そのものでしょう? その対象が大賢者の弟子に変わったところで、何の意味もないのではありませんか」

「残念なことです。学院は、そういった状況を打破するためにこそ生まれたというのに。大賢者さまがお隠れになって五年、未だヒトの意識は旧来のまま、雛が口を開けて餌をねだるがことく、知識が天から降ってくるものと思っている。まことに不甲斐なきこと、わたくしもひとりの学徒として忸怩たるものがあります」


 口では忸怩たるものがある、と言いながら、姫殿下は微笑む。

 実際のところ、ここ数年で学院が発表した数々の論文によって、この国はだいぶ潤っているという。


 そのせいで一部の国は、この国に厳しい目を向けているらしいけど。

 きっと上の方では日々、丁々発止のやり取りがされているのだろう。


「それにしても、あなたは大賢者さまのご意思を、よく理解しておられるのですね。大賢者さまか、その弟子にお会いしたことがあるのですか」


 一部の貴族は、魔法によらず、心を読むという。

 ただの技術で、だ。


 心を読む魔法への対策はできても、技術への対策は難しい。

 ちょっとした目の動き、顔の筋肉の動き、仕草、そうしたものを完全に制御することは非常に困難なのである。


 いま彼女は、それをおれに仕掛けているのだろう。

 なるほど、と納得する。


 本当か、嘘か。

 おそらくは、ただそれがわかるだけの技術だ。


 よほどの才覚がなければ身に着けることができない技術であるという。

 この若さでそれを使いこなすというなら、賢女、という彼女の呼び名すら、その才に比して控え目なものと言えるのではないか。


「大賢者さまの著作はいくつも読みました。そのおかげでしょう。ですがわたし自身は、お会いしたことがございません」


 じっと、姫さまと見つめ合う。

 吸い込まれそうなその瞳の奥を、覗き込む。


 こちらの心もまた、覗き込まれている感覚がある。

 それは長い時間に思えたが、おそらくは呼吸ひとつ、ふたつの間にすぎなかっただろう。


 やがて、王女はゆっくりと、ひとつうなずく。


「大賢者さまの著作だけであの方のお考えを深く理解できたあなただからこそ、あれだけの画期的な魔法をつくれたのでしょうね」


 それから、いくつか和やかに話をした。

 少しだけ、彼女の母の話もした。


 昼過ぎに赴いたというのに、王城を辞する時には、また日が落ちかけていた。



        ◇ ※ ◇



 寮の自分の部屋に戻り、部屋にかけた対探知の魔法他、ひととおりの魔法トラップが出かけた時と変わっていないことを確認する。

 大きくため息を吐く。


 ふう、助かった。


「まさか、技術で心を読むなんてなあ。念のため、用意をしておいてよかった」


 おれは首飾りを外す。

 いま鏡を覗いていれば、きっとおれの顔が一瞬だけブレたように見えただろう。


 本物そっくりの偽物の顔から、本来の顔に戻ったのだ。

 幻術の魔法を常時発動する魔道具で、周囲には気づかれないほど微弱な魔力しか使用しないかわりに、ごくごくちいさな変化しか生み出すことができない。


 そう、己の表情を変化させる程度の幻術でしかない。

 本来とは違う表情を生み出す程度の意味しかない、ほとんど無意味な魔道具である。


 万が一、と思って先日開発し、身に着けておいたのだ。

 王女殿下の前でへんな表情をして、失礼がないようにと。


 それがまさか、こんなことになるとは。


「用心というのは、いくらしても足りるものじゃないな」


 ベッドに横になる。

 ああ、疲れた、本当に今日は疲れた。


 目をつぶる。

 たちまち睡魔に襲われ、闇に吸い込まれるように眠りに落ちかけ……しかし。


「いや、待てよ。この魔道具をもう少しいじれば、残留魔力を効率的に使うことができるようになるんじゃないか?」


 がばっと起き上がる。


「平均的な魔術師が常時発する魔力量は……体内と体外の魔力の相互作用によって……」


 頭が、高速で動き出す。

 たちまち眠気は吹き飛び、夢中になって演算を繰り返す。


 次に気づいたとき、夜が明けていた。

 空腹でぶっ倒れそうだった。


「いかん、姫さまから土産で貰った焼き菓子でも食べるか」


 貪るように焼き菓子を口に突っ込む。

 蜂蜜の甘さが、脳を活性化させてくれた。


 さて、もうひと頑張りするか。

 結局、その日は夕方までぶっつづけで開発を続けた後、気絶するように寝た。


 本当に、毎日が楽しい。

 こんな日々を、絶対に逃してはならないと心から誓う。

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